「ごめん。ロイド、ティオ。キーアは一緒に行けない」
マリアベルに導かれ、大樹の深奥に辿り着いたロイドとティオは、〈零の巫女〉に覚醒したキーアと対峙していた。
身体は少し成長し、緑色だった髪は青く染まっているが、彼女が二人の知るキーアであることは間違いない。
しかし「一緒にここを出よう」と言ったロイドの言葉に対し、キーアの口からでたのは拒絶の言葉だった。
「キーア、一つだけ聞かせてくれ。それは俺たち≠フためか?」
ロイドとティオの目的はキーアを連れて帰ることだ。
しかし、それをキーアが望むかどうかは別の問題。こうなる可能性はロイドも考えていた。
だからこそ尋ねる。キーアがここに留まる理由を知りたかったからだ。
「どういうことですか?」
「詳しいことは分からない。でも、キーアが計画の遂行を前に大樹で眠りについたと聞いた時、何かがおかしいと思ったんだ」
「……おかしい?」
「俺たちの元を離れ、マリアベルさんの計画に一旦は協力することを決めたキーアが、どうしてそんな真似をしたんだろうって」
「それは彼女の真の狙いに気付いたから……」
ティオの言うように、マリアベルの狙いに気付いたから大樹に引き籠もったと言うのは、マリアベル自身も言っていたことだ。
しかし、それだけが理由ではない。いや、マリアベルも本当のことを話してはいないとロイドは感じていた。
そんなロイドの問いに、キーアは溜め息を吐き、観念した様子を見せる。
「ロイドはキーアの力のことを……知ってるんだよね?」
「ああ、イアン先生から聞いたよ。その力を使ってキーアが俺たちを守っていてくれたことも……」
ロイドたちが捕まることなくレジスタンスとして活動できていたのは、マリアベルが本気で捕まえる気がなかったからと言うのもあるが、一番のところはキーアのお陰と言っていい。彼女がロイドたちに加護を与えたことによって、マリアベルたちは彼等の動きを把握することが出来ないでいたからだ。
物事が上手く進みやすくなる。悪運が強くなると言った程度の加護だが、それでもロイドたちの助けになっていた。
「でもそれは、キーアがマリアベルさんの協力を拒む明確な理由にはならない。二つの目的は決して相容れないものではないからだ」
マリアベルの話や、これまでのことからも彼女に自分たちを害する意思はないとロイドは感じ取っていた。
だとするならキーアがマリアベルを拒絶する理由はない。キーアの目的はロイドたちとクロスベルを守ることにあるからだ。
マリアベルの目的がリィンの力の覚醒にあると言うのであれば、彼女の好きにさせればいい。
そのこととキーアが大樹に引き籠もったことに、直接の繋がりがあるとはロイドには思えなかった。
そして、そのことをロイドたちに語って聞かせたマリアベルが気付いていないのはおかしい。
彼女が本当のことを語っていないと感じたのは、それが理由だった。
「本当はね。ベルの思惑には最初から気付いていたの。最初に因果を改変した時、未来の記憶と知識が流れ込んできたから……」
どうして、そんなものが見えたのか? キーア自身にも、はっきりとしたことは言えなかった。
でも、はっきりとしていることは一つあった。このままではクロスベルは破滅を迎えることになる。
そしてロイドたちも危険な目に遭い、過酷な運命に晒されることになると言うことだ。
「それでもベルに協力することを決めたのは、必ず訪れるであろう過酷な運命から皆を守る力が必要だったから」
だからキーアは普通の少女として生きる道を諦め、〈零の巫女〉として覚醒する道を選んだ。
そうすることがクロスベルの街を、ロイドたちを守ることに繋がると考えたからだ。
マリアベルの思惑は察していたが、その結果死ぬほど辛い目にあっても、それは歴史に干渉した自分の罪だと受け入れていた。
「でも、何者かが運命に介入した。キーアの知る未来と違っていたんだな? その人物と言うのが……」
「うん。ギリアス・オズボーン――彼がマリアベルの計画を利用し、あるべき歴史を改変した人」
しかし予定外のことが起きた。
キーアの知る限りでは、ギリアスがクロスベルの事件に直接関わったという記憶はない。
ましてやマリアベルと手を結んだという事実は存在しなかった。
だとするならキーアの知らないところで、過去が改変されていたことになる。
その中心にいる人物こそ、ギリアスに他ならなかった。
「これは……」
「現在の帝国の様子。異界の浸食が既に始まっている」
空間に浮かび上がった映像に、ロイドとティオは驚きに満ちた表情を浮かべる。
緋色に覆われた空。地上を埋め尽くす魔煌兵の軍勢。
そして、それに抗う人々の様子がそこには映し出されていた。
「これまで、どうにか抑えてきたけど、キーアがここを動くと地脈の力が暴走する。そうなったら世界は異界に呑まれ、再び暗黒の時代を迎えることになる」
悲痛な声で、キーアはここから離れられない理由をロイドたちに話して聞かせる。マリアベルの思惑に気付いたからではない。彼女の計画を利用して、ギリアスが為そうとしていることの重大さに気付いたからこそ、キーアは彼の計画の進行を遅らせるために自ら大樹に引き籠もったのだ。
異界の浸食。暗黒時代の再来。それが、どういう結果をもたらすのかまでは分からない。
しかしクロスベルが大国に占領されることよりも、遥かに大変な何かが起きようとしていることだけは理解できた。
最悪、世界が滅亡すれば、その災いはロイドたちの身にも降りかかることになる。だからキーアはここを離れられないとロイドに話す。
「分かったでしょ? だからロイドたちは……」
「ああ、よく分かったよ。どうしてマリアベルさんが、俺たちにキーアを託してくれたのか」
「……え?」
キーアがギリアスの計画を阻止するために、一人で頑張ってきたということは理解できた。
しかし正直なところ、世界の滅亡などと言われてもロイドにはピンと来ない。
そしてそれをキーアが一人で背負おうとしていることもだ。
恐らくマリアベルはキーアが何をしようとしているのか、気付いていたのだろう。
だからロイドたちに彼女を託した。そう、ロイドはマリアベルの意思を受け取った。
ならば、するべきことは一つしかない。
「キーア一人が犠牲になることを、俺たちは望んでいない」
「でも、そうしたら世界が……」
確かにキーアには、ギリアスの計画を阻止する力があるのだろう。だけど、彼女一人に背負わせていいものだとはロイドは思わない。
この世界の問題は、この世界に生きる人々全員の問題だ。
キーア一人が犠牲にならないと救われない未来なんてものを、ロイドは認めるつもりはなかった。
そんな程度のことで諦めるなら、こんなところまで来たりはしない。それはティオも同じだった。
「エゴだと言われようと、俺はキーアを絶対に見捨てたりなんてしない。それに両方を救う方法がないと、どうして最初から決めつける?」
「私もロイドさんの言葉に同意します。これが人の為したことだと言うのなら、解決策も必ずあるはずです」
「無理だよ。そんな方法あるはずがない。だって……」
自分に何が出来て、何が出来ないかをキーアは理解している。
至宝の力の限界も、〈霊の巫女〉として叶えられる願いの限界も――
だから、これはどうしようもないことだと彼女は諦めていた。
――あるよ。
そんな彼女の頭に声が響く。
ロイドとティオにも聞こえた様子で、二人は声の正体を捜して、周囲を見渡していた。
そして、
「ツァイト? それに、あれは……」
空を見上げたところで、ティオの目に巨大な狼の背に跨がる少女の姿が映った。
◆
「どうしたワジ! そんなもんじゃねーだろ! お前の力はよッ!」
異形の怪物――魔人≠ニ化したヴァルドの一撃が硬い岩盤を砕く。
常人の何倍も膨れ上がった筋肉に、血のように赤い肌。頭には一対の角を生やし、その姿はまさに東方に伝わる鬼≠フようであった。
先程から振り上げている棍棒は、ヴァルドが旧市街で不良チームを率いていた頃から愛用している木製の武器だ。
しかし持ち主と同じく瘴気を吸って、禍々しい気配を発していた。一撃でも直撃を受ければ、死は免れないだろう。
「なら、存分に味わうといい」
様子見は終えたとばかりに反撃にでるワジ。パワーでは圧倒的にヴァルドが押しているが、スピードではワジが勝っていた。
頭上に振り下ろされた肌を打つような一撃を回避すると、ワジは怯まずヴァルドの懐に飛び込む。
そして得意とする蹴り技で、容赦なくワジはヴァルドの鳩尾を蹴り上げた。
「ぬぐッ――」
全身を貫くような衝撃に、ヴァルドの口から苦痛の声が漏れる。
しかし、そこでワジの攻撃は終わらない。畳み掛けるように連撃を放つワジ。
肩、胸、腹、顎。絶え間なく全身に叩き付けられる打撃に、ヴァルドの巨体が大きくよろめく。
その瞬間を待っていたと言ったようにワジは右足を地面に叩き付け、全身を捻るように回転させると、
「これで!」
闘気を纏わせた渾身の拳をヴァルドに叩き付けた。
地面を転がるように弾け飛ばされ、土煙の向こうに姿を消したヴァルドをワジは油断なく見据える。
「やっぱり、この程度じゃ効果は薄いか」
煙の中に浮かび上がる巨大な影。
まったくダメージを負った様子もなく、先程までと変わらぬ姿で土煙の中から姿を現したヴァルドを見て、ワジは溜め息を漏らす。
手応えはあった。手を抜いたつもりもない。並の人間なら死んでもおかしくないほどの攻撃だった。
しかし魔人と化したヴァルドの頑丈さは、ワジの想像を超えていた。
「そんな姿になってまで力を求めて、キミは何がしたい? いや、何をするつもりだ」
「何も? ただ、俺は力が欲しいだけだ」
だからこそ、ヴァルドがどうしてそこまで力を求めるのか気になってワジは尋ねる。
しかし、その答えは意外と言うか、どこまでも身勝手なものだった。
「俺が力を求めるようになったのはガキの頃からだ。呑んだくれの親父が死んで旧市街に一人放り出されて、喧嘩に明け暮れる毎日。だが、そうやって強さを証明することでしか、あそこに俺の居場所はなかった」
しかし同時に話を聞き、ヴァルドらしいともワジは思う。
「理不尽に抗うには力がいる。現実に立ち向かうには強さがいる。強い者が弱い者を従えるのは当然のことだ。だから俺はバイパーを作った」
「……それがキミが力を求める理由か?」
「そうだ。弱い奴は何をされても文句は言えねえ。それが、俺の見てきた世界のルールだ」
ヴァルドが強さを求める理由。
それは理不尽な現実に晒されながらも、必死に生きようと足掻いた彼の境遇が深く関係していた。
救いを求めたところで、助けてくれる人などいない。旧市街とは、クロスベルが持つ裏の顔のようなものだ。
富む者もいれば、貧しき者もいる。弱者は強者に虐げられ、搾取されるだけ。
親に捨てられ、社会に見放され、行き場のない者たちは泥を啜って生きるしかない。
そんな世界で生きてきたヴァルドは、誰よりも強さを渇望するようになっていった。
「だから俺は強さを渇望する。誰よりも強く、自分らしく生きるためにな。お前もそうなんだろ? ワジ」
強さを求めるのはお前も同じはずだとヴァルドに問われ、ワジは自身の過去を振り返る。
彼の言っていることは理解できなくもない。この世は弱肉強食。強者が弱者を食い物にするのは、どこの国でも割と良く聞く話だ。
実際、七耀教会のあるアルテリア法国でも、少なからず権力による腐敗は存在する。
ヴァルドは幼い頃から、そうした人の持つ業を目の当たりにして生きてきたのだろう。
しかし根本的に自分とヴァルドでは、立場が異なっているとワジは考えていた。
「残念だけど、僕とキミは違う。僕は望んで、この力を手にしたわけじゃないからね」
ヴァルドが自ら力を求めたのと違い、ワジは望まずに聖痕≠フ力を得た。
この力に覚醒したがために故郷を追われ、家族を失い、運命さえも定められてしまった。
謂わば、ワジの力とは彼の犯した罪≠フ象徴。呪いのようなものだ。
そう言う意味で、ヴァルドと自分は違う。力に対する向き合い方が大きく異なるとワジは感じていた。
「忠告するよ。本当の強さを得たいなら、キミは自分の罪≠ニ向き合うべきだ」
「ワジ、テメエ……」
「いまのキミでは僕に勝てない。力を求める余り、人であることをやめたキミではね」
「上等だ……なら、証明してみせろ!」
ワジの挑発に全身から闘気を放ちながら、ヴァルドは怒りの咆哮を上げる。
だが、それでいいとワジは構える。
星杯騎士団の守護騎士としてではなく、テスタメンツのリーダー、ワジ・ヘミスフィアとして――
こんな彼をこのままにしてはおけなかった。だからこそ、力を解放する。
「いいだろう。守護騎士第九位〈蒼の聖典〉ワジ・ヘミスフィア――」
ワジの背に金色の紋章が顕れる。
「この金色の輝きをもって、キミの力を折らせてもらう!」
それは聖痕=\―守護騎士が持つ力の象徴にして、ワジが背負う罪の証だった。
◆
「くそッ! 叔父貴の奴……最初から知ってやがったな!」
ランディがロイドたちの先回りをすることが出来たのは、シグムントから教会や〈暁の旅団〉の情報を得たからだ。
しかし教会はまだしも、リベールから船ごと転位してきた〈暁の旅団〉の動きを察知しているのは幾らなんでも出来すぎている。
そのことを不思議には思っていたのだ。だが、これでようやく合点が行ったと言った表情をランディは浮かべる。
そして赤を基調としたプロテクトアーマーに身を包んだ集団をランディは睨み付けた。
彼等は〈赤い星座〉の団員。そして中心にいる人物こそ、〈閃撃〉の異名を持つ狙撃手。嘗て闘神の右腕を務めた男、ガレスだった。
シグムントを除けば団の中でも一番の古株で、ランディも彼には幼少期から面倒を看て貰った恩もあるため一目を置いていた。
ランディが飛ばされた場所。それはクロスベルの郊外にある森の中だった。
ロイドたちに合流するために再び〈碧の大樹〉へ足を向ければ、今度は突風のようなものに吹き飛ばされ――
何がどうなっているのか分からずに通信機で仲間へ連絡を取ってみれば、〈赤い星座〉は現在作戦行動中≠セと言う。
そんな話は聞いていないとランディが怒鳴ると、説明のために姿を現したのがガレスだったと言う訳だ。
「……で、お前等はなんで残った?」
「若のサポートが、我々の仕事ですので」
「お目付役ってことか。最初から、こっそりとつけてやがったな」
話が出来すぎていると思った、とシグムントの思惑をランディは察して舌打ちをする。
一度は団を抜けた人間を無条件で、身内だからと言って簡単に気を許すような甘い相手ではない。
信用されているとは思っていなかったが、これも闘神の名を継ぐための試しの一つなのだろうとランディは思った。
「それで俺は合格≠チてことでいいのか?」
「ええ、ここで死ぬようなら、それまでの男だろうと。しぶとく生きているようなら力を貸してやれと言われています」
「叔父貴らしいぜ……」
ここで死ぬようなら、そこまでの話。仮に生き残れば、まだ運≠ノ見放されていないと言うことだ。
猟兵にとって何よりも重要なのは無駄死にしないことだ。そのために運を味方に付けるのも実力のうちと言える。
ガレスの言うことも分かるが、ランディからすれば複雑な気持ちだった。
「どちらへ?」
「戻るに決まってるだろ。ロイドたちを見捨ててはおけない。言っておくが、止めても無駄だ」
「まあ、止めはしませんが、若が行ったところで状況が変わりますか?」
「それは……」
大樹の方角から感じた力。先程の突風もそうだが、あれは恐らくリィンとアリアンロードの戦いの余波だろうと想像が付く。
シグムントにも遠く及ばない自分が行ったところで、何の役にも立たないであろうことはランディも理解していた。
しかしだからと言って、ロイドたちを見捨てられるはずもない。それでは、なんのために力を求めたのか分からない。
苦い表情を浮かべ、手が白くなるほど強く拳を握り締めるランディを見て、ガレスは言った。
「若、我々を使ってください」
「何を……」
「リィン・クラウゼルを若が意識していることは理解しています。ですが、力押しだけが猟兵の戦い方ではない」
それは昔ランディが、ガレスに教わった言葉でもあった。
オルランドの血が強者との戦闘を好むことは確かだが、猟兵の仕事とは失敗の許されないものだ。
勇気と蛮勇は違う。勝てないとわかっている相手に挑むようなことは、猟兵であれば決してしない。
シグムントが自分は団長に向いていないと考え、ランディに闘神の名を継がせようとしているのも、それが主な理由と言ってよかった。
実際、抑え役のガレスがいなかったら〈赤い星座〉はとっくに崩壊していただろう。
「目的を果たしさえすれば、勝ち負けは問題じゃないか」
そう呟くランディに、ガレスは無言で首を縦に振る。
一族の中でも戦士としての側面を強く受け継いでいるシグムントなら勝負に拘ったかもしれない。シャーリィも少なからず、そういうところがある。
だが〈闘神〉の血を色濃く受け継ぐランディなら、もしかすると――そんな期待をシグムントと同様にガレスも持っていた。
確かに実力では大きく差を付けられているが、団を率いる資質でランディがリィンに劣っているとはガレスは思わない。
まだランディが団で活躍していた頃、その資質をガレスは感じ取っていたのだ。
「頼む。お前等の命を俺に預けてくれ」
そんなランディの言葉に「了解」と声を揃え、団員たちは応えた。
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