「この者たちは……ッ!?」
剣を振いながら、ラウラは驚きと困惑に満ちた声を上げる。
頭に過ぎるのは八ヶ月前の記憶。緋色に染まった帝都の姿。そして街を徘徊する無数の魔煌兵。
あの時と同じ光景が目の前には広がっていた。
帝国西部の街、紺碧の海都オルディスに帰還した直後のことだった。
空が緋色に覆われ、突如として何もない空間から幻獣や魔煌兵が姿を現したのは――
ようやく暴動を収め、その安堵から気が緩んでいたところへの奇襲。街が混乱に陥るのは必然だった。
現在、領邦軍はオーレリアの指揮の下、ギルドと連携して住民の避難を急いでいた。
ラウラの役割は敵の注意を引き付け、可能な限り敵の数を減らすことだ。しかし倒せど倒せど終わりが見えない状況に焦りが募る。
(数が多すぎる!)
正面の敵を斬り伏せた直後、背後の空間が揺らぎ、音もなく姿を現した魔煌兵の斬撃がラウラの頭上に迫る。
敵の気配に気付き、身体を半回転させることで後ろの敵の攻撃に剣を合わせようとするラウラ。
しかし――
(くっ! 間に合わない)
そう悟った直後、ラウラの目の前で魔煌兵の身体がくの字に歪み、横向きに吹き飛んだ。
すぐに何があったのかをラウラは察する。先程まで魔煌兵がいた場所に、双銃剣を手にした銀髪の少女が佇んでいたからだ。
「すまない。助かった」
「気にしなくていい。これも仕事の内だから」
そんな友人の答えに「フィーらしい」とラウラは苦笑する。
以前のラウラなら、こんな台詞を聞けば噛みついていたことだろう。
力とは領民を、力なき人々を守るためにあると信じ、彼女はアルゼイドの剣を学んできた。
なのに金のため、私利私欲のために力を振う猟兵に良いイメージを持っていなかったからだ。
しかしリィンやフィーと出会い、それだけではないとラウラは学んだ。
生きる糧を得るために武器を取り、力を振う。立場は違うが、彼等にも守るべきものがある。通すべき流儀があると気付いたからだ。
それに剣の技量では劣っているとは思わないが、こと戦場に置いては彼女の方が自分の数歩先を行っているとラウラは自覚していた。
迫る敵を目にも留まらない速度で撃退するフィーを見て、ラウラは気持ちを奮い立たせる。
「はああああッ!」
そして道をこじ開けるように、敵の真っ只中に飛び込んだ。
それは無謀などでない。彼女なりの勝算があってのことだった。
ラウラの気迫に呼応するように、全身から放たれた闘気が大剣に宿って風を巻き起こす。
幼い頃より学んできたアルゼイドの剛剣。山籠もりによって、父より譲り受けた奥義をラウラは放つ。
「絶技・洸凰剣ッ!」
振り下ろされる剣。直線上に放たれた光が無数の魔煌兵を呑み込み、その巨大な身体を斬り裂く。
台風のような力を目の当たりにして、フィーもここが戦場であることを忘れて目を丸くする。
リィン以外に、こんな真似が出来る人間が他にいるとは思ってもいなかったからだ。
闘気の量だけならヴィクター以上、嘗ての猟兵王に匹敵するほどかもしれないとフィーは考える。
「これが、いまのラウラの全力。でも……」
潜在的な力は、ラウラの方が自分よりも上だろうとフィーは認めていた。
しかしリィンが家族を守れる男になると誓ったあの日、フィーもまた心に誓ったのだ。
守られるだけじゃない。そんな彼の隣に並び立てる猟兵≠ノなる、と――
だからこそ、こんなところで足踏みをしている場合ではなかった。
ラウラが父親の背中を追うように、フィーにもまた目標とする頂きがあるのだから――
「アクセル」
無数の残像を残しながら、フィーは戦場を疾走する。
風と一つになった妖精を捉えることは何人にも出来ない。
「シャドウ――ブリゲイド!」
風が吹き抜けたかと思うと、急所を貫かれた魔煌兵が崩れ落ちる。
ラウラの攻撃のような派手さはない。しかし確実に腹部のコアだけを狙った神速の一撃。
いままで見ることのなかったフィーの本気を目の当たりにして、ラウラは驚きに目を瞠る。その時だった。
「まったく、とんでもない子たちね」
雷撃が迸ったかと思うと、ラウラの周囲の魔煌兵が弾け飛んだ。
右手に剣。左手に導力銃を持った赤髪の女性――嘗ての教官の姿を目にして、ラウラは声を上げる。
「教官!?」
「助太刀するわ。他の遊撃士たちも一緒よ」
周囲を見渡せば、サラの言うように他の遊撃士たちも戦いに加わり、魔煌兵の掃討が始まっていた。
数で押されていたのが嘘のように、戦線を押し上げていく。
まだ数は少ないが、続々と近隣諸国から救援が駆けつけていると言う話をラウラはサラから聞く。
以前の帝国ならギルドや他国の助けを求めると言ったことはしなかっただろう。しかしこれは帝国政府からの要請という話だった。
そのことを疑問に思い、誰の発案か見当を付け、ラウラはサラに尋ねる。
「もしや、クレア大尉が?」
「まあ、あの女が関わっているのは確かでしょうけど……」
「皇帝陛下が勅命を下されたそうだ」
懐かしい声を耳にして振り返ると、そこには三つ叉の槍を手にした褐色の男が立っていた。
ガイウス・ウォーゼル。共に机を並べ、勉学に励んだ友との再会にラウラは驚きながらも頬を緩める。
しかし、ガイウスが口にした言葉がラウラは引っ掛かっていた。彼は『皇帝の勅命』と言ったのだ。
セドリック・ライゼ・アルノール。アルフィンの双子の弟にして、若き皇帝の姿がラウラの脳裏に浮かんだ。
◆
時は少し遡り、バルフレイム宮殿の謁見の間で、セドリックは教会の使者――トマス・ライサンダーと対峙していた。
「その話を一体どこから?」
騎士服に身を包み、教会の使者として訪れたトマスに対し、セドリックは尋ねる。
正体を明かし、七耀教会の名をだして急な謁見を申し出てまで、トマスが語ったのは帝国で現在起きている異変に関する話だった。
帝国全土を覆う緋色の空。そして各地に突如として出現したという魔煌兵の軍勢。
それが嘗て帝都を襲ったものと同じ異界化≠ニ呼ばれる現象であることはセドリックも理解していた。
ロジーヌの件もある以上、教会がそのことを把握していても不思議ではない。しかしトマスが語った話はそれだけではなかった。
異界の浸食。この地に帝国が築かれる以前、『暗黒の地』と恐れられた時代の光景が蘇ろうとしていると語ったのだ。
俄には信じがたい話だが実際に異変が起き、帝国の民が危険に晒されている状況で荒唐無稽な話と断じることは出来なかった。
「とある筋から『黒の史書』と呼ばれる珍しいアーティファクトを手に入れましてね。その解読を進めていく内に、この地で起きている異変の真相に辿り着いたと言う訳です。まあ、ほとんど偶然のようなものでしたが、念のために準備を進めておいて正解でした」
どこまで信じていいものかとトマスの話を聞き、セドリックは考える。
話の筋は通っているように思える。『黒の史書』のことも嘘ではないだろう。しかし彼等の言葉を鵜呑みにすることも出来なかった。
「では、教会の目的はやはり……」
「ことは世界の趨勢に関わる問題。我々としても他人事ではありませんからね。こうして、お願いに参上したと言う訳です」
トマスの後ろに控えた星杯騎士を見て、セドリックは眉をひそめる。
虎の子である星杯騎士を連れてきていると言うことは、既に教会は今回の件に介入する気でいると言うことだ。
お願いと言いながらも、答えは既にでているのだろう。
トマスが正体を明かしたのも作戦の成否に関係無く、この件が片付いたら帝国を去るつもりでいるからだと想像が付く。
ならば――
「異変の解決に協力して頂けると言うのであれば、帝国としても拒む理由はありません」
「では……」
「はい。なので合同作戦≠ニ行きましょう。クレア大尉」
断られたところで問題はなかった。ようは確認を取ったという建て前を教会は欲していただけだ。
それにセドリックの性格を考えれば、恐らくは協力を持ち掛ければ断られることはないだろうとトマスは考えていた。
若くして皇帝の椅子を引き継いだセドリックは聡く、名君となる器を持ってはいるが年相応に甘いところがある。
国の権威を守るために、民を犠牲には出来ないだろうと思ってのことだった。
しかしセドリックの思わぬ言葉に、トマスは考えを改める。
(民の犠牲を憂う、優しいだけの皇帝ではない……と言うことですか)
合同作戦と敢えて口にしたのは、監視を付けるという意図だとトマスは察した。
それは教会と言えど、帝国での勝手は許さないと釘を刺してきたに他ならなかった。
「クレア・リーヴェルト大尉です。よろしくお願いします。トマス教官……いえ、ライサンダー卿」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そして厄介な人物を監視役に選んでくれたものだと、トマスは笑顔で挨拶を交わしながら心の内で嘆息する。
敢えて『トマス教官』と口にして言い直したということは、他の意図を含んでのことだと察したからだ。
(まったく面倒を押しつけてくれて、恨みますよ……)
この任務を自分に命じた星杯騎士団の長、アイン・セルナートにトマスは悪態を吐く。
リィンとの約束はあるが、これほどの事態を教会としても何もせずに見過ごすことは出来ない。帝国政府と交渉し、異界の門を閉ざす。それがトマスに与えられた任務だった。
それに今回の仕事に限って言えば、自分が最も適任であるということはトマスも自覚していた。
だが、それ以上にこの件がリィンに対する意趣返しでもあるとトマスは気付いていた。リィンすら予想していなかったであろう事態。それを上手く教会が解決し、帝国の危機を救うことが出来れば、口ではなんと言おうと義理堅いリィンのことだ。少なからず恩≠教会に感じるはず。そこをアインは利用するつもりでいるのだとトマスは察していた。
(ですが……彼は本当に気付いていなかったのかどうか)
常に先を読んで行動してきたリィンが、まったくギリアスの思惑に気付いていなかったとは思えない。
少なくともトマスには、なんの対策も講じていないとは考えられなかった。
それを確かめる意味でも、セドリックに会っておきたかったのだ。
しかし少なくとも、そんな素振りはない。それはクレアも同じだ。
(嫌な予感がしますね……)
手紙の内容までは知らないが、あそこまで動揺するアインを見るのはトマスも初めてのことだった。
実際、教会の膿をだすことには成功したが、上手くリィンに利用された気がしなくもない。
だからこそトマスは、胸騒ぎを抑えることが出来なかった。
◆
「待て、ラウラ! 何処に行く気だ!?」
「当然、レグラムに戻る。領民たちを見捨ててはおけない!」
サラとガイウスから一通り話を聞き、帝国全土で同じことが起きていると知ったラウラはレグラムに戻ろうと踵を返す。
しかし、いまはこの騒ぎで鉄道が使えない上、レグラムまで馬や車では何日かかるか分からない道程だ。
いまから駆けつけたところで、間に合うような距離ではない。そのことをラウラが理解していないはずがなかった。
それでも領地の危機と聞いて、じっとしてはいられないのだろう。その気持ちは、故郷を追われたガイウスにも分かる。
「東部なら大丈夫だ。ユーシスが領邦軍の指揮を執って、クレイグ中将率いる正規軍と一緒に領民の避難と敵の鎮圧に動いてくれている」
「……ユーシスが?」
「ああ、エリオットとマキアスも一緒らしい。それに……」
ユーシスだけでなくエリオットやマキアスも一緒と聞いて、ラウラの顔に少し余裕が浮かぶ。
レグラムを心配する気持ちに変わりはないが、彼等ならと思う気持ちがラウラをその場に踏み止まらせていた。
そして、
「飛行船? あれは一体……」
空に響く轟音。オルディスの空を横切る赤い飛行船がラウラの目に映る。
その船体の横には『赤い蠍』の紋章が描かれていた。
「ん……間に合ったみたいだね」
「フィー。そなた、あの飛行船のことを知っているのか?」
首を縦に振りながら「当然」と口にして、フィーはラウラの問いに答える。
西風の旅団と共に、西ゼムリア最強と呼ばれた猟兵団の一つ。
――赤い星座。その名には、ラウラも聞き覚えがあった。
「呼んだのはリィンだから」
「兄上が!? だが、そなたたちと〈赤い星座〉は――」
「関係が良好とは言えないけど、別に敵対してるわけじゃない。リィンは借りを返してもらうだけだって言ってたしね」
その話にラウラだけでなく、サラも微妙な顔を浮かべる。
西風と〈赤い星座〉が宿敵関係にあった話は有名だが、彼等とて常に争っていたわけではない。
戦場で敵として出会うこともあれば、目的のために共闘することもある。
オルランドが強者との戦いを好むとは言っても、彼等も猟兵だ。その線引きは弁えていた。
ルトガーの件にしても、互いに納得した上で決闘に応じ、その上で起こったことだ。相手も同じように命を落としている。
そのことで〈赤い星座〉をリィンもフィーも恨んではいなかった。そうでなければシャーリィを団に迎えたりはしないだろう。
とはいえ、二人のように割り切れるかと言うと話は別だ。特にサラは心情的にも複雑だろう。
「そういう連中なのよね……」
そんな世界に嫌気がさして遊撃士となったサラだが、元猟兵だったから嫌でも納得させられる。
戦場で敵として出会えば、家族や友人であっても命懸けの死闘を演じ、
昨日、殺し合った相手とでも平然と酒を酌み交わせる。それが猟兵という生き物なのだ。
フィーからすれば、むしろラウラが何を気にしているのか分からないと言った表情をしていた。
「でも、心強い味方であることは確かよ」
だから無理にでも納得しないさい、とサラに言われ、ラウラは首を縦に振る。
元より〈赤い星座〉に何か確執があるわけではない。フィーの心情を気にしてのことだ。
しかし当事者が納得しているのであれば、そのことを追及するつもりはなかった。
「しかし、なぜ黙っていたのだ?」
「〈赤い星座〉が動くかは五分五分だったし、ギリギリまで黙っていた方が面白いからってリィンが……」
ラウラの質問に、少し顔をそらしながら答えるフィーを見て、サラは我慢の限界と言ったように奇声を上げた。
この件がトヴァルを通じてサラに伝えられたのも、つい先程のことだったのだ。
まだ前者の理由は納得が行く。しかし、絶対に後ろの方が主な理由だと、リィンの性格を知るサラは悟る。
「この件が終わったら、絶対にギャフンと言わせてやる!」
サラがリィンへの復讐を誓う一方で、アジトから〈赤い星座〉の本隊が姿を消していることを、クロスベルにいるランディも知らされてはいなかった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m