「三番艦、七番艦、中破! 損耗率が二割を超えています。このままでは……ッ!」
エレボニウスの攻撃によって帝国軍の艦隊は壊滅の危機に直面していた。
最初の内は優勢に進めていたのだ。だが、エレボニウスの放った一撃が戦況を大きくひっくり返した。
大気を震わせ、空間にさえ干渉し、空を斬り裂く一撃は回避の暇を与えず、一瞬にして帝国軍の船を呑み込んだ。
そして再び大きく前進を仰け反らせ、咆哮を上げるエレボニウス。その口から放たれた闇は、無数の矢となって帝国軍に襲い掛かる。
「負傷した船は後方に下がらせなさい! オーレリア将軍に伝令、撤退する艦の支援を――我が艦も前へでます!」
「き、危険です! 皇女殿下、自ら前へでるなど――」
「何処にいても同じことです。それに少しでも時間が稼げればいい。まだ希望はあります」
だが損耗率は二割を超え、撤退を考えてもおかしくない状況にあっても、アルフィンはまだ諦めていなかった。
ここでなんの成果も為しに逃げ出せば、ノルドの地だけでなく帝国をも危険に晒すことになる。
それに、まだ完全に希望が潰えたわけではない。――あそこには彼がいる。
(リィンさん!)
祈るように彼≠フ名を心の中で叫ぶアルフィン。
アルフィンにとって、リィン・クラウゼルという青年は希望であり、御伽話に登場する英雄そのものだった。
帝国の至宝と謳われてはいても、その実は何のチカラも持たないお飾りの皇女。でも、それでよかった。
皇位継承権を持つとは言っても、元より弟と帝位を巡って争うつもりはなかったからだ。
政治に関心のないフリをしていたのも、すべては弟のため――兄妹で争うのを避けるためだ。
オリヴァルトもそのことを気に掛けて、放蕩皇子などと揶揄されながらも道化を演じ続けてきたのだろう。
でも、内戦は起きてしまった。
本当はわかっていたのだ。そのことに気付かされたのは、貴族連合によって焼き討ちにされたケルディックの惨状を目にした時だった。
アルフィンは自分の無力さを、あの時ほど痛感したことがなかった。
皇族としての義務。為すべきことから、それまでの彼女は弟と争いたくないという理由で目を背けてきた。
いま思えば、そのことをリィンには見透かされていたのかもしれないとアルフィンは思う。
彼は待ってくれていたのだ。アルフィンが自分の意思で、決断する時を――
だからこそ、今度は自分がリィンを待つ番だと、アルフィンは決意を顕にする。
「な、なんだアレは!?」
そんななかで、ブリッジに驚きに満ちた兵士の声が響く。それは光≠セった。
闇の中から現れたのは白い光。夜の終わりを告げる太陽の如き輝きが、ノルドの大地を照らし出す。
だが、エレボニウスと瓜二つの巨人がもう一体現れたことで、どうにか平静を保っていた兵士たちの間にも動揺が走る。
一体が相手でも時間を稼ぐのが精一杯だったと言うのに、それが二体も現れては打つ手がない。
アルフィンでさえ、もう為す術はないと諦めかけた、その時だった。
「フィー?」
ただ一人落ち着いた様子で、静かに光を見詰めるフィーを見て、アルフィンはふと気になって彼女の名前を口にする。
アルフィンの護衛として、いざとなったら彼女を連れて逃げるつもりでフィーはこの戦いに参加していた。
何があってもアルフィンは死なせない。彼女を守る。そんなリィンとの約束を守るために――
リィンがアルフィンの護衛をフィーに託したのは、実力が確かだと言うこともあるが、何よりも彼女のことを信頼しているからだ。
それはフィーも同じだった。リィンの頼みでなかったら、この依頼を引き受けることはなかっただろう。
本来であれば、皆と共にクロスベルでの戦いに参加したかったはずなのだから――
「……大丈夫。あれは敵じゃない」
そんな風に互いに信頼しあう二人だからこそ、あの光の正体がなんであるのか?
フィーにはすぐに分かった。
忘れるはずがない。あの太陽のような輝きを、フィーはその目に焼き付けていたからだ。
「まさか……」
アルフィンも気付いたのだろう。あの光の正体に――
フィーが安心しきった顔で、これほどの信頼を置く人物は、この世界にたった一人しかいない。
「もう、大丈夫。だって、リィンは――」
――絶対に約束を破らないから。
◆
「ヴィータ! どうなってる!? こいつは……」
「猛き力の担い手……そう、そういうことなのね」
突然、戦場に現れた白い巨神を見て、ヴィータは一瞬で理解の色を示す。
あの巨神が何なのか? 一体だれが、あれを動かしているのか?
そんな非常識な真似が出来る存在は、彼女の知る限りで一人しかいなかったからだ。
「クロウ。すぐに、この場から離れるわよ」
「はあ!? この状況で逃げるっていうのか! まだ奴は――」
「必要ないわ」
そう、はっきりと断言するヴィータ。
クロウの言いたいことも理解できる。しかし彼≠ェ戻ってきたとすれば話は別だ。
ここに自分たちが残ることは、逆に足手纏いになるとヴィータは考えていた。
「あれはヴァリマール……いえ、黒き巨神と双璧を為す白き巨神――ルシファーよ」
「な……」
目の前の白い巨神がヴァリマールだと聞かされ、クロウは驚きに満ちた表情を浮かべる。
「あれがヴァリマール……リィンだって言うのか?」
「神の力さえも取り込んでしまうなんて、ほんとに呆れた坊やね……」
しかし勝つためであれば、利用できるものはなんでも利用する。
人々が畏れ、敬う神の力でさえも――
その在り方は、猟兵らしいとヴィータには思えた。
「逃げるわよ。ここにいたら巻き込まれるわ」
「チッ……仕方ねえか」
ヴィータをオルディーネの手に乗せ、巨神から距離を取るクロウ。
そして帝国の艦隊を避けるように、アイゼンガルド連峰を目指して飛び去る。
「……死ぬんじゃねえぞ。お前との決着は、まだついてないんだからな」
◆
「……姉さんを乗せたオルディーネが戦場から離れて行きます。帝国軍の艦隊も後方へ下がったみたいですね」
「最悪、味方に攻撃される可能性も考えていたが杞憂だったか」
エマの言葉に、リィンはほっと胸を撫で下ろす。ヴァリマールの変化にはリィン自身も驚いていたのだ。
ノルドの地で眠りについていた〈猛き力の担い手〉を取り込み、覚醒したヴァリマールの姿はエレボニウスと瓜二つと言っていいものだった。
そのため最悪の場合は、敵と勘違いした味方に攻撃される可能性も考えていたのだ。
「だが、これで全力で戦える」
理由はよく分からないが、エマによるとヴィータもきていると言う話なので彼女が何かしたのだろうとリィンは察しを付ける。
どちらにせよ、リィンにとっては都合が良かった。これで周囲に気を遣う必要がないのだから――
以前はまだ心のどこかでヴァリマールへの負担を考え、力をセーブしているところがあったのだ。
しかし今なら、文字通り全力を出し切ることが出来る。そうしなければ、エレボニウスを倒すことは出来ないだろうという予感もあった。
「一緒に戦います。私はあなたの魔女ですから」
「……仕方ないか。アンタに勝ってもらわないと世界が大変なことになるしね」
エマとセリーヌの魔力が満ちていくのをリィンは感じる。
機体を覆う淡い光。それは〈紅き終焉の魔王〉と戦った時にエマが使ったものと同じ、魔女が用いる強化術式の光だった。
残された魔力のすべてを、ヴァリマールの強化に用いたのだろう。文字通り、命を削る覚悟で――
「リィン。ノルンとキーア≠フ願い≠託すから」
そしてノルンもまた願い≠リィンに託す。
ノルンの手の平に浮かぶ白い宝玉は、嘗て〈零の至宝〉と呼ばれた人々の想いが詰まった願いの力。
この世界のキーアから預かった至宝≠フ使い方は最初から決めていたのだ。
「――必ず勝って。みんな≠守って!」
今更なかったことには出来ない。でも、これからを変えていくことは出来る。
そのことを教えてくれたのはリィンだった。だからノルンは願う。
この世界で暮らす大切な人たちを、未来へと繋がる希望≠守って欲しいと――
「その依頼&キき届けた」
リィンがそう口にすると、ノルンの手の平の至宝が弾け、ヴァリマールの身体に溶け込んでいく。
輝きを増し、空へと飛び上がるヴァリマール。太陽の如き光が、黒く染まった大地を照らし出す。
そして――光が中心に向かって収束したかと思うと、光の中に一体の白い騎神が現れる。
例えるなら〈光の騎神〉とでも呼ぶべき新たなヴァリマールの姿。
それはリィンの力を最大限に引き出すため、起動者の願いを叶えるためにヴァリマールが求めた姿でもあった。
「世界の歪みを正すために呼ばれた俺。世界を呑み込むことで、すべてを無に帰そうとするお前。白と黒≠ヘ似ているのかもしれない。だが――」
エレボニウスも自分も世界が求める役割と言う意味では、同じような存在であるとリィンは感じていた。
ルトガーに拾われていなければ、フィーやアルフィンたちと出会っていなければ――
ひょっとしたらエレボニウスのように、世界を滅ぼす存在になっていたかもしれない。
だが、たらればの話をしたところで意味はない。大切なのは今、自分はどうしたいのかだとリィンは思う。
「世界だ。神だと言う前に、俺は猟兵だ」
そして何度も口にした誓いを、リィンは言葉にする。
――猟兵は一度交わした契約≠違えない。
それが猟兵の流儀。リィンが最強と認める養父より受け継いだ生き様だ。
フィーを、家族を守れる男になりたい。そう願い、ずっとその背中を追い続けてきた。
だからこそ、リィンは自ら立てた誓いを破るような真似はしない。
「――黄金の剣」
世界のため? 違う。
名誉のため? 英雄になりたいから? 違う。
何のために命を懸けて戦うのか? そう問われれば、リィンはこう答えるだろう。
「ただ俺は依頼≠果たすだけだ」
と――
◆
七耀歴一二〇五年九月一日。暁の時。
その日、空へと立ち上る一条の光を、ゼムリア大陸の人々は目にする。
どこまでも、どこまでも高く、空の彼方にまで続く白い光の軌跡を――
時代は新たな夜明けを迎えようとしていた。
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