二体の騎神が格納されたカレイジャスの船倉で、〈技術顧問〉兼〈整備主任〉のアリサ・ラインフォルトは腕を組みながら唸っていた。
アリサの視線の先にあるのは、リィンの要望に応えるために彼女が設計したヴァリマールの専用武器〈アロンダイト〉だ。
「はあ……」
明らかに形状の変化した武器を見て、アリサは納得の行かない表情を浮かべながら溜め息を吐く。
当然リィンに説明を求めたが、返ってきたのは『気付いたらこうなってた』という頭を抱えたくなる回答だった。
とはいえ、リィンも〈アロンダイト〉の変化に気付いたのは戦闘が終わった後のことだったのだ。
恐らくヴァリマールの変化と関連性があることは推測が立つが、説明を求められたところで分からないと言うのが正直なところだった。
「これって、やっぱりアレよね……」
戦闘のどさくさに紛れて採取したケルンバイターの破片を入れたカプセルを眺めながら、アリサはそう呟く。
この世界に存在するはずのない未知の物質で作られた武器。それがケルンバイターの解析から得られた結果だ。
同様に〈アロンダイト〉からも同じ解析結果がでていた。
そこからアリサは一つの推論を立てた。
――至宝の力がゼムリアストーンに作用して、性質を変化させたのではないか?
憶測の域をでないが他に思い当たる節もない。
それに技術者としての勘だが、可能性としては濃厚だとアリサは考えていた。
「確証を得るためにも実験しときたいけど……」
そんなに都合良く〈七の至宝〉がそこらに転がっているはずもない。
だとすれば、リィンかノルンの協力を得る以外に、これ以上の調査は難しいだろう。
「それに出来ることならルーレの本社に持ち帰って詳しく調査したいところだけど……」
ここより設備の整ったラインフォルト本社の工房であれば、より詳しい解析も可能かもしれないとアリサは考えるが首を横に振る。
もしアリサの推測が当たっていた場合、クロイス家のように至宝を求める者がまた現れないとも限らない。
嘗ての教団のような組織を生まないためにも、外部に漏らして良い内容とは思えなかったからだ。
だからジョルジュも、この件には関わらせていなかった。
彼のことを信用していないわけではないが、ジョルジュは現在ZCFに所属する人間だ。
団員でもない外部の人間の彼に、団の機密にも関わるような内容を知らせるべきではないとの判断からだった。
「まあ、私もラインフォルトの人間だから他人のことは言えないんだけど……」
本来であればラインフォルトの者として、組織の利益のために動くのが正しいとわかっていても、彼女にはそれが出来ない。
多くの秘密を知りすぎてしまったと言うこともあるが、信頼して秘密を打ち明けてくれたリィンを裏切るような真似はしたくなかった。
「それに……」
一週間前の夜のことを思いだし、アリサは頬を紅く染める。
あの日の晩、実はアリサも気になってリィンの様子を見に彼の部屋まで行ったのだ。
エリィの艶声を聞き、部屋の前で立ち尽くすことしか出来なかったわけだが、シャーリィでさえ割っては入れなかったのだから、それも仕方のないことと言えるだろう。
別にそのことでリィンを責めているわけではない。リィンだって男だ。恋人同士と言う訳ではないし、女の扱いに慣れているところから見て、経験はあるのだろうと思っていた。
それにリィンを慕っている女性が多いことはアリサも自覚していた。それでもだ。
「あ、あんなことを……」
未経験のアリサには刺激が強かった。
アリサもバカではない。自分の気持ちには、とっくに気付いていた。いや、自覚させられたと言っていい。
もっと早くに自分の気持ちに気付いていれば、素直になっていればと、この一週間後悔もした。
それでも諦められない。嫌いになれないのだ。
惚れた弱みなのだろう。エリィが羨ましい。自分もあんな風にリィンと――
そこまで考えたところで、アリサはブンブンと激しく何度も首を横に振る。
「あんなことって?」
「それは勿論、リィンとエリィが――」
後ろから掛けられた声の質問に、思わず答えそうになるアリサ。
そして、ピタリと動きを止める。ギギギと壊れた人形のように、ゆっくりとアリサが振り返ると、
「ん……ただいま」
「フィー!? それにアルフィン殿下とエリゼさんも!?」
そこにはフィーがいた。後ろにはアルフィンとエリゼの姿もある。
どこから聞かれていたのか? どう誤魔化したものかと、ぐるぐる思考を巡らせるアリサ。
そんな困った様子のアリサを見かねて、先に話を切り出したのはアルフィンだった。
「お久し振りです。ところで、アリサさん」
「は、はい」
「先程から気になっていたのですが……その格好は?」
何を尋ねられるのかと身構えていたアリサだが、ある意味で一番指摘されたくない質問を受けて固まる。
現在のアリサの服装は、いつもシャロンが身に付けているのと同じものだ。
サイズはアリサ用に調整されているが、それは誰の目から見ても間違いなくメイド服≠セった。
「お願いします。出来れば、そのことには触れないでください」
いろいろとあって保留になっていたアリサとエマに対する罰。その答えが、このメイド服だった。
一ヶ月、この姿で仕事をするようにリィンに命じられ、渋々ではあるがアリサは従っていた。
本人の嫌がることでないと罰にならないだろう? と言われれば、嫌でも頷くしかない。
当然エマも同じ格好で、今頃はクロスベルの結界の修復作業をノルンと共に行っているはずだ。
「では、その件は良いとして……リィンさんとエリィさんの間に何があったのか、聞かせてもらえますよね?」
折角、話が逸れたと思ったら笑顔のアルフィンに尋ねられ、やっぱりそのことを聞くんだとアリサは肩を落とす。
(……私たちだけ罰を受けるのって不公平よね?)
なんでリィンの所為で、こんな苦労をしないといけないのだと苛立つアリサ。
そもそも今回のことは酔った勢いでエリィに手をだしたリィンが悪い。
原因を作ったリィンも、当然罰≠受けて然るべきだろうとアリサは考えた。
「実は――」
それに、この三人なら自分の気持ちをわかってくれるかもしれない。
そんな期待を込めて、一週間前の夜に何があったかをアリサは語り始める。
この時、相談する相手を間違えたということに、アリサは気付いていなかった。
◆
クロスベルの裏通りにある一軒の店――ノイエ・ブラン。繁華街の一等地に建つ高級店で、嘗てはクリムゾン商会が経営し〈赤い星座〉が借宿として使っていたクラブだ。そしてザックスの一件で詫び≠ニしてリィンが権利諸々を譲り受けた店でもあった。
エリィに協力した見返りの一つとして、ルバーチェ商会に所属していた者たちの身柄を引き受け、リィンはこの店で働かせていた。
というのも、嘗て〈西風の旅団〉にいた頃、世話になったガルシアに恩を返すためと言うのもあるが、ルバーチェ商会と言えば裏社会でもそれなりに名の知れた連中であったことから惜しいと思ったのだ。彼等の持つ人脈や情報には利用価値がある。ガルシアが眼を光らせている限りは二度と薬に手をだすようなこともないだろうし、〈暁の旅団〉の庇護の下で役立ってもらおうというのがリィンの考えだった。
それに裏社会が無秩序に陥ってしまうことは、クロスベルにとっても好ましいことではない。彼等を歓迎すると言う訳にはいかないが、彼等のような存在が社会の秩序を保つ上で必要であることも確かだからだ。
特にクロスベルのように特殊な環境下にある巨大な街であれば、尚更そうしたことに気を配る必要があった。
「まったく無茶苦茶しやがる。オルランド≠フこと言えねえじゃねーか」
「お前等と一緒にするな。あれはザックスが悪い」
そんな店でリィンは一人の男と酒を酌み交わしていた。
ランドルフ・オルランド。闘神の息子にして〈赤い星座〉の部隊長。いまは『ランディ』と名乗っている男だ。
ザックスがシャーリィを焚き付けたことでリィンが〈赤い星座〉に殴り込みをかけ、シグムントと一戦やらかしたという話を聞いた時は、さすがの彼も肝を冷やしたのだ。
「そのことで、叔父貴からの伝言だ。今度は戦場で殺ろうってよ」
「絶対にごめんだ」
シグムントが再戦を望んでいると聞いて、リィンは辟易とした顔で拒絶する。
お互いに全力だったわけではないが、集束砲の一撃を受けて平然としてる怪物を相手に、また戦いたいなどとは思えなかった。
他人のことを言えないというのはリィンも自覚しているが、本当に人間かと目を疑ったくらいだ。
とはいえ、ランディからすれば、どちらも化け物。人間をやめているという点では変わりがないと思っている。
今回は手打ちで終わってよかったと、心の底から安心しているくらいだった。
まあ、若干一名……原因を作った男は現在シグムントに扱かれているが、その程度は運が良かったと言える範囲だろう。
「しかし、お前さんと嬢ちゃんがくっつくとはなあ……」
エリィがリィンとくっついたという話は、ランディとしても意外だったのだろう。彼の口振りと表情を見れば察することが出来る。
この件に関しては自分にも非があると認めているだけに、リィンも否定するつもりはなかった。
「男としての責任は取ると言ったんだがな……」
「で、嬢ちゃんはなんて?」
「一番でなくてもいい。ただ愛してください≠ニ言われた」
目を丸くして一瞬呆気に取られたかと思うと、感心した様子で口笛を鳴らすランディ。
リィンが家族の絆を大切にしていることを、エリィはよく知っている。
だから自分がリィンの大切なもののなかに加われば、同時に彼の方から裏切ることはないと考えたのだろう。
勿論、リィンに対する好意に嘘はない。ただ同じくらい、この街が彼女にとって大切なものだと言うことだ。
そうした打算を含んでの願いだと言うことは、リィンもわかっていた。気付いていながら、彼女の願いに応じたのだ。
リィンの話から、そのことを察した様子でランディは呟く。
「変わったな。いや、変わらざるを得なかったのか」
それはエリィだけでなく、自分自身に向けた言葉でもあったのだろう。
猟兵から完全に足を洗い、このままこの街で暮らすことも彼には出来たはずだ。
シグムントのことだ。ランディがそう望むのであれば、無理強いしたりはしないだろうとリィンは思っていた。
しかしランディはこの街をでることを――この先も猟兵として生きる道を選んだ。
「行くのか?」
「ここでの仕事≠ヘ終わったからな」
カウンターに紙幣を置くと、ランディは席を立つ。
借りを作るつもりはないという彼なりの意思表示なのだとリィンは受け取った。
そして――
「いつか、俺は闘神≠フ名を継ぐ。その時は決着を付けに戻ってくる。それまで勝負はお預けだ」
そう言って立ち去るランディの背を、リィンは苦笑しながら見送った。
なんだかんだ言ってはいても、ランディもオルランドの人間と言うことなのだろう。
だが、あんな風に言われれば猟兵王≠フ名を継ぐ者として、勝負を受けない訳にはいかない。
ランディがシグムントを超えるほどの強さを手にして戻ってくることを、心の何処かで楽しみにしている自分がいることにリィンは気付いていた。
ひょっとしたら決闘に赴くルトガーも、こんな気持ちだったのかもしれないとリィンは思った。
「なんか、騒がしいな」
そうして、ゆったりとした時間を楽しんでいると入り口の方が騒がしいことに気付き、リィンは眉をひそめる。
バタバタと慌ただしく走り回る店の人間を捕まえ、リィンは「何があった?」と尋ねた。
「そ、それが……女が三人現れて、リィンさんをだせと……」
「……女?」
「未成年のようだったので追い返そうとしたんですが、入り口に立ってた連中も逆に伸されてしまったみたいで……」
なんとなくリィンは嫌な予感を覚える。
じっと黙って何かを考え込むリィンを見て、質問された黒服の男は顔を青ざめていた。
先のクロスベルの一件もそうだが、単身で〈赤い星座〉に殴り込みを掛けて、この店の権利をぶんどったという話も効いているのだろう。
自分たちを拘置所からだしてくれた恩人であると同時に、男たちにとってリィンは恐怖の対象でもあった。
そんな人物の機嫌を損ねればどうなるか分からない。リィンの手を煩わせまいと、彼等が先走った行動にでたのもそのためだ。
「リィンさん!」
「兄様!」
あ、やっぱりと言った顔で店内に姿を見せた少女たちを見て、リィンは天を仰ぐ。
アルフィンとエリゼ。その後ろには、愛用の双銃剣を手にしたフィーの姿があった。
知らなかったとはいえ、相手は〈暁の旅団〉で中核を担う猟兵の一人。黒服たちが敵わないのも当然だった。
「フィー。さすがにやりすぎだ」
「ん……でも、アルフィンの護衛だから」
そう返されては、命じたのが自分だけにリィンは何も言えなくなる。
フィーと言う名前に心当たりがあったのだろう。
周りの黒服たちも自分たちが誰を相手にしていたかに気付き、ギョッとした目でその場に固まる。
「取り敢えず、場所を変えるか……」
逃げ切れないと判断したリィンは場の収拾を付けるために、そう口にした。
◆
「悪いな。場所を貸してもらって」
「構わん。いまは、お前の方が立場は上だ。終わったら会長にも顔を見せてやってくれ」
ノイエ・ブランの三階にある応接室で、リィンはアルフィンたちと向かい合っていた。
程々にな、と最後に言い残し、人数分のコーヒーを置いて立ち去るガルシアを見て、先程までの勢いはどこへいったのか?
アルフィンとエリゼは呆気に取られた様子で、その背中を見送る。
「あの……いまの方は?」
「ガルシア・ロッシ。元〈西風〉のメンバーで、いまはルバーチェ商会の若頭をやっている男だ。まあ、俺とフィーが昔、世話になったおっさんだよ」
エリゼの質問に、そう言って答えるリィン。
フィーは小さかったために余り覚えていないかもしれないが、リィンはガルシアのことをよく覚えていた。
実際、昔はよく相談に乗ってもらってもいたのだ。面倒見の良いおっさんと言うのが、リィンのガルシアに対する認識だった。
「……ルバーチェ商会ですか。〈帝国解放戦線〉の時は上手く行きましたが、彼等は大丈夫なのですか?」
「大丈夫だろう。ここの連中のことは詳しく知らないが、ガルシアのおっさんは信頼できる。それに――」
「それに?」
「マルコーニとも会ったが、あのくらいの男の方が扱いやすい」
アルフィンの心配は分からなくもないが、毒も使いようによっては薬になる。
それに〈黒月〉のツァオ・リーのように何を考えているのか分からない奴よりは、まだマルコーニの方が組みやすい相手だとリィンは感じていた。
また同じようなことをすれば、次がないことはマルコーニも自覚しているだろう。
それに受けた恩は返すが、ガルシアの顔を立てるのは一度だけ。
そのことはガルシアも理解しているので、滅多なことは起きないとリィンは考えていた。
「フィーは砂糖三つだったな。アルフィンとエリゼは幾つにする?」
「あ、二つで……って、兄様。誤魔化されませんよ?」
ジト目で睨んでくるエリゼの視線を感じ、リィンは顔をそらす。
上手くガルシアのお陰で話が脱線したので、このまま誤魔化せるかと思っていたリィンだったが考えが甘かった。
「エリィさんとの話……聞きました」
アルフィンの一言で、重い空気が部屋に流れる。やっぱりその話か、と逃げ出したい気持ちに駆られながらもリィンはぐっと耐える。
ずっと意識的に避けてはきたが、アルフィンとエリゼが好意を寄せてくれていることにリィンは気付いていた。
だとすれば、エリィとの関係が二人に知れれば、当然このような話になるだろうと思っていたのだ。
頭を下げて許しを請うのも何か違う気がするし、エリィとの関係を今更誤魔化すつもりもない。だからと言って開き直る気にもなれない。
どうしたものかと、リィンが真剣に頭を悩ませていた時だった。
「兄様、今夜は私と――」
「エリゼ、抜け駆けする気ですか!?」
「……はい?」
突然のことに呆気に取られるリィン。
「従者なら、主君を立てるべきではありませんか?」
「そう仰るなら主君の器を見せてください。たまには順番を譲ってくださっても良いと思います」
「いや、ちょっと待て……二人が怒ってるのって、そこなのか?」
何故か、どちらが先に閨を共にするかと言った順番の話で揉め始めた二人を見て、リィンは目尻を押さえる。
極一般的な感覚からすれば、リィンとエリィはベッドを共にしたのだから付き合っていると考えるのが自然だろう。
そこへ他に好意を寄せている相手が現れれば、修羅場へと発展すると考えるのが普通だ。リィンも、その覚悟はしていた。
しかし二人は、そこを問題にしている様子はない。その答えはすぐに分かった。
「仰っている意味がよくわかりませんが、エリィさんとのことなら気にしてませんよ? お父様にも側室はいますし、オリヴァルト兄様は平民の女性との間に生まれた庶子ですから……」
「シュバルツァー家は側室などいませんが、大きな貴族の家では特に珍しい話ではないと伺っています。子孫を残すことは貴族の義務ですから……」
そうだった……と二人が帝国の皇族と貴族の娘であることを思いだし、リィンは珍しく頭を抱える。
しかも名家の娘ばかりが通うお嬢様学校に二人は通っていたのだ。世間一般と少しズレているのは仕方のないことだった。
それにリィンは妙なところで前世の感覚を引き摺っているが、ここは日本ではない。貴族に限らず、富や権力を持つ者が愛人の一人や二人を囲っていることは珍しい話ではない。そのことを知る特権階級の生まれの二人が、好きな人に愛されたいと思うことはあっても、自分だけを愛して欲しい。独り占めしたいという考えに及ばないのは別におかしなことではなかった。
リィンは思い違いをしているが、それはエリィも同じだ。一番でなくてもいい、と彼女が敢えて口にしたのはアルフィンたちの気持ちを察していたからだ。
自分は側室でも愛人でも構わない。エリィがそんな意図で言っていることに気付かなかったリィンの落ち度と言えるだろう。
二人を説得するのは無理だと悟ったリィンは、フィーならと目で助けを求める。
そんなリィンの視線を感じ取って、フィーはコクリと頷くと、
「前に団長も言ってた。『男は抱いた女の数だけ強くなる』って」
そう胸を張って答えた。
助けを求める相手を間違えた。藪蛇だったことを悟る。
(そいや、親父は女癖が悪かったんだった……)
この時ほど、リィンはルトガーを恨めしく思ったことはなかった。
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