行政区にあるオルキスタワーへと通じるクロスベルの中央通りには、デパートやオーバルストアなどの大型店が軒を連ねている。
 そんな毎日のように買い物客で賑わう通りの一角に、帝国の有名ホテルで修行をした経験を持つシェフが経営する高級レストランがあった。
 その奧に設けられたVIPルームで、リィンは背に太陽の紋章が入った団のジャケット姿で、眼鏡をかけた糸目の男と会っていた。
 トマス・ライサンダー。七耀教会の実働部隊〈星杯騎士団〉の副長、守護騎士第二位〈匣使い〉の異名を持つ男だ。

「これが例の資料≠ナすか」
「……ああ」

 リィンから手渡された資料に目を通しながら、トマスは険しい表情を浮かべる。それはリィンがベルに依頼して集めてもらった〈黒の工房〉に関する資料だった。
 クロスベルの一件は片が付いたが、事件は完全に解決したとは言い難い。特に〈黒の工房〉については野放しに出来ない存在だとリィンは考えていた。
 と言うのも、〈黒の工房〉が造り上げたホムンクルスは現在〈暁の旅団〉で保護されているが、実験のために集められた少女たちはその数十倍に上る。
 D∴G教団が関わっていたとされる事件の幾つかは、裏で〈黒の工房〉が関与していたことも、ベルの協力によって明らかとなっていた。
 研究のためなら悪魔に魂を売り、子供さえも平然と犠牲にする。そんな連中を野放しに出来るはずもない。
 だからベルに協力させ、〈黒の工房〉に関する資料をリィンは集めさせたのだ。

「やはり魔導師(メイガス)は生きているのですね?」
「俺から言えるのはマリアベル・クロイス≠ヘ死んだ。ただ、それだけだ」

 資料の出来から、それが内情をよく知る関係者の作製した物だとトマスは気付いたのだろう。
 少なくとも、そこに書かれている内容は外部の人間では知り得ないようなことまで詳細に記されていた。
 だがリィンに答える気はないとわかって、トマスは追及の手を止める。
 教会とて〈黒の工房〉の危険性は理解している。だから、この件に関しては〈暁の旅団〉と手を結ぶことにしたのだ。
 欲しいのは〈黒の工房〉に関する情報であって、この場でリィンと争うつもりなどトマスにはなかった。

「幾つか、襲撃事件があった場所が含まれていますね。彼等≠ノも情報提供を?」
「いや、まだ伝えてない。あっちには深淵≠ェついているしな。把握していても不思議じゃないだろ」

 彼等――と言うのがノルド高原での戦いの後、行方を眩ませたままのクロウとヴィータのことだとリィンは察する。
 そしてここ数週間、非合法な研究施設が何者かによって襲撃され、破壊されると言った事件が頻発していた。
 蒼の騎神の目撃例が挙がっていることから、クロウの仕業だとはわかっていたのだ。
 恐らくはヴィータと手を組み、ギリアスの計画に加担した組織や関係者を潰して回っているのだろう。

「……〈結社〉はそのことを?」
「すべての計画を凍結。〈黒の工房〉は十三工房から外れたそうだ。前者に関しては、どこまで本気か分からないがな」

 先日のことだ。そのことをリィンに伝えにきたのはデュバリィだった。
 黒の工房が十三工房から脱退したと言う話が嘘だとは言わない。
 だが彼等が長い歳月を掛けて推し進めてきた計画を諦めたとは、リィンは思っていなかった。
 敢えて『凍結』と口にしたのは、計画を再開する可能性も残されていると言うことだ。

「わかりました。我々はあなた方≠ノついて詮索しない。これは教会の総意と受け取って頂いて構いません」

 結社が引くと決めた以上、教会が世界の秩序とバランスを、自ら崩すような真似が出来るはずもない。
 そして、これは教会内部で話し合い、あらかじめ決めていたことでもあった。
 これまでは〈教会〉と〈結社〉の間で争いが繰り返されてきたが、これからはそこに〈暁の旅団〉という第三の勢力が加わることになる。
 七耀教会のアイン・セルナート。〈身喰らう蛇〉のアリアンロード。そして〈暁の旅団〉のリィン・クラウゼル。
 いずれも引けを取らない怪物たちだ。万が一〈結社〉と〈暁の旅団〉に手を組まれるようなことになれば、〈教会〉に勝ち目はない。
 それは〈結社〉にしても同じこと。しばらくは三つ巴の睨み合いが続くとトマスは考えていた。その鍵を握っているのが〈暁の旅団〉だ。

「随分と、あっさり引き下がるな。見極め≠ヘ終わったって認識でいいのか?」
「……やはり気付かれていましたか。あの方には困ったものです」

 だからこそ、アイン・セルナートは見極めておきたかったのだろう。

 リィンが世界の脅威となるかどうかを――

 そして彼女がだした答えは現状維持≠セった。
 その判断を甘いと誹る教会関係者もいるが、トマスは間違った判断だとは思っていなかった。
 勿論、猟兵である以上、利害の不一致によって敵対する可能性がゼロとは言えないが、直接彼等と事を構えること考えればリスクは低い。
 敵に回すと恐ろしい相手ではあるが〈結社〉と違い、筋さえ通せば話の通じない相手ではないとトマスは考えていた。

「ロジーヌはクロスベルの教会に配属が決まりました。また何かあれば、彼女に伝言を――」
「監視役ってところか?」
「まさか……ただの連絡役ですよ。我々もいま≠ヘ、あなた方を敵に回すつもりはありませんから」

 だが、もしもリィンが世界の脅威となるのであれば――
 その時は教会の総力をもって〈暁の旅団〉を討つことになるだろう。
 それがアインのだした答え。トマスが密かに覚悟を決めていることだった。
 そう言って席を立つと、トマスは「あっ」と何かを思い出したかのようにリィンを見て、

「そう言えば、最後に一つだけ良いですか?」
「なんだ?」
「総長に宛てた手紙。あれには何が書かれてあったのですか?」

 そんなことを尋ねた。
 思いもしなかった質問に目を丸くするリィン。だが、次の瞬間にはニヤリと笑みを浮かべると、

「女の秘密は詮索しないのが身のためだ」

 そう答えるに留めた。
 だが、トマスにはそれで十分だったのだろう。「なるほど」と呟くと頭を下げ、その場を後にする。

「エマ、もう出て来てもいいぞ」

 トマスが去ったのを確認してリィンは、誰もいない空間に声を掛ける。
 すると大気の揺らぎと共に、愛用の杖とローブを装備したエマが姿を現す。
 彼女の右腕には、気配と姿を消すアーティファクト『隠者の腕輪』が嵌められていた。

「……やっぱり私がいることに気付いていたんですね」
「あいつも気付いていたみたいだがな。さすがは匣使い≠ニ言ったところか」

 リィンやトマスでなければ気付くことは出来なかっただろう。そのくらいエマの隠行は完璧だった。
 しかしエマも気付かれる可能性は考慮した上で、リィンの後を追ってきたのだ。神の力をその身に宿すリィンは、〈空の女神〉を信仰する教会にとって厄介な存在だ。まだ確信は持っていない様子だが、アインやトマスのように薄らとリィンの力の正体に勘付いている者もいるだろう。そのことを考えれば、一人で彼等と会うような真似は控えて欲しいというのが、エマの本音だった。
 リィンが簡単にやられるとは思っていないが、数多のアーティファクトを所持する教会のことだ。
 神の力を封じるような――なんらかの切り札を隠し持っていても不思議な話ではない。
 実際そうした魔導具の存在が記された伝承は、世界に幾つも残されている。〈空の女神〉や〈七の至宝〉だけが絶対の力ではないのだ。
 それはリィンやノルンの存在が証明している。

「この先、どうされるつもりですか?」
「まあ、当分は大きな戦いもないだろう。その間に少しやっておきたいことがある」
「……やっておきたいことですか?」

 どこか覚悟を決めたような――すっきりとした顔を浮かべるリィンを見て、エマは怪訝な表情を浮かべた。


  ◆


「は? 異世界に行く?」
「ああ、ちょっと捜したいものがあってな。里帰りもしておきたいし」
「え? 里帰り?」
「ほら、俺って転生者だから」

 突然、関係者をカレイジャスの会議室に集めたかと思えば、そんなことを口にしたリィンにアリサは話についていけないと言った様子で呆気に取られた顔を見せる。
 リィンに前世の知識があるということを知っているアルフィンやエマたちを除けば、みんな同じような反応だった。
 とはいえ、こういう反応をされるだろうと言うことはリィンもわかっていたのだ。
 しかし、クロスベルでの作戦を開始する前に語ったこと。あの日の続きは彼等に話しておくべきだろうと思っていた。

「これから話すことは嘘でも冗談でもない。事実として聞いて欲しい――」

 世界の意志によってリィンがこの世界に転生させられたという話に、誰もが信じられないような顔を見せる。
 しかし話を聞いていくうちに『リィンなら』『団長なら』と言った感じで納得の声が漏れる。
 実際、先の戦いであれほどの力を見せられた後になると、リィンに前世の記憶があると言った程度の話は驚くほどのことではなかったからだ。
 この場にいるのはリィンが秘密を打ち明けてもいいと思った信頼の置ける関係者だけだ。
 エマとノルンの他、フィー、シャーリィ、リーシャ、アルティナ、ヴァルカン、スカーレットと言った〈暁の旅団〉の主要メンバー。
 他にもアルフィンやエリゼ。そしてエリィやベルの姿もあった。

「なんで、そんな重要な話をさらりとなんでもないかのように話すのよ!」
「前世のことを隠してたのは、未来の知識があるというアドバンテージを失いたくなかったからだ。ギリアスが死んで、もう俺の知っている世界と大きく異なっている時点で隠す意味はないだろ?」
「だろ? じゃないわよ……もしかして、他の皆は知っていたの?」
「俺が前世の記憶について話したことがあるのは、アルフィンとエリゼ。それにフィーの三人だけだ。ベルとエマは話す前から知ってたしな」

 アルフィンたちがリィンの秘密を知っていたことに関しては、アリサも特に驚きはなかった。なんとなく、そんな予感はしていたからだ。
 しかしベルだけでなく、エマも最初から知っていたと聞いて、アリサは複雑な心境を抱く。納得が行かないと言った様子が顔にでていた。
 そんなアリサを見て苦笑しながら、リィンは話を続ける。むしろ、これからの話が本題と言ってよかった。

「この世界を去った〈空の女神(エイドス)〉の足跡を追おうと思っている」

 リィンの言葉に驚き、一斉に息を呑む音が漏れる。
 この世界に生きる人々にとって、〈空の女神〉とは特別な意味を持つ存在だ。
 信心深い者でなくとも、女神に祈りを捧げたことくらいは誰でもあるだろう。
 誰もが知る実在したとされる女神。だが大崩壊以降、女神は姿を消し、一度として人々の前に姿を現したことはない。
 故にアルフィンは疑問に思う。本当にそんなことが可能なのかと――

「あてはあるのですか?」
「ああ、俺がこの世界へ転生≠オたのは本当に偶然なのか? そのことがずっと引っ掛かってた。世界が無数に存在すると言うのなら、この肉体に適合する魂≠持つ存在が俺≠オかいなかったというのは不自然だ。例えば、俺が以前迷い込んだような並行世界のリィン自身の魂でもいいはずだからな。でも、そうはならなかった。なら、俺が選ばれた条件が他にもあるんじゃないかと思ったわけだ」
「それは、もしかして……」

 アルフィンも、そして他の者たちも気付いたのだろう。リィンが何を言おうとしているのかを――
 女神は確かに人々の前から姿を消した。だが、死んだわけではない。
 それはツァイトを始めとした女神と盟約を交わした聖獣が今も存在することが、女神の実在を肯定している。
 なら、女神は何処へ行ったのか? その答えはリィンのなかにあった。

「この世界と、俺の前世には繋がりがある。恐らくそれは――」
「……空の女神≠ェリィンの前世の世界にいる?」
「もしくは、俺の世界と繋がりのある場所にだな」

 皆を代表して尋ねたフィーの言葉に、リィンは答える。
 とはいえ、なんらかの繋がりがあることは確かだが、女神が地球にいるという確証もない。
 しかし今になって思えば前世で遊んだゲームと、この世界が酷似していることもただの偶然とは思えなかった。

「異世界に渡る理由はわかりました。ですが、捜してどうするつもりなのですか?」
「一発殴る?」
「なんで疑問系なのよ……」

 アルフィンの問いに首を傾げながら答えるリィンを見て、アリサは呆れた様子で肩を落とす。
 だが、別に冗談を言っているわけではなかった。

「相手の出方次第だが、殺し合いをするつもりはない。ただケジメ≠つけておきたいだけだ」

 世界の意志とやらの思惑に従うつもりはないが、あやふやなまま終わらせるつもりはリィンにはなかった。
 そもそもの原因は〈空の女神〉にあると言ってもいい。
 至宝を人間に与えたのも、何か深い理由があったのかもしれないが、それなら最後まで責任を負うのが筋だ。
 七耀教会が今のような組織になったのも、〈結社〉のような存在が生まれたのも、女神の責任と言えなくはないだろう。
 その最大の当事者にして被害者であるリィンが、女神を一発殴る≠ニ主張するのも分からない話ではなかった。

「……帰ってきますよね?」

 不安げな表情で、リィンにそう尋ねるエリゼ。
 前世の世界にいけば、そのままリィンは帰ってこないのではないか?
 そんな不安を覚えての質問だった。
 だが、リィンは「大丈夫だ」と口にしながらエリゼの頭を撫でる。

「帰ってくるさ。俺の帰る場所はここ≠ノしかないしな」

 確かに地球を懐かしいと思う気持ちはある。でも今更、過去の自分には戻れない。
 この世界で生まれ育った猟兵王の息子、リィン・クラウゼル。
 それが現在(いま)の自分だと、この世界に骨を埋める覚悟をリィンは決めていた。

「それに、いまのヴァリマールの力なら〈精霊の道〉を使った次元跳躍はそう難しくないって話だ。定期的に様子を見に帰ってくるつもりだし、エマとノルンには連絡役としてカレイジャスに残ってもらう話になってるから心配はいらない」

 力を自在に使えるようになったのはリィンだけではない。
 ヴァリマールもまた巨神の力を取り込み、単独での次元跳躍が可能なほどの力を現在では有していた。
 いまならノルンとツァイトの力を借りずとも、ヴァリマールの能力だけで世界を行き来することが出来る。
 リィンが〈空の女神〉の足跡を追うと決めたのも、それが決め手だった。

「わたくしはついていきますわよ?」
「シャーリィも当然連れてってくれるよね?」
「……まあ、そう言うだろうなとは思ってたよ」

 女神の足跡を追うという話をすれば、ベルがついて行くと言うことはリィンも予想していた。
 シャーリィもダメと言ったところで聞きはしないだろう。下手をすれば、騎神を持ちだして追ってくる可能性すらある。
 それなら最初から条件を付けて、ある程度の手綱を握った上で連れて行った方がいいと言うのがリィンのだした答えだった。
 しかし、当然そんなことで話がまとまるはずもなく――

「フィー?」
「……私も行く」
「いや、でもな……」
「行く」

 いつも以上に頑ななフィーに、リィンは困った顔を浮かべる。

「フィーはわたくしの護衛です! フィーが一緒なら、わたくしも行きますわ!」
「姫様!? また抜け駆けするつもりですか! それなら私も兄様と!」
「ちょっと待て! アルフィンは総督の仕事があるだろ!? エリゼも何を言って――」
「そ、そういうことなら私も一緒にいってあげてもいいわよ? 異世界の技術には興味もあるし」
「アリサ。お前まで……」

 それに後を押されるように、自分も一緒に行くと主張を始める女性たち。
 そんななか助けに入るべきかと迷うリーシャの肩に手を置き、エリィは首を横に振ると――
 ノルンとベルの手を取り、そっと部屋を退出する。

「相変わらずモテモテだな。うちの団長は……」
「あら? 羨ましいの?」
「……そう思えるか?」
「不埒です」

 ワイワイと騒ぐアルフィンたちを見守りながら、ヴァルカンとスカーレット。それにアルティナの三人は思い思いの言葉を口にする。
 この後、アルフィンたちの説得にリィンが頭を悩ませることになるのは言うまでもなかった。



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