繁華街にあるカフェテリアでフランとノエルは揃ってテーブルを囲み、久し振りの姉妹水入らずを楽しんでいた。
以前は休日になると、こうして二人でショッピングに出掛けることも少なくはなかったのだが、現在のフランは〈暁の旅団〉のメンバーの一人だ。
カレイジャスのオペレーターを担当しており、資料の整理や書類関係の仕事を任されることが多く忙しい日々を送っていた。
一方でノエルは現在、警備隊に復帰している。ロイドがダドリーと同じ捜査一課に配属されたことで、特務支援課は人員不足から活動を停止しているためだ。
新政府の下、街の復興と治安組織の再編が急務となり、いまはどこも人が足りず、そうした人事異動が頻繁に行われていた。
二人が最後に顔を合わせたのはクロスベルが解放された日に行われた宴会の場で、それから三ヶ月近く――
導力通信による連絡は取り合っていたものの、こうして直接顔を合わせるのは久し振りのことだった。
「警察に戻る気はないの?」
姉として本音で言えば、大切な妹を猟兵団に預けておくのは気掛かりでならない。
ましてや自分のためにフランが〈暁の旅団〉に入ったという話を聞かされれば、ノエルが心配するのも無理からぬ話だった。
そんな姉の反応を見て、正直に話したのは失敗だったかなとフランは溜め息を漏らす。
しかし隠していても、何れはバレることだ。他の誰かの口から聞かされるよりはマシだろうと判断して打ち明けたのだ。
妹を溺愛するノエルのことだ。フランが姉を助けるために犠牲になったと聞かされれば暴走することは目に見えている。
実際、そのことを打ち明けてからと言うもの同じような話を、両手で数え切れないほどフランは尋ねられていた。
「うん。お給料もいいしね」
故に、いつもの調子で返事をする。
これで酷い目に遭っていると言うのなら分かるが前の職場よりも給料は良く、福利厚生もしっかりとしているので不満はない。
危険がないとは言わないが、それは警察にいても同じことだ。実際フランもクロスベルが〈赤い星座〉の襲撃を受けた際、爆発に巻き込まれたことがある。
同僚の刑事に庇ってもらったお陰で軽い怪我で済んだが、命を落としていても不思議ではなかった。
その点で言うと、危ないことをしないで欲しいというのなら、警備隊に所属しているノエルも同じだ。
それに――
「お姉ちゃんはどうなの?」
「どうって……なんのこと?」
「ロイドさんとのこと。このままだとティオちゃんに取られちゃうんじゃない?」
「うっ……」
「聞いたよ。ティオちゃん、ロイドさんをご両親に紹介したんでしょ?」
「ううっ……」
妹の心配をするくらいなら、自分のことをちゃんとしろとフランは思う。
特務支援課に所属していた頃ならまだしも、ノエルとロイドは現在別々の職場で働いている。
互いに仕事を持っていて思うように時間を取れないなど、確かにノエルにも言い分はあるだろう。しかし姉は積極性に欠けるとフランは思っていた。
実際、ティオは上手くやっている。特務支援課が活動を休止した後もエプスタイン財団と交渉し、IBCのシステム復旧のためにクロスベルに残ることを決めると、両親の説得に協力して欲しいという名目でロイドを両親に会わせ、着実に外堀から埋めていく作戦を実行に移している。キーアに勉強を教える名目で、ロイドのアパートに通い妻のように足繁く通っていると言うのだから策士と言っていいだろう。一方でノエルはロイドに告白をしておきながら、未だにキスの一つもしていないというのだから奥手にも程があった。
この場合、ロイドが情けないと言うべきか? ノエルの不器用さを嘆くべきか?
フランからすれば、妹として姉の将来が心配でならなかった。
「もっと積極的になった方がいいよ? アルフィン殿下みたいに」
「……どうして、ここで総督の話がでてくるのよ?」
「三日に一度の頻度で顔を合わせてるからね。団長さんに従者の子と一緒に熱烈なアプローチをしてるの」
アルフィンがリィンに入れ込んでいると言う話はノエルも噂で聞いていたが、そこまでとは知らなかったのだろう。
ほんとに? と言った顔で聞き返してくるノエルに、フランは「うん」と頷く。
そんな妹の話を聞いて、ノエルは眉をひそめる。他にもエリィとリィンの関係も噂になっているのだ。
暁の旅団とクロスベルの結び付きが強くなるのは歓迎すべきことなのかもしれないが、夢見がちな一人の乙女としては複雑な心境だった。
「フランも、もしかして……その団長さんのこと好きなの?」
だから、妹はどうなのかと気になってノエルは尋ねる。
何度も猟兵なんて危ない仕事は辞めるようにフランには話しているが、まったく応じてくれない。
リィンとの約束がどうこうと言っているが、エリィ越しに聞いた話では無理矢理に契約で縛るつもりはないとの話だった。
少なくともロイドも「彼はそういう人間には見えない」と言っていたことから、それなりにノエルはリィンのことを信用しているのだ。
しかし、それと大切な妹が猟兵団に所属していることは話が別だ。どうすればフランはわかってくれるのかと、ずっと頭を悩ませていた。
でも、もしフランがリィンに好意を寄せているのだとすれば? これまでのフランの態度にも納得が行く。
「気にはなってるけど、まだよく分からないかな」
と言いながらも、フランの声がどことなく弾んでいるのをノエルは聞き逃さなかった。
まだ自覚はないのかもしれない。気になる男の人と言った程度の認識なのかもしれないが、これは怪しいとノエルは怪訝な表情を浮かべる。
本来であれば、妹の恋を応援したい。しかし相手は、あの〈暁の旅団〉の団長だ。
アルフィンやエリィの他にも、多くの女性との関係が噂される人物。
そんな男に大切な妹を任せていいものかと、今度は別の意味でノエルは心配になった。
だが、そんな姉の心を知ってか知らずか、心配は不要と言った様子でフランは声を上げる。
「私のことより自分のことでしょ! 応援するから、ロイドさんを籠絡するプランを一緒に考えよ?」
「ろ、籠絡って!?」
「ティオちゃんにロイドさん取られてもいいの?」
「ぐ……!?」
それを言われると、ノエルとしても辛かった。
妹の恋の心配をしている場合ではないことくらいノエルにもわかっていたからだ。そのくらいの危機感は彼女にもあった。
自分のことになると、互いにはっきりとしない二人。この二人のことをよく知る共通の友人がこの場にいれば、きっとこう言うことだろう。
やっぱり似たもの姉妹だと――
◆
「兄様、良いですね? 連絡だけは絶対に怠らないでください。でないと、エマさんとノルンちゃんに頼んで追い掛けますから……」
エリゼの言っていることが冗談には聞こえず、リィンは頬を引き攣る。これで連絡一つ寄越さなかったから、捜索隊が組織されても不思議ではない。とはいえ、リィンも定期的にクロスベルに帰ってくるつもりではいた。まだ〈黒の工房〉の件が完全に片付いたと言う訳ではないからだ。
ベルから提供された情報を元に、星杯騎士団が各地に点在する工房を襲撃したという話をロジーヌから聞いてはいるが、主要な関係者の確保には至っていなかった。恐らくは危険を察知して行方を眩ませたのだろう。
それに共和国がクロスベルを諦めたと考えるのは早計だ。騎神の脅威を理解している以上、また正面から攻めてくるような真似はしないと思うが警戒しておくに越したことはない。その点で言えば〈黒月〉の動きにも注意を払うべきだとリィンは考え、ルバーチェ商会に彼等の動向を見張らせていた。
他にもアリオス・マクレインがロックスミス機関にスカウトされ、イアン・グリムウッドも先の騒ぎに乗じるカタチで姿を消したままだ。クロスベル警察が行方を追っているが、恐らく国内には既にいないだろう。
ユーゲント三世は罪には問われなかったものの国や民を裏切り、世論を騒がせた責任を取るカタチで離宮に幽閉されることが決まった。
レクター・アランドールについては、レミフェリア公国で目撃されたという情報も入っているが、目的や潜伏場所は掴めていない。
――平和が戻っても、世界は相変わらず混沌としたままだ。
そう言う意味では、激動の時代を巻き起こそうとしたギリアスの目的は果たされているのだろう。
最初から世界を滅ぼすつもりなどなく、こうなることを見越していた可能性すらあるとリィンは考えていた。
結局、ギリアスの計画を阻止したつもりでいて、手の平の上で踊らされていただけなのではないかと言った憂鬱な気分になる。
死んでも厄介な奴だと、リィンが溜め息を漏らすのは無理もなかった。同じことを思っている人物は他にも大勢いるだろう。
「兄様?」
「いや、なんでもない。それより――」
周囲を見渡しながらリィンはエリゼに尋ねる。
「他は誰もきてないのか?」
団員たちには任務でしばらく街を離れると通達はしてあるが、リィンが異世界に旅立つことを知っている者は極僅かだ。
ヴァルカンたちには普段通りに過ごすように言ってあるため見送りが少ないのは当然だが、エリゼの他には誰もいないと言うのはリィンとしても意外だった。
結局、リィンと一緒に行くことが決まったのは、フィー、シャーリィ、ベルの三人。ヴァリマールに乗れるのは詰め込んでも三〜四人が限界のため、これ以上は連れて行けないと判断してのことだ。実際には緋の騎神の方にも人を乗せれば、もう何人か連れて行ける可能性はあるが、ノルンの力に頼らない初の異世界転位と言うこともあって万全を期した結果だった。
将来的にはクロスベルに転位した時のようにカレイジャスごと異世界へ転位するような真似も可能かもしれないが、ぶっつけ本番でするには危険過ぎる。
そのため長くともクロスベルを離れるのは一ヶ月程度を見ており、今回の転位は試験的な意味合いの方が大きかった。
そもそも手掛かりはあるとはいえ、世界は無数に存在する。そのなかから一発で目標を引き当てられるとは、リィンも思ってはいなかった。
「リィン。まだ出発しないの?」
シャーリィに急かされ、やれやれと言った様子で肩をすくめるリィン。
「じゃあ、行ってくる。何かあったらノルンに伝えてくれ」
「はい。お気を付けて」
名を与えたことで、リィンとノルンは盟約で繋がれている。
その効果はリィン自身よくわかっていないが、互いの状態を認識し、口にせずとも念話で意思の疎通が可能なことは検証済みだった。
ツァイトが盟約を交わした女神の無事を感じ取れるとの話なので、恐らく世界を跨いでも効果はあるだろうと想定してのことだ。
念話が可能かまでは分からないが、それは異世界に旅立てば分かることなので深くは考えていなかった。
とはいえ、連絡が付かないとなるとエリゼが捜索隊を結成する恐れがある。その場合は予定を早めて帰還する必要があるだろうとリィンは考えていた。
「絶対に帰ってくるから、先走るなよ?」
「しません! 兄様は私のことをどんな風に思ってるんですか!?」
敢えて口にはださず、ぷんぷんと怒るエリゼからリィンは逃げるようにシャーリィたちと共にヴァリマールに搭乗する。
そして何かを叫ぶエリゼを背にカレイジャスの格納庫を飛び出すと、クロスベルの上空へと飛び立ったところで、リィンは目を丸くした。
「たくっ……見送りはいらないって言ったのにな」
「たぶんアルフィンの発案」
フィーの言うように恐らくはアルフィンの仕業だろうと言うことは、リィンにも察しは付いた。
人目を避けるために出発を遅くしたこともあって太陽は沈み、眼下には美しい夜景が広がっていた。
そんな街並みの中で一際目立つ、ライトアップされたオルキスタワーの姿が目に入る。
オルキスタワーをツリーに見立て、導力ランプの光で彩られた『暁』の一文字が浮かび上がっていた。
――明けない夜はない。
そうした願いを込めてつけられた団の名前。
確かに世界は激動の時代の最中にあるのかもしれない。
しかし明けない夜がないように、人々が希望を捨てない限り、動乱もいつかは終わる。
「行くか」
「ん……」
精霊の道を開き、ヴァリマールと共にリィンたちは旅立つ。空の女神を捜す旅に――
そして、この旅にはアルフィンたちには言っていない別の目的があった。
百年の間に世界から七耀の力が完全に失われ、人々の生活を支えるのに必要なセピスも産出されなくなるだろうという推測をベルは立てていた。
現在ではミシュラムの湿地帯でしか確認できないグノーシスの原材料でもあるプレロマ草も、暗黒時代以前は各地で生息が確認されていたのだ。
しかしマナの減少によって、その数が激減。導力革命以降は更にその数を減らし、現在では『龍穴』と呼ばれる七耀脈の交わる場所で、僅かに生息が確認されるのみとなった。
巨神を復活させるためにギリアスが地脈を暴走させたことが、マナの減衰を早めたことは確かだが、そもそもの原因は他にある。
世界の摂理を築いた女神がこの世界を去ったことで、千年前から緩やかに世界の崩壊は始まっていたからだ。
いまになれば〈結社〉が至宝の力を集め、やろうとしていたことにも見当は付く。
世界の再生。それがどういった手段かまでは分からないが、この世界が終わりに近づいていることを彼等は知っていたのだろう。
ひょっとしたらギリアスも、そのことに薄々気付いていたのかもしれないとリィンは思う。
文明をリセットすることで、オーブメントに頼らない社会を構築しようと考えたのだとすれば納得が行くからだ。
だが――
(可能性があるなら足掻いてみたくなるのが人間≠セ)
空の女神はもしかしたら至宝の力に頼らず、人々が自らの意志と知恵で文明を築くことを望み、この世界を去ったのかも知れない。
しかし誰もがそんな風に強く生きられるわけではない。七耀の力が世界から失われれば、その力に依存してきた社会は崩壊する。
先の戦いなどとは比較にならない混乱が起き、より多くの人々が犠牲となるだろう。以前のリィンなら、そんな話を聞かされても他人事と聞き流していたかもしれない。でも、関わってしまった。
他人事ではいられないほどに、リィンはこの世界で生きることを楽しんでいた。
大を救うために小を切り捨てると言う考えは分からなくないが、最初から犠牲ありきの結論は好みじゃない。
どうせ足掻くなら猟兵らしく強欲に、すべてを望んで何が悪い? それがリィンのだした答えだった。
「おもしろいところだといいなあ。あ、邪魔する奴がいたら殺してもいいよね? 最近お預けばっかりだし」
「女神を殴る時は、先にわたくしにやらせてもらえません? 少し思うところがあるので」
「お前等な……」
シャーリィとベルの過激な発言に、リィンは目尻を押さえながら溜め息を吐く。
空の女神の足跡を追うと言っても、確実に目的の世界に飛べるわけではない。至宝の力によく似た神の気配を辿ると言った方が正しいだろう。
最初に向かう場所がどんな世界かは分からないが、シャーリィの好きにさせれば騒ぎになることは間違いない。
目的を遂げるためには多少のことは仕方がないと考えるが、悪戯に他所の世界を騒がせるつもりはリィンにはなかった。
とはいえ――
(俺も二人のことは言えないか)
猟兵として生き、報酬のために平然と人を殺してきた自分が、理由はどうあれ世界を救うために足掻こうとしている。
女神が身勝手な存在なら、自分はどれだけ浅ましく∞我が儘≠ネ存在なのだろうとリィンは自嘲する。
でも、それでいい。英雄を気取るつもりはない。ただ、やりたいことをやるだけだ。
(貴族だと思ったら猟兵やってますってな。まあ、こんな二度目の人生も悪くない)
それがリィン・シュヴァルツァーではないリィン・クラウゼルの生き方。
ずっと憧れ、背中を追い続けた猟兵≠フ姿なのだから――
◆
少女は少年に尋ねる。
――どうして強くなりたいの?
誰にも認めてもらえず、それでも諦めず努力を続ける少年に少女は尋ねた。
――守られるだけじゃない。家族を守れる男に俺はなりたい。だから俺は強さが欲しい。
そんな少女の問いに少年は答える。
最初はただの意地だった。子供扱いされるのが情けなくて、皆に認めてもらえないことが悔しくて、何より少女を守れる強い男になりたいと少年は願っていた。
――それに、越えたい背中がある。
強い憧れを抱いた眼差しで少年はそう話す。
思い描くのは最強の人物。あの背中に追いつきたい。そして、いつの日か追い越したい。
理想は遠く、困難な道であることは少女にも分かる。だが、不思議と無理だとは思わなかった。
――ん、なれるよ。リィンなら。
少女は少年のことを信じていた。
当然だ。少女にとって少年は、たった一人の英雄なのだから――
あとがき
193です。連載開始から二年。最後までお付き合い頂きありがとうございました。
残念ながら本編に入れることが出来なかったエピソードもあるので、そこは追々と番外編のようなカタチで掲載するかもしれませんが、これにて本作は完結です。
まだまだ困難は続くでしょうが、リィンと彼の仲間たちなら上手く乗り越えてくれることでしょう。
最後の部分は、東亰ザナドゥ編をご覧になった方ならお気づきかもしれませんが、ラストシーンの引用になります。
まあ、あちらを先に公開することになりましたが、執筆の時期はこちらが先なんですよね……。いつも最初と終わりを決めて書き上げるスタイルなので。
しばらくは伝道師の更新に集中する予定です。
今年も残り僅かとなりました。皆様が良い年を迎えられることを祈って、今年最後の挨拶を締め括らせて頂きます。
それでは、来年もどうぞよろしくお願いします。
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