番外『暁の東亰編』
「……探求者?」
「そう、真理を探求するものだ」
目の前の悪魔の言っている言葉の意味が分からず、ミツキは困惑した表情を見せる。
シーカーという名前の意図するところもそうだが、悪魔の話す真理とは何を示すのか、断片的な情報だけでは判断が出来なかった。
そんなミツキの反応をつまらなそうにシーカーは見下す。打てば響くような対話を期待していたわけではない。シーカーにとって目の前の人間との会話は、一時の暇潰しに過ぎなかった。それでも、もう少しマシな反応を期待していたのだ。
「つまらん」
一言そう呟いて、シーカーは軽く腕を振う。すると大地を薙ぎ払う一撃がミツキたちを襲った。
光の刃のようなものが大地を斬り裂き、その衝撃で生じた爆風によってミツキ、シオ、ゴロウの三人は弾き飛ばされる。
床に叩き付けられ、肺から息を吐き出す。直撃は避けたはずなのに、車にはねられたかのような衝撃が三人を襲った。
「一撃でこれかよ……」
全身がバラバラになりそうな痛みに耐え、大剣を支えにシオは立ち上がる。アスカやソラをあっさりと撃退してみせたことから強敵だとは思っていたが、はっきり言って彼等の想像を遥かに超えていた。
床に横たわるミツキを見て、どうにか逃がしてやりたいとシオは考えるが、それが難しいことは誰の目にも明らかだ。
「高幡……動けるか? 身体が動くなら北都を連れて、ここから逃げろ」
「アンタ……まさか……」
ゴロウの横顔を見て、シオは察する。それは死を覚悟した男の顔だった。
命を引き替えにしても、シオとミツキを逃がすつもりなのだろう。
「時坂も助けてやりたかったが……俺には、これが限界みたいだ」
シーカーの左手に掴まれたままのコウを見ながら、ゴロウは自分の不甲斐なさを悔いるように胸中を吐露する。
軍のプロテクターを着ていたから、どうにか動くことが出来るが、生身であの攻撃を受けて起き上がれるシオにはゴロウも驚く他ない。だが彼が戦いに加わったところで、目の前の悪魔は倒せないだろう。
これは怪異と戦える力があるからと、民間人の彼等を協力者として認めた自分の責任だとゴロウは考える。ならば、ゴロウに出来ることは命を懸けて彼等が逃げる時間を稼ぐくらいしかなかった。
「いけ――高幡ッ!」
銃口をシーカーへ、雄叫びを上げながら駆け出すゴロウ。シオは踵を返すとミツキを肩に担ぎ上げ、振り返ることなく出口へ向かって真っ直ぐ走る。
残ってゴロウと一緒に戦うことは簡単だ。だが、それではゴロウの覚悟を無駄にすることになる。
シオは走った。自分を押し殺して、ただ仲間を助けたい一心で――
しかし、残酷な現実が彼の前に立ち塞がる。ドシャッという鈍い音と共に、シオの目の前に何かが放り投げられる。
「あああああ――ッ!」
床を赤黒く染め上げていくそれが、なんなのかを理解したシオは絶叫を上げた。
「すまない。そのゴミも一緒に持ち帰ってくれるかね?」
シーカーのその一言が、耐えていたシオの怒りの琴線に触れ、爆発する。
「テメエエエエエッ!」
火の粉を周囲に撒き散らし、頭上に構えた大剣から巨大な炎を立ち上らせる。
万物を焼き尽くす炎の剣。それが彼の異能。ソウルデヴァイス〈ヴァーパル・ウェポン〉の真価だった。
「ほう」
初めて興味を示したかのように、シーカーは感嘆の声を上げる。
ミツキを床に寝かせ、シオはシーカーに向かって駆け出し、炎を纏った大剣を一気に振り下ろした。
シオとシーカーを中心に炎の渦が巻き起こる。直撃を避けるために大剣を受けた右腕からはブスブスと火の燻る音が聞こえ、いままで余裕を持って攻撃を受け止めていたシーカーが初めて後ずさる。
「うおおおおおおおっ!」
それを見てシオは咆哮を上げ、命を燃やすかのようにソウルデヴァイスに霊力を注ぎ込む。自分でも、それが無茶な行為だというのは直感としてわかっていた。恐らく、いまからやろうとしていることは寿命を大きく縮める行為だ。下手をすれば、そのまま死んでしまってもおかしくない。だが、不思議と怖くはなかった。
それよりも何も出来ず仲間を見殺しにすることの方が怖い。そのためなら命なんて惜しくはない。何よりゴロウの覚悟をゴミのように扱った目の前の悪魔が許せない。許せるはずがなかった。
炎を纏った斬撃をシーカーに叩き込むシオ。これまでとは比較にならないほどの炎。並の怪異なら一撃で灰と化すほどの威力がそこには込められていた。
さすがのシーカーも勢いを殺しきれず、よろめいたところにシオは渾身の突きを放つ。
「クリムゾンレイド」
肩に一撃を受け、炎に呑まれるシーカー。シオが文字通り命を燃やして放った一撃。
だが――
「ははっ……」
腹部へと視線を向けるシオ。そこにはシーカーの腕が突き刺さっていた。
シオはよろよろと後ずさり、口から血を吐き出す。
そこは皮肉にも、過去に彼の親友の命を奪ったナイフが突き刺さったのと同じ位置だった。
まったく笑い話にもならないとシオは自嘲する。しかし、
「ざまあみろ……」
シオの命を懸けた一撃は、仲間を救うことには成功していた。
シーカーの拘束から離れ、地面に横たわるコウを見て、満足そうな表情をシオは浮かべる。
もう指一本だって動かせない。心残りがあるとすれば、もっとちゃんと助けてやれなかったことだろう。
「良い気迫だったよ。お兄さん」
そんな死を覚悟したシオの耳に見知らぬ誰かの声が聞こえた。
ヒュンと風を切る音がしたかと思えば、シオの目の前でシーカーの身体が大きく揺れた。
目を疑うような光景。あれだけ攻撃を受けてもビクともしなかった悪魔がボールのように弾け飛んだのだ。
「……味方なのか?」
刺激的なローライズの服の上から真っ赤なコートを羽織り、身の丈ほどある巨大な武器を肩に担いだ赤髪の少女がシオの視線の先に立っていた。
状況から考えて目の前の彼女がシーカーを吹き飛ばした張本人だということは分かるが、実際に目の当たりにしても俄には信じがたい。その少女と見紛うばかりの小さな身体のどこに、あの悪魔を軽々と吹き飛ばすほどの力があるのか分からなかった。
だが、どれだけ現実から目を背けようと目の前の結果がすべてだ。
「シャーリィ・オルランド。ユウキとリオンって子から依頼を受けて助けにきた猟兵だよ」
その少女は、シャーリィと名乗った。
彼女の名前は勿論のこと、猟兵という言葉にもシオは聞き覚えがない。だが一つだけはっきりとしていることは、彼女がシオの仲間の名前をだしたことだ。
ユウキとリオンの名前を彼女が口にしたからと言って仲間と考えるのは早計だ。しかし他に頼れる味方もいない。
「頼む。誰だっていい。こいつらを助けてやってくれ」
シオは仲間のため、シャーリィに縋るように頭を下げる。
そんなシオを見て、目を丸くするシャーリィ。
「猟兵はね。一度受けた依頼は絶対に守るの。だから、安心して見てるといいよ」
目を瞠るシオ。彼はシャーリィの放つ存在感に圧倒されていた。
数多の戦場を渡り歩いてきた本物の猟兵。目の前の少女が〈血染め〉の二つ名を持つ正真正銘の戦争のプロだということをシオは知らない。だから、この反応も仕方のないことだとシャーリィは思う。
「オルランド……〈赤い星座〉の血統か。その懐かしい名を、この世界で耳にするとはね」
だが、土煙の中から掛けられた言葉にシャーリィは驚きを見せる。
既に、ここが自分の知る世界とは別の世界だということをシャーリィは知っていた。
だからこそ、シオのような反応が普通だと考えていたのだ。
「ふーん……随分と事情に詳しそうだね。おじさん」
「何、単にキミより長く生きているというだけだよ。お嬢さん」
互いに何かを探るように会話を交す。
シャーリィが疑問に思っているように、シーカーもまたシャーリィの存在に疑問を感じていた。自分以外に、あちらの世界のことを知る人間がいるとは思ってもいなかったからだ。
オルランドという名も偶然と断じることは出来るが、先程の力を見せられればシャーリィが〈赤い星座〉の関係者であることは疑いようがなかった。
「シャーリィさん、余り先行しな――え?」
「ほう! まさか、エマ・ミルスティンか? キミまでこちらの世界へきているとは、これは驚きだ!」
後から姿を見せたエマを見て、シーカーは驚きの声を上げる。
その表情からは喜びと驚き、そしてエマとの再会を懐かしんでいるかのような雰囲気すら感じ取れる。
「エマの知り合い?」
「教団に所属していた錬金術師です。四年前、リィンさんに殺されたはずの……」
「へえ……なるほどね。こいつが例の事件の――」
不思議に思い、エマに尋ねるシャーリィだったが、説明を聞いて納得の表情を見せる。
四年前の事件の顛末は、大体のところはシャーリィも知っていた。当事者から直接話を聞いたわけではないが、帝国西部の山を吹き飛ばしたのがリィンだろうということも想像は付いている。
あの頃からだ。リィンの名前が猟兵の世界で噂されるようになったのは――
恐らくリィンが最初にあの力≠使った事件。その当事者以外は誰も知らない事件の真相を知る人物が目の前にいる。シャーリィの興味をそそるには十分だった。
そして彼女と同じように、興奮した様子で興味深そうな視線をエマに向ける人物がいた。
「まさか、あの少年もこちらの世界にきているのかね? だとすれば、是非会いたいものだ。彼のお陰で私は真理の一端を覗くことが出来たのだからね」
自分を殺した相手だというのに、嬉しそうに話すシーカー。それだけシーカーにとってリィンは特別な存在だった。
愛していると言っても過言ではない。感謝もしているし、姿形の見えない女神よりも遥かに崇拝していた。
あの時、リィンと出会わなければ、真理の一端に触れることは出来なかったのだから――
シーカーにとって自分の命よりも、それは優先度の高いことだった。
「気が変わった。ここに彼が来ていると言うのなら話は別だ。エマくん、彼に会ったら伝えておいてくれるかね? ――災厄の始まりと終わりの地で待つと」
エマの返事も聞かず、勝手に話を進めるシーカー。彼の興味は目の前の少年たちからリィンへと完全に移っていた。
このテンションにはついていけず、シャーリィもなんだか面倒臭そうにエマを見る。
どうする? という問い掛けだったのだろうが、エマもそんなことを尋ねられてもと言った表情で応える。
「本当に楽しみだ。彼ならきっと――」
そう言葉を残し、シャーリィたちの前から転位で姿を消すシーカー。
嵐のように去っていったシーカーを見送りながら、これからのことを考え、溜め息を吐くエマだった。
◆
「ここは……」
ぼんやりとした頭で天井を見上げるコウ。鼻を刺激する消毒液の香りと白い天井。自分がベッドに寝かされていることに気付き、コウはゆっくりと上半身を起こす。
「学園の保健室よ。目が覚めた? 時坂くん」
隣から掛けられた声にコウが振り返ると、そこには見知った亜麻色の髪の少女がいた。
柊明日香――アメリカからの帰国子女。容姿端麗・成績優秀・運動神経抜群と三拍子揃ったクラスの委員長だ。
その正体は杜宮で起きている異変を調査するため、ネメシスから派遣されてきた執行者。そしてコウが最も信頼を寄せる仲間だった。
「そうか、俺はあのおかしな奴に……皆は!?」
「どうやら記憶はあるみたいね。ソラさんなら、そこよ」
何があったかを思いだし、自分も病み上がりだというのに皆の心配をするコウ。ようやくコウらしさが戻ったと少し嬉しそうな笑みを浮かべるも、アスカはすぐに真剣な表情を浮かべ、ゆっくりとコウの疑問に答える。
アスカに言われ隣のカーテンを空けると、そこにはソラが小さな寝息を立てて眠っていた。
幸い、大きな怪我を負っていないことを確認すると、ほっと安堵の息を吐くコウ。だが喜びも束の間、アスカは厳しい現実をコウに伝える。
「ミツキさんは頭を少し打ったみたいだけど軽傷で済んだわ。今頃は後始末に奔走しているはずよ。四宮くんとリオンさんの二人は上手く高幡くんが逃がしたらしくて無事よ。でも、その高幡くんと佐伯先生が病院に搬送されたわ」
ミツキ、それにユウキとリオンの三人が無事だったのは本当によかった。
しかし、シオとゴロウが病院に運ばれたと聞いて、コウは驚きと困惑を隠せない様子でアスカに詰め寄る。
「高幡くんはお腹の傷以外はたいしたことはないみたい。霊力を使い過ぎているから完治に時間は掛かるけど命に別状はないそうよ。ただ……佐伯先生は意識不明の重症。幸い処置が早かったお陰で命は取り留めたけど、いつ目覚めるか分からないって……」
そんなコウに二人の容態を隠すことなく伝えるアスカ。
黙っていることは簡単だが、どうせいつかは知れることだ。嘘を吐くよりは、しっかりと事実を伝えた方がいいとアスカは判断した。
それに今回のことはコウだけの責任とは言えない。自分にも責任があるとアスカは感じていた。だからそのことを嘘偽りなくコウに伝える。
「あなただけの所為じゃないわ。私やミツキさん。そして佐伯先生も――こうなることを予想できていたはずなのに見通しが甘かった。正直、あなたたちには悪いことをしたとさえ思っているわ」
「違う! 柊やミツキ先輩、それに先生の所為なんかじゃない! 俺が、俺がもっとしっかりしていれば――」
こんな風にコウが自分を責めることはわかっていた。
それでもアスカは嘘を吐かない。それはコウがこのくらいで潰れる人間でないことを知っているからだ。
それは彼女がコウや仲間たちと杜宮の生活で作り上げてきた絆。信頼の証でもあった。
だからこそ、彼女は尋ねる。
「時坂くん聞かせてくれる? ここ最近のあなたはどこかおかしかった。一体なにがあったの?」
コウが胸の内に溜め込んでいるものを聞きたかった。
彼がそうしてくれたように、アスカは慌てることなく、ゆっくりとコウの心に語りかける。
少しして覚悟を決めた様子で重い口を開き、語り始めるコウ。
「……シオリの声を聞いたんだ」
「声?」
「ああ……虚空震に巻き込まれて意識を失っている時、夢を見たんだ」
コウの語った夢とは、シオリが光の玉に包まれ巨人に呑み込まれる夢だった。
普通であれば、ただの夢と一笑するところだが、その内容が余りに具体的すぎた。
まるで本当に見てきたかのように語るコウの話に、アスカも真剣な表情で相槌を打つ。
「最初はただの夢だと思ってた。でも、目覚めてからも時々シオリの声が聞こえるんだ……」
「シオリさんは、なんて言ってるの?」
「逃げてコウちゃん……って。痛みを我慢するような声で……それで俺っ!」
事情は理解した。コウが何を焦っていたのか、これで理由もはっきりした。
問題はコウの見た夢の信憑性と、彼の元に届くという声だ。シオリというのは彼の幼馴染みだ。それこそ家も隣同士で幼い頃から家族同然に育ったコウが、シオリの声を聞き間違えるとは思えない。だとすれば、それは間違いなく彼女の声なのだろう。
どうしてコウにだけ彼女の声が聞こえるのかは分からない。しかし、ただの幻聴と斬って捨てるには話が出来すぎていた。
「その巨人、どんな色をしていました?」
二人の話をカーテンの陰から聞いていたエマは、コウに真剣な表情で尋ねる。
急に見知らぬ人物に声を掛けられ、戸惑うコウにアスカはフォローを入れる。
「私たちを助けてくれた人の仲間よ。彼女が治癒術を使ってくれなかったら、正直危なかったでしょうね」
その話を聞いて、慌てて頭を下げるコウ。
仲間を救ってもらったことに感謝しながら、エマに夢の内容を詳しく説明する。
「確か、赤い色をしていたと思います。血のように赤い色を――」
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