番外『暁の東亰編』



「で? 彼の話を聞いて、エマの感想は?」
「リィンさんの想像通りです。恐らく〈紅き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)〉がこの件には関わっています」

 エマの予測と自分の考えが一致していたことを確認して、リィンは溜め息を吐く。
 正直はずれていて欲しい予測だった。だが、いつも現実は非情だ。悪い方にばかり予感が当たる。
 良いニュースと言えば、こうしてエマやシャーリィと再会できたことだろう。とはいえ、それも厄介事のおまけ付では素直に喜べなかった。

「リィンさん。ヴァリマールは呼び出せそうですか?」
「たぶんな。繋がってる感じはするから呼べば現れると思う」

 ヴァリマールとのラインは未だに繋がっているのを、リィンは感覚でわかっていた。
 その気になれば、ヴァリマールを呼ぶことは難しくないだろう。だが、こんなところで騎神を呼び出せば騒ぎになることは間違いない。
 それに〈紅き終焉の魔王〉がこちらの世界にきているのなら、それこそ無駄なマナは消費できない。最後まで温存することになるだろうとリィンは考えていた。

「しかし、シーカーか。また懐かしい奴が現れたな」

 エマとシャーリィが出会ったという悪魔。それが四年前に自分が殺した男だと聞き、リィンは複雑な感情を抱く。だが、不思議と怒りは湧いて来なかった。
 四年前のことは、もう決着が付いている。あれは自分の弱さが招いた種だ。だからこそ、リィンは戒めとして事件を忘れることはなくても、過去を引き摺ってはいなかった。
 今更あの男が生きていたと聞いたところで、そうかという感情しかない。問題はシーカーがエマに頼んだ伝言のことだ。

「災厄の始まりと終わりの地ね。勿体振った言い回しをしやがって……」

 場所の見当は付く。しかし言い回しが、余りに気取りすぎだ。
 余程、嬉しかったのか? 自分に酔っているのか? いや、四年前のやり取りを思いだし、その両方だろうなとリィンは溜め息を漏らす。
 だが、どちらにせよ敵の誘いに乗るしかないということも、リィンはわかっていた。

「ところでエマ。例の話について、まだ説明を受けていないんだが――」

 リィンの探るような視線を浴び、エマは身体を強張らせる。彼がなんのことを言っているのか、分からないエマではなかった。
 ――転生者。テスタ・ロッサにグングニルを放つ間際、エマの口にした言葉だ。
 まだ心の整理がつかないのか、話し難そうにするエマを見て、リィンはフッと息を吐く。

「いいさ。あっちの世界に帰るまで待ってやる。ゆっくり考えろ」
「リィンさん……」

 素っ気ない言い回しではあるが、それがリィンなりの気遣いだということはエマにも分かった。
 そんな二人の視界に見慣れた赤髪が入る。エマと相談をしながら歩いている内に、学園内の食堂に到着していたらしい。
 リィンとエマの姿を見つけ、やっほーと嬉しそうに手を振るシャーリィを見て、また一つリィンは大きな溜め息を漏らした。

「リィンも食べる?」

 そういうシャーリィの机の上には、これでもかと言った料理の山が並べられていた。
 既に半分以上食べた後のようで、空の皿が塔のように積み上げられている。

「こんな状況だから物資にだって限りがあるんだ。ちょっとは遠慮しろ」

 と言って、シャーリィの頭を小突くリィン。
 杜宮市を覆う結界の所為で外部と隔離されて二日。街の外と連絡が取れないという状況を考えると、物資の補給もままならないはずだ。この状況があと数日も続けば、避難所での生活にも影響が出かねないだろう。
 まったく、とシャーリィの行動に呆れるリィン。だが間違っているとも言えなかった。
 食える時に食う。肝心な時に腹が減って力がだせなければ意味がない。その猟兵の基本にシャーリィは忠実なだけだった。

「あのリィンさん! よかったら、これどうぞ!」

 リィンがシャーリィの行動に呆れていると、エプロン姿のワカバがカレーライスを盛った皿を盛って現れた。
 リィンの前に、そのカレー皿を差し出すワカバ。緊張しているのか、皿を持つ手が震えているのが分かる。

「……カレー?」
「はい。少しでも何かお手伝い出来ないかと思って……」

 プルプルと震えるワカバに代わって、リィンの疑問に答えたのはアキラだった。
 アキラの話から目の前のカレーが、彼女たちの手作りだと理解するリィン。ようするに食って感想を聞かせろということなのだろうと察して、ワカバから皿とスプーンを受け取り、リィンはカレーを口に運んだ。

「お」

 予想外の美味さに驚くリィン。思っていたのと違う、かなり本格的なカレーだった。
 専門店の味には及ばないかもしれないが、作り手の真心が伝わってくる丁寧な仕事が引き立つ味と言ったところだ。
 リィンも料理はよくする方なので、手間暇を惜しんでいないかくらいはすぐに分かる。素直にこのカレーには感心させられた。

「美味い。この味なら自信を持っていいな。隠し味はジャムか?」
「あ、はい。よくわかりますね」
「これでも料理は結構する方だからな」

 料理の話題で意気投合するリィンとワカバ。そんな二人をアキラは嬉しそうに見守る。
 だが、その裏で嫉妬の炎に身を焦がす少年がいた。コウと同じクラスの伊吹遼太という名の少年だ。

「アイツ……アキラちゃんやワカバちゃんと親しそうに……」

 SPiKAの大ファンであるリョウタからすれば、近くで話をするだけでなく、ワカバから料理を手渡ししてもらえる状況というのは羨ましさを通り越して、怒りや妬みすら込み上げてくるほどだった。
 リョウタほどでないにしても、リィンに嫉妬に塗れた視線を向けている男子生徒は少なくない。そんな彼等を見て、リョウタの幼馴染みのチヅルは呆れた様子で溜め息を漏らす。

「仕方ないわよ。彼女たちを守って、ここまで連れてきたのが彼らしいしね。まさに騎士(ナイト)よね」
「くうっ――顔が良い上に頼りがいがあるってどんだけだよ!?」

 リョウタの言うように、確かにリィンの顔は整っていた。
 日本人と同じ黒髪とは言っても純粋な東洋人と言う風でもなく、欧米人のような鼻筋の通った顔立ちをしている。そもそも、この世界の人間ではなく厳密にはエレボニア帝国の生まれなのだが、そのことをリョウタが知る由もなかった。
 だがチヅルの感想は少し違っていたようで、数刻前のことを思い出しながら頬を赤らめる。

「……まあ、アンタも格好良かったわよ。そこそこ、ほんとに少し、いないよりマシってレベルだけだけどね」
「それ、慰められてるのか、貶められてるのか、分からないんだが……」

 学園が怪異に襲われた時、身体を張ってチヅルを守ったのがリョウタだった。
 本人はなんでもないかのように振る舞っているが、チヅルはリョウタの照れ隠しに気付いていた。
 そんな素直になれない幼馴染みの二人が微妙な空気を発していると、調理場からエプロン姿のレイカとハルナが姿を見せ、アキラとワカバに声をかけた。

「アキラ、ワカバ。ミーティングをするから、この辺りで――」
「ん、レイカとハルナか。お前等もいたんだな」

 レイカとハルナに気付き、振り返るリィン。その瞬間、レイカの動きが止まった。
 奧で手伝いをしていたために、リィンが食堂にいることに気付かなかったのだ。
 彫刻のように固まったレイカの横で、ハルナは料理の味についてリィンに尋ねる。

「お味は如何でしたか?」
「美味かった。もしかして四人で作ったのか?」
「はい。レイカも頑張ったんですよ。リィンさんに食べてもらうんだって張り切っちゃって」
「ちょっとハルナ!? アンタなにを言って――」

 突然、ハルナに話を振られたレイカは、いつになく動揺した姿を見せる。
 顔を真っ赤にして「勘違いしないでよね」と、リィンに意味の分からない言い訳をするレイカを見て、ハルナはクスクスと笑う。
 嵌められたと歯軋りを立てるレイカだったが、時は既に遅かった。

「そっか……美味かったよ。ありがとな」
「――ッ!?」

 ハルナの意図を察して悪ノリするリィン。レイカを壁際に追い込み、右手で退路を塞ぐ。
 ボンッと顔から湯気を噴き出し、レイカは石のように固まる。心の中で『反応がアリサに似てるな』とリィンは呟きながら、顔を真っ赤にするアキラやワカバの反応を見て、やり過ぎてしまったことに気付き左手で頬を掻く。
 その一部始終を見ていたチヅルは率直な感想を漏らした。

「あれは慣れてるわね」
「くそおおおおっ! イケメンなんか滅びちまえ!」

 リョウタの心の叫びは、その場にいる男子生徒全員の胸中を現していた。


  ◆


 夕闇の光が、学園の校舎を緋色に染め上げる。
 街には怪異が相変わらず徘徊しており、異界化の影響で街は外界と切り離され、救助は疎か物資の補給もままならない状況にあった。

「体育館を使ったミニライブね。あいつら本当にアイドルだったんだな」

 そんななか、杜宮学園の体育館でSPiKAの慰安コンサートが開かれていた。
 ――歌で皆を元気づけたい。自分たちに出来ることは何かと考えたレイカたちが導き出した答えがそれだった。
 会場は盛り上がりを見せていた。子供から大人まで皆が一緒になってSPiKAの歌に酔いしれ、騒ぐ様は圧巻と言っていい。
 アイドルに余り興味のないリィンが耳にしても、思わず聞き入ってしまうほど良い歌ではあった。
 彼女たちの心がメロディーに乗って伝わってくるような錯覚さえ感じられる。

「良い歌だな。中央(センター)()から依頼を受けたんだっけ?」
「ああ、うん。なんて言ったっけ……」
「リオンだろ」
「そそ、確かそんな名前」

 レイカたちが自分たちも大変な中で、心配していた少女の名をリィンは覚えていた。
 強い力の波動を辿って迷宮に迷い込んだエマとシャーリィの前に現れたのが、リオンとユウキだった。最初は迷宮内に人がいることに驚いた二人だったが、あっさりと怪異を消滅させるシャーリィの強さを目の当たりにし、仲間を助けて欲しいと泣きついたのだ。その際、ユウキという少年がシャーリィと契約を交し、衣食住の面倒を看るという約束をさせられたらしい。食堂の代金や、いまシャーリィの手の中にあるポップコーンも、すべてユウキが支払っていると聞いてリィンは少し彼に同情した。
 とはいえ、蛮勇と勇気は違う。自分の手には負えないと判断して、傷ついた仲間を担いで助けを呼びに行ったのは正解だったと言えるだろう。
 シャーリィやエマと出会えたという偶然はあったものの、仲間の命を救ったのは間違いなく彼の英断だ。後から、その話を聞いたリィンはVII組のことを思いだし、なかなか面白い連中だと興味を持っていた。

「それで、リィン。これから、どうするの?」

 確認の意味もあるのだろうが、わかりきった質問をするシャーリィに、リィンはステージを眺めながら答える。

「エマの話では、元の世界に戻るには俺たちをこの世界に呼び寄せた元凶を叩かないとダメらしい」
「元凶ね。それって、どっちのこと?」

 恐らく魔王と探求者のことを言っているのだろうということは理解した。
 可能性としては、その二つのどちらかというのが高いだろうが、どちらでもないという可能性もないわけではない。それに――

「ま、どっちでもいいさ。やることに変わりは無い」

 相手が誰であろうと、目的の妨げになるのであれば排除するだけだ。
 猟兵らしいシンプルな解決策に、シャーリィも「そうこなくっちゃ」とやる気を見せる。
 そうこうしているうちにライブも残すは最後の曲だけとなり、ステージは佳境に迫ろうとしていた。

「最後の曲はお馴染み――Wish☆Wing!」

 ステージの中央でリオンが曲名を告げると、会場が歓声に沸く。
 戦闘以外のことに余り興味を示さないシャーリィも、珍しく楽しんでいる様子だった。

「……アイドルか」

 前世でもアイドルの曲を耳にすることはあったが、ライブにまで足を運ぶことはなかった。
 しかし、たまにはこういうのも悪くないなとリィンは笑みを浮かべる。

「どこかいくの?」

 曲の終わりを確認して、そっと立ち去ろうとしたところをリィンはシャーリィに呼び止められる。
 そんなの決まってるだろ、と笑って答えるリィン。
 彼女たちの戦場がステージの上にあるように、リィンたちの立つべき場所も決まっていた。

仕事(ビジネス)だ」



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