番外『暁の東亰編』



 帰りの車の中、リィンは一言も発さなかった。
 自覚があったのかは分からないが、ソウスケの忠告に思うところがあったのだろう。

「……リィンさん、大丈夫でしょうか?」
「まあ、大丈夫でしょ」

 エマと中庭のベンチに腰掛け、焼きそばパンを頬張りながらシャーリィは答える。

「ああ見えてリィンも猟兵だからね。線引きは、きっちりとしてるから」
「線引きですか?」
「例え知り合いでも、戦場で敵として出会ったなら殺すことを躊躇しない」
「それは……」
「シャーリィたちのいる世界は、そういう世界だよ。エマ」

 自分自身にも向けられた言葉のような気がして、エマは息を呑む。他人事ではなくエマが足を踏み入れたのは、そういう世界だ。
 迷いは自分だけでなく仲間をも殺しかねない。これは猟兵に限らず、裏の世界に住む者であれば誰もが覚悟していることだ。
 ソウスケの指摘も間違っているわけではない。気に食わないのであれば、最初から拒絶すればいいだけだ。それをしないのは、リィンの長所でもあり欠点と言えた。しかしリィンがただ優しいだけの人間でないことをシャーリィは知っている。その優しさの裏に隠された激情に、ナイフのように鋭い冷酷さに――シャーリィ・オルランドは惚れ込んだのだ。
 リィン・クラウゼルと出会うことでシャーリィ・オルランドは変わった。それがすべての答えだった。

「リィンは確かに優しいよ。でも同じくらい怖いところもある」

 シャーリィの言葉に、四年前の光景がエマの頭を過ぎった。
 フィーをシーカーに殺されたと勘違いし、怒りに身を任せるまま暴走したリィンの姿を思いだし、エマは身を震わせながら両手で自らの肩を抱く。
 そう、シャーリィの言うとおりだ。リィンは決して優しいだけじゃない。同じか、それ以上の激情を心の内に秘めている。
 怒りとなって、それが解放された結果をエマは目にしていた。

「でも、そこがいいんだよね」

 興奮した様子で目を輝かせながら、そう話すシャーリィを見て、エマは目を丸くする。
 傍から見れば『恋する乙女』と言ったところだが、彼女は〈血染め〉の二つ名を持つシャーリィ・オルランドだ。とてもではないが、それだけとは思えなかった。

  ◆


「――コーくん」

 誰もいない静かな教室でコウが物思いに耽っていると、トワが「やっぱりここにいた」と言いながら教室に入ってきた。
 教室の入り口には『2年B組』の表札が――そこはコウの通うクラスだった。そして彼の幼馴染みである倉敷栞も同じクラスに在籍していた。
 トワはコウの視線を追うようにシオリの席に目をやると一瞬目を伏せ、コウに話を振る。

「食堂のおばさんに聞いたよ。まだ朝ご飯を食べてないんだって?」
「……食欲がないんだ。悪いけど、放って置いてくれ」
「また、そんなこと言う。ダメだよ、ちゃんと食べなきゃ」

 優しく労るように、コウを注意するトワ。
 いつになく覇気の無いコウの姿に胸が締め付けられるのを感じながら、トワは尋ねる。

「……どうかしたの?」
「トワ姉には関係ないことだ」
「関係あるよ。悩んでるのって、リィンくんのこと?」

 リィンの名前がでた時、コウの表情が一瞬強張ったのをトワは見逃さなかった。
 生徒会室でのコウとリィンのやり取りについては、トワもミツキから話を聞いていた。

「図星か。……その顔、もしかして本心を見透かされて悔しかった?」
「うぐっ! トワ姉に何が――」
「分かるよ。お姉ちゃんだもん」

 子供の頃から、ずっと成長を見守ってきた家族だ。分からないはずがない。
 従姉弟という関係から両親は違っても、実の弟のようにトワはコウのことを想っていた。
 だからこそ、何を悩んでいるのかくらいはコウを見れば分かる。それに――

「それに、その顔。お爺ちゃんに注意された時のリィンくんにそっくりだもの」
「……は? なんでジッちゃんの名前がでてくるんだ?」
「あ……」

 慌てて自分の口を手で塞ぐトワだったが、時は既に遅かった。
 リィンくんごめんねと内心で謝りつつ、トワは道場であったことをコウに話して聞かせる。

「ジッちゃんが……負けた?」

 ソウスケの強さをよく知るコウは、トワの話を聞いて驚く。
 助けられたと聞いても実感は余りなかったのだ。シャーリィの戦っているところを直接見たわけではないし、リィンに至ってはSPiKAを護衛して学園まできたという話以外、何もコウは知らなかった。
 それでもミツキが認め、仕事の依頼をするくらいだ。相当の手練れであることはわかっていたが、ソウスケが負けたというのは孫のコウからすれば、俄には信じられないような話だった。

「言うだけのことはあるってことか……」

 しかし、トワが嘘を吐くとは思えない。なら、それは真実なのだろう。
 確かにそれだけの力があれば、足手纏いだと言われても仕方がないとコウは思う。
 納得はしていないが、そう言われるだけの理由があると理解はしていた。
 そして、その原因を作ったのもまた、自分自身にあるという自覚がコウにはあった。
 それでも諦めきれないことはある。

「コーくんはどうしたいの?」
「俺は……シオリを助けたい」
「なら、もう答えなんて、とっくにでてるんじゃない?」
「でも、アイツの言うとおりだ。俺は先走って皆を危険に晒して――」
「コーくん!」

 トワは一喝して、コウの言葉を遮る。それ以上、言わせるわけにはいかなかった。
 それはコウのためだけじゃない。コウが口にしようとしたことは、彼を助けようとした仲間たちの気持ちを踏みにじる行為に他ならなかったからだ。

「皆が自分のことを恨んでる、怒ってると思う? 違うよ。コーくんが皆のことを心配しているように、皆だってコーくんのことを心配してる。きっと私だって、その場にいたら同じことをした」
「だけど――」
「でもも、だけどもないよ。――仲間だもの」
「……仲間」

 それは以前、コウがアスカに放った言葉でもあった。
 水臭いと自分で言っておきながら、やっていることはあの時のアスカと何も変わらない。
 いや、それよりもっと最悪だとコウは自分のやってきたことを振り返り、机に拳を打ち付ける。

「我が儘を言ったっていいじゃない。そんなコーちゃんだから、皆の心を一つに出来た。仲間になれた。――大丈夫、だから勇気をだして。コーちゃんが頼ってくれることを、みんな待ってるんだから」

 トワの言葉がコウの胸に染み渡る。
 そう、ここまでやって来られたのは一人の力じゃない。皆が一緒にいてくれたからだ。
 一番大切なことを忘れていた。それを思い出させてくれる一言だった。
 迷いの吹っ切れた顔で「ありがとう。トワ姉」と頭を下げるコウに、ただ一言「どう致しまして」と笑顔で答えるトワ。

「大変よ! コウ――時坂くん!」

 そんな家族水入らずの良い雰囲気のところに、思わぬ乱入者が現れた。
 桜色の髪を後ろで束ねた制服姿の少女――玖我山璃音が息を切らせながら教室に入ってくる。
 一瞬「コウくん」と呼びかけた名前をトワがいることに気付き「時坂くん」と言い直しながら、リオンは慌てた様子でコウに詰め寄り、その手を引く。

「とにかく大変なの! ソラちゃんが――」
「ソラに何かあったのか!?」

 ソラの名前がでたことで目を瞠り、コウはリオンの肩を掴んで左右に揺する。ちょっとムッとした顔をしながらも、こういう奴よねと一人納得するとリオンは何があったのかをコウに伝えた。

「武道場でアイツと決闘を――」


  ◆


 第二校舎のクラブハウスにある武道場にはギャラリーを含め、多くの生徒が集まっていた。
 見世物じゃないんだがな、とリィンは呟きながら床に這いつくばる少女を見下ろす。

「もう、分かっただろ。いい加減、諦めろ」
「ハアハア……い、嫌です……」
「どうして、そこまで意地を張る? 赤の他人のために」

 よろよろと立ち上がりながら、リィンを睨み付ける少女――ソラ。
 何故こんなことになっているかと言えば、生徒会室であった一件をソラが知ってしまったことにあった。
 ミツキはコウの精神状態がよくないことを察し、そのことでトワに相談をしていた。家族のトワの言葉なら、コウも素直に聞いてくれるのではないかと思ったからだ。そのミツキとトワの話を偶然、ソラは耳にしてしまった。
 そのことを知ったソラはリィンに詰め寄り、コウに言った言葉の撤回を要求したのだ。

 ――私たちが負けたのはコウ先輩の所為じゃない。あの戦いは私たち自身が望んでしたことだと。

 だが、リィンはソラの話を取り合わなかった。ソラが何を言ったところでコウが自分で気付かなければいけない問題だ。それに身勝手に先走った挙げ句、仲間を危険に晒すような奴に背中を預ける気にはなれないとソラの話を突っぱねたのだ。
 仕事というカタチを取り、ミツキの依頼を受けただけでもリィンからすれば、かなりの譲歩をしたつもりなのだ。
 少なくともリィンはコウたちを仲間とは認めてはいない。悪く言えば足手纏い、よく言って護衛対象と言ったところだ。
 この世界に地盤がない以上、そこに影響力を持つ組織と揉め事を起こすのは得策とは言えない。邪魔をされないために妥協したと言うのがリィンの認識だった。

「他人……なんかじゃありません。コウ先輩は……」

 しかしソラは、そんなリィンの考えが余程気に入らなかったらしい。
 いつもなら軽く流せばいいところを、ソウスケの言葉が引っ掛かっていて自分でも大人気ないことを言ったという自覚がリィンにもあったが、ここまで騒ぎが大きくなってしまうと収拾を付けるのも難しかった。
 それに決闘を言いだしたのはソラからだ。適当に相手をしてやれば、諦めるだろうという目算もあった。

「コウ先輩は家族≠ナす。私にとって大切な人なんです。だから……」

 しかし、その考えは大きく間違っていたことにリィンは気付く。

「そうか。なら、譲れないよな」

 家族をバカにされたように感じたのだろう。
 この少女にとって、コウは本当の家族のように固い絆で結ばれた相手なのだとリィンは理解した。
 ならば、譲れないだろう。リィンだって自分のことは我慢できても、家族をバカにされれば怒る。それは人として当然の感情だ。
 痛いはずだ。辛いはずだ。体力も限界に近いはず。それでも立ち上がってくるソラを見て、リィンは甘い考えを捨てる。

「――ソラ!」
「コウ……先輩?」

 その時だった。道場にコウの声が響く。
 人垣の中にコウの姿を見つけ、戸惑いの表情を浮かべるソラ。

「やめるんだ! こんなこと――」
「……ごめんなさい。でも、譲れません」

 しかし、ソラはコウから視線を逸らし、再び構えを取る。
 今更、後には引けない。この戦いはコウだけのためじゃない。譲れない理由がソラにはあった。

「あなたの言っていることが間違っているとは言いません。でも、戦うと決めて付いていったのは私たち自身です。だから、コウ先輩の我が儘なんかじゃない。コウ先輩だから、私たちは何があっても付いていく。力になりたいって思ったんです」

 自分のため、一緒に戦った仲間たちのため――
 命懸けで皆を逃がそうとしたゴロウや、決死の覚悟でコウを救おうとしたシオ。それにリオンやユウキ。そしてアスカやミツキも――
 皆、仲間のために自分に出来ることをしようとした。その行為を、覚悟を、足手纏いだ。結果が伴わなけば意味がないの一言で否定されるのは許せなかった。

「足手纏いなんかじゃないことを証明して、撤回してもらいます!」

 まるで風を纏ったかのように、物凄いスピードでリィンとの距離を詰めるソラ。皆の目があると言うのもあるが、リィンが武器を使わないと宣言したことで、ソラもソウルデヴァイスは展開していない。しかし――
 驚いた様子で目を瞠り、へえと感嘆の声を漏らすリィン。先程までの踏み込みとは違っていた。
 スピードもさることながら、技の切れが違う。ソウスケの動きを見た後では荒削りな部分が目立つが、それでも光る物を感じる動きだった。

「思い切りの良い踏み込みだ。だが――」

 並の相手になら、十分通用しただろう。しかしソラの前に立つのは『最強』の名を受け継ぐ猟兵だ。あっさりと拳を受け流され、その勢いでソラは宙を舞う。自分が何をされたのか気付き、ソラは呆然とする。この技、この動き、その身に何度も受けたことのある技を分からないはずがなかった。
 ――九重流柔術。それはソウスケが得意とする技と同じだった。
 床に背中から落ち、ソラは敗れた実感もないまま呆然と天井を見上げる。

「ソラ――テメエッ!」
「やめなさい! 時坂くん!」
「なんで止める、柊! こいつはソラを――」

 コウの声がソラの耳に届くが現実感がなかった。
 リィンが何故あの技を使えるのか? そして何故あの技を使ったのか?
 ソラは自問し、困惑する。

「陽光よ彼を癒せ――」
「あっ……」

 そんな時、ソラの全身を温かな光が包み込んだ。
 身体の傷が癒されていくのを感じる。ふとソラが顔を横にやると、そこには物腰柔らかな美しい少女がいた。
 エマ・ミルスティン。彼女が自分たちを助け、治療してくれた人なのだとソラは気付く。

「これで大丈夫なはずです。身体におかしなところはありませんか?」
「あ、はい。ありがとうございます」

 頬を赤らめながら御礼を口にするソラ。エマは同性のソラから見ても見惚れるほど綺麗な顔立ちをしていた。そんなエマの放つ神々しい雰囲気に呑まれ、周りから「聖女だ」「可憐だ」「綺麗……」と言った感嘆の声が上がる。
 実際のところは魔女なのだが、聖女と呼ばれても違和感がないくらい嵌まっていた。

「リィンさん、さすがにやり過ぎです」
「手加減はした。生きてるだろ?」
「そういうことを言ってるんじゃ――」

 シャーリィのような言い訳をするリィンを不満そうな顔で叱りつけるエマ。
 実際の年齢はそう変わらないとはいえ、大人気ないことをしたという自覚はあるのだろう。
 だからリィンも黙ってエマの小言を受け流す。そして――

「ソラと言ったな。これで分かったろ。実力が伴わなければ一緒だ」

 追い打ちとばかりに非情な言葉をソラに告げるリィンに呆れるエマ。コウに至っては仇でも見るような目で、リィンを睨み付けていた。
 実際、周りの反応も良いものとは言えなかった。リィンの迫力に呑まれて何も言えないと言った様子だが、外野の目を見れば分かる。
 しかし、そんなことはどうでもいいとばかりにリィンはソラの横を通り過ぎ、武道場の出入り口へと向かう。

「だが……根性だけは認めてやる。覚悟が足りていないというのは言いすぎだったみたいだ」
「あ……」

 すれ違う間際に耳にした言葉にソラは驚き、出入り口へと向かうリィンに目を向ける。

「良い仲間に恵まれたな。大切にしろよ」

 出入り口の前で、じっと睨み付けてくるコウにリィンはそう言い残して立ち去った。
 一瞬なにを言われたのか分からず呆然とするコウだったが、ハッと意識を取り戻し、ソラの元へ駆け寄る。

「すみません。コウ先輩……私どうしても……」
「いいんだ。俺の方こそ、すまない……」
「どうして、コウ先輩が謝るんです?」

 おかしな先輩ですと笑うソラに、コウもまた不器用な笑みで返す。
 そんな二人を見てアスカは微笑み、そっと武道場を後にした。


  ◆


「嫌われましたね」

 廊下を歩きながら自業自得ですと言った顔で、リィンにそう話すエマ。

「どうして、あんな真似を?」
「さてな」

 誤魔化すリィンだったが何故あんな真似をしたのか、エマは大体のところは察していた。

「損な性格をしていると言われませんか?」
「捻くれ者らしいからな。……って、どうした?」

 ソウスケの忠告を、まだ気にしているのだろうとエマは察した。
 そうしたらおかしくなって思わず息を吹き出してしまう。
 怪訝な表情を浮かべ、そんなエマを半眼で睨むリィン。

「いえ、子供ぽいところもあるんだと思ったら意外で――」

 余計なお世話だ、と余計にへそを曲げてリィンは顔を背ける。

「いよいよですね」
「ああ、やっと――この長く面倒な戦いにも決着が付く」

 まさか異世界にまで来るとは思わなかった、とリィンは話す。エマもそれは同意見だった。
 作戦の開始時刻まで二時間を切っていた。上手くいけば今日にでも決着(けり)は付く。あちらの世界でやり残したことや帰りを待つ相手がいる以上、この世界に骨を埋めると言った考えはなかった。
 ミツキから連絡を取るのに必要だからと事前に渡された携帯端末(サイフォン)で時間を確認して、リィンとエマは生徒会室へ向かう。

「リィンも食べる?」
「お前は相変わらず緊張感ないよな……」

 いつの間にか並んで歩いていたシャーリィに、リィンは肩を落としながら答える。
 余程気に入ったのか、シャーリィの手には学食で人気の焼きそばパンが握られていた。



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