番外『暁の東亰編』
――翌朝。作戦を正午に控え、朝早くから職員室に呼び出されたリィン、エマ、シャーリィの三人は珍しく呆然とした様子で固まっていた。
「初めまして、九重永遠です。えっと、リィンくんとエマさん。それにシャーリィちゃんね」
というのも、目の前の少女――いや、これでも教師らしいので女性と言うべきか? トワを名乗る彼女の容姿が余りに知り合いに似過ぎていたからだ。
トールズ士官学院の生徒会長、トワ・ハーシェル。名前もそうだが話し方や雰囲気もそっくりだ。実は「リィンくんたちと同じで異世界から飛ばされてきたの!」と言われても、疑問を抱かないと断言できるほどにそっくりだった。
エマは特に驚いただろう。あのシャーリィでさえ、目を丸くして驚いているくらいなのだから――
例えるなら、少し大人に成長したトワと言ったところだろうか?
リィンたちの様子がおかしいことに気付き、トワは何か失敗したのかと心配になり困った顔を浮かべる。
「あ、もしかして名前で呼ばれるの嫌だった? 外国の人ぽいから、そっちの方がいいかなと思ったんだけど……」
「いや、知り合いに似てて驚いただけだから気にしないでくれ」
「そうなの? まあ、世の中には似た顔の人が三人いるって言うしね」
似ているのレベルでは済まないほどの一致なのだが、リィンもそこは敢えて突っ込まない。ずっと異世界のつもりでいたが、これは並行世界にでも迷い込んだのかもしれないと本気で考えるほどだった。
校庭に止めてあったワゴン車に乗り込み、トワの運転で学園の外へ向かうリィンたち。
「急にごめんね。こんなことを頼んじゃって」
「構わない。どうせ、何もすることはなかったしな」
助手席で敵の襲撃を警戒しながら、リィンは素っ気なくトワに返事をする。
後部座席にはエマが、シャーリィは車の屋根に上がって怪異の接近を警戒していた。
学園や幾つかの主要な場所には簡易型の結界装置が施されいて、怪異の侵入を防ぐ効果があるらしい。市民の多くは、そうした場所に避難しているそうだ。そして現在トワの案内でリィンたちが向かっている九重神社は、この街で最も強固な結界が張られている場所らしく近隣の住民が避難しているとの話だった。
リィンがトワについて神社に向かっている理由。それは食糧や医療品などの避難生活に必要な物資を届けるための護衛という目的もあるのだが、本題は九重神社の神主に呼び出されたからというのが主な理由だった。
車の窓から閑散とした住宅街を見渡していると、石畳の階段が見えてくる。
ここからはさすがに車で進むと言う訳にもいかず、物資の詰まったダンボールを担いでリィンたちは神社を目指す。
「……凄いね、二人とも」
軽く十キロ以上はあろうかというダンボールを、一人で何個も担いで余裕の足取りで階段を上がっていくリィンとシャーリィにトワは驚きを隠せない様子で感想を漏らす。
「あの二人は、いろいろと規格外ですから……」
トワと同じ小さなダンボールを抱えながら、溜め息交じりにエマは話す。
エマも士官学院の訓練を受けているだけあって一般人に比べれば体力はある方だが、リィンやシャーリィと比較になるはずもない。任務によっては重さ数十キロに及ぶ装備を身に付け、山岳地帯を走破することも珍しくない猟兵にとって、この程度の荷運びが苦になるはずもなかった。そのような日常を、この二人は送ってきたのだ。
(コーくんとも、いろいろとあったみたいだけど悪い子たちじゃないよね)
リィンとシャーリィの活躍もあって、物資の搬入はあっさりと終了する。
そんななかトワは子供たちに囲まれて一緒に遊ぶリィンやシャーリィの姿を見て、少し緊張が解けたのか表情を緩ませる。
皆が警戒するほど怖い人物には思えない。ああしている姿を見ると、年相応の少年少女にしか見えなかった。
しばらくして子供たちに別れの挨拶を済ませると、リィンたち三人はトワの案内で神社の敷地内にある道場に通される。そこで待っていたのは一人の老人だった。
「来たようじゃな」
座禅を組み、精神統一をしていたのだろう。気配を察して老人はスッと立ち上がり、リィンたちの方を振り返った。
九重宗介。ここの神主にしてトワの祖父にあたる人物だ。その老人とは思えない存在感に、シャーリィは「へえ」と興味深そうに感嘆の声を上げる。少なくとも、かなりの達人であることは見て取れた。
それもそのはず。古流に名を連ねる『九重流柔術』の宗家で、その腕前は国内でも屈指の実力者と呼んで過言ではないだろう。
しかし、そんな人物に呼び出される理由がリィンには思い当たらない。
「呼び出した理由を聞いても? 少なくも爺さんとは面識がないと思うんだが?」
「うむ。確かに御主等とワシに面識はない。じゃが、昔馴染みの頼みでな……」
「昔馴染み? そいつの名前を聞いても?」
「……悪いがそれは言えぬ。明かせるのであれば、本人が姿を見せよう」
どうにも不可解な話だった。しかし同時に、ソウスケの話を聞いて納得する。
間に第三者を通すということは、姿を現すことの出来ない理由があると考えるべきだろう。様々な事情で依頼主が姿を現さないことなど、裏の世界では珍しい話ではない。それに自分たちが怪しいことくらいはリィンもわかっていた。キョウカたちの他にも独自に探りを入れようとする勢力がいても不思議ではない。気にはなるが、そこは重要ではないとリィンは考えた。
「まあ、そうれもそうか。で? 爺さんは何を頼まれたんだ?」
「御主たちを見極めて欲しいと頼まれた。それに……孫も世話になったようじゃしな」
「……孫?」
孫と言われて、トワに視線をやるリィン。すぐに頭を過ぎったのは、トワが自己紹介の時に名乗った苗字『九重』だ。
ここまで護衛をしてきて物資の搬入まで手伝ったことを考えれば、確かに世話をしたと言えるかもしれないが、ソウスケの言葉のニュアンスから伝わってくるのは意味が少し違っているように思えた。
「コーくん――時坂くんのことだよ」
だがトワは首を横に振ってリィンの想像を否定し、間違いを指摘する。
少し驚いた表情を見せるリィン。『九重』という苗字からトワがソウスケの孫であることまでは予想できたが、まさかコウまでそうだとは思っていなかった。
「ああ……なるほどな。こんな場所に呼び出して何かを思えば、孫をへこまされた腹いせでもしようってことか?」
「フンッ、あのバカ孫のことなら感謝しておるくらいじゃよ。少しばかり天狗になっておったようじゃしな」
「随分とお孫さんに厳しいことで」
半分は冗談のつもりだったのだが、こうも真っ向から否定されるとコウが哀れに思う。
とはいえ、それがソウスケなりの愛情表現なのだろうということはリィンにも分かった。どことなくソウスケの物言いに、ルトガーに通じるところを感じ取っていたからだ。
誰からコウとのやり取りを聞いたのかは知らないが、ソウスケの誘うような視線を感じ取って、これは戦いを避けられそうにないなとリィンは面倒臭そうに肩を落とす。
「ねえ、リィン。やるならシャーリィがやっていい?」
「やめとけ。お前だと本当に洒落にならないことになる」
シャーリィにやらせるというのは皆無だった。
そうしたらソウスケがどれだけ凄かろうと下手をすれば死ぬ。相手が相手だけに、シャーリィも手加減は出来ないだろうと考えてのことだった。
不満そうな表情を浮かべるシャーリィに腰の武器を預け、リィンは前にでる。
「無手でよいのか? 武器を使ってもよいのだぞ?」
「本気で殺し合いをするわけにもいかないだろ? なら、これでいい」
侮られていると感じたのか、鋭い視線をリィンに向けるソウスケ。だが、どこまでも自然体のリィンの姿に、ソウスケはそれが油断ではないと気付く。
孫とそう変わらない歳の少年が纏っているのは、経験と実力に裏付けされた強者の余裕だった。
「えっと、お爺ちゃん? まさか……」
「下がっておれ」
リィンとソウスケが、これから何をしようとしているかに気付いたのだろう。不安そうな表情を浮かべながら、トワは二人の戦いを止めようとする。だが、そんなトワの言葉を遮ったのはソウスケだった。
元々は『彼等を見極めて欲しい』という旧くからの友人の頼みに応じたに過ぎなかった。だが、いまは一人の武術家として目の前の少年と戦ってみたいという衝動の方が大きくなっていた。
――先に飛び出したのはリィンだった。
古流武術の使い手、それも恐らくは後の先を得意とする武術の達人。そこまでわかっていて先に攻撃を仕掛けるのは自殺行為と言えるだろう。
だが、だからこそ試してみたかったのだ。相手の得意とする戦場で、自分の力がどこまで通用するかを――
目で追いきれないほどの速さの拳撃が、ソウスケの顔面に迫る。まともに受ければ大怪我に繋がりかねない攻撃。だが、それをギリギリのところで見極め、ソウスケはリィンの腕を払い除ける。
「くっ――」
そのままリィンの力を利用して投げ飛ばすつもりだったのだろう。しかし想像を超えた一撃の威力に力を流しきれず、ソウスケもまた体勢を崩す。
一方リィンは床を蹴り、自ら跳び上がることで床に叩き付けられるのを防いで見せた。
一度の攻防で互いの力を確認する二人。ここまでは様子見とばかりに笑みを浮かべると、戦闘を再開する。
「嘘……お爺ちゃんと互角?」
トワは信じられないと言った目で、リィンとソウスケの戦いを見守っていた。
ソウスケと互角の戦いが出来る武術家は少ない。少なくともトワの知る限りでは、国内に数人と言ったところだ。
それをコウとそう歳の変わらない少年が、本気の祖父と互角の戦いを繰り広げているというのは、トワからすれば俄には信じがたい光景だった。
「うーん、ちょっとリィンの方が分が悪いかな」
だが、シャーリィは二人の戦いを冷静に分析していた。
一見すると互角に見えるが、リィンの方が形勢は不利だ。パワーやスピードでは圧倒的にリィンの方が上。だが相手の方が技量で勝っていた。
とはいえ、マクバーンを退けた実績は勿論のこと〈鬼の力〉や〈王者の法〉と言った異能を有し、騎神の起動者として覚醒したリィンは今や、あちらの世界で最強クラスの一角に数えられるほどの実力を有している。そのリィンと無手とはいえ、互角以上に戦える老人というのは普通に考えると凄いことだ。シャーリィがソウスケに興味を抱くのも当然だった。
「かなりの達人だとは思っていたが、やるな爺さん」
「御主こそ。荒削りなところはあるが、実戦慣れした良い動きだ。じゃが、まだ力を隠しておるな?」
へえ、とソウスケの洞察力にリィンは感嘆の声を漏らす。
最初のうちは六対四くらいでソウスケが優勢だったが、いまは七対三ほどに分が悪いとリィンは力の差を実感していた。僅かな攻防でリィンの動きに合わせてくるソウスケの実力は確かなものだ。この程度の能力の差など、目の前の老人にとっては僅かな違いでしかないのだろう。ただの古流武術だと思っていたのがリィンの失策だった。薄らとソウスケが身に纏う霊力を見て、なるほどとリィンは理解する。
強者を制するための技術。人外の存在を調伏するための技。それが九重流の真髄なのだろう。
少なくともリィンの動きは見えていないはずだ。なら、第六感のようなもので攻撃を捌いているのだと考える。
いまのままでは勝てないと判断したリィンはギア≠一つ上げることを決めた。
「――死ぬなよ。爺さん」
刹那――リィンの身体から黒い闘気が溢れ、空気が振動する。顔色を悪くして床に膝をつくトワを、咄嗟にエマが障壁を張って庇った。
喜悦を浮かべるシャーリィの目に、髪を白く染めたリィンの姿が映る。次の瞬間、リィンの姿が掻き消えた。
床を蹴った衝撃で板が捲れ上がる。構えを取りリィンの攻撃に備えるソウスケだったが、先程までのようにはいかなかった。正面からの一撃を捌ききれず、ソウスケの身体が回転する。だが床に叩き付けられる寸前のところで踏み止まり、第六感で反応して死角からの攻撃に技を合わせる――が、
(いないっ! 此奴――)
実体を伴わない攻撃――殺気だけで、攻撃と錯覚させられたのだと理解する。だが、気付いた時には遅かった。
「――お爺ちゃん!」
リィンの掌底が腹部に決まり、ソウスケは床を転がった。
そんなソウスケの元に走り寄るトワ。それを見て、リィンは〈鬼の力〉を解く。攻撃は加減したが、逆に言えば、そのくらいしか手加減は出来なかった。
フェイクに引っ掛かけたところまではよかったが、その状況でもソウスケは諦めずリィンの攻撃に合わせてカウンターを放とうとしていた。咄嗟にもう一段力を引き上げなければ、やられていたのはリィンの方だっただろう。
まったくとんでもない爺さんだと、ソウスケのことをリィンは評価する。
「まったく、とんでもない小僧じゃわい」
トワに支えられながら、ゆっくりと身体を起こすソウスケ。その表情はどこか晴れ晴れとしていた。
「凄まじい力だ。その歳でどれほどの実戦を潜り抜ければ、それほどに至れるのか不思議なくらいじゃ」
「物心がついた頃には戦場にいたからな。必要に迫られて身に付けただけだ」
「なるほど……それが御主の強さの秘密か」
平和な日本で戦場で生まれ育ったなどと言われても、普通は実感が伴わないだろうが、そのくらいでなければリィンの実力に説明は付かないとソウスケは納得した。
「もう、いいのか?」
「見極めは済んだ。正直、御主には必要なかったと思えるくらいにはな」
実力もそうだが、死を錯覚させるほど濃密な殺気を放てる人間などそうはいない。それこそ数え切れないほどの人間を手にかけなければ、あれほどのものは身につかないだろう。
だがリィンからは血の臭いはしても、狂気に呑まれているような感じは受けなかった。
そのことからソウスケは、リィンが己を律する術を既に得ているのだと判断する。それが知れただけでも十分だった。
「まあ、待て。年寄りの戯れ言と思って一つだけ聞いて行け」
用事は終わったと、さっさと立ち去ろうとするリィンをソウスケは呼び止める。
まだ何かあるのか? と言った顔で面倒臭そうにソウスケを見るリィン。
こっちが地かと思いつつ、ソウスケは話を続けた。
「強すぎる力は孤独を生み、災いを招く。気付いておるのだろう? だから自分に厳しく他人にも厳しい」
「爺さん、アンタ……」
「確かに一般人を遠ざけるのは裏社会の不文律だ。じゃが表裏と関係無く、行動の責任は起こした本人にしか取れぬ。すべては自己責任だ。他者を気遣い、御主が悪役を演じる必要など、どこにもない」
それは学園でのリィンとコウのやり取りを聞き、実際にリィンと戦って気付いたソウスケの懸念だった。
そしてリィンの反応を見て、自分の考えが間違っていなかったことをソウスケは確信する。
だからこそ人生の先達として、お節介とは思いつつも言わずにはいられなかった。
「その優しさはいつか、御主自身を傷つけかねない」
それは年寄りからの忠告。リィン・クラウゼルの歪さを表した言葉だった。
◆
「これでよかったのじゃな。――レム」
誰もいない空に向かって尋ねるソウスケ。すると風が吹き、木の葉が舞った。
その時だった。砂利を踏みしめる音が境内に響く。気配で何者かを察し、ソウスケは振り返らずに訪問者の名を言い当てる。
「征十郎か。御主も気になった口か」
「孫娘が随分と入れ込んでいるようなのでな。で、どうだった?」
北都征十郎――ミツキの祖父にして北都グループの現会長。そしてソウスケの旧友だった。
会長という立場にあるため多忙を極めており、精々が一年に一度と言ったところだが、時間が出来ると彼はソウスケの元を尋ねて旧交を深めていた。
だが、彼がこうしてソウスケの元を訪ねるのは今年で三度目だ。いつもであれば世界中を忙しく飛び回っている男が、こうして何度も足を運ぶほどの事態。
それほど今回の一件は北都グループ――いや、ゾディアックにとって厄介な問題となっているのだろうとソウスケは判断した。
「強いな。あの歳で武の理≠ノ手が届くとは恐れいる。物心ついた頃から戦場にいたというのも嘘ではなかろう」
「それほどか……しかし痛ましいな。歳の頃はミツキとそう変わらぬという話なのに……」
ソウスケは戦いを通じて感じたことを、そのままセイジュウロウに語って聞かせる。
その話を聞いて思うところがあったのだろう。セイジュウロウは悲痛な顔を浮かべ、俯きがちにそう呟く。
「同情されることを望んではおるまい。あれは自分を不幸などと思ってはおらぬよ」
こうした話は裏の世界に通じていれば、耳にすることも珍しくない。日本の周辺で大きな戦争はここ最近起きていないとは言っても、世界に目を向ければ内戦や紛争は至るところで頻発している。だが、どのような環境で育とうと、そこから何を学び、何を為すかは本人次第だ。
リィンは少なくとも自分を不幸だとは思っていない。平和な国で何不自由なく暮らしている人々からすれば確かに環境は最悪だったかもしれないが、それでも――何を幸せとするかは人それぞれだ。そしてそのことは、セイジュウロウもよく理解していた。だからこそ、ソウスケの話に何も言わず、ただ頷いて返す。その上でミツキの祖父として、組織の長として、どうしても旧友に聞いておきたいことがあった。
「信用は出来ると思うか?」
「さてな。しかし、こちらが不義理をせぬ限り、あの者は決して裏切らぬよ」
リィンの人となりを見抜いたソウスケは、その上で信頼に足る人物だと判断する。しかし同時にリィンの持つ危うさに関してもソウスケは感じ取っていた。
少し捻くれてはいるが、他者を思い遣ることの出来る青年だと思う。だがいつか、その優しさが仇と成るやもしれぬ。
出来ることなら道を誤らないで欲しい。そう願わずにはいられないソウスケだった。
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