番外『暁の東亰編』
身体から黒いオーラを発し、髪が白くなったリィンを見て、トモアキは驚きの表情を浮かべる。そしてリィンの手が光ったと思えば、手に握られていた二本のブレードライフルが一本の巨大な砲へと変化した。
真紅の双眸で一際大きな天使型の怪異に狙いを定めるリィン。そして――
引き金を引いた直後、漆黒の光が無数の怪異を呑み込む。一瞬で蒸発し、マナへと還る怪異の群れ。そのなかにはグリムグリード級に属する熾天使の姿もあった。
反動で激しく揺れる機体を必死に建て直しながら、トモアキは信じられないものを見たと言った目でリィンを見る。それもそのはずだ。リィンが瞬殺した天使型の怪異は、以前トモアキが計画を練って手に入れようと画策した怪異と同格のものだった。それだけに、あの怪異がどれほど強力な存在かを彼は熟知していた。それをあっさりと、他の怪異も含めれば一瞬で数十の敵が消滅したことになる。人間業とは到底思えない。
「キ、キミは本当に人間かい?」
「……たぶんな」
それだけに思わず漏れた言葉。しかし最近、人間離れしてきたという自覚もあってか、リィンはトモアキの言葉を否定せず濁した。
そしてトモアキ以上に驚いた様子で、唖然とした顔のリオンがヘリに戻ってきた。もう、どう驚いていいか分からないと言った顔でリィンを見る。そんなリオンの視線に気付き、誤魔化すようにリィンは頬を掻く。
「この件が終わったら私の下に来ないか? 報酬なら言い値を幾らでも――」
「ミツキ先輩に言い付けますよ」
「うぐっ――」
あんなものを見た後だ。トモアキがリィンを勧誘したくなる気持ちは分からないでもない。
しかし、それを許すリオンではなかった。ミツキに告げ口すると言われ、渋々引き下がるトモアキ。彼の所為で一度酷い目に遭っているのだから、リオンからすれば見過ごせるはずもなかった。
本当に懲りない男だとリオンは溜め息を吐きながら、リィンに勘違いするなと迫る。
「あたしはアンタのことを許したわけじゃないから」
「別にそれでも構わないさ。やることをしっかりとやってくれればな」
「当然でしょ。まったく皆も、こんな奴のどこがいいんだか……」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもないッ!」
それが八つ当たりだとわかっていても、リオンは叫ばずにいられなかった。
親友だけでなく後輩までも、目の前の男の毒牙に掛かっているかと思うと腹立たしい。友人を救ってくれたことに感謝しつつも、それとこれは話が別だった。
それに一方的に絡むばかりで、リィンは怒るどころか反論一つしてこないことがリオンの神経を余計に逆撫でしていた。
(関係修復は難しそうですね)
そんな二人のやり取りを見守りながら、エマはこの二人が仲直りする日は来なさそうだと考える。最初の頃に比べれば、随分と雰囲気は良くなったように思えるが、それはリオンが一方的にリィンに絡んでいるためだ。言葉のキャッチボールは残念ながら出来ていなかった。
それに時間も余り残されていない。リィンやエマには帰るべき場所がある。この世界に骨を埋める気がない以上、彼女たちとの別れは必ずやってくる。そしてそれは、そう遠くないことをエマは予見していた。
ふと、何かに気付いた様子でエマは席を立つ。そして地上を見下ろすとリィンに声をかけた。
「リィンさん。何かきます」
エマの視線の先、地上で黒い何かが蠢く様子が見て取れた。
段々とカタチをなしていく怪異。異様な気配を放つ巨大な四つ足の怪物が姿を見せる。
「あれは――落とし子!?」
「落とし子?」
「東亰冥災の元凶〈夕闇ノ使徒〉の眷属よ。でも、あいつは倒したはずじゃ!?」
リィンの疑問に渋い表情で答えるリオン。彼女の言うとおり落とし子は倒されたはずだった。
復活したのか、それとも死んでいなかったのか、何れにせよランクにしてSSS以上に相当する怪異だ。あの時はどうにかなったが、神話級グリムグリードに数えられる化け物を易々と倒せるとは思えない。そしてコウたちの乗るワゴン車は、真っ直ぐ落とし子に向かって進んでいた。
焦るリオンの耳にトモアキの力強い声が届く。
「任せたまえ! こんな時のためにこれ≠ェある!」
そう言って手元のボタンを勢いよく押すトモアキ。するとヘリから放たれた霊子ミサイルが落とし子に向かって真っ直ぐ飛んでいく。
その光景に目を輝かせ、期待を寄せるリオン。しかし――
「霊子ミサイルが効いていない!?」
「この役立たず! ああ、もうどうすれば!?」
ミサイルの直撃を受け一瞬よろけるも、すぐに体勢を建て直し、咆哮を上げる落とし子。
そうしている間にも、コウたちを乗せた車と落とし子の距離は詰まっていく。
慌てふためくトモアキとリオンを制したのは、リィンの一言だった。
「大丈夫だろ」
確かに、これまでの怪異とは違う。しかしリィンからすれば、慌てるほどの相手には見えない。精々があちらの世界で言うところの幻獣クラスと言ったところだろう。それにあの車にはシャーリィが乗っている。あの程度の相手に彼女が後れを取るとは思えなかった。
案の定、リィンの予想を裏付けるかのように、シャーリィは車から飛び出し、車の屋根へと跳び移る。肩をコキコキと鳴らせ、身の丈ほどある大きなチェーンソーライフルを振り上げるように構えたかと思えば――宙へと身を投げした。
着地と同時に大地を蹴り上げるシャーリィ。その衝撃で地面に小さなクレーターが出来る。
「ブラッドストーム」
ゆらりと揺れる眼光。一陣の風が吹いたかと思えば、一瞬にしてシャーリィは落とし子に距離を詰める。そして幾重もの光が奔った。数十回にも及ぶ斬撃を、一瞬のすれ違い様にシャーリィは放ったのだ。
そのまま急停止し方向を変えたかと思えば、大地を蹴って空高く飛び上がり、絶叫を上げる落とし子の頭上にシャーリィはチェーンソーライフルの刃を叩き落とした。
キュイイインという音と共に回転式刃が火花を上げ、落とし子の首を両断する。その一分にも満たない出来事に驚愕した表情で目を丸くするリオンとトモアキ。時が静止したかのような錯覚が二人を襲った。
「嘘……あの化け物を一瞬で……?」
光の粒子となって空に消えていく落とし子を見下ろしながら、リオンは呆然と呟く。
一方でトモアキはヘリの操縦桿を握り締めたまま口を開けて固まっていた。
◆
「マジかよ……」
「す、凄い……」
コウとソラは唖然とした表情で、落とし子の最後を見届ける。自分たちが全員で掛かってどうにか倒せた敵をたった一人で、それも僅かな時間で一方的に始末するところを目の当たりにしたのだ。ショックを受けるのも無理はない。
その裏で険しい表情を浮かべ、シャーリィを見詰めるアスカに気付き、ミツキは怪訝な表情を浮かべていた。
(……アスカさん?)
昨日からアスカの様子が少しおかしいことにミツキは気付いていた。
最初はシーカーの一件が理由かと考えていたが、彼女の性格を考えると、どうにもそれだけではないように思えてならない。
その時、車の天井に何かが当たるような音が鳴った。シャーリィだ。恐らく飛び降りた時と同様に走る車に飛び乗ったのだろう。
一般常識とかけ離れたシャーリィの行動と身体能力に、コウたちはもう何度目か分からない溜め息を吐く。そんな時だった。
再び、車の進行方向に無数の怪異が出現する。逃げ道を封じるように次々と湧き出る怪異の群れを見て、目を瞠るコウたち。
「クッ――掴まっていてください!」
キョウカはアクセルを踏み、怪異の群れの中を突っ切る。そんななか車の上に佇みながら、シャーリィは戦場を俯瞰していた。
脅威度はそう高くない有象無象のエルダーグリードばかりだが、その数の多さにシャーリィは辟易とした表情で肩を落とす。
「コイツ等、実弾は効果薄いんだよね。となると……」
導力技術。シャーリィたちの世界で広く普及している技術だが、それはこの世界でも様々なカタチで人々の生活に影響を与えている。導力ネットワークを利用した『サイフォン』などの情報端末もその一つだろう。
シャーリィのチェーンソーライフルは、そんな導力式の兵器が多く普及するなかで敢えて旧式の火薬を用いた実弾を使用していた。
そのため、通常兵器の効果が薄い怪異のような相手には無力だった。シャーリィが怪異を相手に近接戦闘を主体とした戦い方をしているのも、それが理由だ。
「やっぱり近づいて叩き斬るしかないか」
面倒臭そうに呟くシャーリィ。戦闘は嫌いではないが、雑魚の相手は好きではなかった。
特に怪異のように血が噴き出すわけでもなく、斬っても殴っても反応の薄い生き物は数だけ殺っても愉しくないというのがシャーリィの本音だ。
とはいえ、これも仕事の内と重い腰を上げる。そうして武器を構えた、その時だった。
紙のようなものが車の前を横切ったかと思うと、群れの中央で白い爆発を起こす。
――符術。リーシャが使っているところを見たことのあるシャーリィは、すぐにその正体に気付いた。
「なにアレ……」
間髪入れず怪異に攻撃を仕掛ける少年少女たちを目にして、シャーリィはやる気を削がれた様子で溜め息を吐く。
よく見れば、大人もチラホラと混ざっている。恐らくは援軍なのだろうが、明らかにプロと言った感じではなかった。
「あれはジッちゃんにトワ姉? それに……」
「学園の皆、先輩たちまで」
車内から外の様子を窺っていたコウとソラは驚きの声を上げる。そう、援軍として現れたのは彼等の知り合いばかりだった。
部活の先輩やクラスメイト。そしてトワやソウスケまで、全員がなんらかの聖別された武器や霊子武装を身に纏っていた。
◆
巫女服姿のトワが後方で指揮を執りながら符術で支援をする。そしてソウスケや学園の生徒が中心となって構成された部隊が怪異を倒していく様を、リィンはなんとも言えない顔でヘリから見下ろしていた。というのも、先程から隣でリオンが「どうよ!」と言ったドヤ顔でアピールしている様が視界の隅に入って鬱陶しくて仕方がなかったためだ。
「ハイハイ、スゴイスゴイ」
「全然、心が籠もってない! ちょっとは驚きなさいよ!」
戦場に素人を連れてきてどういうつもりだとか、裏の不文律はどうしたとか、いろいろとツッコミどころはある。
だがその程度のことを、トワやソウスケがわかっていないとは思えなかった。恐らくはこれが――コウがこれまで為してきたことの結果なのだろう。
(あのお嬢さんが認めたのは、こういうところか)
一時はコウたちを作戦から外そうとしながらも、ミツキが結局は参加を認めた理由。それはこんなところにあるのだろうとリィンは察した。
戦場の空気がガラリと変わったのを感じる。倒しても倒しても湧いてくる怪異に対して疲れが見え劣勢ムードだったのが、援軍の到着によって徐々に友軍の優勢へと変化していく。自覚はないのかもしれないが、切っ掛けを作ったのは紛れもなくコウだった。
これは彼の力だ。そしてそれはリィンが強さと引き替えに諦め、遠ざけているものでもあった。
強すぎる力は孤独を生み、災いを招く。確かにソウスケの言葉のとおりだと、肩をすくめながらリィンは苦笑した。
◆
「後はお任せを、お嬢様は皆様と共に先へ」
「キョウカさん……」
「そんな顔をなさらないでください。皆様の道を切り拓くこと――それが私の役目です。さあ、行ってください」
アクロスタワー周辺は、敵味方の入り乱れた乱戦模様を見せていた。
ミツキとの別れを済ませると、タワーに背を向けてキョウカはソウルデヴァイスを展開する。その手には、銀色の輝きを放つライフルが握られていた。
(キョウカさん……どうか、ご武運を)
銃声と爆音を背にしながら唇を噛み、ミツキはコウたちと共に迷宮へと通じる扉を潜り抜ける。すると、そこには別世界が広がっていた。
空を漂う無数の浮島と、懐かしさすら感じる自然の匂い。そして肌に触れる風の息吹。これまでに見た迷宮と違い、物語の世界へ迷い込んだかのような錯覚さえ覚える広大な迷宮にコウたちは目を奪われる。
アクロスタワーを起点として現実世界に現れた迷宮。災厄の始まりと終わりの地。それが、この災厄の匣だった。
「ぐっ――」
突如、頭痛に苛まれ、コウは右手で頭を押さえる。
緋色の空の下、少年は血塗れの少女を抱きしめ、涙を流しながら少女の名を必死に叫ぶ。
――シオリ! 起きろよ、シオリ!
それは過去に置き去りにされた記憶の断片。頭の中に浮かぶ様々な映像は、忘れていたはずの過去の記憶を蘇らせていく。
「進行方向に扉が三つか。で、どうするの?」
シャーリィの声で現実に引き戻されたコウは、進行方向に見える三つの扉を見渡す。
その隣では、ミツキが困った顔で悩んでいた。戦力を分散するのは得策ではないと考えているのだろう。
この先でシーカーと対峙することになったら、リィンやシャーリィはともかく他のメンバーでは勝てる見込みは薄い。だからといって扉を一つ一つあたるのは余りに非効率的だ。時間が掛かりすぎる。どれだけの時間が残されているのか分からないが、こうしている今も迷宮の外では怪異との戦闘が繰り広げられていることを考えると、ゆっくりとしていられるような状況ではなかった。
「コウ先輩、顔色が悪いみたいですけど大丈夫ですか?」
コウの様子がおかしいことに気付き、ソラは心配そうに声をかける。
よく見ればソラの言うように、血の気が引いたように青ざめた顔をしており、背中はぐっしょりと汗で濡れていた。
ソラの声でコウの様子に気付いたのだろう。皆の視線がコウに集まった、その時。
「そんなところで、ぼーっと突っ立って何してるんだ?」
迷宮のゲートから、転位してきたリィンとエマ。それにリオンが姿を見せた。
とっくに先へ進んでいるかと思えば、まさかまだ入り口で待機しているとは思わなかったのだろう。
何をしているのかと思い周囲を見渡して、リィンはなるほどと事情を察した。
「俺とシャーリィで一つずつ。残りの一つは、エマとお前等でいいだろ」
「……それしかなさそうですね」
コウの様子が気になりつつも、ミツキも他に方法はないと考えたのか、リィンの提案に賛同する。
リィンやシャーリィは単独でも神話級グリムグリードやシーカーに対抗できる実力者だ。逆に言えば、下手な戦力は足手纏いになりかねない。一方で治癒や攻撃の術に長けたエマがコウたちのサポートに回れば、少々厄介な敵が現れたところで簡単にやられたりはしないだろう。
渋々と言った様子だがリオンも頷き、コウやソラも同意する。思うところはあるが、リィンやシャーリィの実力は認めていた。この二人なら一人でもどうにかしてしまうだろうという信頼はある。
そんななか一人だけ何も反応を示さないアスカに気付き、コウは首を傾げつつ声をかけた。
「どうかしたのか?」
「……いえ、なんでもないわ。その案で行きましょう」
少し腑に落ちないものを感じながらもコウは額の汗を拭い、奧の扉へと足を進めた。
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