番外『暁の東亰編』



 扉の向こうには、更なる世界が広がっていた。

「アハハハハ――ッ!」

 口元を愉悦に歪め、シャーリィは武器を振う。
 しかし、縦横無尽に走り回り、巨大な蜘蛛の脚を切断すると、そのまま武器を一閃――
 胴を斬り裂かれ、光の粒子となって消える怪異の最後をつまらなそうにシャーリィは一瞥した。

「むう……こっちはハズレかな」

 これならまだ迷宮の外で戦った〈落とし子〉の方が遥かにマシだと思いながら、残念そうにぼやくシャーリィ。
 とはいえ、迷宮内にはA級に相当する怪異が徘徊しており、先程シャーリィが倒した門番と思しき大蜘蛛に至ってはグリムグリード級の力を有していた。
 歯応えのある相手を求めているシャーリィからすれば物足りないかもしれないが、高位の怪異をものともせず一直線に出口を目指せるような人間は、世界中を探しても数えるほどしかいないと言っていい。裏の世界で広く名の知られるネメシスの執行者やゾディアックの猟犬に身を置く者でさえ、一握りの精鋭にしか真似の出来ない芸当だった。

「……ん?」

 期待外れと言った様子で残りの雑魚を片付けながら出口を目指していると、ふと視界の端に気になる何かを見つける。
 すぐ出口に向かわず浮島から浮島へと飛び跳ねながら、下へ下へと降りていくシャーリィ。そして最下層に降り立ったところで、それを見つけた。
 湖に半身を沈め、眠るように横たわる緋色の巨人。死力を尽くして戦った相手を、シャーリィが見忘れるはずがなかった。
 皇家(アルノール)の遺産。歴史の闇に消えた負の象徴。帝都を恐怖と混乱に陥れた魔王の器。

緋の騎神(テスタ・ロッサ)――」

 シャーリィ愛用のチェーンソーライフル〈赤い顎(テスタ・ロッサ)〉と同じ名を持つ騎神の姿がそこにあった。


  ◆


 別の扉では――迷宮の最奥で、辟易とした表情で溜め息を漏らすリィンの姿があった。

「見事にアタリを引いたというか、ハズレを引いたというか……」

 コウたちの方じゃなくてよかったと思う反面、貧乏くじを引かされた気分になる。
 それもすべて目の前の〈探求者〉を名乗る男の所為だった。

「やはり私たちは運命の女神に祝福されているようだ! そう思わないかね?」
「気色悪いこと言うなっ!」

 両手を広げ、大仰にそんなこと言うシーカーに、リィンは激しくツッコミを入れる。
 確かに戦闘狂やら妙な連中にばかり目を付けられることはリィンも自覚している。
 だからといって運命の相手がこれ≠ネんて絶対に認められなかった。
 そんな不条理を押しつける女神(エイドス)がいるなら、そいつは粛清してやるとリィンは心に誓う。

「じゃあ、殺ろうか」
「ふむ。昔話に花を咲かせ、旧交を深めたいと思っていたのだが……」
「俺にそんな趣味はない」

 静かな怒りを滾らせながら、リィンは両手にブレードライフルを構える。
 一分一秒でも早く、この不毛な会話を終わらせたい。目の前の男と一緒にいるのは苦痛でしかなかった。

「お前がなんで生きてるのかとか、この世界にいるのかとか、正直まったく興味がない」
「私がいま研究している内容を知りたくはないかね?」
「どうせ、碌でもないことだと想像は付くしな」

 そんなことを知っても一銭の得にもならないとリィンは斬って捨てる。
 そもそもが厄介事の臭いしかしない。四年前の事件でリィンのなかのシーカーの株はどん底を通り過ぎてマイナスにまで達していた。
 リィンの聴く耳を持たないと言った態度を見て、シーカーは顎に手をあて勿体振った仕草をすると、

紅き終焉の魔王(エンド・オブ・ヴァーミリオン)――」
「お前、それをどこで……」

 切り札を口にした。
 さすがに見過ごせない話に、リィンは目を瞠ってシーカーに尋ねる。

「やはりあれは帝国の伝説で語られる魔王≠ナあっていたか」
「……カマを掛けたのか?」
「確信がなかったというだけで予想は付いていたがね」

 確信を得るために利用されたと知り、悔しさを表情に滲ませるリィン。
 しかし、それを抜きにしてもシーカーの話は見過ごせなかった。

「一つだけ聞かせろ。俺たちをこの世界へ呼び寄せたのは、お前なのか?」
「答えはノーだ。そもそも私自身、この世界に何故自分がいるのかすらわかっていないのだよ」
「……何?」

 エマはこの世界に自分たちを引き寄せた元凶がいると言っていた。そしてその推測は間違っていないとリィンも確信している。そして、その可能性が一番高いと思っていたのが、目の前の男だったのだ。
 本人の意思とは関係なく無意識でそれをやった、という可能性もないわけではない。しかし本人がまったくそのことに気付いていないというのはあるだろうか?
 相手はあのシーカーだ。疑問に思うことがあれば、とことんそのことを追及しようとするはず。その男が自分ではないと言い切ったことにリィンは違和感を覚えた。
 そもそも自分が何故この世界にいるのかも分からないとシーカーは言った。だとすれば、彼は加害者ではなくリィンたちと同じ被害者ということになる。

「転生した、と言われてキミは信じるかね?」

 ドクン、とリィンの心臓が激しく脈打つ。
 前世の記憶があることを目の前の男が知っているはずがないと思いつつも、それを完全に否定できないリィンは動揺を隠すので精一杯だった。

「あの日、私は確かに死んだ。だが気付けば、この世界で異形の存在として生まれ落ちていた。人々に怪異(グリード)≠ニ呼ばれる存在になっていたのだ」

 シーカーの話で自分の秘密が知られたわけではないと、リィンは一先ず安心する。しかし気になる話だった。その話が本当なら、シーカーはこちらの世界に転生したということになる。人間ではなく怪異に生まれ変わってという問題付きではあるが、リィンもそもそも異能を宿して生まれてきた身の上だ。化け物に生まれ変わることがないとは断言できなかった。
 それに現在のシーカーの姿。その元になっているのは、グノーシスによって魔人化した時の姿で間違いない。前世の姿が転生に影響を与えているのだとすれば、怪異に生まれ変わったシーカーの姿にも一応の説明は付く。
 そんなリィンの疑問に答えるかのように、シーカーは尋ねる。

「不思議だとは思わなかったのかね? 心当たりがあるはずだ。こちらの世界は余りにあちらの世界に似すぎていると」

 それはリィンも感じていたことだった。
 トワのこともそうだが、導力技術に異界化と呼ばれる現象。エマの魔術を見ても驚かなかったことから、似たような術がこの世界にもあることが窺い知れる。
 考えられる可能性は幾つもあるが、どれも憶測の域を出ない。だが一つだけ、はっきりとしていることがあった。

「この世界に生まれ落ちて私はあることに気付いた。いや、生前立てた仮説が証明されたとでも言うべきか?」
「仮説? お前が研究していたグノーシスのことか?」
「勘違いしては困る。あれは真理を探る研究の過程で生まれた副産物に過ぎない。私が言っているのは、キミもよく知る力≠セ」

 よく知る力と言われて、リィンの頭に過ぎったのは自身が持つ異能のことだった。

「まさか……」
「そう、〈外の理〉――〈空の女神(エイドス)〉の加護が及ばない世界の外側。それは即ち異界≠フことだよ」

 怪異と呼ばれる存在。彼等は何を求め、どこからやってくるのか?
 この世界の人々が半世紀以上を費やしても解明できない問題に、シーカーは確信に満ちた表情で答える。

「こちらの世界で十年前に起きた東亰冥災。その元凶ともなった〈夕闇ノ使徒〉や、あちらの世界で二百五十年前に帝都を震撼させた〈紅き終焉の魔王〉も、同じく異界の存在――〈外の理〉からやってきたものだ」

 興が乗ってきたのか、シーカーは研究成果を自慢するかのように持論を展開する。

「繋がっているのだよ。二つの世界は――いや、幾つもの世界が、〈外の理〉を通じて繋がっている。そう、それこそ――」

 言葉を溜め、

「私が求めていた真理≠サのもの」

 シーカーは愉悦に満ちた表情で、そう話す。
 ただの憶測だ。なんの証拠もない。だが、否定する要素もなかった。
 それはリィン自身も薄々感じていたことだからだ。

「キミのお陰で私は真理の一端を垣間見ることが出来た。だからこそ、この答えに辿り着くことが出来た。そのことには凄く感謝しているよ。だが同時に思うのだ。真理の一端を、人の身で体現するキミは一体何者なのか、とね」

 秘密に気付いていないなど、とんでもない。シーカーは最初からわかっていて話していたのだとリィンは気付く。
 怪異が世界の外側からやってくるのだとすれば、異能もまた〈外の理〉に通じる能力だと解釈が出来る。少なくともリィンは前世で〈王者の法〉のような力を持ってはいなかった。しかし転生する際、世界の境界を越え〈外の理〉に触れたから異能に目覚めたと考えれば納得の行く話ではある。いまのシーカーの姿が転生の影響によるものなのだとすれば、転生したから異能を得たという考えは、ある意味で正しい仮説と言える。それが恐らくシーカーの求める真理≠フ正体なのだろう。

「くだらない妄想話は終わりか? 気になるなら確かめてみればいいだろう」

 だが、そんな話に付き合うつもりはなかった。

「過去や生まれなんて関係ない。俺はルトガー・クラウゼルの息子、リィン・クラウゼルだ」

 リィンはルトガーより受け継いだクラウゼルの名に誇りを持っていた。
 前世の自分がなんであれ、その考察が当たっていようと何かが変わるわけではない。
 真理がどうのと御託を並べたところで、力は所詮――力だ。

「かかってこいよ。そんなに答えが知りたいなら、俺がもう一度、地獄に送ってやる」

 シーカーに剣先を突きつけながら、そうリィンは言い放つ。
 戦場に言葉など不要。それがリィンのだした答え。彼が転生して学んだ猟兵の流儀(しんり)だった。


  ◆


 リィンがシーカーとの死闘を繰り広げている頃、コウたちも難敵と対峙していた。
 黒い全身鎧を纏い、巨大な剣を携えた巨人の怪異。エマはその巨人に見覚えがあった。

(どうして、ここに魔煌兵が――)

 エマたちの世界で騎神と同じく古の時代より存在するとされる機械仕掛けの巨人だ。
 騎神と敵対していたとも言われ、煌魔城が復活した際は魔王の尖兵として暴れ回り、帝都を未曾有の混乱に貶めた。
 本来であれば、この世界に現れるはずのない存在。エマの頭を過ぎったのは一つの元凶だった。

(紅き終焉の魔王!)

 魔女の伝承にすら、禁忌として語られる存在。魔煌兵がこの世界にいる原因を考えると、あの魔王以外には考えられないとエマは思う。
 自らの予感が当たっていたことを確信する一方で、目の前の厄介な存在に舌打ちする。リィンやシャーリィなら軽々と倒せる程度の存在。だが、曲がりなりにも暗黒時代に造られたとされるゴーレムだ。その力は騎神に及ばずとも並の人間では歯が立たない。実際コウたちも頑張ってはいるが決め手に欠け、苦戦を強いられていた。

(まさか、これを使う時がくるなんて……)

 険しい表情を浮かべ、エマは覚悟を決めた様子でローブのポケットに手を入れる。そこには〈All-Round Communication & Unison System〉通称〈ARCUS〉の名で呼ばれる次世代型の導力器(オーブメント)が隠されていた。
 魔女術を主体とした戦いをするエマだが、導力魔法が使えないわけではない。学院生として振る舞っていた時期は、正体を隠すためにエリオットと同じ導力杖を用いた戦いをしていた。それに〈ARCUS〉にはエマの奥の手とも言うべき結晶回路(クォーツ)がセットされていた。
 遺失魔法(ロストアーツ)導力魔法(オーバルアーツ)とは比較にならない程の威力を秘めており、現代では失われたとされる極大魔法を宿したクォーツを二つもエマは所持していた。
 煌魔城の一件では使う機会はなかったが、もしもの時のことを考え、奥の手として取っておいたものだ。

「皆さん、三十秒――時間を稼いでください」

 突然そんな風に言われて驚くも、エマが何かをしようとしているのを察し、コウたちは行動を開始する。
 ロストアーツは強力な反面、並のアーツに比べて発動までの駆動時間が長い欠点がある。その間、術者は無防備となりエマは術の発動に意識を集中する必要があった。

「ソラ――ッ!」
「はい、コウ先輩!」

 コウとソラは息の合った連携で、エマから敵の注意を逸らす。
 魔煌兵の斬撃をコウがそらし、その隙を突いたソラが懐へ飛び込み強烈な拳撃を放つ。

「はあああっ! ――轟雷撃!」

 響く轟音。雷鳴の如き一撃が、僅かに魔煌兵の巨体を浮かせる。
 ソラの渾身の一撃に続き、畳み掛けるようにコウもまた攻撃を叩き込む。炎を纏い、まるで鞭のようにしなる刃が無数の傷痕を魔煌兵の鎧に刻みつけていく。「エクステンドギア!」とコウが叫ぶと、ソウルデヴァイスの先端が膨らみ、巨大な刃となって魔煌兵の身体を地面に縫い付けた。
 動きを止めた魔煌兵を見て、微かに表情を緩めるコウ。しかし――

「コウ先輩――ッ!」

 ソラの声が響く。
 咄嗟に変幻自在の蛇腹剣型ソウルデヴァイス〈レイジングギア〉の先端を伸ばし、近くの柱に突き刺すことで空中で身体を回転させ、コウは魔煌兵の放った剣撃を紙一重のところで回避する。だが、その直後、魔煌兵の胸部から放たれた灼熱の光が大地を焼き払い――


「ミツキ先輩! リオン!」

 後ろに控えていたミツキとリオンに直撃した。
 二人が光に呑み込まれたのを見て、コウは二人の名前を叫ぶ。しかし、そんな隙を見逃してくれるほど甘い敵ではなかった。
 ギリギリのところで煌魔兵の攻撃を回避したコウに、雄叫びと共に発せられた衝撃波が襲いかかる。

「ぐっ――」
「きゃっ――」

 助けに入ろうとしたソラも、コウと一緒に体勢を崩す。
 振り上げられる巨大な大剣。回避は間に合わない――頭上に迫る大剣を見ながら二人が衝撃に備えた、その時。

「伏せなさい――二人とも!」

 細剣型のソウルデヴァイス〈エクセリオン=ハーツ〉を構えたアスカが、煌魔兵と二人の間に割って入った。
 冷気を纏い、煌魔兵の胸もとに剣先を突き立てるアスカ。その直後、パキパキと音を立てながら胸もとを中心に煌魔兵の身体が凍り付いていく。

「――はあああっ!」

 腰を捻り、空中で回転しながら勢いを増し、一気に剣を振り抜くアスカ。
 パリンという音と共に氷が砕け散り、煌魔兵の巨体が後ろへと大きくよろめく。

「いまよ!」
「任せて!」
「お任せを――」

 見上げると、そこにはミツキを抱え、空を飛翔するリオンの姿があった。
 ミツキの構える杖の先端から、無数の光が放たれる。

「カオス・エルドラド!」

 幾つもの光が煌魔兵の身体を取り囲み、トドメとばかりにミツキの放った巨大な魔力の塊が直撃する。
 眩い光に包まれながら、悲鳴にも似た声を上げる煌魔兵。並の怪異が相手なら、これで勝負は決していただろう。
 しかし、

「まさか、これも通用しないなんて――」

 白い爆煙の中から姿を現し、再びコウとソラに襲いかかろうとする煌魔兵にミツキは驚愕する。
 耐久力だけならグリムグリードどころか、落とし子にすら匹敵すると思われる怪物を前に絶望的な空気が漂う中、エマの声が響いた。

「――皆さん、離れて!」

 その声に反応して一斉に飛び退き、魔煌兵から距離を取るコウたち。
 エマが杖を掲げると、緋色の空から八本の光の剣が降り注ぎ、煌魔兵を取り囲むように大地へと突き刺さる。
 ――ロストオブエデン。
 突き刺さった剣を中心に巨大な魔法陣が展開され、光が立ち上る。
 魔を滅する浄化の光は煌魔兵の全身を優しく包み込み、その魂を楽園(エデン)へと還した。



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