番外『暁の東亰編』
扉を抜けた先には、更なる迷宮が広がっていた。
コウは気が逸るのを抑え、仲間と共に迷宮の奧へ奧へと歩みを進める。この先に杜宮の異変の元凶がいる。そして、シオリもそこに――
ふと何かを感じ取った様子で、コウは空を見上げ立ち止まる。
(なんだ。この懐かしい感じは……)
見覚えがあるはずもない風景。この迷宮に足を踏み入れたのは初めてだ。なのに、コウは迷宮の奧へ進むにつれて不思議な懐かしさを感じていた。
理由は分からない。しかし、何かが引っ掛かっている気がしてならない。
その時、再び頭に声が響く。
「ぐ――ッ!」
「コウくん!?」
「コウ先輩!」
頭を押さえ、床に膝をつくコウを心配して駆け寄るリオンとソラ。
次々に走馬燈のように浮かび上がる映像。それは封じたはずの記憶。忘れていたはずの過去。
――コウちゃん……ごめ……んね。
腕の中で冷たくなっていく幼馴染みの少女。空を見上げ、泣き叫ぶ少年。
瓦礫に埋もれる街を、緋色の光が照らしだし、そして――
(思い出した。そうか、そういうことだったのか……)
コウはすべてを思い出す。
ずっと頭の中で引っ掛かっていた十年前の真実を――
そして、ふと頭を過ぎったのは、昨日リィンから言われた一言だった。
『いまのままだと、お前はきっと後悔することになる』
勿論このことを知っていて、そんなことを言ったのではないとコウにも分かる。
しかし、リィンの言葉が重くコウにのし掛かる。
「俺は……」
シオリを助ける、それだけを考えて、ここまで来た。
でも本当にそれだけでいいのか、それは正しいことなのか、コウは自問する。
仲間を危険に晒してまで、我が儘を通すことを本当にシオリは望んでいるのだろうか?
「そうか、これは俺の我が儘だ。アイツが言っていたのは、そういうことか」
「……コウくん?」
一人納得した様子を見せるコウを見て、困惑するリオン。
「認められないんだ、自分の弱さが――。怖いんだ、シオリを失うことが――。嫌なんだ、いままでのことをすべて、なかったことにすることが――」
「コウ先輩? 何を……」
コウの口にしている言葉の意味が分からず、ソラも困惑を顕にする。
しかし、そんななかで一人、アスカだけは静かにコウの話に耳を傾け様子を見守っていた。
「悪い。俺はまだ覚悟が足りていなかったみたいだ」
困惑する二人を見て、謝罪を口にするリオンとソラ。
事情を呑み込めたわけではないが、コウが何か覚悟を決めた様子は二人にも見て取れた。
昨日までに比べれば前向きになったと思うが、どこか不安定で心配な一面もあった。
しかし今は、一本芯が通ったかのような力強さを、コウの表情からは感じ取ることが出来る。
「それで、あなたはどうするの? 諦めて帰る?」
そんなコウの覚悟を確かめるように、敢えて尋ねるアスカ。
しかし、そんなことは聞かれるまでもなく、
「バカ言うな。これは俺の問題だ。当事者なしで決着をつけられるはずないだろうが」
コウの答えは決まっていた。ここまできて、後に引けるはずもない。
そんなコウの答えに満足の行っていない様子で『五十点ね』と採点の結果を告げるアスカ。
「バカはあなたよ、時坂くん。俺≠フ問題じゃない。これは私たち≠フ問題よ」
アスカの回答に、コウは目を丸くして呆ける。
しかし、それは他の三人もアスカと同じ意見だった。
「そう言うこと。シオリはあたしの友達でもあるんだからね」
「シオリ先輩のことが心配なのは、コウ先輩だけじゃありません」
「生徒会長として放っては置けませんから」
リオン、ソラ、ミツキ。三者三様に自分の想いを口にする。
コウがシオリを助けたいと考えているように、彼女たちにもこの戦いにそれぞれの想いを抱いて挑んでいた。既にコウやシオリだけの問題ではない。彼女たちにとっても、これは自分たちの戦いでもあるのだ。
アスカはコウのその言葉を待っていたのだろう。だから今しかないと考え、エマの前に立つ。
「エマさん。一つだけ、伺ってもいいですか?」
「……なんでしょう?」
覚悟を決めていた様子で、エマはアスカの話を聞く。
彼女の様子がおかしいことはエマにもわかっていた。その原因が自分たちにあることもだ。
だから最終の決戦を前に、彼女の方から接触してくるであろうことは予想していた。
「時坂くんや私たちの考えは、さっき話していた通りです。でも、あなたたちの目的は恐らく私たちとは違う。いえ、それどころか杜宮の異変自体、興味がないと言わないまでも積極的に解決する意思はないのではありませんか?」
やはり、まずはその話から切りだしてきたかとエマは思う。
誤魔化すことは簡単だが、それを彼女は望んではいまい。何れにせよ、すぐに分かることだ。
もうそのことを隠す必要はないと考え、エマはアスカの問いに答える。
「否定はしません」
リィンたちがミツキに杜宮の異変を解決するために雇われたと思っていたソラとリオンは驚きを見せる。
間違いと言えないが、リィンがミツキと交わした契約はあくまでシーカーなどの彼女たちの手に負えない敵の排除に過ぎない。目的を果たす過程で杜宮の異変を解決する必要があればそうするだろうが、リィンの性格を考えると積極的に異変解決のため動くことはないだろう。そのことはエマも否定するつもりはなかった。
それは言ってみれば目的のために必要と感じれば、依頼主の意思に沿わないことでも契約に反しない限りは勝手に動くということだ。アスカが何を危惧しているのか、ミツキは最初から理解していたのだろう。暗い表情で成り行きを見守っていた。
そんなミツキを見て、目を伏せるアスカ。彼女はミツキを責めるつもりはなかった。それがわかっていたところで、リィンたちの力をあてにせざるを得なかったのは自分たちの弱さが原因だと理解しているからだ。
だからこそ、最悪の事態を避けるためにもエマに提案する。それがアスカに出来る精一杯だった。
「お互いに不干渉を提案します。私たちは、あなたたちの邪魔をしない。ですから、シオリさんのことは私たちに任せて頂けませんか?」
「柊、なにを!?」
突然のアスカの提案に、エマが驚くよりも先にコウは困惑の声を上げる。
アスカが何故このような行動にでたのかコウはわかっていないだろうが、エマは彼女の提案の裏にある意図を察していた。
「……わかりました。私はそれでも構いません。ですが、私が納得したところでリィンさんの説得は難しいでしょう。あの人は決して自分を曲げない。そういう人ですから……」
その上で提案を呑み、アスカに忠告を促すことを忘れない。方向性は違えど、最悪の事態を避けたいというのはエマも同じ考えだったからだ。
彼女たちがコウやシオリのことを心配しているように、エマもリィンのことを気に掛けていた。
(それでもリィンさんのことだから……)
彼女の目論見通りには行かないだろうという確信がエマにはあった。
◆
記念公園近くにある杜宮総合病院。市内にある病院のなかでは最も大きく設備の充実した病院で、北都グループが出資者に名を連ねていることから異界絡みの事件が起きた際、患者の受け入れ先によく利用されていた。
ゴロウやシオも、ここ杜宮総合病院に運び込まれ、検査と治療を受けていた。
「……何か、あったみたいだな」
病室のベッドで廊下が騒がしいことに気付き、シオは松葉杖を手に部屋の外へ出る。
忙しく走り回っている顔馴染みの看護師を捕まえ、シオは何があったのかを尋ねる。
「怪異の群れが?」
「はい。まさか、こんなことになるなんて……」
病院の周りには怪異の侵入を防ぐ、設置型の結界が張られていた。本来であれば、低級の怪異程度は軽々と侵入を防げる代物だった。
しかし、彼女の話によると最低でも百を超す怪異が迫っているという話だ。さすがにグリムグリード級の怪異は混ざっていないとは思うが、それほどの数の怪異に攻め込まれれば結界もどれほど保つか分からなかった。
病院の中が騒がしいのは、その対応に追われているからだとシオは理解する。
「とにかく高幡さんは病室で大人しくしていてください! まだ怪我が治っていないんですからね!」
そう言って呼び止める前と同じように忙しそうに走り去っていく看護師の背中をシオは見送る。そして来た道と逆の方角へ足を向けるシオ。病室で大人しくしているように言われたが、そんな話を聞いて黙って見過ごせるような性格ではなかった。
戦力のほとんどはアクロスタワーの攻略作戦に出払っている。だとすれば、避難所や病院には最低限の戦力しか残っていないはずだ。とてもではないが百を超える怪異に対抗できるはずもない。
方角から考えて恐らくはアクロスタワーで討ち漏らした怪異が、こちらへ逃げて来ているのだろうとシオは状況を推察する。だが、街の外からの援軍や補給を望めない状況だ。あちらも手一杯と考えていいだろう。だとすれば、助けが来ると考えるのは甘い考えだ。
コウたちについていくことは出来なかったが、手の届く範囲くらいは守って見せるとシオは心を決め、慌ただしく走り回る関係者の目を盗んで病院の外へと抜け出す。
「このくらいのことはしないと、アイツらに合わせる顔がない」
松葉杖を手放し、シオは大剣型のソウルデヴァイス〈ヴォーパル・ウエポン〉を展開して構える。あの看護師の言うように、シオの怪我はまだ完治していなかった。それどころか本来であれば、ベッドから起き上がることも苦痛のはずだ。
だが痛みに耐え、額に汗を滲ませながらもシオはこの場を離れるつもりはなかった。
怪異の姿を視界に捉えるシオ。大剣が炎を纏い、シオの意思に呼応するかのように唸りを上げる。
「来るなら来やがれ――」
獣のような鋭い眼光で、迫る怪異たちを睨み付けるシオ。
多勢に無勢とも言える状況の中、シオは一歩も退くことなく大剣を手に怪異の群れに向かって駆け出した。
◆
どれくらい経っただろうか? 三十分? 一時間は経っていないはずだ。
柄を握りしめる手は赤く染まり、大粒の汗がこぼれ落ち、肩で息をしながらもシオは剣を振う。とっくに身体の限界は来ていた。気合いでどうにか立っていられるに過ぎない状況。それでも怪異の数は最初の頃と比べれば、半分程度に数を減らしている。残り半分か、と口元を歪めならシオは気持ちを奮い立たせ力を振り絞る。
「うおおおおおっ!」
舞い上がる火の粉。シオが大剣を振う度に生き物のように炎が唸り、怪異を呑み込んでいく。
鬼神の如き戦い振りで怪異の群れを圧倒するシオ。しかし、限界は突然訪れた。
シオの手のソウルデヴァイスが遂にカタチを保てなくなり、光の粒子となって宙に消える。
「く……そっ……」
悔しさを表情に滲ませながら、シオは前のめりに倒れ込む。
迫る怪異。だが身体は動かない。仲間たちの顔がシオの脳裏に浮かぶが、もう彼の体力は限界だった。
すまねえ、と呟きながらシオは死を覚悟する。
巨大な怪異の腕がシオの頭上に振り下ろされようとしていた、その時だった。
怪異の頭が吹き飛ぶ。一体なにがあったのかと目を瞠るシオ。怪異の背後から聞こえる足音と雄叫び。それは友軍のものだった。
部隊の先頭に立ち、瞬く間に槌のカタチをしたソウルデヴァイスで怪異を消滅させていく少年。
「先輩、生きてる? これで貸し借りはなしだからね」
「……四宮か。助かった」
この部隊を率いてきたのが、ユウキだということはシオにも分かった。
言葉の通り以前の借りを返したつもりなのだろうが、出来すぎだとシオは笑う。
その後も的確なユウキの指示で残された怪異は一掃され、ようやく長かった戦いに一息吐く。
「終わったね。まったく無茶しすぎ」
「必死だったからな。まあ、これでは時坂のことを言えないがな……」
そう言って苦笑するシオに呆れながら、ユウキは手を差し伸べる。
そんな彼等の瞳には、緋色の空と変貌したアクロスタワーの姿が映っていた。
◆
「どうにか間に合ったか……」
ライフル型のソウルデヴァイスの展開を解き、ゴロウは床に腰を下ろす。
ここは病院の屋上。シオがトドメを刺されそうになった瞬間、怪異の頭を撃ち抜いたのは彼だった。
生徒のためとはいえ、無茶をし過ぎたと自分のことながらゴロウは嘆息する。騒ぎが起きるまで、ずっと意識不明で病院のベッドに眠っていたのだ。身体はシオ以上に重症だった。
傷口が開いた様子で腹部からは血が滲んでいるのが見て取れる。見つかったら怒られるな、と呟きながらゴロウは息を吐く。
「時坂……後のことは任せたぞ」
フェンスの隙間から見えるアクロスタワーを眺めながら、ゴロウは再び意識を手放した。
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