番外『暁の東亰編』
キラキラと空から舞い落ちる光の粒。それがエマの放った魔法の残滓であることは誰の目にも分かった。
アスカやミツキの渾身の一撃でも倒せなかった敵を、文字通り消滅させたエマの魔法にコウたちは戦慄する。
リィンやシャーリィと一緒に行動をしていることから、彼女も並の実力者ではないことは理解していたつもりだった。
それでも、驚かずにはいられない。そんな重苦しい空気が漂う中、緊張を解いたのはリオンの一言だった。
「ねえねえ、さっき『リオン』って呼んでくれたよね?」
「うっ……アレは物の弾みというか……」
嬉しそうにコウに詰め寄るリオン。
確かに咄嗟に名前を呼んだことを認めるコウだが、気恥ずかしさから言葉を濁す。
「もしかして心配してくれたりしちゃった?」
「当然だろ――って、なに嬉しそうにしてんだ?」
「別に〜。まあ、その話は後でゆっくりとするとして……」
ニヤニヤと笑いながら手を後ろで組み、そんな話をしていたかと思えば、一転して真剣な表情をリオンは見せる。
「凄いね、彼女……いや、彼女もか」
リオンが何を言っているのか、分からないコウではなかった。確かにあんな力を見せられれば、足手纏いだと言われても仕方がないとさえ思う。
しかし、そんなことは作戦に参加する前からわかっていたことだ。いや、力が足りてないことは、ずっと以前からわかっていた。それでも、これまでどうにかやってこられたのは皆がいてくれたからだとコウは思う。
その仲間も二人が脱落し、ユウキも別の場所で戦っているとは言っても、この場にはいない。厳しい戦いになることは想像できていたことだ。
それでも、こうしてここにいるのは成し遂げたい目的が、助けたい大切な相手がいるからだ。
「ああ、ほんと凄えよ。でも、負けてばかりもいられねえ。シオリを助けるって決めたんだからな」
「……あっそ」
「ん? 今度はなに怒ってるんだ?」
その想いを口にするも、今度はどうしてかリオンに睨まれるコウ。
首を傾げるコウを見ながら、リオンは考えてしまう。
自分がシオリと同じ立場なら、ここまで必死に助けに来てくれるのだろうかと――
(そんなの考えるまでもないよね……)
きっと来てくれる。確信めいた予感がリオンにはあった。
だから自分は救われた。そんなコウだから好きになったのだとリオンは思う。
彼女もわかってはいるのだ。きっと自分はコウの一番にはなれない、と――
「でもまあ、仕方ないよね……」
そのことを理解していて、コウの力になりたいとリオンは思った。
だから彼女は弱音を見せず、笑顔を絶やさない。玖我山璃音は偶像なのだから――
「……おい、玖我山?」
さすがにリオンの様子がおかしいことを察したのか、コウは心配して声をかける。
しかし、その呼び方がいけなかった。『玖我山』という名前に反応し、リオンは眉間にしわを寄せる。
「リオン」
「いや……」
「リオンだってば! このバカ! 鈍感! 唐変木!」
呼び方の訂正を求めるも、まったく察する様子のないコウに腹を立て、リオンは苛立ちから叫ぶ。
弱音は見せない、笑顔でいると決めたのに――そんなことを考えながら出口の扉へ向かって走り去るリオンの背中をコウは呆然と見送った。
そんな二人の様子を見守っていたミツキとソラの二人は溜め息を漏らす。
「…………」
そのなかでアスカだけは変わらず鋭い視線をエマに向けていた。
彼女の視線に気付きながら、エマは顔に出さないように努める。先程の戦闘の際、エマの感能力はアスカの思念を捉えていたからだ。
(少し面倒なことになりそうですね……)
どうすべきかを考えながら、エマはコウたちの後を追って出口の扉へと向かった。
◆
(まいったな。こりゃ……)
シーカーを甘く見ていたつもりはなかった。四年前、まだ未熟だったとはいえ、〈鬼の力〉を発現したリィンを圧倒したのだ。その強さは疑うべくもない。
しかし、リィンも四年前と比べれば比較にならないほど成長した。いまなら〈鬼の力〉を使わずとも、大抵の敵は相手にすらならない。さすがにシャーリィレベルの怪物が相手では厳しいが、それでも〈鬼の力〉を使えばトップクラスの猟兵や遊撃士と互角以上の戦いが出来るという自信がリィンにはあった。
なのに――目の前の悪魔には、その力さえ通用しない。双眸を紅く染め、白い髪へと変貌を遂げたリィンの動きをシーカーは容易く上回っていた。
傍から見れば良い勝負をしているように見えるが、それはリィンの方が実戦慣れしているからに過ぎない。シーカーの本職は戦闘ではなく研究と観察にある。謂わば〈身喰らう蛇〉の使徒、F・ノバルティスのような男だ。武術を習得しているわけでもなければ、実戦の経験値は低い。しかしスピードやパワーと言った能力面だけを見れば、シーカーの方がリィンを上回っていた。何より厄介なのが、その底なしとも言える耐久力と回復力だ。
「もう、つけた傷が回復してやがる……」
傷が瞬く間に回復していく。いや、これは回復ではなく再生と言った方がいい。あんな能力は少なくとも以前のシーカーにはなかった。
「仕方ないか」
認めるしかなかった。
性格はともかくとして、その実力は確かだ。強敵だと認めるしかない。
構えを解き、だらりと肩の力を抜くリィン。自らの内へと意識を向け、精神を集中する。
「ようやく、やる気になったか。待ってた! 待っていたのだよ――この時をずっと!」
喜びに満ち溢れた声を上げるシーカー。彼にとって、それは待ち望んだ瞬間でもあった。
大地より立ち上る白と黒の光の共演。深みを増す真紅の瞳。リィンの髪が黒から白へ、そして灰色へと変わっていく。
全身から吹き荒れる闘気が、まるで紋章を描くかのように背中に現れ――完成する。
その身を持って真理を体現する者――王者の法。
四年前より力強さを増したその姿は、シーカーを魅了するに十分な輝きを持っていた。
「さあ、見せてくれ――私に真理の一端を!」
芝居染みた態度で両手を広げ、リィンを挑発するシーカー。
「ああ、存分に見せてやるさ。だから安心して地獄へ行け!」
だが敢えてリィンはその挑発に乗って見せた。
以前に比べれば〈王者の法〉の持続時間も延びてはいるが、そう長い時間この姿でいられるわけではない。
力を使えば使うほどにタイムリミットは減っていく。ならば自然と取れる選択は限られて来る。
グッと姿勢を低くすると両手に武器を構え、リィンは大地を蹴る。その衝撃で大地に亀裂が走り、粉々に砕け散る浮島。咄嗟にシーカーは背中の翼を使って空に飛び上がるが、その後をリィンも追い掛ける。
「な――ッ!」
目を瞠るシーカー。幾らリィンでも人間である以上、空を飛ぶことは出来ない。だがリィンは、シーカーの予想を大きく超えた行動にでた。
戦技〈オーバーロード〉により武器に風の属性を付与し、空を飛ぶのではなく圧縮した空気を足場に宙を蹴ったのだ。
「器用な真似を――」
「意外と出来るもんだと驚いてるよ」
風を纏ったリィンの斬撃が軌跡を描き、逃げ道を塞ぐようにシーカーに襲いかかる。
回避不能の一撃。だが神速をも超える剣閃を前に、シーカーは絶望するどころか笑っていた。
「これだ。これを待ち侘びていたのだ!」
避けるでも逃げるでもなく、敢えて前へ飛び込むシーカー。幾らシーカーの身体が硬い鱗で覆われていても、リィンの剣は鋼鉄さえ断ちきる一撃必殺の斬撃だ。生身で受ければ、骨ごと両断されるのは避けられない。リィンの振り下ろした剣がシーカーの首を刈り取ろうとした、その時。大気を震わせる衝撃と共に、金属音が周辺に響いた。
「黒い剣だと……」
「似たようなことを出来るのが、自分だけだと思ったのかね?」
リィンの剣を、同じ剣で受け止めるシーカー。彼の手には漆黒の剣が握られていた。
見たことのないカタチの剣だが、マクバーンの使っていた〈アングバール〉と同様の気配を感じる。
「〈外の理〉で造られた魔剣。そんなものをどこで!?」
「造ったのだよ。幸いにも、その手の材料には困らなかったものでね」
シーカーの言葉でリィンの頭に過ぎったのは、これまで目にしてきた怪異たちだ。ゾディアックが主体となって開発と研究が進められている異界技術。ネメシスによって開発され広められたソウルデヴァイスの召喚プログラムや、サイフォンの特殊機能などもそうだ。そうした技術は異界の素材を用いた武器の強化などに利用されていた。
「そうか。ソウルデヴァイス――アレが元になっているのか」
シーカーの手にしている漆黒の剣が、コウたちの使っていたソウルデヴァイスと同様のものだとリィンは察する。
材料に困らなかったというのは、怪異のことを指しているのだということはすぐに理解できた。
「ご名答――銘はアゾート。意思を持つ剣だ」
アゾート。別名〈アゾット〉とも呼ばれる剣。中世の錬金術師パラケルススが用いたとされる剣の名だ。柄の宝石に悪魔を封じて使役したとか、実はその石は〈賢者の石〉だったとか様々な逸話が残されているが、確かに真理を追い求める錬金術師には相応しい名の武器だった。
しかし、腑に落ちないこともある。シーカーは剣士ではなく研究者のはずだ。その証拠に四年前も彼は剣など使っていなかった。
なのに、明らかにシーカーの剣の腕は素人とは思えないほど卓越していた。
「不思議かね? なに簡単なことだよ。ソウルデヴァイスとは魂を具現化した武器だ。それは謂わば〈適格者〉の一部と言っていい。だからこそ、分かる。どのように動かせば効率よく扱えるのか、どのように動かせば敵を殺せるのかがね」
そういうことか、とリィンは舌を打つ。明らかに戦い慣れしていない少年少女が、あれほど複雑な武器を手足のように扱えていた理由にも納得が行った。
先程、シーカーが『意思を持つ剣』と口にしたように、聖剣や魔剣と呼ばれるものと同様に剣自体が生きているのだ。
魂のレベルで所有者と繋がっているのだから扱えて当たり前。剣の素人が一転して熟練の使い手に様変わりと言ったところか。
しかし、それはあくまで武器の扱いに限っての話だと、リィンはソウルデヴァイスの欠点を見抜いていた。
「その手品は見飽きた」
「――ッ!?」
互角に見えていた戦いが一転して、リィンが圧倒し始める。
剣の振り方は確かに一流と言っていいレベルにあるが、経験が付いてこないのでは意味がない。視線の動きや足運び、呼吸や間合いの取り方に至るまで、その道の達人と呼ばれる者であれば当然身に付けているであろう技術が、シーカーの動きには見れない。当然だ。そう言った経験と技術は一朝一夕に身につくものではない。経験が伴わなければ、剣の振り方を幾ら学ぼうとも十全にその力を発揮することが出来るはずもなかった。
故に、その差は歴然――
「お前の剣は軽い。虚実を含まない見せかけの剣に負けるほど、俺の十八年は安くない」
赤ん坊の頃にルトガーに拾われ、それからずっと本物の剣を見て学んできたリィンからすれば、シーカーの剣技など遊戯にも劣る児戯にしか見えなかった。
剣での戦いでは勝てないことを理解してか、シーカーは翼を羽ばたかせリィンとの距離を取る。そして――魔術を発動する。
アゾートより放たれる漆黒の光。宙に浮かぶ無数の光が矢となってリィンに迫る。圧縮した空気を足場にしたリィンの素早い動きは、あくまで直線的なものに限るため動きが読みやすい。その点、シーカーは背中の二枚の翼で自由に空を飛べる。この差は大きかった。
リィンが左右どちらに逃げても、追撃を仕掛ける用意をしてシーカーは待つ。だが、そうしたシーカーの読みは大きく外れた。これまで通りに宙を蹴り、真っ直ぐにリィンが向かって来たからだ。
「バカな――自殺行為だぞ!」
勢いに乗ったリィンの身体は、当然のことながら急に方向を変えることが出来ない。
真っ直ぐに向かってくるリィンのその行為は、シーカーの言うように自殺行為とも取れるものだった。
しかし、リィンの身体に触れる前に、シーカーの放った光の矢が消滅する。これには目を瞠り、シーカーは激しく動揺した姿を見せる。だが、どんな疑問を抱こうと質問をしている余裕などなかった。
弾け飛ぶシーカーの左腕。同時に翼も斬り裂かれ、地上へと落下していく。
ズドンという大きな音と共に地面にクレーターを作り、シーカーは肺から息を吐き出す。
だが、満身創痍と言った姿でよろよろと立ち上がりながら、その表情は笑っていた。
「術式を解体し、マナへと還元したのか。素晴らしい――」
リィンが何をしたのかに気付き、シーカーは喜びを顕にする。
七耀の盾――あらゆる術式を解体し、魔法をマナへと分解する最強の盾。
魔法に込められたマナと同量の精神力を消耗するとは言っても、魔法に対しては絶対的な効果を発揮するリィンの切り札の一つだった。
「その回復力……やはり厄介だな」
咄嗟に致命傷は避けたと言っても、かなりの手傷を負わせたはずだった。
だが半ばから千切れるように失った翼は勿論のこと、切り落とされた左腕まで既に再生を始めていた。
転生したシーカーの能力で最も厄介なのは、この再生能力だとリィンは再確認する。
「このような身体になってしまったが、この至福の時間を長く味わっていられるのだから、そのことには感謝しているよ!」
しかしそんなリィンとは違い、シーカーの心は喜びに満ち溢れていた。
その言動には狂気さえ感じる。何が、この男をここまで突き動かすのか?
まともな答えが返ってくるとは思えなかったが、リィンは敢えて尋ねてみた。
「どうして、そこまで真理を得ることに拘る?」
「キミは食事をするのに理由を考えるのかい? それと同じだ。私はただ知りたいのだよ」
本能に忠実ということか、とリィンは納得する。
ある意味で分かり易いが、その理屈はどこかシャーリィに通じるところがあった。
「キミだって、そうだろう? そこまでの力を得るのに何を犠牲にし、何を代償に支払った。強さを求め、力を渇望するのは猟兵であれば当然のことだ。誰もキミを責めたりはしないだろう。それが私の場合、力ではなく知ることへの欲求が強かっただけだ」
理解はしがたいが、シーカーがどういう考えで動いているかをリィンは察する。
ようするに、この男もバカなのだ。そして狂っている。リィンと出会わなければ、シャーリィもこうなっていたかもしれない。
既に目の前の男は取り返しがつかないほどの狂気に取り憑かれているのだとリィンは理解した。
「その執念は本当に凄いよ。正直、感心させられるほどだ」
変人という部分を除けば、ここまで自分に正直に生きられる人間も少ない。いや、既に人間ですらないのかもしれないが、シーカーという男は誰よりも人間らしく欲望に忠実なだけだ。そこに善悪など存在しないのだろう。
しかし、いやだからこそ――こんな男を野放しに出来るはずもなかった。
「だから見せてやる。正真正銘、俺の最後の手段――そして、お前が欲しているものの正体を」
この男をここまで狂気に走らせた原因は、自分にもあるとリィンは考えていた。
怒りに身を任せ、暴走するがまま力を振った結果、生まれたのが目の前の男――シーカーだ。
だからこそ、ケジメは自分でつけなければならない。今度こそ確実に、それも二度と転生など出来ぬようにシーカーを消滅させることを誓い、リィンは剣を収める。
「何を……」
二本の剣を腰に差し、無手となったリィンに怪訝な視線を向けるシーカー。
だが、リィンは勝負を捨てたつもりもなければ、目の前の男を見逃すつもりもなかった。
剣を手放したのは、いまからすることに剣など必要ないからだ。
「――終焉の炎」
そう呟くと、リィンを中心に黄金の炎が立ち上る。
目を瞠るシーカー。しかし、それに気付いた時には何もかもが遅かった。
「黄金の炎だと! まさか、世界が炎に呑み込まれていく!?」
あらゆるものを呑み込み、焼き尽くす黄金の炎。触れるものすべてを灰燼と化す。
そして、それは一切の慈悲なく例外は存在しない。
「ぐあああああっ! あ、熱い……か、身体が……」
炎に呑まれ、肉体だけでなく魂が燃え尽き、存在そのものが灰となって消えていくのをシーカーは感じる。
――そうか、これが……。
そして彼は気付く。自らが追い求めた真理の正体と、リィンの使った力の意味を――
だが、その代償に彼が支払ったのは、自らの存在そのものだった。
◆
ゼムリアストーン製の二本のブレードライフルは〈王者の法〉を制御する上で必要な触媒だが、逆に言えば力を制御しようと思わなければ不要だ。ラグナロクとは一切の力を制御せず、ただ解放するだけという自爆技だった。
その結果、周囲に浮かんでいた浮島は一つ残らず消滅し、一切の生命が死に絶えた灰色の世界が広がっていた。
「初めて使ったが、やっぱりこれは使えないな……」
灰の大地を踏みしめながら、リィンは呟く。
こんなものを使えば、敵も味方もあったものじゃない。ありとあらゆるものが炎に焼かれ、消滅することになる。そうなったら何も残らない。マクバーンとの戦いでも使わなかったのは、それが一番の理由だ。使えばどうなるかは想像が出来ていた。
――世界を終わらせる終焉の炎。恐らくはこれが〈王者の法〉の本来の力なのだろう。
「親父が余程のことがない限りは使うなって戒めるはずだな。あれで勘が鋭いところがあったし、気付いていたのかもな」
既に何回もルトガーの言い付けを破っているだけに、開き直った様子でリィンは呟く。とはいえ、今後も必要に迫られれば、きっと力を使うことになるだろうという自覚がリィンにはあった。
猟兵の生き意地の汚さと諦めの悪さを教えてくれたのは、他ならぬルトガー自身だ。だから勝つため、生きるために力を使うことにリィンは忌避感がない。頭の良い奴ほど難しく考えるが、力に理由を求めるのは二流のすることだ。力は所詮、力でしかないことをリィンはよく理解していた。
それにルトガーも本気で約束が守られるとは思っていなかったはずだ。その証拠に曖昧な口約束で済ませたのも、リィンなら力を間違った方向に使わないと信頼してのことなのだろう。
そして、
「あ……」
さっさとシャーリィたちと合流しようと踵を返しところで、リィンは気付く。
慌てた様子で辺りを見渡すリィン。
「やばい! 出口はどこだ!?」
すべて灰と化した世界で、リィンは締まらない叫び声を上げた。
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