番外『暁の東亰編』



 地面に伏せ、突然の揺れに耐える人々。東亰冥災以来となる巨大な地震が杜宮を中心に東京全域へと広がっていく。
 それは先日起きた虚空震とは比較にならない規模の時空の歪みを観測していた。

「……はじまったみたいだね」

 上空から杜宮の街を見下ろす人影。白いローブを纏った銀髪の少女が宙に浮かんでいた。
 裏の世界の住人に『異界の子』と呼ばれる存在。またの名をレム。それが彼女だった。

「キミが動くと言うことは、やはり彼等≠ヘそうなんだね」

 この地に眠る存在に対し、レムは敬意を持って尋ねる。
 だが、何をすると言う訳でもない。レムはあくまで観測者だ。どういう結果になろうと、彼女には事の推移を見守ることしか出来ない。
 運命を選択し切り拓くのは、あくまで当事者である彼等だ。だから、この問いはあくまで確認に過ぎなかった。
 レムにとって目の前の出来事は、数多くある観測対象の一つに過ぎないのだから――

「邪魔をするつもりはないさ。この運命がどこに収束するのか、僕はゆっくりと見守らせてもらうよ。でも願わくば……」

 そこに個人の感情を挟むべきではないとわかっていても、レムは願わざるを得なかった。
 頭に過ぎるのは、運命に抗おうと敢えて苦難の道を選んだ少年少女たちの顔だ。その道に救いがないことはわかっていた。それでもレムは彼等の選択を最後まで見届けたかった。
 しかし、いまとなってはそれも叶わない。異世界より紡がれし因果が運命を狂わせていくのをレムは感じ取っていた。
 だからこそ願う。せめて、彼等の選択に救いがあらんことを――


  ◆


 アクロスタワーの上空に現れる空間の亀裂。そこから灰色の巨人が姿を見せる。
 ゼムリア大陸西部の軍事大国、エレボニア帝国に古の時代より伝わる七体の巨神の一体。それが、この灰の騎神ヴァリマールだった。

「危なかった……間一髪、間に合ったみたいだな」

 操縦席で安堵の息を吐くリィン。
 虚空震が起きる直前、ギリギリのところでヴァリマールを召喚することに成功し、次元の歪みに呑み込まれるのを間一髪のところで回避していた。
 そんなヴァリマールの手には光の玉が抱えられていた。その正体はエマの張った結界だ。

「皆さん、大丈夫ですか?」
「ええ……ありがとう。エマさん」

 皆を代表して礼を言うアスカ。彼女には本当に助けられてばかりだとアスカは苦笑する。しかし無事を喜んでばかりもいられなかった。
 この虚空震を引き起こした存在が、こうしている今も杜宮に潜んでいるのだ。それにもう一つ、余りに受け入れ難い現実のため目を背けていたが、自分たちを助けてくれた巨神のことも気になっていた。
 操縦しているのがリィンだというのは状況を見れば分かる。しかし、こんな空を飛ぶロボットの存在をアスカは勿論ミツキも知らなかった。
 少なくとも軍が使っている機動殻(ヴァリアント・ギア)はこんな形状をしていないし、単独で飛行できる機体が完成しているという話は聞いたことがない。しかも虚空震をものともせず空間を飛び越え、異界から脱出するなんて非常識にも程がある。明らかなオーバーテクノロジーの産物を目の当たりにして、彼女たちが言葉を失うのは無理からぬことだった。

「あのエマさん。この機体は……」
「えっと……」

 ミツキの質問にエマは答えにくそうに視線を逸らす。通りすがりの傭兵という言い訳は、この様子ではもう通用しないだろう。
 どう答えたものかとエマが悩んでいると、アスカが核心に迫る質問を口にした。

「シオリさんの話、あれは真実なんですか? エマさんたちが別の世界からやってきたと言うのは……」

 あの時は他のことに意識が向いていてスルーしていたが、シオリは確かに魔王だけでなくエマたちもこの世界に呼んだと口にしていた。
 だとすれば常識では考えられないことだが、リィンやエマ、それにシャーリィも魔王と同じ別の世界から召喚されてやってきた存在だと考えるのが自然だ。
 半信半疑ではあっても、アスカはそのことを確かめずにはいられなかった。そう考えれば、これまで感じていた違和感の正体にも説明が付くからだ。
 これほどの実力者が誰にも知られていなかったことや、突然この地に現れたかのように一切の足跡を辿れなかった理由。彼等が常識に疎かった事情なども、別の世界からやってきたのだとすれば理解できる。

「はい。信じられないでしょうが……」

 観念した様子で、エマはアスカの質問を肯定する。
 ヴァリマールを目撃される前であれば、まだ言い訳も出来ただろうが、これを見られてしまった以上は下手な言い訳は首を絞めるだけだと思ってのことだった。
 自分で質問しておいてなんだが、エマが認めたことでアスカとミツキは何とも言えない複雑な表情を浮かべる。異界が存在するのだから、別の世界が存在しても不思議な話ではない。しかし、すぐに頭の中で整理の付けられるような話ではなかった。
 まず誰にも信じてもらえないとは思うが、こんな話が組織の人間に知れれば、異界以上に厄介な問題となることが目に見えている。
 リィンたちにちょっかいを掛けようとする恐い物知らずな人間も出て来るだろう。

「ミツキさん……わかっているでしょうけど」
「ええ……このことは私たちの胸の内にしまっておいた方がよさそうですね」

 だからアスカとミツキは、このことを絶対に誰にも話さないと心に決めた。
 リィンやエマのことを心配してのことではない。彼等にちょっかいを掛けた挙げ句、組織が痛手を負うことを危惧してのことだ。
 リィンの非常識な力。シャーリィのあの性格。エマの見たこともない魔術。そこに空を飛ぶ機動兵器まで加われば、軽く冗談では済まない話になる。彼等を敵に回すことだけは絶対に避けなくてはならないと言う認識で二人の考えは一致していた。
 いま一つ話を理解できていない様子だが、ソラとリオンにもここで聞いた話を黙っていてくれるようにミツキは釘を刺す。そして――

「時坂くん……」

 まるで抜け殻のようになったコウを見て、ミツキは悲痛な表情を浮かべる。
 いまのコウに何を言っても無駄だ。彼の耳に、心に言葉が届かないことはわかっていた。
 それはソラやリオンも気付いている様子で何も口にしない。場に重苦しい空気が漂う中、アスカは真剣な表情で話を切り出した。

「ここでこうしていても仕方がないわ。まずは状況を確認しないと……エマさん。私たちを学園にまで送り届けてくれるように、彼に頼んでもらえるかしら?」
「あ、はい。そうですね。リィンさん、聞こえていますか? ……リィンさん?」

 リィンの名前を呼ぶエマ。しかし反応がないことで怪訝な表情を浮かべる。
 数秒の沈黙の後、そんなエマの疑問にリィンは操縦席から焦りを隠せない声で答えた。

「エマ、すぐに全員を転位しろ。何処でもいい、いますぐにだ!」

 空を見上げながら叫ぶリィン。その視線の先には、先程ヴァリマールが抜け出してきた空間の亀裂があった。
 パキパキと音を立てながら、ステンドガラスのように粉々に砕け散る空。緋色の空の向こうから真っ白な光が漏れ出す。そして、それは姿を見せた。
 四肢に炎を纏った白い獣。逆立つ九本の尾が、まるで太陽のような輝きを放つ。その神々しくも幻想的な光景にソラやリオンだけでなくアスカやミツキも目を奪われる中、エマは信じられないものを見たと言った様子で呆然と呟く。

「白い獣……まさか、あれは聖獣?」

 ゼムリア大陸に古くから伝わる守護の聖獣。魔女の伝承にもある古の守護者がエマの目には映っていた。


  ◆


「ダメです。転位の魔術が発動しません!」
「チッ! 異界化の影響か――振り落とされるなよ!」

 エマたちを抱えたままでは激しい動きは出来ない上、転位まで封じられては打つ手がなかった。
 出来るだけ距離を取るしかないとリィンは考え、白い聖獣――九尾から離れるようにヴァリマールを飛ばす。
 だが、標的をヴァリマールに定め、無数の炎を放ちながら九尾は追い掛けてきた。
 しつこいとぼやきながら、とにかく市街地に被害をださないように人のいない場所を目指してリィンは逃げる。
 そんななかアスカは敵の正体を確認するために、先程の言葉の意味をエマに尋ねた。

「エマさん。さっき言ってた聖獣って……」
「私たちの世界で密かに伝えられている守護者のことです。私も見たのは初めてなので詳しくは知りませんが、言い伝えでは至宝を守る存在だとも言われています」
「……至宝?」

 聞き慣れない単語にアスカは首を傾げる。名前からすると曰く付きの代物みたいだが、あれほどの存在が守っている至宝というのは想像が付かなかった。

「セプト・テリオン。私たちの世界で最も広く信仰される女神〈エイドス〉が古代の人々に授けたとされる七つの至宝のことです」

 神が直接人に与えた至宝だと聞き、アスカだけでなくミツキも驚きの声を上げる。それは言ってみれば、本物の神器と言うことだ。
 エマの話が本当ならソウルデヴァイスなど比較にならない。神の奇跡を宿した器。裏の世界に関わる者として、それがどれほど埒外なものか分からないアスカとミツキではなかった。
 特にネメシスは中世の魔術結社を成り立ちとする組織なだけに、神秘の力の一端を知るアスカの驚きは大きい。

「でも、そんなのがどうしてこの世界に――」
「推測ですが、あれは私たちの世界の聖獣ではないと思います。恐らく、この地に眠る土地神のような存在ではないかと……」
「それって、まさか……」

 杜宮の地に根付く伝承に関しては、アスカも異界の調査がてら耳にしたことがあった。
 当初はよくある話くらいに受け止めていたのだが、それがまさか本物の神が眠っていようとは想像できるはずもない。だが、その話を聞いて納得が行く。
 ミツキに確認を取るように視線を向けるアスカ。そんなアスカの視線に気付き、ミツキは頷き返す。

「ええ、アスカさんの想像通りだと思います。温泉で〈異界の子〉が化けた獣型の怪異。あれによく似ていると思いませんか?」
「そういうことなのね。だとすれば、あれは……」

 アスカの目から見ても、あの九尾の獣が並の存在でないことくらいは理解できる。
 あの九尾は恐らくエマの言うように、この地に眠る古い神格。〈夕闇ノ使徒〉すら霞んで見える本物の神とも言える存在だ。
 怪異であれば、まだ人の手で倒せる可能性があった。しかし相手が神となると話は別だ。

「魔王の次は神様って、どんな展開よ……」

 アスカたちの話を聞いて、リオンは疲れきった表情でそう呟く。ラスボスを倒したと思ったら、裏ボスが登場したようなものだ。
 しかも、これはゲームではなく現実だ。理不尽とも言える状況にリオンが不満を口にするのも無理はなかった。

『まったくだね。これがゲームなら、炎上しているところだよ』
「え……?」

 突然、ここにいないはずの人物から声をかけられ、呆けた声を上げるリオン。いまの声は確かにリオンのよく知る声だった。

『郁島から連絡をもらってね。なんだか大変なことになってるみたいじゃない?』

 四宮祐騎。その声がユウキだと気付き、リオンは口をパクパクと金魚のように動かす。よく見ると皆に声が聞こえるように、ソラがサイフォンを手に掲げていた。
 ユウキの話から、ソラがサイフォンで連絡を取っていたのだと気付く。確かにここは迷宮の外だ。なら、サイフォンの通信が使えてもおかしくない。
 どうしてそのことに気付かなかったのかと、ミツキとアスカも顔を合わせて溜め息を吐く。

『だから、応援がいると思ってね。劣勢みたいだし戦力が足りてないんじゃない?』

 戦力と言われて地上を見下ろすと、郊外の開けた場所に国防軍の戦車や機動殻が展開しているのが確認できた。
 いつの間に準備を進めていたのかと疑問が頭を過ぎるが、リィンはこれをチャンスだと捉え、ヴァリマールをそちらへ向かわせる。

「四宮と言ったか? よく国防軍を動かせたな」
『僕の手柄じゃないから、御礼ならミツキ先輩のお爺さんに言ってよ』
「……お祖父様が?」
『東亰の危機だからって、基地司令に掛け合ってくれたんだ。で、助けはいる?』
「……上出来だ。少しの間でいい。あいつの注意を引き付けてくれ」

 リィンの頼みに応じ、通信の向こうでユウキは待機していた軍に連絡を取る。最初からそのつもりで準備を進めていたのだろう。
 しかし国防軍の精鋭部隊とはいえ、正直あの九尾が相手ではそう長い時間は保たないだろうとリィンは考える。そのため、国防軍が九尾と交戦を開始したのを確認すると、リィンは反転してヴァリマールを戦線から離脱させた。
 足手纏いがいては戦えないと考え、コウたちを降ろせる場所を探して学園方面へと進路を取る。

『ああ、そうだ。センパイいる?』
「えっと、コウ先輩は……」

 そんななかユウキからコウのことを尋ねられ、ソラは返答に窮した。
 正直に答えることは簡単だが、コウだけでなくシオリのことを話すのは躊躇われたからだ。
 実際、まだ現実感がないというのが正直なところだった。シオリが死んだなんてソラも信じたくはなかったのだ。

『あー』

 ソラの声の様子から、何かあったことに気付いたのだろう。ユウキが気を利かせて通信を切ろうとした時だった。

『まあ、でられないなら別に――わっ! ちょっと、まだ電話中だから待っ――』
『コーくん!』

 サイフォンの向こうから聞こえてくる声。それはトワのものだった。いや、トワだけじゃない。コウの名前を呼ぶ声が幾つも聞こえてくる。
 親友のリョウタやクラスメイトだけでなく、コウが世話になっているバイト先の店主や商店街の知り合いまで、様々な人の声がサイフォンのスピーカーを通してコウたちの耳に届く。

「ど、どういうこと?」
「皆がどうして……」

 どうして通信の向こうに皆がいるのかと、リオンとソラは目を丸くして驚く。しかし、こうして皆が集まっているのには理由があった。

『落ち着いて聞いてコーくん。私も含めてここにいる皆、シオリちゃんに呼ばれて集まったんだよ』
「シオリが……?」

 どうしてシオリの声が聞こえたのか、トワにも分からない。しかし、その声が錯覚だとは不思議と思わなかった。
 そもそもこうして軍を展開して待ち伏せることが出来たのも、シオリがコウの危機を知らせてくれたからだ。
 そして、もう一つ。トワには、どうしてもコウに伝えたいことがあった。それはシオリのことだ。

『自分を見失わないで。シオリちゃんはいつもコーくんのことを心配してた。見守っていた。そんな彼女が、いまのコーくんを見たら悲しむと思う』
「シオリが悲しむ……」

 通信越しに話をしているトワにも伝わるくらい、コウは激しく動揺をしていた。
 だからこそ、トワは話を続ける。それがシオリの望みであり、トワ自身の願いでもあったからだ。

『何があったのかまでは分からない。でも、一つだけ私にも分かることはあるよ。こんなにもたくさん、コーくんやシオリちゃんのことを心配してくれている人たちがいる』

 何があったのか、詳しいことはトワには分からない。だが、一つだけはっきりとしていることがあった。
 コウやシオリのことを心配して集まってくれる人々が、こんなにも大勢いるということだ。
 良いことをしても報われないという人もいるが、見ている人はちゃんといる。その結果が、こうして二人のことを心配して集まった人たちでもあるとトワは思う。
 これはコウとシオリが、杜宮の街で育んできた縁だ。だからこそ、コウにそのことだけでもわかって欲しかった。

『だからコーくん。前を向いて、一人で悩まないで』

 そんなトワの声に微かに反応を見せるコウ。なんの根拠もない励まし。だが、不思議と力が湧いてくるのをコウは感じる。
 まるで、そこにシオリがいて叱られているような、そんな錯覚さえ覚えるトワの励ましに――コウは涙を流す。

「俺はシオリを助けられなかった。なのにアイツは……」

 皆の元にシオリの声がどうして届いたのかは分からない。しかしそれは最後の瞬間まで、シオリがコウのことを想い続けた証のように思えた。
 こうして、ずっとシオリに守られてきたのだとコウは気付き、慟哭する。
 助けたかった。救いたかった。なのに、守れなかった。

「俺は――ッ」

 どうしようもなく行き場のない想いが、悲鳴となって空に消えた。



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