番外『暁の東亰編』
「この辺りでいいだろ。お前等はさっさと避難しろ」
国防軍の助力もあって九尾を引き離したリィンはコウたちを街中に降ろし、自分は再び戦場に戻ろうとする。明確な勝算があるわけではないが、成り行き上あんな怪物を放置することも出来ない。それに確かめたいことがあった。
エマをヴァリマールのコアに乗せ、飛び立とうとするリィンをコウが引き留める。
「待ってくれ!」
「なんだ? また連れて行ってくれなんて言うつもりじゃないだろうな?」
またかと言った顔でリィンは質問を返す。
これ以上は依頼人の頼みであっても、コウの我が儘に付き合うつもりはリィンもなかった。
だが、そんなリィンの考えとは裏腹に、コウは悔しさを滲ませながら答える。
「……違う。俺が付いていったところで足手纏いにしかならないことはわかってるさ」
へえ、と声を漏らすリィン。まさか、コウの口からそんな台詞がでるとはリィンも思っていなかった。
てっきり一緒に連れて行って欲しいと言い出すかと思っていたのだ。
なら、どういう理由で引き留めたのかとリィンは気になって尋ねる。
「なら、なんだ?」
「ここにアルバイトで貯めた金が入ってる。それで足りないなら、何年かかってでも働いて必ず払う。だから――この街を、トワ姉を、皆を守ってくれッ!」
銀行のカードが入った財布を取りだし、コウは膝をついて地に頭をつける。予想もしなかったコウの頼みにリィンは驚く。
シオリを殺した相手に頭を下げる。コウの性格を考えれば、それは絶対にないとリィンは考えていた。
しかも誰に教わったのか、金で猟兵に依頼をするという建て前まで用意してだ。
チラリとミツキを見るリィン。しかしミツキは首を横に振って答える。自分の入れ知恵ではないと言いたいのだろう。
「最初からわかっていたんだ。アンタが悪いわけでも、ミツキ先輩の所為でもないってことは……すべて、俺の弱さが招いた種だ。なのに他人の所為なんかにしてたら、シオリに笑われちまう」
これには素直にリィンは感心する。頭で理解していても納得するのは難しい。逆恨みだとわかっていても、誰かに怒りをぶつけずにはいられないのが人間だ。
リィン自身も多くの人間の恨みを買っている自覚があるだけに、コウの言葉は意外だった。
「本当なら自分でやりたい。でも、俺は弱い。ならせめて――」
なるほど、とリィンはコウの考えを理解する。
お粗末な考えだが、彼は彼なりに相手の流儀に合わせようとしているのだろうとリィンは納得した。
それに大切な幼馴染みを殺した相手に街を守ってくれと頼むくらいだ。皆を守りたいというコウの想いに嘘はないのだろう。
(まあ、ある意味でこいつも被害者と言えなくはないか)
戦うことを決断したのはコウ自身だが、この前まで裏の世界のことを何も知らない一般人だったことを考えれば彼にも同情の余地はある。
一番責められるべきなのは彼を諭し、導いてやることが出来なかった大人たちの方だ。
しかし、それだけでは動かないのが猟兵だった。
「一億」
想像もしなかった金額を告げられ、コウは目を見開いて驚く。
これにはリオンとソラも驚きと呆れを隠せない様子で口をパクパクさせていた。
「それが俺たちを雇う上での最低金額だ。学生のお前に払える額じゃない」
しかし、リィンは最低でも自分たちの腕にそのくらいの価値があると考えていた。
実際、北都グループからはミツキの裁量で動かせるだけの額を目一杯請求してあった。
個人で動くのとは違い、組織を動かすには莫大な金が掛かる。武器の調達や弾薬の補充に必要な兵器の運用費。兵士を雇用するための人件費や食糧なども戦争をするには不可欠だ。そうしたコストや想定される人的被害を考慮すれば、一億程度の金は高が知れている。ミツキもそのことがわかっているから、個人への報酬としては過分とも言える契約に応じたのだ。
とはいえ、そんな金額を学生のコウに支払えるはずもなかった。バイトで貯めた金と言っても、学生なら数百万がいいところだろう。支払いを分割にしても何十年かかるか分かったものではない。そのことがわかってか表情を暗くするコウを見て、リィンは溜め息を吐く。
自分の言い方が悪かったのをリィンも認めるが、早合点が過ぎるのも困りものだ。
「やらないとは言っていない。既にそこのお嬢さんとは契約を交わしているしな。金の心配なんて子供がするなってことだ」
そう言われて、コウは目を丸くする。最初からリィンはコウから報酬を受け取るつもりはなかった。
そもそもミツキとの契約は、彼等の手に負えない敵の排除だ。それは今回の敵も含まれる。
猟兵は金に汚いように思われがちだが、契約はしっかりと守る。それが依頼主の信用を得るために必要な最低限のルールだとわかっているからだ。
それに、これまでシオリのことで頭が一杯で自分の主張ばかりを通してきたコウが、街を守るために相手の流儀に合わせて道理を通そうとしたのだから、その程度のことは応えてやるべきだとリィンは思っていた。
「行くぞ、エマ」
「はい」
リィンが丸い操縦桿に手を置くと、ヴァリマールは背中の翼からマナを噴出し、空へと飛び立った。
瞬く間に見えなくなったヴァリマールの背中を呆然と見送り、コウは溜め息交じりに呟く。
「強くなりたいな……」
これまでは仲間と一緒ならどうにかなると考えていたが、現実には限界があることを知った。
結局なに一つ救えなかった。守れなかった。それは自分の弱さが原因だとコウは思う。
だから強くなりたい。心の底からコウは、そう願った。
「なれるわよ。あなたなら」
そんなコウを励ますアスカ。いや、これは彼女の本心でもあった。
この短期間でこれほどの力を身に付けたコウの〈適格者〉としての適性は高い。恐らく自分以上の素質を持っているとアスカは見抜いていた。だからコウがその気になれば強くなることは、そう難しくはないはずだ。
いざとなったら一緒にネメシスに――
そんなことを口にしようとしたところで、ミツキが会話に割って入る。
「そういうことなら、時坂くん。学園を卒業したら北都で働きませんか?」
「ちょっとミツキさん。抜け駆けは酷くないかしら? それならネメシスだって」
「ネメシスと違い、北都なら表も名の知れた大企業ですから、優良な就職先だと思うのですけど……」
「それは、ネメシスが胡散臭い秘密結社だとでも言いたいのかしら?」
「そう聞こえたなら、ごめんなさい」
いつもと違った雰囲気で火花を散らせる二人を見て、コウは思わず後ずさる。
しかしそんな二人を見ていると、いままで悩んでいた自分がバカらしくなった。
もっと早くに気付いていれば、違った結果もあったかもしれないと思うとコウは複雑な気持ちに駆られる。しかしトワが言ったように、こんな風に落ち込むことをシオリは望んでいないはずだ。
だからコウは笑う。シオリに笑われないように前を向いて生きていくと心に決めたのだから――
「ちょっと時坂くん? あなたのことで喧嘩してるのに笑うのは酷いんじゃない?」
ムッとした顔で腰に手を当て、半眼でコウを睨み付けるアスカ。そんなアスカに謝りながら、コウは誓う。
もう二度と、こんなに悔しい思いはしたくない。そのためにも強くなる。だから――
ふと、シオリの声が聞こえたような気がして、コウは空を見上げた。
◆
「リィンさん、勝てると思いますか?」
「さてな。魔王には挑んだことはあるが、さすがに神様は初挑戦だ。だが――」
戦場へ向かって飛ぶヴァリマールの操縦席で、エマは真剣な表情でリィンに尋ねる。
正直な話、聖獣というのがどの程度の力を秘めているのか、魔女の伝承でそれなりに知識のあるエマにも分からなかった。地域によっては神のように扱われている存在だ。実際、彼等を奉っている部族も少なくない。
魔王と神、そのどちらが強いかは分からないが、超常の力を備えた存在であることは間違いなかった。そんな相手に勝てるのかという質問だったのだが、リィンは特に気後れした様子もなく、
「親父とどっちが強いかな?」
そんな風にエマの質問に答えた。
本気なのか冗談なのか分からないリィンの返答に、なんとも言えない表情を見せるエマ。しかしリィンは至って真面目で、どれだけ強くなろうとも生前のルトガーに未だに勝てる気がしないでいた。
リィンが目標とする背中は遠い。デュバリィあたりに一番強いのは誰かと聞けば、鋼の聖女の名前が挙がるのだろうが、リィンにとって最強の名を冠するのはやはりルトガー・クラウゼルただ一人だった。
実際、リィンの集束砲を受けても平然としていた最強の男だ。神と殴り合いをして勝利したとしても不思議ではないとリィンは考える。そんな時、ふとシャーリィの顔がリィンの頭を過ぎる。
「そう言えば、シャーリィはどうしたんだ?」
「シャーリィさんですか? 私は見ていませんが……」
簡単に死ぬようなタイプではないので心配はしてないが、本当にどこで道草を食っているのかとリィンは別の意味で心配になる。いや、これは不安と言い換えてもよかった。
シャーリィの一番怖いところは強さではなく、野生じみた天性の勘にあるとリィンは思っていた。特に頭を使って行動しているわけでもないのに、過程を無視して何時の間にか結果を導いてしまう。それがシャーリィだ。
こうしている今も、何かやらかしているのではないかとリィンが不安に思うのも無理からぬ話だった。
そうしていると戦闘の光が見えて来る。軍の機動殻が九尾と交戦しているのが、ヴァリマールの操縦席からも見て取れた。しかし既に半数以上が破壊され、苦戦しているのが見て取れるほど国防軍の部隊は疲弊していた。
「まずいな。エマ、飛ばすぞ」
「はい」
一気にヴァリマールを加速させるリィン。そして――
巨大な顎から炎の玉を吐き出す九尾と、国防軍の機動殻の間に割って入った。
霊力を纏った腕で九尾の炎を打ち払うリィン。これには機動殻のパイロットも驚きを隠せない様子で唸る。
「待たせたな。時間稼ぎは十分だ。後は任せてくれ」
「……了解した。いろいろと聞きたいことはあるが、ゾディアックからの要請でもある。いまは貴君の言葉に従おう」
実際、兵器の半数を失った彼等に戦う力はほとんど残されていなかった。
指揮官の命令で撤退を開始する国防軍の部隊を見て、これで元の世界に帰れなかったら、いろいろと面倒臭いことになりそうだなとリィンは内心呟く。ヴァリマールの存在は軍からすれば喉から手が出るほど気になるはずだ。
軍の撤退を確認しながら空を見上げ、ジッと九尾を見据えるリィン。だが一向に手を出してくる様子のない九尾を見て、リィンは訝しげな表情を浮かべる。血に飢えたただの獣であれば、逃げる獲物を黙って見過ごすとは思えない。だから気になって尋ねた。
「随分と余裕そうじゃないか。まさか、待ってくれるとは思わなかったぜ」
「我が用のあるのは、お前たちだけだ。ただの人間に興味はない」
人間の言葉が通じるか不安だったが、やはり話せたかとリィンは自分の考えが正しかったことを確認する。前世の知識から聖獣の存在に関してはリィンも知っていた。それにクロスベルにも同じような聖獣の伝承が残されているし、二年ほど前にエレボニア帝国の隣国、リベール王国を騒がせた異変では巨大な竜の姿も目撃されていた。彼等が人語を理解し対話の出来る存在であることは、そのことから予想は出来ていたのだ。
だが、この世界の聖獣も同じだとは限らない。だからカマを掛けてみたのだ。
「まさか、話せるとはな。さすがは聖獣ってところか」
「聖獣か。また懐かしい呼び方をする。さすがは異世界よりの来訪者と言ったところか」
「そっちこそ、随分と事情通のようで。なら話ついでに、元の世界への帰り方を知ってたら教えて欲しいんだがな」
少しでも情報を引き出そうとリィンは九尾との対話を試みる。正直な話、積極的に戦いたいと思う相手でもなかったことが理由にあった。
それに仮にも神を名乗る存在なら、古の時代より蓄えている知識の中にその手の情報も持っているのではないかとリィンは考えていた。
「境界を渡る手段なら勿論、知っている。だが、世界は無数に存在する。その中から一つの世界を探しだすことは我にも無理だ」
「神様でも出来ることと出来ないことはあるってことか?」
「神……そう呼ばれたこともあるが、我は全知全能ではない。出来ることと出来ないことがある。しかし――」
リィンを鋭い眼光で睨み付け、威圧するように九尾は言葉を溜めると、
「或いは元凶を排除すれば、元の世界へ帰れるやもしれぬ。試してみるか?」
そう言って、九尾は光輝く玉をヴァリマールの前に出現させた。
その宝玉の中身を見て、リィンは眉をひそめる。
「そうきたか……」
合点が行った様子で呟くリィン。宝玉の中で眠っているのは裸のシオリだった。
殺したはずの相手。だが、こうして生きているということは、目の前の九尾が助けたのだろうとリィンは察する。コウがこのことを知れば喜ぶだろうが、彼女が件の元凶だと知るリィンとしては複雑だった。
九尾の言うようにシオリを殺せば、確かに元の世界へ戻れる可能性は高い。夕闇ノ使徒が改変した因果は、シオリが死ぬことによって元のカタチへと収束するはずだ。それが魔女の見解だった。
自分たちが元の世界へ帰ることだけを考えれば、シオリをここで殺してしまうのが早い。リィンもそれがわかっているからこそ、躊躇いも無く一度はシオリを手に掛けようとしたのだ。
「なんで、その子を助けた? お前の目的はなんだ?」
「最初の質問に答えるのなら、この者の魂が我の巫女として相応しい資格を持っていたからだ。悠久の時を共に生き、我を慰める存在を我はずっと求めていた」
巫女という言葉に反応を見せるリィン。
弱っていたとはいえ、夕闇ノ使徒に見初められ、同化を果たした少女だ。普通の人間でないことはリィンも察しが付いていた。
なんらかの適性を持っていなければ、恐らくシオリは十年前に命を失っていただろう。
その適性と言うのが、九尾の話す巫女に関係しているのだろうとリィンは考える。
「……それが彼女だって言うのか?」
「そうだ。だからこそ、我はこの者の真摯な願いに応え、この地に顕現したとも言える」
「彼女の願いだと? それがお前の目的か?」
「その答えは半分が正解だ。巫女の願いは、我の思惑にも沿っていた」
シオリの願い、それに九尾の思惑と聞いてリィンは嫌な予感を覚える。
「……お前の思惑っていうのはなんだ?」
「世界にとっての異物を排除すること。ならば、為すべきことは単純であろう?」
威圧感を増す九尾を見て、冷や汗を流すリィン。エマも息苦しそうにしていることから、相手が本気でやる気なのは疑いようがなかった。
結局はこうなるのかよ、と自分の不運を嘆くリィン。ようするに世界の異物である自分たちを排除しようとしているのだとリィンは解釈した。
勝手に縄張りを荒されて怒っていると言ったところだろう。
「気に入らないから物理的に排除するって神様のやることかね? 大人気ないと思わないのか?」
「土足で他人の土地に足を踏み入れ、好き勝手に暴れ回った侵入者の台詞とは思えぬな。あの世界を焼き尽くす原初の炎――現実世界と隔絶された異界であったからよかったものの、この地で使っていれば、すべては灰へと消えていたであろう」
「まあ、あれはさすがにやり過ぎたと思っているが……好きで呼ばれたわけじゃねえよ。文句なら、そこで眠ってる巫女に言え」
一歩も譲らない一人と一匹。境界を越え、異なる世界で騎神と聖獣の戦いが始まろうとしていた。
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