番外『暁の東亰編』
あの戦いから一週間が過ぎ、リィンたち三人は北都が所有するマンションの一室を借り、ひっそりと生活をしていた。
というのも、騎神を大勢の人間に目撃されてしまったことで、軍や裏の組織と言ったゾディアックとも関係の深い各所からの問い合わせが殺到しているため、ミツキから騒動が一段落付くまでは大人しくしていて欲しいと頼まれたのだ。
件の騎神はというと、そうした事情から人目に触れさせるわけにもいかないため、九尾に預かってもらっていた。コウたちが必死に守ろうとしていた人間より、騒動の一端を担っている九尾の方が信用できるというのも皮肉なものだ。それに先の戦いで力の大半を使い切ってしまい、リィンの体調が思わしくなかったことも素直にミツキの提案に従っている理由でもあった。
「ああ、もうっ! 限界!」
テレビゲームのコントローラーを放り投げ、シャーリィは大の字で床に転がる。
退屈なようで、ここ三日ほどは毎日のように暇だとシャーリィはぼやいていた。
とはいえ、シャーリィの性格を考えれば、むしろ一週間もよく保った方と言えるだろう。
「リィン! どこかにパーッと遊びに行こうよ!」
「お前な……」
「たんまり報酬は貰ったんでしょ? なら、ちょっとくらい良いじゃん。いこうよー」
子供のように駄々を捏ねるシャーリィを見て、リィンは呆れた様子で溜め息を漏らす。
確かに金はある。しかし、ミツキの危惧も一理ある。まだ異変の最中は良かったが、余裕が出て来れば欲をかくのが人間というものだ。仕方のないことだったとはいえ、騎神まで見せてしまったのは失敗だったとリィンは思っていた。
あの戦いを見て、直接的な手を打ってくるようなバカはいないと思うが、様々な手を使って取り込もうとする輩は必ずでてくる。
その対応をミツキが行ってくれているのだが、外にでれば面倒事が向こうからやってくることは想像に難しくなかった。
しかし、シャーリィもそろそろ限界だということは、リィンにもわかっていた。ここでダメと言ったところで、素直に諦めるシャーリィではない。
「仕方ないか……」
勝手に出掛けられて知らないところで騒動を起こされるよりはマシかと考え、リィンは首を縦に振る。
すると出掛けられるのが余程嬉しかったのか、はしゃぐシャーリィを見てリィンは仕方ないなと言った様子で苦笑した。
「とはいえ、お嬢さんには連絡を入れとくか」
サイフォンを手に取り、リィンはミツキに電話をする。
三回ほどコール音が鳴った後に、電話にでたのはミツキではなくキョウカだった。
「あれ? お嬢さんは?」
『お嬢様は会議で席を外しておりますが、ご用件はなんでしょうか?』
「ああ、そうなのか」
ミツキも大変だなと他人事ながらリィンは同情する。
北都グループの後継者候補という立場から、学業の傍らミツキは会社の仕事にも深く関わっていた。そんななかで騎神の件では彼女に相当の負担を強いているだけに、リィンも少しは気に掛けていたのだ。
出来ることなら余り負担を掛けたくはないが、これ以上シャーリィを抑えるのは無理だ。だから心を鬼にして、リィンはキョウカに伝言を頼む。
「お嬢さんに伝言を頼めるか? 悪い。シャーリィを抑えきれなかったって」
『……え?』
「じゃあ、そういうことで!」
『待ってくださ――』
返事を待たずリィンは電話を切る。そして念入りにサイフォンの電源もオフにした。
悪いとは思うが、一週間も待ったのだから十分だろうと自分を納得させる。
「出掛けられるんですか?」
「うん。リィンとこれからデートするんだ。あっ、エマも一緒に行く?」
「デ、デート!? リィンさんとですか!?」
ただ出掛けるだけなのに、いつからデートになったのか?
ツッコミたい気持ちを必死に抑え、リィンは二人の会話を聞き流す。
(考えてみると、シャーリィに告白されてるんだよな……)
子作りしようと言うのが告白かどうかはさておき、シャーリィの場合、冗談と切り捨てることは出来なかった。
シャーリィのことは嫌いではないが、正直そんな風に彼女を見れるかというと話は別だ。最初は団を抜けてきたと聞いて警戒もしたが、いまはもうシャーリィを疑ってはいない。フィーと一緒でシャーリィのことは家族のように思っていた。しかしそれは恋愛感情ではなく妹のように思っていると言った意味でだ。
年齢では一つか二つしか変わらないとはいえ、前世から数えて親子ほども歳の離れた少女をそういう対象に見られるかというと難しかった。
「せめて、あと三、四年か……」
ふと、シャーリィを見ながらリィンはそんなことを呟く。
深い意味はなかった。せめてシャーリィが成人して、それでも子供を産みたいと言ってくるようなら、その時はちゃんと考えてやろうと思っての発言だったのだ。
しかし両腕で胸を隠し、顔を真っ赤にして睨むエマを見て、リィンは「あれ?」と首を傾げた。
「……シャーリィの胸、やっぱり小さいよね。三年経ったらエマみたいに育つのかな?」
エマの胸を見ながらペタペタと自分の胸を触り、シャーリィは羨ましそうに話す。
戦闘の邪魔にはなりそうだが、同じ女性として羨ましくないかと言えば話は別だった。
特にリィンが大きい胸でないとダメとなると、シャーリィにとっては死活問題だ。
「いや、ちょっと待て! そう言う意味で言ったわけじゃ!?」
無意識だった。話の流れで自然とエマの胸もとに視線が吸い寄せられたのは、男として仕方のないことだとリィンは自己弁護しつつ、必死に誤解を解こうとする。
だが「不潔ですッ!」と言って走り去るエマを前に何も出来ず、呆然とリィンは立ち尽くすこととなった。
◆
「リィンって、おっぱいが好きなの?」
「人の傷口を抉るな。もう、その話はやめてくれ……」
シャーリィの悪気のない一言に、先程の件を思い出してリィンは自己嫌悪に陥る。
好きか嫌いかで言えば好きだが、そんなこと口が裂けても認められるはずがなかった。
「シャーリィは好きだよ?」
「そりゃ、お前はいいだろうよ」
女のシャーリィならまだ悪戯で許されるが、男のリィンがそんなことをすればセクハラ間違いなしだ。
結局、エマはどこかに行ってしまって連絡が付かないし、本当に踏んだり蹴ったりだとリィンは溜め息を吐く。
(どことなく懐かしい風情が残る街並みだな)
シャーリィと並んで歩きながら、リィンは街の様子を観察する。異変騒ぎで戦い続きだったこともあって、ゆっくりと見て回るような時間はなかったが、こうして見ると昔ながらの風情が残る良い街だとリィンは思う。どこか懐かしさすら感じる風景を前に、前世の記憶が少しずつ蘇っていくのを感じる。この身体に転生して十八年。もう随分と昔のことのように思えるが、リィンにとって地球で生まれ育った記憶も大切な思い出であることに違いはなかった。
そんな懐かしい気分に浸っていると、先程まで隣を並んで歩いていたシャーリィがいないことにリィンは気付く。
「美味いかい? お嬢ちゃん」
「うん。おばさん、そっちのも貰っていい?」
商店街の中央に店を構える肉屋の前で、シャーリィはふくよかな顔付きをしたエプロン姿のおばさんと楽しそうに話をしていた。
目を離すとすぐこれだと、リィンは頭を掻きながらシャーリィに近づく。すぐに誰とでも打ち解けるのはシャーリィの良いところだが、放って置くと何をするか分からないので困ったものだった。
財布を取り出し、シャーリィの分も含めて、おすすめのコロッケを注文するリィン。そして注文がてら、リィンはこの街で買い物や遊べる場所を尋ねた。
「そうだね。駅前まで足を運べば大体の物は揃うけど、服とか雑貨を買うならレンガ小路がおすすめかね? 若い子が遊ぶような場所は蓬莱町に行けば、いろいろとあるとは思うけど、あの辺りは少し物騒だからね」
シャーリィを見ながら、そう話す肉屋のおばさん。恐らくシャーリィのことを心配してくれているのだろうが、シャーリィの方が物騒なことを知っているリィンからすれば不要な心配にしか思えない。かと言って、本当のことを話したところで信じてはもらえないだろうし、敢えて否定しようとも思わなかった。それに親切にされて嫌な気はしない。偶にはこういうのも悪くないと思いながら代金を払い、リィンは受け取ったコロッケを頬張る。
「ちょっと待ってな。地図を書いてやるよ」
そう言って店の奥に姿を消すと、おばさんはメモ用紙とペンを持って戻って来た。
慣れた様子で、さらさらっと簡単な目印のついた地図を書き終えると、それをリィンに手渡す。
頭を下げ、礼を言って肉屋を後にするリィン。その後をコロッケを口にくわえながら、シャーリィは追い掛ける。
「ねえ、リィン」
「なんだ?」
「あのおばちゃんも胸大きかったね」
「お前は見境なしかッ!?」
リィンのツッコミが商店街の空に響いた。
◆
駅前は大分、復興作業が進んでいた。壊れた道路や建物などを直すため、工事車両が引っ切りなしに行き来しているのが確認できる。軽く買い物を済ませると、リィンは荷物をマンションまで配達してもらえるように手配し、シャーリィと共に蓬莱町行きのバスに乗り込んだ。
物珍しそうにバスの窓から外の景色を眺めるシャーリィを、リィンは微笑ましそうに見る。完全にお上りさんと言った様子だが、あちらの世界と比べれば、それも仕方のないことだ。エレボニア帝国やカルバート共和国のような大国の首都まで行けば、それなりに発達した都市を目にすることも出来るが、基本的にゼムリア大陸の文明レベルはそう高くない。精々が産業革命中期から後期にかけてと言ったところだ。
魔法の存在が広く認知されていることもあって、一概にゼムリア大陸の文化が劣っているというわけでもないのだが、それでもやはり二十一世紀の日本の近代的な街並みと比べれば見劣りするのは仕方がなかった。
「そう言えば、リィン。あれから、あの子から連絡あった?」
「ああ……」
誰のことを言っているのかを察し、リィンは曖昧な返事をする。シャーリィが気にしているのは、レムと名乗った少女のことだ。
彼女は九尾ですら出来ないと言った元の世界へ帰る方法に心当たりがあると言い、その準備のために時間が必要なので待って欲しいとリィンたちに言い残して姿を消した。会ったばかりの相手を信用するのもどうかと思うが他に方法がなかったこともあり、ダメ元で待ってみることにしたのだ。それにレムが待って欲しいと言ったのは、シオリのことを言っているのだということはすぐに分かった。
あの少女がシオリとどういう関係があるのかは分からないが、シオリを殺されては困る理由が少女にはあるのだろうとリィンは察した。
そのシオリはと言うと、御厨の管理するラボで現在は眠っている。ミツキにシオリのことを相談すれば、コウたちの耳に入る恐れがある。本来であれば知らせるべきなのだろうが、ぬか喜びをさせるべきではないと考え、リィンはトモアキを脅して杜宮の郊外にある御厨グループの研究所にシオリを預けていた。というのも、杜宮の異変はシオリが九尾の眷属になったことで収まってはいるが、彼女が人間でなくなった事実に変わりはない。目を覚ましたところで、以前のように元の生活に戻ることは難しいだろうと考えてのことだった。
「まあ、もう少し様子を見てからでもいいだろ」
「ふーん。まあ、リィンがそれでいいなら別にいいけどね」
シャーリィが何を言いたいのか、リィンにはわかっていた。手っ取り早くシオリを殺さないのか? と言ったところだろう。
リィンにしても、他に方法があるのなら無理にシオリの命を奪おうとは思わないが、それしか方法がないとわかれば迷うことなくシオリの命を奪うことになるだろうと確信していた。だからレムが約束を違えないように、その担保としてシオリを預かったのだ。もっとも、レムや九尾がその気になればシオリをラボから連れ去り、どこかに隠すことくらいわけがないだろう。しかし、その心配はしていなかった。そのつもりなら、シオリを殺されないように原因を排除する方が早い。自分たちが生きている時点で、この件に関して九尾は特に干渉するつもりがないことがリィンにはわかっていた。
問題はレムだが、シオリを助けたいがために口から出任せを言ったようには思えない。リィンにしても、この一週間なにもしていなかったわけではない。レムと呼ばれる少女について、トモアキを通じて情報を集めていた。
――異界の子。それが、レムが持つもう一つの名だ。裏の世界で、そう呼ばれているだけと言う話だが、異界についてのすべてを知ると噂され、異界絡みの事件が起きた裏で度々目撃されている存在という話まで分かった。そして自身を観測者≠ニ名乗っていること、九尾の彼女への対応からも大体どのような存在かは想像が付く。その上で信頼は出来ないが、信用は出来るとリィンは判断したのだ。
とはいえ、あれから音沙汰がないのも事実だった。まだ一週間だが、されど一週間だ。シャーリィが気にするのも当然だ。
リィンとしても早く元の世界に帰りたいと思っているので、余り長引くようなら他の手も考えなくてはと思い始めていた。
◆
――どうしてこうなった?
いや、シャーリィを外に連れ出した時点で、なんとなく予想は出来ていた。しかし、それでもリィンは現実から目を背けたくなる。
すねに傷のある明らかにヤの付く職業の人と思しき連中が、シャーリィに伸されて地面に蹲っていた。
「おじさんたち、相手はちゃんと見て喧嘩を売った方がいいよ?」
シャーリィに濃密な殺気を向けられ、顔を青ざめる男たち。
それでも諦めの悪い一人の男が、胸もとから銃を抜こうとするが、
「やめとけ――それを抜いたら喧嘩では済まなくなる」
リィンに殺気を向けられ、ヒッと小さな悲鳴を上げて腰を抜かす。さすがのリィンも銃まで持ち出すようでは見過ごすわけにはいかなかった。
事の発端はシャーリィが、この男たちに道を尋ねたことにあった。シャーリィの言葉遣いにも問題はあったが、最初に手をだしたのは目の前の男たちの方だ。
やってしまったものは仕方がない、とヤケクソ気味にリィンが自分を納得させようとしていた、その時だった。
「お前等、何をしてやがる?」
ドスの利いた声が周囲に響く。リィンが声のした方へ視線を向けると、先程までの連中と違い、明らかに格上の雰囲気を纏ったスーツ姿の男がそこにいた。
その男に向かって「兄貴ッ!」と嬉しそうに声を張り上げ、助けを求める男たち。だが、
「このバカ野郎どもがッ!」
助けを求める子分と思しき男たちを、そのスーツの男は容赦なく殴り飛ばした。
何が起こったのか分からず呆ける子分たちを一瞥し、リィンとシャーリィの方へ足を進めると、男は二人に向かって頭を下げる。
「うちの若い連中が迷惑をかけたようだ。すまなかった」
正直、そんな風に頭を下げられると、リィンとしても反応に困ってしまう。
確かに手を出してきたのは連中の方が先だが、シャーリィにも非がないとは言えなかったからだ。
だから内心を誤魔化すように、リィンはその謝罪を素直に受け入れる。
「気にしないでくれ。素人相手に大人気ないことをしたのは、こちらもお互い様だからな」
「素人……か。ククッ、さすがに言うことが違うな。北都のお嬢さんに雇われるだけのことはある」
リィンからすれば戦いの素人と言った意味だったのだが、どういう意味に受け止めたのか、男は愉快そうに笑う。
そして、ようやくリィンは男の顔に見覚えがあることに気付いた。
「ん? どこかで見たと思ったら、作戦に参加してたおっさんか」
「そういうことだ。おいっ、お前等! コイツ等は先日の戦いの功労者だ! 余計な真似をすんじゃねえぞ!」
「し、しかしッ! このままでは俺等の面子が――」
「しかしも何もねえ。命が惜しかったら手を出すなと言ってるんだ」
リィンとシャーリィの強さを正確に見抜いた男は、子分たちに睨みを利かせ命令する。
まだ納得の行っていない者もいるみたいだが、上の命令とあって大人しく引き下がった。
それに先程のリィンとシャーリィの殺気が堪えたのだろう。強がってはいるが、明らかに二人に脅えている様子が見て取れた。
これなら問題はないだろうと男は考え、リィンとシャーリィを見て姿勢を正すと、
「自己紹介が遅れた。俺は梧桐英二という。東京都・多摩エリア広域指定暴力団〈鷹羽組〉――そこで若い連中の取りまとめを任せてもらってるモンだ」
そう、自己紹介をした。
只者ではないとは思っていたが、暴力団の若頭だと知ってリィンは少し驚く。
そして何やら楽しそうにするシャーリィを見て、やっぱり厄介事だったとリィンは肩を落としながら名乗り返す。
「リィン・クラウゼルだ。まあ、そっちは何故か知っているみたいだ――が?」
リィンが名前を口にした、その直後だった。
世界が静止する。雑多としていた歓楽街から音が消え、リィンとシャーリィを除くすべての人々が人形のように動きを停止していた。
空を見上げ、羽ばたいたまま宙で固まった小鳥を見て、唖然とした表情をリィンは浮かべる。
「……リィン、これって」
「ああ、止まってるみたいだな」
アスカでさえ、シオリの時間を止めることで精一杯だったというのに、世界そのものを止めてしまうなど人間に出来ることではない。
異様な気配を感じて、リィンは背後を振り返る。すると、そこに異変の元凶がいた。
白いローブを纏った銀髪の少女。これほど特徴的な外見の少女を見忘れるはずがない。
「レム……」
「一週間ぶりだね、お兄さん。それに、そっちのお姉さんも――」
異界の子。以前、レムと名乗った少女の姿がそこにあった。
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