番外『暁の東亰編』



 気付けば、リィンは草原に佇んでいた。
 どうして自分がこんなところにいるのか分からず、ふらふらと何かに導かれるようにリィンは小高い丘を目指して歩く。
 そして――ふと視線を上げると、丘の上に人影が目に入った。

「……親父?」

 その後ろ姿はリィンのよく知る人物のものだった。
 ルトガー・クラウゼル。闘神と決闘をした死んだはずの彼がどうして生きているのかとリィンは不思議に思い首を傾げる。
 そして、ここが死後の世界だと勘違いし「ああ、俺も死んだのか?」と口にすると、

「たくっ、本当にバカだな。お前は……」
「あッ?」

 唐突にバカにされ、リィンは不快げな表情を浮かべ、ルトガーを睨み付ける。

「こんなところまで俺に似なくても良いだろうに……」

 肩を落とし、残念そうに呟くルトガー。これにはリィンも不機嫌そうに眉根を寄せる。
 その飄々とした大きな態度を見るに、明らかにリィンのよく知るルトガーに違いはないが彼は死んだはずだ。
 ここが死後の世界でないのなら死んだはずの人間が何故いるのかと、自分の置かれた不可解な状況についてリィンが考えていると、ルトガーは頭をポリポリとかきながら言った。

「まあ、あれだ。余り頭良くないんだから深く考えるな。禿げるぞ」
「うっせえよッ!」

 遂には我慢の限界を超えたのか、眉間に青筋を立ててリィンは怒りのままに叫ぶ。
 そんなリィンを見て、カカッと大口を開けて笑うルトガー。

「まあ、それだけ元気なら大丈夫だな」

 そう言うと、踵を返して丘の向こうに立ち去ろうとする。
 そして何かを思い出したかのように、ふと足を止め、

「細かいことは考えるな。全部、受け入れろ。それが出来たら、きっとお前は――」


  ◆


「リィンさん!?」
「……大丈夫だ。心配はいらない」

 エマに心配をかけまいと平静を装うリィン。しかし額から滴り落ちる汗を見れば、それが強がりであることは明らかだった。
 強化魔術の影響で、膨大な負荷がリィンの身体には掛かっていた。
 いや、身体だけではない。魂そのものが軋むような感覚に襲われ、指先一つ動かすだけでも激痛に苛まれる。

(なんだったんだ。さっきのは……夢?)

 そんななか夢の中で懐かしい人物に会っていたような気がする。
 ふと、リィンの頭を過ぎる言葉。

 ――全部、受け入れろ。それが出来たら、きっとお前は最強(りそう)の自分になれる。

 そう、確かそんな風に言われたような気がする。言葉の意味は分からない。しかし、為すべきことはわかっていた。
 自身の内側へ意識を向けるリィン。これまでリィンは〈王者の法〉を制御することばかりを考えていた。下手をすれば、味方すら危険に晒すかもしれない力だ。リィンが慎重になるのも無理はない。しかし、

「そうか、俺は恐れていたんだな」

 四年前の事件がトラウマになっていたことに、リィン自身気付いていなかった。
 力を暴走させた挙げ句、フィーを殺しそうになったことが怖かったのだ。だから力を制御することに一層の努力を傾けるようになった。
 それは言ってみれば、自身の力を恐れていたからに他ならないとリィンは気付く。

「全部、受け入れろか……」

 深く息を吐き、リィンは呼吸を整える。
 そうだ。何も恐れる必要はない。この力は自分自身のものだ。

「待たせたな」

 不敵な表情を浮かべ、額から汗を流しながらニヤリと笑うリィン。
 いつもとは違う痛みに耐え、全身が軋むのを我慢しながら、リィンは力の限り叫ぶ。

「――王者の法(アルス・マグナ)ッ!」

 ヴァリマールから光が立ち上る。これまでに感じたことのないほど巨大な力が、全身に漲っていくのをリィンは感じる。
 いや、この感覚には記憶(おぼえ)がある。そう〈終焉の炎(ラグナロク)〉を使った時の感覚によく似ていた。
 リィンがオーバーロードを発動すると、ヴァリマールの右手が黄金の剣へと変化した。
 剣から放たれる威圧感。そしてヴァリマールの纏う強大な霊力に目を瞠る九尾。だが、それこそ九尾が確かめたかったリィンの真の力だった。

「遂に見せたな。理の地平≠ノ至りし者よ!」

 そう言って、九尾は咆哮を上げる。それが戦闘開始の合図となった。
 正面から衝突する二つの光。その衝撃だけで大気が歪み、空間に亀裂が走る。圧倒的な力を前に、ただ吹き飛ばされないように耐えるしかないテスタ・ロッサ。その操縦席でシャーリィは喜悦に満ちた表情を浮かべていた。
 人間では到達しえない領域。まさに神と呼ぶに相応しい力。猟兵王と闘神の決闘を目にした時以上の感動と喜びがシャーリィの全身を襲う。
 そして、自分の選択は間違えていなかったとシャーリィは確信した。

「これがリィンの力……ッ!」

 英雄に魅せられる子供のように目を輝かせ、はしゃぐシャーリィ。オルランドの闘争の血が騒ぐ。湧き上がってくるのは恐怖ではない。圧倒的な強者への憧れ、貪欲なまでの強さへの渇望だった。
 正直なところ昔のシャーリィであれば、ここまで力の差がある相手に興味を抱くことはなかった。彼女が求めているのは『好勝負』であって勝ち目のない戦いではない。だから勝てる気がしない相手との戦いは避けてきた。しかし、それでは今以上に強くなれないことをシャーリィは知った。それを教えてくれたのがリィンだ。
 リィンが昔は二流どころか三流の扱いを受け、団の中でも一人前に見てもらえずにいたことをシャーリィは知っていた。詳しく事情を知っているわけではないが、少なくとも昔のリィンはシャーリィの目から見て、興味を惹くほどの強さは持ち合わせていなかった。
 なのにシャーリィは負けた。戦場で出会い、最初は軽くあしらってやるつもりで相手をしたはずなのに、気付けば空を見上げていたのはシャーリィの方だった。
 舐めた相手に打ちのめされて、死にたいほどに情けなかった。そんなシャーリィにトドメを刺さず、興味をなくしたかのようにリィンは立ち去ったのだ。

 ――悔しかった。情けなかった。許せなかった。

 シャーリィは猟兵となるべく生まれてきたような闘いの申し子だ。戦闘に関して言えば、天才的な才能を持っている。しかし、リィンはその上を行った。
 才能でリィンが勝っていたわけではない。己が戦いを楽しむことだけを優先し、圧倒的な強者との戦いを避けてきたシャーリィと――
 半人前扱いされようと努力を怠らず、格上を相手にしても一歩も退かず勝つことを諦めなかったリィン。その差が二人の勝敗を分けたのだ。
 きっとリィンは覚えていないと言うだろう。だがシャーリィはその時、初めて悔しいという気持ちを知った。
 リィンに勝ちたい、負けたくないと思った。それがシャーリィの強さの原点だった。
 宿敵を、目標を得たことでシャーリィは強くなった。それはリィンにとってのルトガーのようなものだったのだろう。
 だからこそ、うずうずと逸る気持ちを抑えながら、少しも見逃すまいとシャーリィは目の前の戦いに意識を集中する。そして、

「……互角? ううん、違う」

 シャーリィは、はっきりと目にした。
 一見すると互角に見えるが、僅かにヴァリマールの方が押していることに気付く。

「まさか、我が押し負けるというのかッ!?」

 仮にも神を名乗る獣だ。純粋に力と力の勝負で人間に押し負けたことなど過去に一度としてなかった。それだけに驚きを隠せない様子で九尾は叫ぶ。
 幾ら騎神に乗っているとは言っても、人の身で聖獣に勝るなど常識で考えればありえないことだ。だが、それは現実として九尾の目の前で起きていた。

「どうした? 随分と余裕がないじゃないか?」
「ほざけッ! 人間が――」

 人間に見下され、激昂する九尾。その咆哮が空気を振動させる。
 渦を巻きながら巨大なマナがぶつかり合い、九尾の創造した世界を崩壊させていく。
 そして口を大きく開き、再び集束砲をヴァリマール目掛けて放つ九尾。

「同じ手を何度も食うかよ!」
「なに!?」

 しかし前方に〈七耀の盾(スヴェル)〉を展開することで、リィンは九尾の集束砲をマナへと分解する。

「おのれえええええっ!」

 飛び道具は効果がないと悟ってか、ヴァリマールに飛び掛かる九尾。だがリィンは慌てず黄金の剣を頭上に構えると、静かに息を整える。
 平静を装ってはいても、身体が限界に近いことはわかっていた。いや、とっくに限界は超えている。ただ誤魔化しているだけだ。
 全力で放てるのは一太刀が限界。それ以上は身体が保たない。しかし、それで十分だった。
 追い求めるは最強の背中。思い描くのは最強の自分。

「――黄金の魔剣(レーヴァティン)!」

 黄金の炎が剣より立ち上る。
 すべてを灰燼と化す終焉の炎を纏い、頭上に迫る顎を恐れずリィンは一歩を踏み出す。
 そして――

 一息に剣を振り下ろした。


  ◆


 瞳から光が失われ、ヴァリマールは膝をつく。胸のコアから光に包まれたリィンとエマが現れ、地面に投げ出された。そこは元の倉庫街だった。
 パラパラと崩れ落ちる異界の空の向こうに、懐かしい杜宮の空が見える。巨大な力の衝突によって九尾の創り出した空間は消滅し、街を呑み込んでいた異界化(イクリプス)も徐々に崩壊へと向かっていた。

「はあはあ……」

 全身の痛みに耐え、リィンは肩で息をしながら周囲の気配を探る。
 ヴァリマールが幾らか霊力を肩代わりしてくれたお陰で意識を失わずに済んでいるが、身体はとっくに限界を迎えていた。

「――リィン!」
「リィンさん!」
「〈緋の騎神(テスタ・ロッサ)〉……シャーリィか。それに……エマも無事みたいだな」

 シャーリィとエマの無事を確認して、リィンは安堵する。だが、駆け寄るエマをリィンは腕で静止した。
 油断なく土煙の方角を睨み付けるリィン。シャーリィも気付いた様子で目を瞠り、険しい表情を浮かべる。そして煙が晴れ、その向こうから白い狐が現れた。
 狐としてみれば少し大きいかもしれないが、それでも常識の範囲だ。これが平和な日常の光景であれば、狐が餌を求めて山から里へ下りてきたと思ったかもしれない。
 だが目の前の存在が、ただの狐でないことは一目見れば分かった。

「随分と、小さくなったな。力を使い過ぎたか?」

 その白い狐が、先程まで死闘を演じていた相手――九尾だということがリィンにはすぐ分かった。
 かなり弱ってはいる様子だが、それでも全身から滲み出る存在感の強さは隠しきれない。

「フンッ……そちらこそ、顔色が悪いのではないか? そのデカブツを動かす霊力も残ってはいないのであろう?」
「ヴァリマールがなくたって、いまのお前程度なら、どうとでもなるさ」

 嘘だ。それが、ただの強がりであることを知りつつ、リィンは九尾を睨み付ける。
 弱っているのはお互い様だが、九尾にはまだ余裕が感じられる。あの一撃で倒し切れなかった時点で、リィンの負けは確定していた。
 それでも、エマとシャーリィが逃げる時間くらいは稼いで見せるとリィンは虚勢を張る。

「強がりはよせ。それに、もう我に戦う意思はない」
「喧嘩を売ってきておいて、よく言うぜ……」
「先に土足で世界を荒し、我の眠りを妨げたのは御主たちだ。謝罪はせぬぞ」

 不遜な態度で、リィンの反論を切り捨てる九尾。
 九尾の機嫌を損ねたところで、リィンに得することは何もない。それに負けは負けだ。
 まだ言いたいことはあるが、見逃してくれるというのだからリィンに異論はなかった。

「リィンさん、いま治療をします」
「……悪いな。まあ、取り敢えず生きてるし、約束は守れたよな?」
「当たり前です!」

 生きてれば良いと言うものではないのだが、飄々としたリィンの態度に毒気を抜かれ、エマは呆れた様子で溜め息を吐く。
 すぐにリィンの容態を確認して治療を施すエマだったが、その酷さに眉根を寄せる。正直この状態で意識があること自体、エマからすれば不思議なほどの重症だった。
 治療をしながら、思わずリィンを睨み付けてしまうエマ。そんなエマの視線から逃げるようにリィンは顔を逸らし、九尾にずっと気になっていたことを尋ねた。

「で? 結局なんの目的があって、こんな真似をした?」
「人の身で大層なものを宿しておるみたいなのでな。その力に相応しい資格を持っているか、試させてもらっただけだ」

 すぐに〈王者の法〉のことを言われているのだとリィンは察した。
 リィン自身、便利な力だと思う反面で、人の身には余る力だという自覚があった。
 特にラグナロクのような力は滅多なことでは使えない。あれは人間に向けていい力ではないとさえ思っていた。

「……それで俺は合格ってことでいいのか?」
「うむ。力に呑まれず制御しておったようだしな。及第点をやってもいい」
「今更だけど不合格だったら、どうなってたんだ?」
「当然、消えてもらっていた。世界から跡形もなくな」

 九尾の鋭い視線を感じ取り、それが冗談ではないとリィンは理解する。
 殺すのではなく消すというのは、そのままの意味なのだろう。一歩間違えれば存在を消されていたかと思うと、背筋に冷たいものが走る。
 正直、余り良い気分ではないが、九尾の言わんとしていることも分からないではなかった。

「使い方を誤れば、世界そのものを滅ぼしかねない力だ。境界を守護する者として、それは容認できない」
「……境界を守護?」
「世界を隔てる境界を守護する者。謂わば、門番のようなものだと思ってくれてよい」

 そういうことかとリィンは頷く。エマも九尾がどのような存在かを認識した様子で、その表情からも驚きを隠せない様子が見て取れた。
 聖獣どころか神という例えも、あながち間違ってはいなかったということだ。
 しかし、それならそれで疑問が残る。

「その割りには管理が杜撰みたいだが? 怪異とかいう化け物のことといい、俺たちの件といい」
「何か勘違いをしているようだが、我はあくまで世界の行く末を見守る存在だ。悠久の時を生きる我にとって、先の災厄≠熏沒xの異変≠熄椛Fは泡沫の出来事に過ぎぬ。御主の存在がなければ、此度の件に介入することはなかったであろう」

 ようするに目の前の九尾を引き寄せたのは自分だとわかり、リィンは何とも言えない気持ちになる。いつものこととはいえ、厄介事を引き寄せる体質だけは本気で勘弁して欲しいとリィンは肩を落とした。
 そして数奇な星の下に生まれたと言えば、あの少女ははどうしたのかと、ふとシオリのことを思いだしリィンは九尾に尋ねた。
 自業自得の側面もあるが、シオリもある意味で異変の犠牲者と言えなくもない。
 すると以前に見せた宝玉を出現させる九尾。宝玉の中には膝を抱えたまま眠る裸のシオリの姿があった。
 エマに睨まれ、シオリから視線を外すリィン。そんな二人のやり取りを特に気にした様子はなく、九尾はリィンの疑問に答える。

「生きているのかと言う質問であれば問題はない。だが、もはや人としての生は叶うまい。我に遠く及ばぬとはいえ、人の身で二体もの怪異を取り込み、同化しようとしたのだ。この者の魂は変容しすぎている」
「……怪異になったってことか?」
「正確には違う。この者の願いを聞き届ける代わりに、我はこの者を巫女とした。故に我の眷属になったと言うのが正しいだろう」

 完全に理解できたわけではないが、シオリが九尾の眷属になったということだけは分かった。
 だが、シオリは十年前に一度死んでいる。人間には戻れないと言われたところで今更だとリィンは考え、思考を切り替える。
 シオリのことも多少は気になるが、リィンの目的は他にある。結果次第では九尾の言うように、またシオリを殺す可能性だってないわけじゃない。
 そうしないためにも、リィンは九尾にどうしても尋ねておかなくてはならないことがあった。

「大体のところは分かった。で、俺たちにとってはこれが一番重要なんだが、境界の守護者というくらいだ。世界を渡ることは可能なんだろう?」
「無論だ。しかし、先にも言ったように世界は無数に存在する。その中から一つの世界を特定し、送り届けることは難しい」

 それは前にも聞いた。九尾が無理と言うからには不可能なのだろう。
 しかし、あちらには残してきた家族がいる。やり残したことがある。そのことを思えば、やはり元の世界に帰られないという選択肢はリィンのなかにはなかった。
 世界を渡る術があるのであれば、あとは道標や座標のようなものを特定できれば、元の世界に帰れるということだ。
 そのための方法が何かないかとリィンは考え、九尾にそのことを尋ねようとした、その時だった。

「ここからは僕が話させてもらうよ。お役目ご苦労だったね」
「ようやく姿を見せたか小さき者≠諱v
「……は?」

 突然、頭の上から声をかけられ、リィンは空を見上げる。すると視線の先には、白いローブを纏った銀髪の少女が宙に浮かんでいた。
 九尾の様子から察するに知り合いみたいだが、身体が透けている点以外は人間の女の子にしか見えない。しかし幽霊でもあるまいし、半透明で宙に浮いた人間がいるはずもない。
 怪異かとリィンは考えるが、どうにも纏っている気配が怪異とは異なっているように思えた。
 どちらかと言えば、九尾に近い雰囲気を感じる。

「初めまして、僕の名はレム。挾間を歩く者さ」

 そんなリィンの疑問に答えるように、少女は自身のことをレムと名乗った。



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