番外『暁の東亰編』



 シオリと話をしようと思い、彼女の部屋を訪れたリィンだったが、シオリを庇うように間に立つリオンの妨害にあっていた。
 やれやれと頭を掻き、相変わらず行動の分かり易い奴だとリィンは溜め息を漏らす。正直そんな真似をしたところで無駄だ。本気でリィンが何かをするつもりなら、リオン一人で止められるはずもないし、助けを呼ぼうにも電波が遮断されているため、ここではサイフォンは使えない。研究所に足を踏み入れた時点で、シオリと同様にリオンも籠の鳥だった。

「よく考えなしで行動してバカにされるだろ。お前」
「う、五月蠅いわね! とにかくシオリに何かしようって言うのなら許さないんだからッ!」

 特にそういうつもりはなかったのだが、ネコのように威嚇してくるリオンを見て、リィンはどうしたものかと考える。
 少し悩み、つまみ出すか、と答えをだしたところでリオンを止めたのはシオリだった。

「リオンちゃん、大丈夫だから。お願い」
「シオリ……」

 どこか覚悟を決めた表情で、リオンと視線を合わせるシオリ。
 そんな風にシオリに頼まれれば、リオンとて引き下がるしかなかった。
 ゆっくりとベッドから起き上がり、リィンの前に立つと、まずシオリは深々と頭を下げた。

「ご迷惑をお掛けしました」

 シオリは心の底からリィンに深く謝罪をする。

「私の身勝手であなたたちを巻き込み、見ず知らずの世界へ召喚してしまった。謝って済まされる問題じゃないと理解しています」

 夕闇ノ使徒の所為にすることは簡単だ。しかし願ったのはシオリであることに変わりはない。結果、魔王と共にリィンたちが召喚された。
 大切な人と引き離される辛さはわかっているつもりなのに、同じ想いをリィンたちにさせてしまった。
 それは謝罪したところで許されることではない。逃れることの出来ない罪だとシオリは理解していた。

「だから、他に方法がないのなら迷わず私を殺してください」

 故に、それは贖罪だった。
 罪から逃れる方法はない。ならば、少しでも彼等に償いをすべきだとシオリは考える。自分に出来ることは彼等を元の世界へと帰すこと。そのためにシオリは自分の命を差し出すつもりだった。
 そんなシオリの答えは予想していたものだったのだろう。故にリィンは尋ねる。

「それで本当にいいのか?」
「……はい」

 悲しみに満ちた表情で、辛そうにシオリの話を聞くリオンを見て、これがさっきの行動の理由かとリィンは察する。
 しかし本当にそれしか方法がなければ、リィンは元よりそうするつもりだった。
 はっきりと言って彼女の命と元の世界へ帰ることを天秤にかければ、リィンは迷いなく後者を取る。
 コウにとってのシオリのように、リィンにとって家族(フィー)は世界を敵に回してでも守りたい大切な存在だからだ。

「さっき、北都のお嬢さんに会った」
「え? ミツキ先輩がきてたの?」

 ミツキが来ていると聞いて、顔を上げるリオン。大方、ミツキならシオリのことをどうにかしてくれるのではないかと期待しているのだろう。
 しかし、ミツキには何も出来ない。いや、北都グループの後継者候補にしてゾディアックに席を置く彼女だからこそ、この件に関しては表立って介入することが出来ないとリィンは確信していた。
 そんな真似をすれば、シオリの件が明るみになってしまうからだ。

「ああ、今頃シャーリィが挑発しているはずだ。だから断言してもいい。アイツはここに来る」

 しかし、個人で動く分には問題がない。そしてミツキなら、きっとそうするだろうとリィンは考えていた。だからシャーリィを残して、敢えて彼女にミツキを挑発するような真似をさせたのだ。
 コウがここに来ると聞いて、シオリは動揺する。もしシオリが生きていると知れば、コウは絶対に助けに来ようとするだろう。だからコウに知られる前に、シオリは命を絶とうと心に決めていたのだ。
 シオリが死ねば、夕闇ノ使徒が改変した因果も元に戻る。そうすれば、リィンたちも元の世界へと帰れるはずだ。
 ――なのにどうして、とシオリは困惑の表情を浮かべ、リィンを見る。

「決心が鈍るからアイツ等に知られるのは困るか? ――いや、恐れているのか?」

 リィンに心を見透かされ、シオリはビクリと肩を震わせた。そんなシオリを見て、やはりそうかとリィンは自分の考えが当たっていたことを確信する。
 シオリの願い。それはリィンたちを排除することではなく、改変された運命からコウを守ることにあったのだとリィンは気付いていた。〈適格者〉として目覚めた者は魔術による記憶消去は勿論のこと、異変による改変の影響を受けない。それは言ってみれば因果の収束によって記憶が改変されることもなく、シオリが死んだところでコウの運命は変わらないということだ。
 しかし、それでは十年間と同じ。いや〈適格者〉に目覚めた現在となっては、コウはより過酷な運命に身を置くことになる。だから魔王に身体を支配され意識が遠のいていくなかで、シオリは願ったのだ。

 ――誰でもいい、私の代わりにコウちゃんを守って、と。

 九尾がシオリの願いを聞き届け、コウに与えたのは加護と言う名の呪いだ。
 その願いがシオリの声をトワたちに届け、結果としてリィンたちを排除しようとする流れに繋がった。

(ほんと性格の悪い神様だ。まあ、俺も他人(ひと)のことは言えないか)

 シオリは自分が生きていれば、コウの平穏を妨げると考えている。だからコウの前から姿を消そうとした。
 贖罪などと口にしてはいるが、結局のところ彼女はどんな姿になってもコウのことを一番に考え続けているということだ。しかしリィンは、そんなシオリの願いに耳を貸すつもりはなかった。
 ミツキを挑発し、コウたちを呼び寄せるような真似をしたのも、それが理由だ。

「明日の日没まで待つ。だから一日ゆっくりと考えろ。それでも死にたいと言うのなら殺してやる。自分で答えをだせないようなら、その時も同様にな」

 そう言って踵を返すと、リィンは部屋から立ち去ろうとする。しかし――
 そんなリィンの前に立ち塞がり、リオンが詰め寄った。

「ちょっと、待ちなさい! さっきから聞いてればシオリをなんだと――」

 シオリの頼みだから、リオンは黙って見守っていた。でも、我慢の限界だった。
 目の前でシオリを殺すと言われて黙っていられるはずがなかった。
 例え、シオリが死を望んでいたとしてもだ。

「彼女が何者か、お前こそ思い違いをしていないか?」

 ――彼女は人間じゃない。そうリィンが口にした瞬間、リオンは手を振り上げた。
 そして、パンッと渇いた音が部屋に響く。目に涙を滲ませながら、キッとリィンを睨み付けるリオン。

「少しでもアンタをいい奴だと思った私が間違いだったわ!」

 目を赤くして叫ぶリオンの横を、リィンは無言で通り過ぎる。
 そして、

「人間じゃないか……」

 廊下に出たところで、リィンはリオンに叩かれた頬を擦りながら、そんなことを呟く。
 人間離れした力を持つ、同じ化け物だから分かることもある。シオリは意識的に家族を、友人を、そしてコウを遠ざけようとしている。シオリがああいう反応を示すことは、リィンには最初からわかっていた。
 だからこそ、いまのシオリにはリオンのような存在が必要だとリィンは考えていた。
 これは様々なしがらみを持つミツキやアスカには難しいことだ。

「リィン。お嬢さんは帰ったよ」
「首尾は?」
「かなり煽っておいたから来るよ。絶対に」

 廊下の陰から姿を見せ、シャーリィは笑顔でリィンに報告する。
 そんなシャーリィの笑顔に、リィンはやり過ぎていないだろうなと少し心配になる。
 とはいえ、既に賽は投げられた。今更、後戻りは出来ない。

「それで、どうするの?」
「最後だしな。派手にやるさ」

 そうこなくっちゃと指を鳴らし、やる気を漲らせるシャーリィを見て若干の不安を抱きながら、リィンはミツキたちを迎え撃つための準備へと向かった。


  ◆


 リィンは昨日からマンションに戻らず、研究所に残ってシャーリィと共にミツキたちを迎え撃つ準備を進めていた。これで誰も来なかったら笑い話だが、少なくともそれはないとリィンは考えていた。
 断言してもいいが、ミツキも含めて彼等にシオリを見捨てることは出来ない。それが出来るようなら、最初からシオリを助けようとはしないはずだ。リィンが手を下すまでもなく、ソウルデヴァイスとアスカの切り札があれば、彼等の力だけで夕闇ノ使徒を倒すことは出来ていたはずだった。そうしなかったのは彼等の甘さであり、それだけシオリが彼等にとって大切な存在だからに他ならなかった。
 故に、彼等はここに来る。リィンはそう確信していた。そして、

「へえ、さすがは神様ってところ?」
「この程度の結界を張ることくらい造作もない」

 森を覆うように張られた結界に、シャーリィは感心した様子で声を上げる。
 今回の件、九尾にとっても思うところがあるようで、眷属のためと言ってリィンの計画に協力的な姿勢を見せていた。
 九尾の張った結界は外敵を排除するためのものではない。現実世界と切り離し、研究所の敷地を異界と繋げるための結界だった。ようは迷宮でなくとも、この森の中であればソウルデヴァイスを自由に展開できるということだ。
 現在、研究所の職員は全員退避しており、九尾を除くと、ここにはリィンとシャーリィ。それに一番奥の部屋に監禁されているシオリとリオン。そしてトモアキの五人しか残っていなかった。

「ううっ……どうして僕がこんな目に……」
「そろそろ覚悟を決めなよ。もう騎神のデータを受け取ったわけだし、一蓮托生だと思ってさ」
「そ、それは……」

 騎神の情報は、様々な組織が手に入れようと躍起になっている情報だ。それを他の組織に先駆け手に入れることが出来れば北都を出し抜き、ゾディアックにおける御厨の発言力を向上させることも夢ではない。それに御厨グループは機械技術に優れ、軍事産業へ積極的に貢献している企業の一つだ。騎神のノウハウを上手く取り入れることが出来れば、霊子ミサイルのような対異界兵器の開発が大きく前進するかもしれないと期待を寄せていた。
 だから、ついつい美味しい話に乗ってリィンたちの計画に手を貸してしまったのだが、シャーリィからミツキたちを迎え撃つ準備をしていると聞いて、トモアキは顔を青くしていた。こんなことが彼女にバレれば、北都を出し抜き、御厨の地位を向上させるどころの話ではないと気付いたからだ。
 しかし、後悔したところで既に遅い。ここが御厨の管理する研究所であることは既に知られている。無関係を主張しても今更だった。
 雑木林の向こうから姿を見せる一団を見て、シャーリィは待ち侘びたと言った様子で歓喜の声を上げる。

「アハッ、やっと来た」

 その一方で頭を抱え、ミツキから逃げるように施設の中へトモアキは走り去る。
 そんなトモアキを一瞥すると興味をなくした様子で、シャーリィは彼等を迎え撃つために壁に立てかけてあった〈赤い顎(テスタ・ロッサ)〉を肩に担ぎ上げた。
 シャーリィの姿を見つけ、研究所の前で足を止める一団。その顔ぶれを見て、シャーリィは首を傾げた。

「あれ? なんで、エマもそっちにいるの?」
「……それはこっちの台詞です。シャーリィさん、これはどういうことですか?」

 眉間にしわを寄せ、エマはシャーリィに強い口調で尋ねる。別れてから僅か一日で、どうしてこんな騒動を起こしているのかという質問だった。
 そんなエマを見て、「ああ、うん」と少し納得の行った様子を見せるシャーリィ。とはいえ、今更あとに引けるわけもない。

「悪いけど、リィンからここは通すなって言われてるんだよね。あ、そこのお兄さんは行ってもいいよ。リィンから通すなって言われたのは、お兄さん以外の全員だから」
「な……ッ!」

 標的は自分以外の人間だけだと言われて、コウは困惑の表情を見せる。

「残念だけど、エマもそっちにつくならシャーリィの敵ってことでいいよね?」
「シオリさんの件は、あの少女の連絡を待つという話だったと思いますけど?」
「一週間も待ったじゃない。それに優先順位を間違えちゃダメだよ。シャーリィたちは、この世界の人間じゃない」

 シャーリィの言わんとしていることは、エマも理解していた。しかしだからと言って、このやり方は強引すぎると思わなくもない。
 態々ミツキを煽って、シオリを餌にコウたちを誘き寄せるような真似をして、リィンとシャーリィが何を考えているのか、エマには分からなかった。

「日没まではリィンも待つって。でも、急がないと危ないかもね」

 更に挑発するシャーリィ。その言葉の意味する先は、聞かずともわかっていた。
 だから、アスカは険しい表情でコウに先へ行くように促す。

「時坂くん、行きなさい」
「だけど――」
「お願い。私たちを信じて」

 有無を言わせない表情で、コウの反論をアスカは途中で遮る。
 一人とは言っても、相手はシャーリィだ。勝ち目が薄いことは、コウも理解していた。
 本来であれば、全員で挑むべき相手だ。だが、シャーリィの言葉を信じるなら時間は余り残されていない。
 傾きつつある太陽を見上げ、コウは無言で頷くと、アスカたちに背を向けて建物の中へと走り去った。

「本当に行かせるなんてね。ミツキさんから大凡の事情は聞いたわ。でも、彼は何を考えているの?」

 自分から言いだしたこととはいえ、何もせずにシャーリィがコウを通したことに違和感を覚えるアスカ。ミツキから相談された時から、ずっと妙だと思っていたのだ。どこか彼等らしくない、と。最初からシオリを殺すつもりなら、こんな真似をせずともさっさと殺してしまえばいい。敢えてミツキを挑発するような真似をして、こうして自分たちを誘き寄せたのは何か理由があるとアスカは考えていた。
 そんなアスカの疑問に答えず、シャーリィは逆に質問を返す。

「じゃあ、逆に尋ねるけど、助けてどうするつもりなの? 組織で保護して実験動物みたいに飼い慣らす? それとも杜宮の異変の元凶ですって軍に引き渡すの?」
「そんなことは――」

 ない、とは言い切れなかった。それはアスカが組織の人間だからだ。

「うん。お姉さんたちはそんなことしないと思うよ。でも、組織ってそういうものじゃないよね。周りが、どう思うかなんて分からないじゃない?」

 その通りだとアスカだけでなくミツキも思う。だからこそ、決断しきれなかったのだ。
 組織に身を置く以上、上の命令は絶対だ。組織の利となるか害となるか、それを見極め、冷静に判断しなくてはならない。感情だけで動けない分、コウたちのように完全にシオリの味方でいることは難しかった。
 しかし、苦しげな表情で悩むアスカとミツキの耳に、力強い青年の声が届く。

「御託はいい。周りがどう思うかなんて知ったことか」
「高幡くん……」
「北都。お前らしくないんじゃねーか? ケジメは確かに必要だ。だが、そのこととダチを助けたいと思う、こいつらの気持ち。それを一緒にして考えるのは、どうかと思うぜ」

 組織の人間として、その立場に苦しむアスカとミツキの気持ちは分からないでもないが、退院したばかりの身体でシオがこうして駆けつけたのは、シオリを助けたいという友人の想いに応えたからだ。

「人間だ、人間じゃないなんて些細な問題だろ。そんなことでダチを見捨てるくらいなら、大人の事情なんて知ったことか。俺は意地を通す」

 バンッと拳を胸の前で鳴らしながら、シオはそう話す。
 それが彼のだした答えであり、世間を敵に回しても守るべき流儀だった。
 一方でミツキはというと、若干呆れた様子で溜め息を交えながら、

「……私は臆病になっていたみたいですね。いざとなったら、私が組織を掌握すればいい。私は……私のやり方でシオリさんを守ってみせます」

 胸を張って、そう言い切った。これにはアスカも驚きを隠せない様子で、目を丸くしてミツキを見る。そんなアスカの視線に気付き、苦笑するミツキ。
 それは、これまで言葉を濁してきた北都グループの後継者に、自ら進んで立候補すると言っているようなものだ。そのことはミツキもわかっていた。
 それでも生徒会長として、友人として、シオリの力になりたいとミツキは思った。ただ、それだけの話だ。

「……そうね。人間じゃなくなったからって、シオリさんがシオリさんでなくなるわけではないわ」

 そんなシオやミツキの覚悟に後押しされ、アスカも決断する。プロを名乗っておきながら自分のやろうとしていることは、きっと間違っているのだろうとアスカは思う。それでも仲間一人救えず、友人の味方にもなってあげられない程度のものがプロと呼べるなら組織を抜けてもいい。アスカはそのくらいの覚悟でシャーリィを睨み付け、ソウルデヴァイスを展開する。

「なんていうか、結局こうなるんだよね……」
「でも、それでこそ先輩たちです」

 ミツキやシオ、それにアスカに続くようにユウキとソラもソウルデヴァイスを展開し、構えを取る。
 やる気を見せるソラを見て、正直ついていけないノリだと思いつつもユウキは逃げ出そうとは思わなかった。
 そのバカみたいに甘い考えに看過され、悪くないと思ってしまったのは自分も同じだったからだ。
 そんな彼等を見て、エマは苦笑しながらシャーリィに尋ねる。

「だ、そうですよ。シャーリィさん」
「ちぇっ、やっぱりリィンの言うとおりになったか。でも、まあいいや」

 少し目論見が外れたと言った顔で、シャーリィは肩を落とす。
 しかし、期待外れというわけでもなかった。やる気を無くされるよりは、ずっといい。

「じゃあ、殺ろうか? 少しはシャーリィを楽しませてよね」

 巨大なチェーンソーライフルを振り上げ、シャーリィは獰猛な瞳でエマたちを睨み付ける。
 ここ一週間大人しくしていたこともあってストレスの捌け口を探していたのだ。
 目の前に獲物がいるというのに、何もしないで手を引くという考えはシャーリィにはなかった。



 

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