番外『暁の東亰編』
何かの実験場だろうか?
鉄の壁に覆われた真っ白な部屋に足を踏み入れたコウは、中央で佇む一人の男を見つける。
「リィン・クラウゼル……」
「やはり来たな。時坂コウ」
幾度となくコウの前に立ち塞がった男。コウにとっては恩人であり仇敵とも言える相手。
こうして向かい合っているだけなのに、身体が震えるのを感じる。ギュッと左手で震える肩を押さえつけるコウ。
恐怖を感じないわけではない。しかし、ここで逃げ出すわけにはいかなかった。
「シオリはどこだ? どうして、こんな真似を……」
「簡単だ。お前にとっての彼女のように、俺にもあちらの世界に残して来た大切な家族がいる。そいつのためにも帰らなくてはいけない」
「……だから、シオリを殺すっていうのか?」
「そうだ」
そのリィンの簡潔な答えに、コウは唇を噛む。
言っていることは正しい。逆の立場なら、コウもどうするかは分からない。
「アンタには感謝してる。アンタがいなければ、街を守れなかった。皆が無事なのは、アンタのお陰だったいうのはわかってる。それでも――」
リィンのお陰でこの街は救われた。ミツキの話から彼がシオリを匿ってくれなければ、シオリはもっと酷い目に遭っていたかもしれないと話も聞いていた。
感謝している。リィンからは、たくさんのことを教わり助けられた。しかし――
「シオリは殺させない。もう二度と、あんな悔しい思いをするのは嫌だ。今度こそ、シオリを――守って見せる!」
ソウルデヴァイスを展開し、リィンにそう言い放つコウ。
シオリの願いでリィンたちがこの世界に召喚されたのなら、その願いの原因を作った自分にも責任があるとコウは感じていた。だから自分のことなら何を言われても、何をされても我慢が出来る。しかし目の前で幼馴染みを殺すと言われて、何もせずに見過ごせるはずがなかった。
そんなコウを見て、腰から二本のブレードライフルを抜き、リィンは無言で構える。これ以上の言葉など不要とばかりに、鋭い視線をコウへと向ける。
その視線に、リィンの放つ殺気に気圧されながらも、コウは気持ちを奮い立たせるように咆哮を上げ、床を蹴った。
「うおおおおおっ!」
コウの右手から延びる刃が鞭のようにしなり、リィンの頭上へと迫る。しかし上体を反らすだけで、コウの攻撃を軽々と回避するリィン。
そして刃を連結する鎖の部分に剣を叩き付けると、衝撃の反動で体勢を崩したコウに一瞬で間合いを詰め、腹部目掛けて鋭い蹴りを放った。
「カハッ――」
何度もバウンドしながら床を転がり、壁に叩き付けられるコウ。鉄で覆われた壁が丸く凹み、その衝撃の強さを物語る。
異能を使ってはいないと言っても、ほぼ手加減抜きで放った一撃。肋骨の数本は折れているだろうと考えながらも、リィンはコウを挑発するかのように尋ねた。
「どうした? 彼女を守るんじゃなかったのか?」
リィンの言葉で、シオリの顔がコウの頭を過ぎる。
そうだ、まだ負けていない。俺が負ければ、シオリは――
全身の痛みに耐え、コウは必死に立ち上がろうとする。しかし足に力が入らない。
(動け! 動いてくれ……こんなにも差があるって言うのかよッ!)
リィンが強いことはわかっていた。普通にやって敵わないことも、どうしようもないほど力の差があることも理解していたつもりだった。
しかし、それがまだ甘い考えだったと、コウは一撃で悟ってしまう。強い弱いなんて次元の話じゃない。
目の前の相手は人間の姿をしてはいるが、これまでに対峙してきたどの怪異とも比較にならないほどの怪物だということが――
(期待外れだったか。もう少しやるかと思っていたんだが……)
以前、魔王との戦いを見た時には、もう少しやると思っていただけにリィンは心底つまらなそうにする。
対人戦闘の経験がないのは仕方がないが、それにしても一撃でこの様とは思わなかった。
これまでのようだな、とリィンが武器を収め、その場を立ち去ろうとした、その時だった。
「コウちゃん!」
「コウくん!」
声のする方へ、振り返るリィン。実験場を見下ろす位置にあるガラス張りの制御室に声の主はいた。シオリとリオンの二人だ。
部屋に閉じ込めていたはずの二人がどうしてここにいるのかと思い、二人の横に視線を向けると申し訳なさそうな顔で頭を下げるトモアキの姿があった。
何とも言えない表情になるリィン。リオンに脅されたのか、今更になってミツキが怖くなったのか、理由はどうあれトモアキが二人を逃がしたのだとリィンは察した。
「シオリ!? それにリオンも――」
二人に気付き、顔を見上げるコウ。
そんなボロボロのコウを見て、シオリは悲しげな表情を浮かべ、
「もういい、だからコウちゃん。諦め――」
「よくなんてない!」
「……リオンちゃん?」
コウに諦めるように促そうとしたところで、リオンの声がシオリの言葉を遮った。
キーンという音が実験場に響く。リオンはシオリを睨み付けると叫んだ。
「シオリが死んだら、コウくんはあたしが貰うけど、それでもいいの!?」
「はっ!? え……?」
目を丸くするシオリ。その一方でコウは話の流れについて行けず呆けた声を上げる。だが、リオンは至って真剣だった。
シオリのためだと思って我慢した。黙っていた。でも、それも限界だった。
「アンタも何やってんのよ! そんな奴、早くぶっ飛ばしなさいよ!」
「リオン……」
「シオリを助けるんでしょ!? アンタがそんなんじゃ、あたしがバカみたいじゃないッ!」
リオンは目を真っ赤に腫らしながら、目一杯の感情をぶつけて叫ぶ。
もういいはずがない。これでいいはずがない。
シオリが死んで悲しむのはコウだけじゃない。コウのことを気に掛けているのはシオリだけじゃない。
それなのに二人だけで話を進めて、蚊帳の外に置かれるのが許せなかった。
「へへ……言ってくれるぜ。だけど、このくらいでビビってなんかいられないよな」
一瞬呆けるも、コウはフラフラとした足取りで立ち上がる。
ここまで言われて男を見せなければ、それこそ皆に合わせる顔がなくなってしまう。
敵わないことはわかっている。想いだけで、どうにかなるような相手でないことは知っている。
――それでも、まだ俺はすべてを出し切っていない。
コウは吼える。命を燃やし霊力を高め、ソウルデヴァイスへと全身全霊を注ぎ込む。
「ようやく、やる気になったか」
全身から闘気を放つコウを見て、リィンは笑う。猟兵が使う技の中に〈戦場の叫び〉という戦技がある。肉体の限界まで、いや限界以上に闘気を高め、すべてを出し尽くすための技。コウのやっていることは理屈の上では、それと同じものだった。
どの流派にも似たような技はある。だが、この技は生半可な覚悟では成立しない。言ってみれば、一流の証とも言える技だ。達人の域に達していないコウに本来であれば使えるような技ではない。その不可能を可能としたのは、コウだけの力ではない。リオンとシオリの――いや、彼にシオリのことを託した仲間たちの想いが彼に力を与えていた。
色即是空、彼我一体の境地。まさか、武の極地の一端を目にするとはリィンも思ってはいなかっただけに笑みが溢れる。
「うおおおおおっ!」
雄叫びを上げながら床を蹴り、リィンへと迫るコウ。
最初は期待外れだと思った戦いだが、いまは心の底からリィンはこの戦いを楽しんでいた。
「上等だ。見せてみろ! お前の限界を――」
そう言って、リィンは〈鬼の力〉を呼び覚ます。
素人相手に大人気ないとは思わない。それは敵として、一人の男としてコウを認めた証でもあった。
「――エクステンドギア!」
全身全霊を傾け、渾身の突きを放つコウ。巨大化したソウルデヴァイスの先端がリィンに迫る。
それに対抗すべくリィンも銀色の槍を構える。それは魔王をも滅した破邪の光。
「必滅の大槍」
ぶつかる二つの闘気。極大の光が実験場を白く染め上げた。
◆
「……生きてる?」
白い天井を見上げながら、自分が生きていることを実感するコウ。最初から勝てるとは思っていなかった。それでも、すべてを出し尽くした一撃だった。しかし、それも結局は通用しなかった。リィンの放った槍が、自身の胸を貫いたところまでは覚えている。なのに、どうして生きているのかと不思議に思うコウだったが、その疑問はすぐに解決した。
「当たり前だ。あれは怪異みたいな敵には有効だが、物理的な破壊力は高くない。それに聖獣の加護を宿しておいて、あのくらいで死ぬはずがないだろ?」
コウの疑問に答えるリィン。あの場面でグングニルを選択したのは、コウを殺さないためだ。
以前、瘴気に呑まれ魔人化した少年を救ったこともあるが、グングニルは魔を滅する破邪の槍だ。物理的な破壊力は低く、全力で放ったとしても集束砲に遠く及ばない。
それにコウには九尾が与えた加護がある。少なくとも、あの程度の攻撃で死なないことはわかっていた。
「加護? なんで、そんなものが俺に……」
自分に聖獣の加護が宿っていると聞いて、コウは目を丸くする。
幾ら神社の神主が祖父だからと言って、そんなものの加護を宿すようなことはしていないはずだ。
まったく心当たりがないのは当然だった。
「彼女だよ」
「……シオリが?」
実験場へと降りてきたシオリとリオンへ視線を向けながら、リィンはコウの疑問に答える。
シオリと聖獣の加護がどう繋がっているのか、いま一つ事情を呑み込めずコウは呆けた表情を見せる。
そんななかシオリは目尻に涙を浮かべながら、飛びつくようにコウに抱きついた。
「コウちゃん、コウちゃん……コウちゃんッ!」
「シオリ……ごめんな。遅くなって」
そんなシオリを優しく抱き寄せるコウ。髪が伸び、白くなっていることとか、正直そんなことはどうでもよかった。
シオリが人間ではない別の何かに変わってしまったとしても、シオリがシオリであることに変わりはない。
こうして肌を通して伝わってくる彼女の体温が、コウにとってのすべてを物語っていた。
「……えっと、結局はどういうことなの?」
「まだ分からないのか? 一芝居打ったんだよ。彼女の本音を引き出すためにな。とはいえ、別の奴の本音まで引き出してしまったみたいだが……」
「え?」
「……まあ、あれだ。余り気にするなよ」
何を言われているのか分からず一瞬呆けるも、自分のしでかしたことを思いだし、リオンは顔をタコのように赤くする。
――シオリが死んだら、コウくんはあたしが貰うけど、それでもいいの!?
聞く人が聞けば、告白としか思えない台詞。勢いで言ってしまったとはいえ、一度口にした言葉はもう引っ込めることは出来ない。
しかもそれが全部、リィンの仕組んだ芝居だったと知り――リオンはキレた。
「うわあああああん! 殺す、アンタだけは絶対に殺す!」
ソウルデヴァイスを展開し、リィンを亡き者にしようとリオンはレーザーを放った。
そんなリオンの暴走に「ええええ!」と声を上げ、コウはシオリを抱えて必死に逃げる。
一方でひょいひょいっとレーザーを回避しながら、そんなコウを軽々と追い越し、リィンは実験場の外へと一人で逃げる。
「ちょっ、ずるいぞ! アンタが元凶≠セろ!?」
「人聞きが悪い。どう考えても原因≠ヘお前だろ」
どっちもどっちと言った様子で言い争う二人を見て、シオリはコウに抱えられながらクスリと笑った。
◆
「リオン先輩、どうしたんですか?」
「そっとしておいてあげましょう。いろいろとあったみたいよ……」
何があったのか詳しくは知らないが、それを聞くのは躊躇われたアスカはソラをリオンから引き離す。
そのすぐ後ろでは、シオが珍しく微妙な顔を浮かべ、大きな溜め息を漏らしていた。
「はあ……俺等の苦労は一体……」
「まあ、こんなことだろうとは思ってたけどね」
シャーリィを相手に全身を傷だらけにして頑張ったというのに、それがドッキリでしたというのは、どうにも腑に落ちない。
だが、何かおかしいことを察していたユウキの反応はあっさりとしたものだった。
「事情はわかりました。ですが、トモアキさん。次はないと言ったのを覚えていますね」
「……はい」
冷たい床に正座をして、ミツキの説教にトモアキは黙って耳を傾ける。
既に破棄されているとはいえ、婚約者だった相手に頭が上がらない様子は男として何とも情けない姿だった。
とはいえ、ここでミツキに逆らったら置かれている状況が更に悪くなることを悟っているトモアキは大人しかった。
その近くで同じように床に座らされている二人がいた。正座ではなく不貞不貞しい態度であぐらを組んでいる様子からも、余り反省しているようには見えない。
「お二人とも反省してください」
「いや、しかしだな。俺はよかれと思って――」
「そうだよ。今回はシャーリィも良いことしたと思うんだけど?」
エマに説教され、自分たちは悪くないと反論するリィンとシャーリィ。
こういう時ばかり一致団結する二人に、エマは心底呆れた様子で溜め息を漏らす。
もう叱る気も失せたが、これだけは聞いておかなくてはならなかった。
「……いつからですか?」
芝居ということは、最初からシオリを殺す気はなかったということだ。
しかしリィンの性格から言って、元の世界へ帰るためならシオリを殺すことに躊躇するとは思えなかった。だとすれば、シオリを殺す必要のない理由が出来たということだ。
そのことから、レムから連絡があったのでは? とエマは推察していた。
「実は昨日、蓬莱町でチンピラに絡まれた後に鷹羽組の若頭に会ったんだが、その時レムが現れてな。で、帰る目処はついたんだが、このままサヨナラっていうのも寂しいだろ?」
「そそ。だから、最後くらい盛大にパーティーをしようって話になってね。ついでだからってことで――」
「皆を騙して、こんな茶番を演じたと?」
ギロリと二人を睨み付けるエマ。いまのエマは間違いなく魔女の凄みを纏っていた。
後のことは丸投げして逃げようとするシャーリィの腕を、リィンはしっかりと掴む。
「お前もノリノリだったじゃないか。こうなったら一蓮托生だろ!?」
「でも、一番美味しいところはリィンが持っていって、シャーリィはその他大勢の相手だったし……」
「数はそっちの方が多かったんだから十分だろ?」
「数だけ多くても二人は満身創痍だし、エマ以外は雑魚ばっかりじゃん。そっちはリィンにあの力を使わせたんでしょ? やっぱり釣り合ってないと思うんだよね……」
その他大勢、雑魚という容赦のない言葉が、アスカたちの胸に突き刺さる。確かにあれだけ啖呵を切っておいて手も足もでなかったが、言い訳をするなら先日の戦いのダメージがまだ回復しきっていなかったのが敗因の最大理由だった。特にシオとアスカの消耗が激しく、アスカに至っては切り札を現在は使えない状態だ。そんな状態で万全のシャーリィに敵うはずもなく、一方的に叩きのめされたのも仕方のないことと言えた。
まだ一週間しか経っていないのに、ほとんど以前と変わらないくらいまで回復しきっているリィンとシャーリィの方が異常だと思う。しかし彼等は気付いていないが、シャーリィはともかくリィンの力はまだ三割程度しか回復していなかった。どうにか異能が使える程度に回復したと言ったレベルで、全力での戦闘は叶わない状態だ。ラグナロクを使ったこともそうだが、その後に無茶をしすぎたのが回復に時間が掛かっている一番の理由だろうとリィンは考えていた。
「あの……そもそもの原因は私にあるので、そのくらいで……」
「いや、シオリだけじゃない。俺にも責任が……」
「ううん。コウちゃんは悪くない。私が……」
「いや、俺が……」
何このバカップルと言った感じで微妙な顔を浮かべ、リィンは溜め息を漏らす。しかしまあ、これでよかったと思っていた。
何一つ解決したわけではないが、少なくともシオリを殺さずには済んだ。リィンとて無抵抗の少女を手に掛けて喜ぶような趣味はない。犠牲をださずに済むのなら、それが一番だと考えていた。
エマもそんな二人を見て毒気を抜かれた様子で説教を止め、リィンに本題を尋ねる。
「それで、彼女はなんと?」
「なんとか連絡が付いたと言ってたな。七月三十一日の満月の夜に迎えが来るそうだ」
「今日が十六日ですから、約二週間後ですか。しかし、迎えですか?」
迎えと聞いて、誰がと思うのは当然のことだった。少なくとも人間と言うことはあるまい。
他にもどうやって連絡を付けたのかとか、彼女は何者なのかと気になることはたくさんあるが、まず一番に確認しておきたいことは別にあった。
「まあ、その日になれば分かるだろ。ただまあ、信用はしていいと思うぞ?」
リィンが信用するということで、エマも一先ず納得した表情を様子を見せる。
それに聖獣とも親交があり、あれほどの力を持つ存在が今更そのような嘘を吐くとはエマも思ってはいなかった。問題は――
コウの傍らで笑顔を浮かべるシオリを見て、エマは苦笑する。こちらこそ心配しても仕方のないことだ。
あとは彼等の問題だ。この世界を去るエマたちには、どうすることも出来ない。
この先は彼等だけで運命を切り拓いていくしかない。しかし、それも心配は要らないだろうとエマは思っていた。
というのも――
「……なんだ?」
「いえ、ただ少しだけ、以前よりもリィンさんのことが理解できた気がします」
訝しげな表情を浮かべるリィンに向かって、エマは笑顔でそう話す。
リィンがこんな茶番を演じてまで最後に残そうとしたもの。それは彼等の心に刻みつけられているはずだ。
ワイワイと騒ぐ少年少女たちを見て、エマは捨て去ったはずの過去に思いを馳せ、ほんの少し寂しげな笑みを溢した。
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