番外『暁の東亰編』



 瞬く間に時間は過ぎていく。この二週間、リオンにチケットを渡されてSPiKAが出演するコンサートを観に行ったり、シャーリィに強請られてネズミで有名な某テーマパークへ遊びに行ったり、他にも騎神を巡ってちょっとした騒動もあったり、そのお詫びにとミツキに誘われて杜宮市の外れにある温泉地へ一泊二日の旅行をしたりと、リィンは慌ただしくも充実した日々を送っていた。

「いよいよ、明日か……」

 自然公園の一角にある小高い丘から、リィンは杜宮の街を眺めていた。
 杜宮(ここ)は良い街だ。一ヶ月近くもいれば、それなりに愛着も湧く。しかし、それ以上に元の世界に帰らなければならない理由がリィンにはあった。
 いや、リィンだけでではない。エマやシャーリィも、あちらには多くのものを残して来ている。それを捨ててまで、この世界に腰を落ち着けることは出来なかった。

「で? いつまで隠れているつもりだ?」

 気配を察し、リィンは木の陰に隠れている二人に声を掛ける。
 まさか気付かれているとは思っていなかった様子で観念して姿を見せた二人は、変装用のメガネと帽子を取って素顔を晒した。
 二人の顔を見て、やっぱりかと言った顔で溜め息を吐くリィン。隠れて様子を窺っていたのはSPiKAのメンバー、レイカとハルナの二人だった。

「……どうして分かったの?」
「気配だ。隠れるつもりなら姿だけでなく、気配もどうにかしないと意味がないぞ?」

 どうして分かったのかと気になって尋ねた答えが、気配で分かったなのだからレイカも微妙な表情を浮かべる。

「なんというか、相変わらず人間離れしてるわね……」
「このくらい努力で身につく技術なんだがな」

 リィンは気軽に言うが、そんな真似が普通の人間に出来るはずもない。指摘されたところで一般人の二人に気配なんて消せるはずもなかった。
 リィンの非常識さを再確認して、ハルナは苦笑しレイカは溜め息を漏らす。
 そんな二人を見て気になった様子で、リィンは確認を取るように尋ねた。

「で? 二人揃ってなんの用だ?」
「あなたがパーティー会場に来ないから、こうして誘いにきたんでしょうがッ!」
「ああ……でも、シャーリィとエマは参加してるんだろ? 俺は必要ないと思うんだが……」

 なんとなく、そんなところだろうとはリィンも予想していた。
 生徒会もといミツキ主催のお別れパーティーが杜宮学園で催されていた。当然、リィンたちのお別れパーティーだ。その主賓の一人がこんなところで油を売っているのだから、レイカが怒るのも無理のない話だった。
 とはいえ、最初からリィンはパーティーに参加するつもりはなかった。ガラではないというのもあるが、自分が参加することで場の空気を悪くしたくはなかったからだ。そのことに気付き、レイカは難しい表情を浮かべながらリィンに尋ねた。

「ひょっとして、リオンたちとのこと気にしてるの?」
「……知ってるのか?」
「詳しくは聞いてないけど、あの子の態度を見ていれば分かるわよ」

 同じSPiKAのメンバーということもあるが、養成所時代からの親友だ。リオンの態度を見れば、何があったかくらいは想像が付く。
 それにリィンやリオンの性格を考えれば、二人が反発しあうことも想像に難しくなかった。
 特にコウが絡むとリオンは周りが見えなくなる。恋する乙女の力は偉大だが、融通が利かないのも玉に瑕だった。

「なら、分かるだろ? 俺がいても空気が悪くなるだけだ」
「ほんと素直じゃないわね……」
「レイカも他人のことを言えないような……。リィンさんがいないって分かった途端、迎えに行くって言い出したのこの子なんですよ。ああ、ここのことはエマさんに教えてもらったんですけどね」
「ちょっとハルナ!?」

 全部バラされて、顔を真っ赤にしてレイカはハルナに抗議する。
 その話を聞き、相変わらずかと納得するリィン。エマのお節介や、どう言う訳かレイカが好意を寄せてくれていることくらいにはリィンも気付いていた。ただ、それに応えるわけにはいかない。
 そんなリィンの考えを察してか、少し寂しげな表情を浮かべながら、

「ねえ、本当に帰っちゃうの?」
「ああ。故郷(くに)には残してきたものがあるからな」
「それって……大切な人? こ、恋人とか?」

 精一杯の勇気を振り絞って、レイカはリィンに尋ねる。
 恋人か、と心の中で呟くリィン。まったく思い当たる相手がいないわけではないが、ずっと戦い続きで恋人を作れるような環境ではなかった。

「いや、家族だ。義妹(いもうと)がいるんだ。それに、やり残したことがある」

 だからリィンは正直に答える。レイカの真剣な表情を見ると、どうしても嘘はつけなかった。
 こういう時、ルトガーならもう少し気の利いた台詞の一つや二つ言えるのかもしれない。ああ見えて、行く先々で女を侍らされているところをリィンは目撃していた。団に所属していた女性のほとんどが、ルトガー目当てだったというのだから呆れるしかない。よくゼノが血の涙を流しているのをリィンは見ていた。そんなゼノに誘われて色町へ行ったこともあるし、リィンも女に興味がないというわけではないのだが、そもそも自分のことで精一杯でそんな余裕がなかったというのが主な理由にあった。少なくとも、いまはまだそんなことを考えられるような余裕はない。せめてもう少し生活に余裕が出来れば、そういうことも考えられるのだろうが、いまは無理だ。
 そんなリィンの気持ちを知ってか知らずか、レイカは深呼吸すると流れに任せて口を開く。それは、ここに来た本当の理由。
 これで最後になるかも知れない。そう思ったら、どうしても告白しておきたいことがあったのだ。

「あ、あのね。私――」
「ああ、いたッ!」

 レイカが真剣な表情でリィンに何かを告白をしようとした瞬間、馴染みの深い声が辺りに響いた。リオンだ。
 はあ、とハルナは額に手をあてながら溜め息を漏らす。レイカはというとタイミングを逸して、行き場のない想いを持て余すようにフルフルと肩を振わせていた。そして、キッとリオンを睨み付けた。
 レイカに睨まれ、何がなんだか分からずリオンは後退りする。そんな彼女の後ろでは、「こっちだ。こっち」という掛け声と共に公園の一角にビニールシートを広げ、宴会の準備を始める一団の姿があった。
 そのなかに学生と思しき見慣れた顔ぶれを確認して、げんなりとした表情でリィンは肩を落とす。

「何やってんだ。アイツ等……」
「クスッ、もう観念した方がいいみたいですね」

 ここで二次会でも始めるつもりなのだと、ハルナの言葉でリィンは察した。
 本当にお節介な連中だとリィンは苦笑する。しかし今日で最後だと思えば、少しくらい付き合ってやるかと観念した。
 ハルナの後を追って皆の方へ足を進めるリィンの服の裾を掴み、レイカは俯きながら尋ねる。

「……また、会えるわよね?」

 そんなレイカの問いに、リィンはどう答えたものかと悩む。
 誤魔化すのは簡単だ。しかし、彼女の気持ちを考えると安易な嘘を吐くのは躊躇われた。
 だから服のポケットからリィンは手の平サイズの小さな人形のようなものを取りだし、それをレイカの手に握らせた。

「これは?」

 身代わりマペット。一度だけ命に関わるような攻撃から身を守ってくれる身代わりのアイテムだ。
 特別な材料と技術で作られているため余り数がなく、希少価値の高い貴重なものだが杜宮で起きた異変のように今後同じようなことがないとも言えない。
 また何かあった時のために、御守り代わりにポケットに忍ばせていた最後の一つをリィンはレイカに手渡した。

「御守り代わりだ。大事なものだからな。ちゃんと預かっててくれよ?」

 約束を守れるかは正直分からない。だが、はっきりと口にするのは躊躇われた。
 そんなリィンの気持ちを察してか、レイカは晴れ晴れとした表情を浮かべるとリィンの手を取って皆の元へ走り出す。

「おいっ――」
「いきましょ。パーティーなんだから目一杯楽しまないと」

 また、こんな風に一緒に笑える日が来るのかは分からない。でも、好きな人に弱い自分は見せたくなかった。
 だからレイカは笑ってリィンを見送る。また再会できる日を願って――
 それが彼女に出来る精一杯の意地だった。


  ◆


 満月の空を見上げながら、リィンは真剣な表情で呟く。

「きたみたいだな」

 月明かりに照らされ、青白い光を放つ銀髪の少女が姿を現す。
 彼女こそリィンたちが待っていた人物。異界の子、レムだった。

「待たせたね。もう別れは済ませたのかい?」
「ああ」

 多くを語るつもりはなかった。既に別れは済ませてある。
 そんなリィンの想いを察してか、レムは無言で頷き、手を空へと掲げる。
 すると杜宮の街を覆い尽くすような巨大な魔法陣が夜空に展開され、そこから眩い輝きを放つ光の柱が大地へと降り注いだ。

「あれが迎え≠セよ。光の中に入れば、元の世界へと通じる道が繋がっている」
「……あれは、まさか精霊の道?」
「人間たちの間では、そんな風に呼ばれているみたいだね」

 エマの疑問をレムは苦笑しながら肯定する。
 精霊の道。それは霊脈の力を利用することで、遠く離れた場所へ移動する転位術のようなものだ。
 レムの言う迎え≠ニいうのが、その道を開いたのだとエマは察した。

「行くか。どちらにせよ、前に進むしかない」
「……はい」

 そう言うとリィンはエマと共に〈灰の騎神〉へ乗り込む。
 それに習うようにシャーリィも〈緋の騎神〉へと乗り込み、光の柱へと歩みを進める。

「初めての感覚だが、こいつは凄いな」

 懐かしくも不思議な感覚を覚え、リィンは思わず溜め息を漏らす。そして吸い寄せられるように騎神の身体が空へと浮かび上がっていく。
 恐らく、この先がレムの言うようにゼムリア大陸へと繋がっているのだろうとリィンは理解した。

「リィン、あれ見て」
「ん?」

 シャーリィに言われ、リィンが地上を見下ろすと、街の灯りが目に入る。自然と学園の方へ視線が吸い寄せられ、リィンはそれを見つけた。
 もう七月の終わり、学園はとっくに夏休みに入っているはずだ。なのにこんな時間に、どの場所よりも暖かな光を放つ学園の姿を目にして、リィンは誰の仕業か気付いた様子で苦笑しながら呟く。

「アイツ等……」

 見送りはいらない。そう言ったはずなのに本当にしょうがない奴等だとリィンは呆れる。だが、悪い気はしなかった。
 最初は元の世界へ帰ることばかりを考えていたが、この世界に召喚されて得るものがあったとリィンは思う。
 目を瞑り、これまでのことに思いを馳せるリィン。そして覚悟を決め、口にした。

「帰ろう。俺たちの世界へ」

 多くの思い出が眠る場所。大切な人たちが待つ、あの世界へ――


  ◆


「行っちゃったね」
「……ああ」

 光が消えたことで、リィンたちが元の世界へ帰ったのだとシオリは実感する。
 懐かしい制服に身を包み、松明の明かりが点る学園の校庭でシオリはコウや彼の仲間たちと共に、リィンたちの見送りをしていた。
 それをリィンが望まないことはわかっていたが、どうしても最後の別れがしたかったのだ。

「シオリ。俺、年が明けたら柊と一緒にアメリカへ渡るつもりだ。そこで本格的に異界のことや、力の使い方を学びたいと思ってる」

 それがコウのだした答えだった。アメリカにはアスカが異界に関する知識や怪異との戦い方を学んだというネメシスの第二支部がある。
 以前の自分ならシオリを置いて街をでるなど、考えもしなかっただろうとコウは考える。
 しかし、それではシオリを守ることが出来ない。もう守られるばかりの日常は嫌だった。
 こうして覚悟を決めることが出来たのも、リィンたちのお陰だとコウは思う。だから――

「皆と一緒に学園を卒業できないことには悩んだが、留学という扱いにしてくれるって言うし――」
「私なら大丈夫だよ。コウちゃんの信じる道を進めばいい」

 それがコウのだした決断なら、シオリは彼の邪魔をするつもりはなかった。
 心配でないといえば嘘になる。しかしコウのためを思ってしたことは、いまになって思えば一方通行な優しさに過ぎなかったのだろうと、シオリは自身の行動を振り返りながら考える。それを教えてくれたのはリィンと、もう一人――

(ありがとう。リオンちゃん)

 シオリの視線に気付き、リオンは照れ隠しのつもりなのか頬を掻きながら肩をすくめる。
 コウのことで若干の負い目をシオリが感じていることにリオンは気付いていた。
 しかし気を遣っては欲しくなかった。シオリのことを大切な親友だと思っているからだ。
 だからシオリを嫌ったりはしない。すべて鈍感なコウが悪いとリオンは思い、コウに向かって舌を出す。
 そんなリオンを見て、シオリはクスリと笑う。

「今度こそちゃんと守れるように強くなって、必ず迎えに行く」
「うん、待ってる」

 確かに人間ではなくなったかもしれない。でも、代わりにたくさんのものを手に入れた。
 もう元の生活には戻れないことがわかっていても嬉しかった。幸せだった。
 コウだけじゃない。たくさんの人に愛され、望まれていることが分かったから――
 だから、この杜宮(まち)を守りたい。皆の日常を、コウの帰る場所をこれからも見守って行きたい。

 ――それが巫女の望みなら、我は時が来るまで静かに見守るとしよう。

 ふと、九尾の声が聞こえた気がして空を見上げるシオリ。それは神の与えてくれた猶予だった。
 最初から九尾にはすべてわかっていたのだろう。だから、あんな風にリィンたちに協力をした。
 悠久の時を生きる九尾からすれば、瞬きするほどの短い時間かもしれないが、皆と共に生きる時間を与えてくれたことにシオリは感謝する。

「これから大変ね」
「仕方がありません。それを選んだのは、私たち自身ですから」

 シオリの置かれている立場。これからのことを考え、アスカとミツキは覚悟を確かめ合うように呟く。
 彼等の行く先には、多くの困難が待ち受けているはずだ。最悪の場合、ゾディアックやネメシスと言った組織とも対立することが考えられる。
 しかし、友人を支えると決めたことに後悔はなかった。


  ◆


 ――どうして強くなりたいの?

 誰にも認めてもらえず、それでも諦めず努力を続ける少年に少女は尋ねた。

 ――守られるだけじゃない。家族を守れる男に俺はなりたい。だから俺は強さが欲しい。

 そんな少女の問いに少年は答える。
 最初はただの意地だった。子供扱いされるのが情けなくて、皆に認めてもらえないことが悔しくて、何より少女を守れる強い男になりたいと少年は願っていた。

 ――それに、越えたい背中がある。

 強い憧れを抱いた眼差しで少年はそう話す。
 思い描くのは最強の人物。あの背中に追いつきたい。そして、いつの日か追い越したい。
 理想は遠く、困難な道であることは少女にも分かる。だが、不思議と無理だとは思わなかった。

 ――ん、なれるよ。リィンなら。
 ――なれるよ。コウちゃんなら。

 少女は少年のことを信じていた。
 当然だ。少女にとって少年は、たった一人の英雄(ヒーロー)なのだから――


  ◆


 東亰冥災から十三年。杜宮を襲った異変から三年の月日が流れていた。

「あれから、三年か……」

 杜宮を一望できる小高い丘の上で、白い帽子を被った金髪の女性は街を眺めながら、そう呟く。
 あの事件から三年。この街に戻ってくるのは二年振りだ。

「この街は変わらないわね。あの頃から少しも……」

 街の復興を記念してコンサートが開かれることになり、こうして街を訪れた彼女は自然と思い出の場所に足を運んでいた。
 本当にあれからいろいろなことがあった。高校を卒業後、彼女は大学へは進まずに仕事へ専念することを決め、いまではアイドルだけでなく日本を代表するモデルの一人として世界で活躍するまでに成長していた。

「約束はちゃんと守りなさいよ……ッ!」

 捻くれ者だけど優しくて、不器用だけど強くて頼りがいのある青年と彼女はこの街で出会い、この丘で再会の約束をした。
 しかし音沙汰がないまま三年が過ぎた。待ち人は現れず時間ばかりが過ぎていく。惚れた方が負けとよく言うが、彼女も今頃になって親友の気持ちを理解することになるとは思わなかった。

「レイカ! そろそろ次の予定が押してるから移動しないと!」
「わかってるわ! すぐそっちへ行くから!」

 丘の下からマネージャーに声をかけられ、彼女は大声で返事をする。この後、記念コンサートの打ち合わせと雑誌の取材を受ける予定になっていた。
 マネージャーのもとへ向かおうと踵を返すと風が吹き、変装用の帽子が飛ばされる。
 慌てて帽子を追い掛ける。そして、ふと彼女の視線が止まった。

「待たせちまったか?」

 飛ばされた帽子を拾い上げながら、黒髪の男性は彼女に尋ねる。
 背も伸び、三年前より男らしく成長しているが、彼女が彼の姿を見間違えるはずがなかった。

「……待たせ過ぎよ。バカ」
「でも、約束は守っただろ?」

 会った時と同様に不貞不貞しい態度で、彼は彼女にそう言う。
 あの頃と少しも変わらない彼の態度に苦笑し、彼女も約束した日と同じように笑顔で出迎える。

「お帰りなさい、リィン」
「ただいま、レイカ」



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