「それで太老くん。どうするつもりなの?」
少し気になることがあって船の中に設けた工房で作業をしていると、突然やってきた水穂にそう尋ねられた。
なんのことを聞かれているのか、わからない俺ではない。昨日の美嘉たちの件だ。
秘密がバレた以上、本来であれば記憶を消去するか、仲間に引き込むかのどちらかしかない。
彼女たちが他の誰かに話すとは思ってもいないが、秘密を知っていると言うだけで危険は伴うからだ。
こちら側の人間であると悟られるだけでも、なんらかの事件に巻き込まれる可能性はある。水穂が心配しているのは、そういうことだ。
実際、俺たちは味方と同じくらい敵も多い。海賊の件にせよ、多くの人間から恨みを買っていることくらいは俺も自覚していた。
自分の身を守ることくらいは造作もないが、美嘉たちは地球人だ。生体強化を受けてもいなければ、荒事の経験すらないだろう。
とはいえ――
「出来ることなら、本人たちに選ばせたいと思ってる」
正直なところ記憶の消去は本人たちが望むのならともかく、余りやりたいことではない。
甘いことを言っているのは自覚している。それでも彼女たちに秘密を知られてしまったのは俺の責任だ。
彼女たちの意思を無視して、こちらで勝手に事を進めるような真似はしたくなかった。
俺自身、自分の意思と関係無く宇宙へ上げられ、何の説明もなく異世界へ飛ばされたりと波瀾万丈な人生を送っている。
自分がされて嫌なことを、俺は他人に強制するつもりはない。
俺の意志が固いことを感じ取ったのか、水穂は呆れた様子で溜め息を漏らす。
「はあ……太老くんが最後まで責任を持つこと。その条件が守れるなら今回≠ヘ目を瞑るわ」
元よりそのつもりではあったが、俺は肝に銘じながら頷く。
前例がないとは言わないが、故意でなくとも問題となりかねない行為だしな。
気が緩んでいたのだろう。志希や菜々の問題だけではなく、俺自身も反省すべき点は幾つもあった。
「ところで太老くん」
「はい?」
「さっきから何をやってるのか、聞いてもいい?」
訝しげな表情で、そう尋ねてくる水穂。さっきから俺がやっている作業が気になるようだった。
俺の周囲に展開された無数の空間モニター。そこにはグラフのようなものと数字が浮かび、表示されては消える作業を繰り返している。
「菜々のパーソナルデータの解析をちょっとね」
「……どういうこと?」
どうしてそんなことをしているのかわからないと言った様子で、俺に尋ねてくる水穂。
俺も出来れば杞憂であって欲しいと思うが、もし予想が当たっていた場合、今後も同じようなことがないとは限らない。
対策は講じておくべきだと俺は考え、こうして生体強化を施す際に取得した菜々のパーソナルデータを解析していると言う訳だ。
幾重にも施されたカモフラージュやトラップを無視して、転送ゲートのみを偶然に探し当てられる可能性はゼロに近い。
林檎の件もそうだ。本当に偶然@ム檎と出会い、柾木家の宴会に連れて来られるなんてことがあるのだろうか?
一度なら、ただの偶然。奇跡のような確率を引き当てただけと納得することも出来るが、偶然が二度も続けばそれは必然だ。
「元からそうなのか、俺たちと接触することで能力が開花したのかはわからないけど――菜々は確率≠ノ偏りがある可能性が高い」
俺の説明に、水穂は驚いた様子で目を瞠る。
当然だろう。『確率の天才』と呼ばれる彼等は、ある意味で天災≠ニも呼ばれる才能を持った存在だ。
特に西南の一件で、その能力をよく知る水穂が驚くのは無理もない。俺だって美星という極めて特殊な例を知るだけに他人事ではなかった。
「そのことを鷲羽様に相談は?」
「してない。……というか、わかってて菜々のことを放置したんじゃないかと思って」
柾木家の宴会に菜々は出席しているのだ。その場には当然、白眉鷲羽もいたと聞いている。
ずっと違和感はあったのだ。こんな興味を惹く話に、どうしてあのマッドが食いついてこないのか、と――
志希の時はあんなにも積極的に関わってきたのに、菜々の時に限って何も言って来ないのは妙だ。
いまになって考えれば、菜々の特異性にマッドが気付かなかったとは思えない。
なら最初から知っていて、俺に菜々の件を一任するように話を持っていったと考えるのが自然だろう。
鬼姫がなんの対価も要求しないで菜々の件を了承した時から、おかしいとは思っていたのだ。
「もしかして、瀬戸様もグル?」
水穂もそのことに気付いたのだろう。あの二人が繋がっていないとは考え難い。
何を企んでいるかは知らないが、また碌でもないことなのは間違いない。だからこそ、早めに手を打っておきたかった。
「……この件は林檎ちゃんと相談させてもらうわ」
まあ、そうなるだろうなとは思っていた。とはいえ、ここは水穂たちに頼るのが最善だ。
元より証拠を掴んだら、水穂たちには鬼姫の抑えに回ってもらうつもりでいたのだから――
面倒なことが起きなければいいが、こうした時の俺の勘は良く当たる。
「何を企んでいるかは知らないが、そう思い通りに行くと思うなよ」
何度も嵌められれば、俺だって学習する。このまま、あの二人の思い通りになるつもりはなかった。
◆
「では、菜々さんが891プロへ移籍をしたのは、やはりあのこと≠ェ原因なんですね」
「うん。先生も、そこは否定しなかったしね〜」
ありすの質問に、そう答える志希。今後のことを相談するため、ありすと文香の二人は志希のもとを訪ねていた。
いろいろとあって昨日は簡単な口止めだけで解散となったが、太老と交わしたのは口約束だ。
勿論、ありすと文香は秘密を誰かに話すつもりはないが、本当にあんなのでよかったのだろうかと疑問を持っていた。
しかし志希から菜々が移籍した理由を聞かされ、二人は理解の色を示す。
口約束だけで何もなしとされるよりは、仲間に引き込むために891へ移籍させたと言われた方が、まだ納得が出来たからだ。
「では、私たちも移籍した方がいいのでしょうか?」
ありすのその質問に、志希は少し困った顔で「ううん」と首を傾げる。
正木商会の秘密を知っていると言う点では志希も菜々と立場は変わらないが、太老からそんな誘いを受けたことはなかったためだ。
「んー、好きにすれば良いんじゃないかな〜?」
「え……でも、菜々さんは……」
「菜々ちゃんが移籍したのは、本人がそう決めたから。どういう答えをだしたとしても、先生は二人の意思を尊重すると思うよ」
志希は苦笑しながら、そう答える。
まだ一年ほどの付き合いではあるが、志希なりに太老がどう言う人間かは理解しているつもりだった。
太老が敢えて口止め∴ネ上のことをしなかったと言うことは、そういうことなのだろうと解釈してのことだ。
「でも、もし私たちが秘密を漏らしたりしたら……」
「困ると思うよ。銀河法だったかな? なんか、そういうので初期文明惑星への過度な干渉は禁止されているらしいから」
「文明への干渉を禁止ですか……でも、正木商会って地球の経済に深く浸透してますよね?」
「そこは、あたしも疑問に思って聞いたことがあるけど、国とか上の方は先生たちのことを知ってる人たちが結構いるみたいでねー」
「なるほど、建て前と現実は違うと言うことですか」
「おおっ、ありすちゃん難しいこと知ってるねー」
「バカにしないでください。このくらい少し考えればわかります」
ムッとした表情を浮かべながら、ありすは反論する。
しかしこれ以上、事情を深く聞いたところで半分も内容を理解できないだろうと考える。
映画や小説のなかのような話で、説明を聞くほどに住んでいる世界が違うと言うのが、ありすが感じた印象だったからだ。
「まあ、何かあっても責任を取るのは先生だから、ありすちゃんたちは気にしなくても大丈夫じゃないかな?」
「いいんでしょうか? それで……」
「あたしの時も似たような感じだったしね」
志希が秘密を突き止めた時も、太老は無理に彼女の口を封じようとはしなかった。
それどころか敢えて自由にさせているのも、答えをだすのを待ってくれているのだろうと志希は感じていた。
だから、ありすたちが自分自身でだした答えなら、太老は文句の一つも言わずに受け入れるだろうという確信が志希にはあった。
「志希さんは、どうするつもりですか?」
「うーん。そろそろ曖昧にしとくのもねー。フレちゃんも乗り気みたいだし」
実際のところ太老が誘ってくれない本当の理由は、迷っていることを見透かされているからだと志希は思う。
志希はアイドルの仕事を楽しいと思うことはあっても、菜々のように必死に上を目指すと言った気概がない。
と言うのも、努力をせずとも人並みになんでも出来てしまうところが、彼女が必死になれない理由として大きかった。
凡人が十の努力を必要とするところを、彼女は一の努力で完璧にこなしてしまう。一を聞いて十を知ると言ったように、それを当たり前のように実践できる頭脳と才能を彼女は持って生まれてきた。そのため日本の教育に馴染めず、飛び級をして海外の大学に留学したはいいが、そこでも一年足らずで学ぶことがなくなり、日本に戻ってきてアイドルを始めたのも退屈な日常に刺激を求めてのことだった。
でも、志希は最近悩み始めていることがあった。
アイドルを始める前に太老と先に出会っていたら、自分は本当にアイドルをしていただろうかと――
891のステージを初めて見たときの感動は、いまでもよく覚えている。
国の研究機関さえも欲しがるような最先端技術。それを惜しげもなく投入している891のステージは、志希の頭脳をもってしても理解の及ばないものだった。
その時、彼女が感じたのは途方もない才能の無駄遣いを平然とやってのける天才が自分の他にもいると言うことだけ――
だから太老に興味を持ったのだろう。
自分以上の天才、自分以上の変人。誰よりも自由に生きる彼の姿に魅せられたのだ。
だからこそ、迷っていた。いつもなら飽きたらすぐに別のことへ興味を乗り換える彼女にしては珍しく迷っていた。
いまの生活に不満を持っているわけではない。アイドルの仕事も新しい発見が多く、充実した日々を送っていると言って良い。
でも、それ以上に刺激のある世界を知ってしまった彼女には、どうしても物足りなく感じてしまうのだ。
でも、そろそろ答えをださないといけない頃合いに来ているというのも自覚していた。
そう言う意味では、今回の出来事は良い切っ掛けだったのかもしれないと志希は考える。
ありすも志希がどうするつもりでいるのかを察した様子で、それ以上は深く追求しようとはしなかった。
そんな時だ。ふと、文香が何かを察した様子で入り口の方へと視線を向けているのを見て、ありすは気になって尋ねる。
「文香さん、どうかしました?」
「いえ、誰かの気配がした気がしたので……たぶん、気の所為ですね」
◆
菜々さんが移籍したのは、太老さんの秘密を知ったから?
軽い気持ちで考えていた。太老さんと秘密を共有できる。そんな風に浮かれていた自分が情けない。
他の皆は、真剣にこれからのことを考えている様子だった。
何より太老さんがアタシたちのことを、そこまで深く考えていてくれたなんて思いもしていなかった。
「美嘉? どうかしたの?」
「奏……」
いまのアタシは酷い顔をしているのだろうと思う。
いつもは挨拶代わりにからかってくる奏も、どこか心配した様子でアタシを見ていた。
「ごめん。なんでもない……今日はもう仕事入ってないから先に帰るね」
「あ……」
後ろで引き留める奏の声が聞こえるが、アタシは振り返らず逃げるようにその場を立ち去る。
頭を冷やす時間が、考える時間が欲しかった。
太老さんはアタシたちのためを思って、答えをだすのを待ってくれようとしている。なのに――
あの時と一緒だ。また、アタシは太老さんの優しさに甘えて、大切なことを見逃すところだった。
「雨……?」
ふと顔を上げると、ポツポツと降り注ぐ雨の雫が頬を塗らした。
雨に打たれ、灰色に染まった空を見上げながら、少し冷えた頭でこれからのことを考える。
思えば、太老さんには初めて会った頃から助けられてばかりだった。
なのにアタシは何一つ、あの人に恩を返せていない。
「ほんと、アタシってバカだな……」
少しは成長したつもりだった。なのに一年前から何も変わっていない自分が嫌になる。
でも、せめて――
「今度こそ……」
ちゃんと自分で答えをだそう。そう、アタシは心に誓った。
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