「うう……これって完全に迷子よね?」

 奏と周子の分の栄養ドリンクを受け取りに太老のもとを訪れた美嘉は、守蛇怪・零式のなかで迷子になっていた。
 厳密には船に固定された亜空間の中にある人工惑星の一つ。大樹の上に造られた太老の仕事場がある宮殿の中なのだが、それでも迷子になるには十分な広さがあった。
 樹雷の首都『天樹』を模して作られたそれは、全高十キロを超す巨大な樹の上に造られた街≠セ。
 樹木を利用して作られた通路は迷路のように入り組んでおり、太老の下で働くメイドでさえ遭難の恐れがあるため、不慣れな区画には立ち入らないように注意をしているくらいだった。
 そんな場所をどうして美嘉が一人でウロウロとしているかと言うと、案内役の菜々とはぐれたためだ。
 いや、正確には最初に菜々が迷子になったと言うべきだろう。予想して然るべき事態だった。

「携帯の電波も通じないし……まあ、当然よね」

 助けを呼ぼうにも携帯電話の電波が通じないとわかり、落胆する美嘉。
 そもそもここは地球ではないのだから当然と言えば当然だ。
 とにかく人を捜さないとと、あてもなく通路を彷徨う美嘉。そして、しばらく歩いた先で奇妙な暖簾を見つける。

「『太老』と『女』?」

 そう書かれた銭湯の暖簾を見て、首を傾げる美嘉。
 普通そこは『男』と『女』でしょと心の中でツッコミを入れながら、ここなら誰かいるかもとガラガラと引き戸を開けて中に入る。
 そうして周囲を探りながら木の香りが漂う更衣室を抜けると、

「うわ……」

 大樹の枝を利用して作られた露天風呂が、目の前には広がっていた。
 息を呑むような光景に美嘉が目を奪われるていると、

「どなたですか?」
「人!? よかった……アタシ、太老さんを尋ねてきたら案内役の人とはぐれちゃっ――」

 ――って、と話を続けようとしたところで、美嘉は固まった。
 金魚のように口をパクパクと動かし、唖然とした表情を浮かべる美嘉に女性は声を掛ける。
 そして、

「迷子ですか?」
「カ、カルティア・ゾケル!?」

 思わず目の前で首を傾げる女性の名を、美嘉は大声で叫ぶのだった。


  ◆


 デビュー前に公開されたPVは一ヶ月で動画再生数一億プレビューを記録。その後に発売されたCDも現在に至るまでリリースされた八枚すべての曲がミリオンを達成し、現在も記録を更新中。891プロの名を世に知らしめることになった初ステージでは、正木商会が運営するソーシャル・ネットワーキング・サービス『タチコマネット』で配信された有料生放送が述べ二百万人を超える視聴者を叩き出し、『電子の歌姫』の二つ名を確固たるものとしたネット界の伝説的アイドル。
 これまで誰も追いつくことの叶わなかった日高舞の記録を塗り替え、新時代の幕開けを世に知らしめた新たな時代の象徴。
 それが世間の人々が知るカルティア・ゾケルという女性のイメージだ。

「太老様は所用で外されているみたいで、お戻りは明日になるそうです」
「は、はい……ありがとうございます」

 そう言って通信を切ると、カルティアの手元に展開されていた空間モニターが姿を消す。
 ここは守蛇怪・零式のなかに固定された惑星。大樹の上に設けられた大浴場だ。
 それだけに見晴らしは絶景なのだが、ゆっくりと景色を楽しむ余裕がないくらい美嘉は緊張していた。
 あの奏でさえデビュー当時からのファンだと言う、891を代表するトップアイドルと二人きりでいるのだ。
 緊張しないはずがない。太老を訪ねてきてみれば、どうしてカルティアと風呂に入っているんだろうと美嘉は困惑する。

「もしかして……緊張してます?」
「うっ……はい。カルティアさんと比べれば、アタシなんて駆け出しも良いところですから……」

 デビューして二年になるが、アイドルとしての芸歴だけでなく実績もカルティアの方が上だ。
 ようやくトップアイドルの一角に数えられるようになったとは言っても、カルティアと比べれば天と地ほどの差があることを美嘉は自覚していた。
 しかしそんな美嘉を見て、カルティアは困った顔で口を開く。

「実のところ……私も少し緊張しています」
「え?」
「世間で自分がどう評価されているかは理解しているつもり……ですけど、本当は余り人前にでるのが得意じゃなくて……」

 ステージに立つカルティアは自信に満ちた表情で、まったく不安を感じさせない演技を完璧にこなしている。
 同性が羨むほどの容姿は勿論のこと、歌や踊りだけを見ても文句の付けようがない域に達しており、アイドル以外でもカルティアに憧れ、目標とする歌手やダンサーは少なくなかった。
 美嘉もそのなかの一人だ。奏ほど熱狂的なファンと言う訳ではないが、カルティアの出演したステージの映像には、すべて目を通しているほどだった。
 それだけに人前にでるのが苦手などと信じられないような話なのだが、

(不思議な人だな……)

 こうして実際に本人から話を聞くと、不思議と嘘を吐いているようには見えない。
 若くして成功した者にありがちな傲慢さは欠片も見えず、むしろ遠慮がちというか、慎み深さすら感じるほどだった。
 メディアへの露出が少なく取材も余り受けないとあって、カルティアの素顔を知る人は意外と少ない。
 公開されているプロフィールも不明な点が多く、誕生日は勿論のこと出身地さえも不明という徹底振りだ。
 逆に言えば、その秘密に包まれたところが人々の目には神秘的に映り、彼女の魅力を引き立てていると言える。
 しかしそうした謎の多い彼女だからこそ、こんな風に本音で話せる機会は少ないと考え、美嘉は思いきって以前から気になっていたことを尋ねることにした。

「あの……カルティアさんは以前、太老さんに救われたって話を聞いたんですけど」
「そのことを誰から……ああ、ルレッタさんですね」
「はい。少し気になっただけで、話したくないなら別に……」
「いえ、隠すようなことでもありませんから……」

 美嘉の質問に、三年前のことをカルティアは淡々と話し始める。
 元々は海賊ギルドより送り込まれたスパイだったのだが、命令をだしていた幹部たちが逮捕され、太老に拾われたのだとカルティアは話す。

「海賊ですか?」
「はい……えっと厳密には稼業のようなもので……」

 海賊と一口に言っても、いろいろといる。人殺しを厭わない残虐非道な海賊もなかにはいるが、連盟に所属しない星系の人々が生活のために略奪行為を繰り返す職業『海賊』が大半で、普段は荷物の運搬や交易を主とした輸送業務に従事しており、カルティアはどちらかと言えば後者に位置する海賊だった。そのなかでも広報を主に担当していて、アイドルとしての活動もギルドの仕事で始めたのが、この業界に入った切っ掛けだった。
 そんな複雑な事情を持つ人々が生計を立てるために海賊行為をやっていることがほとんどのため、逮捕後の再犯率が低く、凶悪犯罪に手を染めるケースは稀と言っていい。輸送艦を襲った際には荷物を切り離せば乗組員は見逃す。代わりに荷物にトラップなどの細工をしない。互いに人的被害をださないように努めるといった不文律が、ギャラクシーポリスとの間に交わされているくらいだった。
 これはギャラクシーポリスとしても安全に実戦訓練を行うことが出来るというメリットがあり、立場上どうしても彼等を表立って支援することが叶わないために、こうした面倒臭い施策を講じていると言った側面があった。
 宇宙の常識について詳しくない地球人からすると理解しがたい話を聞かされて、美嘉はなんとも言えない表情を浮かべる。

「美嘉ちゃんに分かり易く説明すると、バイキングに近い感じかな?」

 声のした方を美嘉が振り返ると、頭にタオルを巻いた志希が蕩けた顔で湯船に浸かっていた。
 いつの間に……と驚くやら呆れるやら複雑な表情を滲ませる美嘉。
 その寛ぎ方から見ても、普段からここを利用していると思って間違いなかった。
 しかし志希の説明はある意味で的を射ており、地球人の美嘉からするとイメージのしやすい例えだった。

「ようするに太老さんのお陰で海賊から足を洗うことが出来て、真っ当な仕事に就くことが出来たってことですか?」
「身も蓋もない言い方をすると、そういうことになります……」

 連盟に所属しない星系の人々は生活基盤が安定しないため海賊行為に走る者が多いが、ほとんどの者は望んでそんな生活をしているわけではない。
 故郷の星が貧しく、もしくは定住する国をもたず、家族を養っていくだけの仕事がないから、略奪行為に手を染めるしかなかった者が大半だ。
 しかし海賊ギルドの大半が地球連合国に組み込まれ、正木商会の傘下に入ったことで略奪行為に走らずとも十分な収入を得ることが出来るようになった。
 結果、海賊を続ける必要性がなくなったと言う訳だ。
 だが、なかには真っ当に働くことよりも、海賊であり続けることを望む者たちがいないわけではない。
 ある者は自由を求め、ある者はスリルを求め、先の盤上島の事件で反旗を翻した海賊たちがその最たる例だ。
 そんな話を聞き、美嘉は栄養ドリンクを受ける時に、太老から受けた忠告を思い出す。

「じゃあ、護衛が必要って話も……」
「はい……ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

 心底申し訳なさそうに頭を下げるカルティア。
 元とはいえ、同じギルドに所属していた仲間が迷惑を掛けていることを、カルティアは酷く気にしていた。
 しかも彼女は反旗を翻した幹部の命令でスパイ行為を働いていた前科があり、太老には負い目があった。
 太老に拾われなければ、まだ悪事に荷担していた恐れすらあるのだ。カルティアが気にするのも無理からぬ話だった。

「でも安心してください。ギルドが総力を結集しても太老様を出し抜くなんて真似、まず不可能なことですし……」

 しかし同時に無謀な行為だとも思っていた。
 実際、カルティアが海賊ギルドのスパイであることを一番最初に見抜いたのは太老だ。
 それどころか反旗を翻した幹部たちの思惑を最初から見抜いていた節すらあると、カルティアは思っていた。
 今回の件もそうだ。自分に美嘉たちのことを頼むと依頼したのは、敵の正体や思惑を既に察しているからだろうとカルティアは考える。
 しかも水穂や林檎も動いているのだ。太老が出し抜かれ、美嘉たちを危険に晒すようなミスをするとは思えなかった。

「太老さんって……そんなに凄いんですか?」
「あの方は常に先を見据えて行動されています。それにこの船も普通の船≠ナはありませんし……」
「……え?」
「地球の方にはピンと来ないかもしれませんが、惑星を収めるだけの亜空間を固定するなんて真似は、宇宙最高峰の知識を有するアカデミーの技術力でも不可能ですから……」

 空間拡張は民間の船にも搭載されているくらい一般的なものだが、精々が船の質量の二倍から三倍程度の空間を固定するのがやっとで、戦艦クラスの出力を持つ船でさえ十倍ほどの空間を固定するのが限界と言ったところだ。それを惑星を二つも固定できるほどの広大な空間を維持できる船なんてものは一般に存在しない。それこそ、噂に聞く〈皇家の船〉でもなければ不可能なことだった。
 それは即ち、この船一隻で数百を超える戦艦を圧倒できるほどの力を有していると言うことに他ならない。
 ギルドの上の者たちは樹雷の鬼姫≠竍鬼の寵児≠ヨの報復を考えていたようだが、それ自体が無謀な行動だったとしかカルティアには思えなかった。


  ◆


「ぷはー!」

 勝手知ったるなんとやらで、冷蔵庫からお気に入りのフルーツ牛乳を取り出すと、腰に手を当てぐびぐびと呷る志希。
 そして――

「美嘉ちゃん、どうかしたの?」

 何やら思い詰めた様子で、ぼーっとする美嘉に声を掛け、

「太老さんのこと、アタシまだ何も知らなかったんだなって……」
「先生は余り自分のこと話さないしね。まあ、なんとなくわからなくもないんだけど」

 話を聞き、志希は納得した様子を見せる。
 太老は余り自分のことを話そうとしない。その理由を志希はなんとなくではあるが察していた。
 凡人なら自分の成果を誇り、自慢しても不思議ではないが、それを当然の結果だと思っている天才には常識が通用しない。
 カルティアが言っていたように、海賊に命を狙われることは太老にとっては毎度のことで、特に武勇伝を語って聞かせる必要性を感じていないのだろう。
 志希も十代という若さにして海外の大学を出て、数多の特許を取得しているが、そのことを自慢するつもりはなかった。彼女にとって、それは当たり前のことだからだ。
 だから凡人からは理解されず、変人扱いされ、腫れ物のように扱われる。
 天才であるが故の孤独。理解されない虚しさというのは、志希も嫌と言うほど体験していた。
 そう言う意味では、その個性が武器となるアイドルは志希にとって未知の遊び場だった。
 天才ともてはやされ、なんでも出来るはずの彼女が、この世界では一人のアイドルに過ぎない。
 スカウトされて一年。志希が飽きることなくアイドルを未だに続けている理由は、そこにあると言っても良いだろう。

「そう言えば、今日はどうしてここに? ……仕事入ってなかったよね?」
「あ、うん」

 美嘉が太老のもとを尋ねてくる時は決まって仕事絡みで、事務所に連行される日なので警戒しながら志希は尋ねる。

「太老さんに用があってね。前に貰った栄養ドリンクを、奏や周子の分も頼まれて受け取りに――」

 急に昼からの予定が空いたので、前に電話で頼んでいた栄養ドリンクを受け取るために太老のもとを尋ねたと説明する美嘉。
 残念ながら太老に会うことは出来なかったが、日を改めて出直そうと美嘉は考えていた。

「……え? 先生が許可したの?」
「うん。電話ですんなりオッケーをくれたけど、どうかしたの?」

 珍しく驚いた様子で「ううん」と唸る志希を見て、美嘉は首を傾げながら尋ねる。

「あれって一応、企業秘密らしいからいいのかなって? まあ奏ちゃんや周子ちゃんも既に巻き込まれているという意味では、関係者と言えば関係者だけど……」
「……そうなの? 何か、まずい成分でも入ってるとか?」
「ううん。材料に一般では手に入らない高価な果物が使われてるって以外は、ただの疲労回復薬だよ?」
「高いって……どのくらい?」

 高価な果物が使われてると聞いて、額に汗を滲ませながら尋ねる美嘉。
 そんな美嘉をちょいちょいと手招きをすると、志希は耳打ちをする。

「そ、そんなに高い物だと思わなかったから……!?」
「まあ、そもそも売り物になるようなものじゃないし、気にしなくても良いと思うよ?」
「で、でも――ッ!?」
「それに先生なりの気遣いというか保険≠ネんじゃないかなって」
「え……」

 想像を遥かに超えた高級な果物が材料に使われていると知って、顔を青ざめる美嘉に志希は気にしなくてもいいと答える。
 そもそも売り物になるようなものではないし、志希が飲んでいたフルーツ牛乳にも含まれているのだ。今更と言えば今更な話だった。
 それに美嘉たちの場合、これから更にレッスンに仕事と忙しい日々を送ることになる。
 大丈夫だと言われたところで、いつ事件に巻き込まれるとわからない不安は精神的な負担となるだろう。
 だから、せめて肉体的な疲労だけでも回復できるようにと、太老なりの気遣いが含まれているんじゃないかと志希は話す。

「太老さん。そこまでアタシたちのことを考えてくれてたんだ……」

 そんな志希の話に感動を覚える美嘉。太老がそこまで深く自分たちのことを考えていてくれているとは思ってもいなかったからだ。
 実はそれ以外にも肉体と精神を酷使することで、超回復に似た効果があることを志希は話していなかった。
 厳密には生体強化とは違い、人間の限界を超えることはないのだが、飲み続けることでオリンピック選手顔負けの記録をだしたり、マラソン選手並の体力を発揮できるようになったりと身体のバランスを整えることで最大限の力を任意に引き出すことが出来るようになる。謂わば生体強化ならぬ生体調整薬。そんな特殊な効果を持つドリンクだった。
 美嘉も飲んでいるのなら、その効果には気付いているだろうと志希は考えていたのだ。説明不足なところは師弟揃って変わりがなかった。

「なら絶対に冬のライブを成功させないと!」
「そうだねー」
「まずは秋の定期ライブよね」
「うんうん」
「じゃあ、346に戻ってレッスンしないとね! もう日も余りないし」
「…………え?」

 服を着替えて、研究室に戻ろうとしたところで美嘉に腕を掴まれ、志希は困惑する。
 仕事はないと聞かされていたので、完全に油断していた。

「カルティアさん。お世話になりました」
「いえ、転送ゲートまでお見送りしますね」
「はい。ありがとうございます」
「え?」

 トントンと話が進み、志希は流されるまま浴場の外に引き摺られていくのだった。



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