「警戒しておいて正解だったわね」
そう話す音歌の足下には、屈強な体つきをした男たちが転がっていた。
会場の周囲で網を張っていたところ、怪しげな動きをする男たちを見つけ捕縛したのだ。
「林檎ちゃんの予想通りになったね」
「でも、手応えがなさすぎる」
あっけらかんとした水子の言葉に、風香は拍子抜けと言った様子で答える。
とはいえ、瀬戸の女官のなかでもトップクラスの実力を持つ二人だ。
ましてや風香は戦闘技術だけなら皇族に匹敵するほどの力を持つ護衛女官。
当然と言えば当然の結果だった。
だが、それだけが理由ではないと音歌は話す。
「パーソナルデータを確認したけど、生体強化を受けた形跡もなし。彼等、現地人よ」
これが生体強化を受けた宇宙海賊であったなら、もう少し手応えがあったかもしれないが、彼等はどう見ても地球人だった。
何百人と束になって掛かってきたところで、生体強化を受けていない普通の地球人が水子や風香に敵うはずもない。
百人いたところで結果は変わらなかっただろう。生身で恐竜に挑むようなものだ。
「それって海賊たちが現地の組織と手を組んだってこと?」
「そこまではわからないけど……」
水子の問いに、音歌は困った顔で言葉を濁す。
正木商会は敵が多い。以前も海外の工作員が商会の建物に潜入しようとしたところを捕らえたことがある。
海賊とグルと言う線は確かに考えられるが、別の可能性もないわけではなかった。
「じゃあ、こいつらを締め上げて聞き出した方が良さそうね。まとめて船へ転送しとく?」
「ええ、たいした情報はもってなさそうだけど一応ね」
あっさりと網に掛かったところを見ると、首謀者に繋がるような情報は持っていないだろうと音歌は推察する。
「でも、現地人が相手となると厄介よ。観客やスタッフに扮装されたら――」
「そうね。でも会場内にも人員は配置してるし、太老くんがいるでしょ?」
風香の疑問にその心配はないと答える音歌に、水子は「ああ……」と哀れみに似た納得の表情を浮かべる。
太老に悪意を向けた者の末路は今更語るまでもない。
彼が『鬼の寵児』と呼ばれるようになった所以。これまでに捕らえた海賊の数、功績がすべてを物語っている。
それは別の意味で不安になる、これ以上ないほど説得力のある話だった。
◆
どっこいしょと声を上げながら木箱を持ち上げる菜々。
「会長さん、人使いが荒すぎます……」
そして、ぐちぐちと不満を漏らしながら、指定された場所へ荷物を運んでいく。
とはいえ、表立って文句を言える立場にないことは彼女も理解していた。
「確かに割の良い仕事を紹介して欲しいとは言いましたけど……」
基本的に駆け出しのアイドルというのは生活が苦しい。
知名度が低いうちはギャラも安く、事務所の手数料を差っ引くと手元にはほとんど残らないということも少なくない。
菜々がカフェのアルバイトを掛け持ちしていたのは、それが理由だ。
だが、菜々にとって予期せぬ出来事が起きた。
これまで働いていたカフェをクビになったのだ。
金銭的に苦しい駆け出しのアイドルたちを助けるために、346カフェでは事務所に所属する少女たちをアルバイトとして雇っている。
そのため、891へ移籍した菜々はカフェでの仕事を続けることが出来なくなってしまった。
だからと言って代わりの仕事を見つけるというのは、なかなかに難しい。
アイドルの仕事を優先せざるを得ない以上、シフト通りにアルバイトに入れないことも珍しくない。
そのあたりを考慮して、休みを調整してくれるアルバイト先というのは稀だ。
そこで何か割の良いバイトはないかと太老に相談し、斡旋してもらったのがこの仕事だった。
イベントスタッフをやったことがないわけではない。アイドルを目指す人間なら一度は経験したことのある仕事だ。
とはいえ――
「……他のスタッフが、みんな出払ってるってどういうことですか?」
本来、男手を必要とする作業を一人押しつけられた菜々が不満を漏らすのも無理のないことだった。
何かトラブルがあったのか? 時間になっても他のスタッフはやってこない。
太老に確認を取ろうと連絡をしても電話は繋がらず、仕方なく菜々は一人で言い付けられた仕事をこなしていた。
半分ほど荷物を運び終えたところで一息吐くと、菜々は廊下の角を曲がってきた二人組の男性に気が付く。
「スタッフの方ですか? もしかして、こちらを手伝いにきてくれたとか?」
スタッフジャンパーを着ていることから、手伝いのスタッフだと当たりを付けた菜々は声を掛ける。
しかし何故か菜々の姿に気付き、驚いた様子を見せる男たち。
(まずいな……どうする?)
(ここで騒ぎを大きくするわけにはいかない。話を合わせろ)
ひそひそと怪しい行動を見せる男たちを見て、菜々は怪訝な表情を浮かべる。
「はい。正木会長から、こちらを手伝うようにと指示を受けたので……」
「助かります! 皆、他の作業で出払ってて、ナナ一人で大変だったんですよ。じゃあ、早速ですけど、これを運んでもらえますか?」
「は、は――いッ!?」
しかし気の所為かと考え、菜々は手に持った木箱を男性に渡す。
――が、木箱を受け取った瞬間、男の身体が沈み込む。
そして木箱の角に足を挟まれ、苦痛に満ちた声を上げる男。
「おい、大丈夫か!?」
「ぐああ……は、早く、これをどけてくれ……」
「な、なんだこれは……お、重い……!」
男たちが何をやっているのかわからず、首を傾げる菜々。
軽々とは言わないがかよわい¥ュ女の力で運べるようなものだ。
大の男が持ち上げるのに苦労するような物には、菜々には思えなかった。
しかし演技をしているようにも見えない。助けに入った方がいいかと菜々が迷っていた、その時。
「菜々ちゃんナイス」
菜々の頭の上を白衣を纏った少女が飛び越え、男たちの前に軽やかに着地した。
一ノ瀬志希だ。
白衣のポケットから取りだした小瓶の蓋を開き、床に蹲る男に香りを嗅がせる志希。
「き、貴様――」
仰向けに倒れる仲間を見て、もう一人の男が胸もとへ手を伸ばした直後――
一瞬で間合いを詰めた志希の掌底が男の顎を捉えた。
そして流れるような動きで、男の腹に蹴りを放つ志希。
壁に叩き付けられ、ピクピクと痙攣する男を見て、菜々は唖然とした様子で尋ねる。
「あの……この人たち、生きてます?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと眠ってもらっただけだから」
なんでもないかのように答える志希を見て、菜々は頬を引き攣る。
明らかに、ちょっと眠ってもらっただけという程度の攻撃には見えなかったからだ。
「一体なにがあったんですか?」
「スタッフに扮装したスパイが潜り込んでるらしくてね」
「え! それって大丈夫なんですか!?」
「うん。怪しい動きをした連中は、ほとんど捕まったみたい」
志希の話を聞き、ほっと胸をなで下ろす菜々。
そして気を失った男たちを一瞥すると、床に転がった玩具とは思えない黒い輝きを放つ銃を見て、菜々は目を逸らす。
根が庶民の菜々からすれば、余り受け入れたくない。非現実的な光景だった。
(ナナ……この先どうなっちゃうんですかね)
実のところ海賊の件は菜々も太老から注意を受けていた。
もしもの時に備え、腕の立つ人間を配備していることも話に聞いていたのだ。
しかしまさか、志希もそのなかの一人だとは思ってもいなかっただけに驚きが大きい。
「さっきの動き凄かったです。志希ちゃん、強かったんですね」
「ふふーん。アカデミー神拳武法って言うんだけど、師匠から教えてもらったんだー」
「師匠?」
「先生の師匠で、凄い人なんだ。あれ? 菜々ちゃん会ったことあるんじゃなかったっけ?」
「え……」
そんな人に会ったことあったっけ? と菜々は首を傾げる。
まさか、宴会の席で顔を合わせた自分と同じくらいの背格好の少女が、志希の言う師匠≠セとは知る由もなかった。
◆
イベント会場の裏手で身を潜める武装集団の姿があった。
「……ダメです。連絡が付きません」
「くそ! どうなってやがる!?」
集団のリーダーと思しき男が、仲間との連絡が付かないことに苛立ちの声を上げる。
平和な日本では考えられないような装備に身を包んだ彼等は、とある国の指示で派遣された組織の実行部隊だった。
作戦ではスタッフや観客に扮装した工作員が開演と同時に騒ぎを起こし、混乱に乗じて会場へ突入する手はずとなっていたのだ。
だが、既にステージは開演していると言うのに、いつまで経っても混乱が起きる様子はない。
それどころか、先に潜入した仲間との連絡すら取れない状況に陥っていた。
「一体どうやって……」
一人や二人、捕まることは想定済みだ。
だから準備に時間を掛け、イベントスタッフだけでなく観客にも複数の工作員を紛れ込ませていたのだ。
そのすべてが行動を起こす前に捕縛されるなど、普通であれば考えられないことだった。
「……撤収しますか?」
「このまま成果もなしに帰れるか!」
「では……」
「プランBへ移行する。多少の犠牲はやむを得ない」
得体が知れない恐怖はある。理性は、やめるべきだと訴えている。
だが、ここでなんの成果もだせずに帰れば、組織に居場所はない。
与えられた任務の一つも果たせず、このまま引き下がることなど出来るはずもなかった。
「行くぞ!」
隊長の指示で一斉に動きだす男たち。
人気のない道を選び、あらかじめ確認してあったルートから地下の駐車場へ潜り込む。
そして闇に姿を隠し、周囲に人の気配がないことを確認して、非常口から会場へ足を踏み入れたところで――
「……なッ!?」
男は固まった。
ありえない光景を目にして、後ろを振り返るが仲間の姿がない。
「何がどうなって――」
男の周囲には、一面の砂漠が広がっていた。
◆
「懲りない連中だな」
タブレットの画面を眺めながら、俺は溜め息を漏らす。そこには砂漠を彷徨う武装集団の姿が映っていた。
表玄関を除く各出入り口には、転送系のトラップが仕掛けられていた。
関係者が首から提げているパスを所持していなければ、別の場所へと飛ばされるトラップだ。
彼等が飛ばされたのは、メイドたちの訓練に使われている演習用フィールドだ。
地球上には存在しない巨大な生物が放し飼いにされていて、水子たちでさえ音を上げる過酷な訓練場だった。
どこの組織に所属する部隊かは知らないが、普通の人間に突破できるようなものではない。水穂監修だしな……。
「しかし、こいつら何が目的でこんなことを……」
盤上島の件で、俺たちに手をだせばどうなるかくらいわかっているはずだ。
少なくとも、あの一件に関わった国や組織がそのことを理解していないとは思えない。
だとすれば、こいつらは――
「こちらの力を把握しきれていない別の勢力……」
そう考えれば、この無謀とも言える行動にも説明が付く。
裏に例の海賊たちがいるかどうかはわからないが、こいつらを唆した犯人がいるはずだ。
となれば、この間の事故も、やはり偶然でない可能性が高い。面倒なことになってきたな……。
「おや、ここにいたのか。少し現場が混乱しているみたいでね。何か知っているようなら事情を聞きたいのだが……」
「ああ、はい。丁度そのことで連絡しようと思っていたところです」
何人かのイベントスタッフと連絡が付かなくなり、現場が混乱しているようだ。
とはいえ、本当のことを話すわけにもいかないので、今西部長には少し内容をぼかして説明する。
「なるほど、企業スパイが……で、その者たちは?」
「拘束してあります。本番を前に彼女たちの耳に入れない方が良いと思いまして、こちらで勝手に対処させて頂きました」
「確かに……すまないね。まさか、346のスタッフにそのような者たちが紛れ込んでいるとは……」
「いえ、彼等の狙いはこちら≠ナしょうから、むしろご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
正直この件に関しては申し訳なく思っていた。
346の人たちは、完全にこちらの事情に巻き込まれたカタチと言っていい。
出来ることならちゃんと事情を説明したいところだが、そう言う訳にもいかないしな。
「うわあ……」
今西部長と今後の対応について話をしていると、幼い少女の声が聞こえてきた。
いまステージに立っているのは、先日デビューしたばかりの5SGだ。
そんな彼女たちのステージを一面ガラス張りの窓に手を付け、目を輝かせて見詰める小さな女の子の姿があった。
ルレッタの娘、メリッサだ。ステージに魅入る幼い少女の姿に、俺と今西部長は顔を見合わせると苦笑を漏らす。
(そうだな。敵が誰であれ、何があろうと、俺たちのやることは変わらない)
ここにいる大勢のファンに笑顔を届けるために、彼女たちはステージに立っている。
そして、そんな彼女たちの夢を支えるのが俺たちの仕事だ。
この笑顔を曇らせる存在がいると言うのなら――
「彼女たち、輝いているだろ?」
「うん! おひめさまみたい!」
俺はそいつらを許すつもりはなかった。
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