「こ、これはまさか……」
「……かな子ちゃん? どうかしたの?」

 いつもと様子の違う友人を心配して、少女は遠慮気味に尋ねる。
 少女の名は緒方智絵里。ニュージェネの三人と同じく、昨年シンデレラプロジェクトでデビューしたアイドルの一人だ。
 そして線の細い智絵里とは対照的に、ふっくらとした顔立ちの友人の名は三村かな子。
 彼女もシンデレラプロジェクトでデビューした一人で、智絵里と共に〈キャンディアイランド〉という三人一組のユニットに参加していた。

「幻のキャロットケーキ!」
「キャロット……人参?」

 かな子の興奮を隠せない様子に、智絵里は首を傾げる。
 秋の定期ライブの裏側で起きた騒動は、表向きは891のAR装置を狙った企業スパイが引き起こした事件として処理されていた。
 二人の前にあるオレンジ色のケーキは、そのお詫びの品と言うことだ。
 彼女たちを自分たちの不手際に巻き込んでしまっただけでなく、真実を話せないことを太老なりに気にしていたのだろう。

「ただの人参じゃありません! 岡山県の山中で密かに栽培されているという究極の人参が使われてて、素材の個性を活かすために香料も洋酒も加えていない素朴な味わいが売りのケーキで……週に三ホールしか販売されない希少価値から、幻のキャロットケーキと呼ばれてるんですよ!? ケーキ好きなら一生に一度は口にしたい憧れのケーキなんです!」
「あ……うん。とっても珍しいものなんだ……」

 かな子の余りの勢いに、智絵里は若干引いた様子を見せる。
 普段はこんな感じではないのだが、甘い物を前にすると人が変わったようになることが……稀にある。
 三度の飯より甘い物が好き。それが三村かな子という少女だった。

「それがこんなに……」

 幸せの絶頂期と言った様子で、かな子は蕩けた顔を浮かべる。
 キャロットケーキの入った箱が少なくとも十箱。全国でも指折りの有名店で、週に僅か三ホールしか販売されないというケーキがだ。
 他にも太老の管理する畑で取れた野菜や、珍しい食べ物が山ほど事務所には送られてきていた。

「こっちにはジュースも入ってたよ!」
「それって、まさか……」

 龍崎薫の明るい声が部屋に響く。
 薫の抱えている瓶を見て、ありすは何かを察した様子で訝しげな表情を浮かべる。
 それは最近、彼女が毎朝欠かさずに飲んでいる太老から貰ったジュースと同じものだった。
 皇家の樹の実のジュース。お詫びの品と言う意味では、確かにこれ以上ない贈り物だろう。

「こっちは大人用みたいね。お酒に、おつまみも入ってるわ。会長さん、よく分かってるじゃない」

 甘い物だけでなく酒やイワシの缶詰が入った箱を見つけて、一升瓶に頬ずりする川島瑞樹。
 これが後に新たな騒動を引き起こすことになるとは、誰一人として知る由もなかった。


  ◆


「裏が取れました」

 そう話す林檎から渡された報告書に目を通すと、そこにはある意味で予想通りの内容が記されていた。

「随分と詳細な資料だな。まるであらかじめ¥備してあったみたいに」
「彼等も一枚岩ではないと言うことでしょう。この件を利用して、こちらに恩を売るのが狙いだったのかもしれません」
「関係の修復を望んでいると?」
「はい。こんな策を講じる時点で、応じる必要はないと思いますが……」

 日本と同盟関係にある某国からの情報だ。恐らく信憑性は高いだろう。
 しかし、これだけ詳細な情報をこんな短期間で提供できると言うことは、事前に動きを掴んでいた可能性が高い。
 恐らく敢えて見逃したのだろう。これで恩を売った気になっているのなら、林檎が不快感を顕にするのもわからなくはない。

「狙いはなんだと思う?」
「恐らく実験都市の利権ではないかと……」

 実験都市。それは日本の名だたる企業と共同で進めている未来都市計画だ。
 元は西園寺グループが所有していた土地に十年を掛けて建造された街で、最先端の科学技術が惜しげもなく使われている。
 謂わば、うちの商会のお膝元だ。346と合同で企画を進めている年末のステージも、実験都市での開催を予定していた。
 実験都市で研究されている技術は、どの国も喉から手が出るほど欲しているものばかりだ。
 しかし盤上島の一件で科学技術の独占を目論んだばかりに鬼姫に弱味を握られてしまい、都市の利権に口を挟めずにいる者たちがいた。
 日本政府に仲裁を頼んではいるらしいが、それも上手くはいっていないそうなので、このような行動にでたのだろう。
 まあ、確実に悪手ではあるが……。
 弱味を握られているのは理解できるが、素直に頭を下げれば済む問題を複雑化する連中の気が知れなかった。
 とはいえ、余り追い詰めすぎるのも後々面倒なことになりかねない。

「そろそろ頃合いか。これ以上は面倒なことになりそうだから、適当に餌を撒いといてくれるか?」
「確かに……日本政府からも、どうにかならないかと要請がきていますし……」

 同盟国が相手だから気を遣うのはわかるが、相変わらずこの国の政府は弱腰だ。
 イニシアティブを握っているのは自分たちなのだから、もっと強気にでても良いと思うんだが……。
 鬼姫とかマッドとか、権利は与えられて当然だと主張する連中には一切の容赦がないからな。
 鬼姫と同盟国との間で板挟み状態の日本政府には、少し同情するけど。
 まあ、多少の援護はしておくか。なんだかんだと無理させてるしな。

「その代わり『二度目はない』と釘を刺しておいてくれ」
「……承知しました」

 素直に言って聞くとは思えないが、これで多少は大人しくなるだろう。とはいえ、簡単に諦めたりはしないだろうけど。
 弱味を握られていることもそうだが、日本がイニシアティブを握っていることが気に食わないのだろう。
 新国家の代表に選ばれた駆駒将も日本人だ。
 連盟より与えられた議席権は一つ。それを日本人が所持していることになる。
 いまはまだいいが、宇宙に上がれば嫌でも思い知らされる現実だ。このままで済むとは思えなかった。

(まあ、余り先の話を心配しても仕方ないか)

 技術の進歩が目覚ましいと言っても、地球が恒星間移動技術を持つのは、まだ数百年は先の話だ。
 いまから心配するようなことでもないと、俺は思考を切り替える。まずは目の前の問題に対処するのが先だ。
 俺からすれば各国の立場や思惑よりも、彼女たち≠フ方が大切だった。


  ◆


「くそッ! どいつもこいつも使えない連中ばかりだ!」

 苛立ちを隠せない様子で、アランは物に当り散らかす。
 上手く行けば日本を出し抜けると唆し、科学技術を欲している国を動かしたはいいが結果は散々だった。
 挙げ句、正木商会との関係修復を目論む某国にも目を付けられ、現在では追われる立場だ。
 地球人に捕まるほど間抜けではないとはいえ、動きを大きく制限されている現状にアランは苛立っていた。

『随分と苛立っているみたいですね』

 突然、掛けられた声に、アランは眉をひそめながら後ろを振り返る。
 携帯用の通信機に浮かび上がる立体映像。そこに映る人物にアランは覚えがあった。
 当然だ。脱獄を手配し、アランを地球へ手引きしたのも彼女だ。
 いや、正確には彼女の背後にいるスポンサーが、今回の筋書きを描いた黒幕だった。

「アンタか。何の用だ?」

 目の前の女性を睨み付けながらアランは尋ねる。

(こいつだって、本音では何を考えているかわかったものじゃない)

 協力には感謝している。しかしそれは互いに利用価値があると判断してのことだ。
 仲間になった覚えも、ましてやいいように利用されるつもりもアランはなかった。
 警戒を滲ませるアランを見て不敵に微笑むと、女性は本題に入る。

『そろそろ泣きついてくる頃かと思い、連絡したまでです。このまま終わりたくはないでしょう?』
「はんッ! ごめんだね。アンタの方こそ、頭を下げて頼むべきじゃないのか? 知ってるぞ。アンタ、娘に見放されたんだろ? そりゃ、そうだよな。遺伝子使用法違反に人権保護法違反。殺人容疑で指名手配されてるような奴が母親じゃ、赤の他人の振りもしたくなるってもんだ」
『くッ! あなたこそ家族や友人に見放され、フラれた女にボコボコにされたそうではないですか』
「違う! あれは俺から振ってやったんだ!」

 どっちもどっちと言える低俗な言い争いをする二人。
 自業自得なのだが、二人からはまったく反省の色が見られない。
 当然だ。自分たちが悪いなどとは微塵も思っていないのだから――
 それどころか、こうなった原因は駆駒将や太老にあると本気で考えていた。
 そんな癖の強い身勝手な二人がどんなに追い込まれていようと、自分より格下と思っている相手の指示に従うことを許容できるはずもない。

『いいでしょう。下につけとは言いません。ですが此度の件が発覚すれば、あとがないのはあなたも同じはず。些細なことには目を瞑り、共通の敵を前に協力すべきかと考えますが、どうですか?』
「同感だ。あの男に復讐を果たすまでは捕まるわけにはいかないからな。それにルレッタの奴にも思い知らせてやらないと気が収まらない!」

 共通の敵を認識することで、不毛な争いをやめる二人。
 しかし協力を約束したとは言っても、それは表向きの話だ。
 言葉巧みに相手を利用し、隙があれば裏切ることしか考えていない者たちが信頼を結べるはずもなかった。


  ◆


 そんな二人の姿を遠く離れた場所から盗み見る一人の男がいた。

「フンッ! 愚か者どもが、しかしそれだけに利用しやすいのも明白」

 ――Dr.クレー。
 嘗ては『伝説の哲学士』と名高い白眉鷲羽と並び称されたこともある銀河アカデミーを代表する哲学士だ。
 だが、その栄誉も過去のもの。太老に挑み、地位や金だけでなく、人としての尊厳さえも奪われた男。
 それが、現在の彼だった。

「正面から挑めば、同じ結果を招くことは必定。だが、儂の完璧な作戦をもってすれば!」

 同じ轍を踏むような真似はしない。これは正当な理由がある復讐だと、クレーは息巻く。
 だが、関わってはいけない相手を敵に回す。悪意を向けてはいけない相手に悪意を向ける。
 それが大きな過ちだと言うことに、都合の悪いことからは目を逸らし、復讐に闘志燃やす者たちが気付くことはなかった。


  ◆


「――と、そんなところでしょうね」
「やることが小さいというか、懲りない男だね」

 クレーも、まさか自分が泳がされているとは思ってもいないだろう。
 銀河最大の軍事国家、樹雷。その首都、天樹。
 神木家が所有する宮殿で、将棋を指しながら悪巧みをする一組の女性の姿があった。
 一人は『宇宙一の天才科学者』を自称する伝説の哲学士――白眉鷲羽。
 もう一人は『鬼姫』の名で恐れられる樹雷の裏の最高権力者、神木瀬戸樹雷だ。

「でも、そこまで気付いていながら泳がせたのは、やっぱり例の件≠ェ理由かい?」

 鷲羽ちゃんには敵わないわね、と瀬戸はあっさり認める。
 そもそも新国家の代表の座を賭けたゲームを持ち掛けたのは、海賊ギルドの不満を抑えることだけが目的ではない。
 樹雷第一皇妃の故郷にして、ギャラクシーポリスの英雄を生んだ星として有名になりすぎた地球を、いまの状態で放置することは問題が大きいと政治的に判断してのことだった。
 勿論、地球には鷲羽たちがいる。滅多なことは起きないと確信しているが、愚かな考えを起こすものは出て来るものだ。
 そこで一つの国を造ってしまい、地球をそのなかの星の一つとしてしまうことで、外からの干渉を防ぐための壁を作ってしまおうと瀬戸は考えたのだ。
 それに宇宙に上がれば、嫌でも地球がどういう立場にある星かを彼等は理解することになるだろう。
 これは地球人に、自分たちは特別な存在だという優越感をもたせないための事前の処置でもあった。

 だが、それは表向きの理由だ。勿論、そういう思惑がなかったわけではないが、瀬戸の真の狙いは別にある。
 それらしい理由を付けて正木商会に地球での経済活動を認めたのは、太老を地球に封じ込めるためだ。
 木を隠すなら森の中と言ったように、各国の目を新国家に向けることで太老に対する注意を逸らそうとしたのだ。

 そうせざるを得ないほどに太老は――『鬼の寵児』は有名になりすぎた。

 宗教国家のアイライからは『神の子』と称され、連盟の国々からは『樹雷の最高権力に最も近い位置にいる存在』と認知され、あれから十年以上の歳月が経つというのに樹雷への移住希望者は後を絶たず、太老に一目会いたいと面会を求める声は高まるばかりだ。専門の機関を新設して対応に当たらせているが、騒動が収まる兆候はまったく見られなかった。
 いっそ太老の好きにさせるという手も考えたが、これ以上騒ぎが大きくなれば樹雷ほどの大国でも確実に対応しきれなくなる。

 善意には善意を、悪意には悪意を――

 太老の存在は樹雷にとって、いや世界にとって劇薬のようなものだ。
 太老を味方に引き込めば得られるメリットは大きいが、それを考慮しても余りある混乱を周囲にもたらす。
 せめて、あと半世紀。余裕を見れば百年ほど――
 太老を受け入れられるだけの体制が整うまでは、太老の存在を隠しておく必要があると瀬戸は考えていた。
 それに、

 ――正木太老ハイパー育成計画。

 あれは太老が能力を持て余さないように、何があっても対応できる力を付けさせるためにと鷲羽が計画したものだ。
 強すぎる力は周りを傷つけるだけでなく、時に本人すら傷つけることがある。
 これは太老の両親も納得していることであり、子供の行く末を案じた親心でもあった。
 それに太老の能力を抑えるための研究も、鷲羽が並行して進めていた。
 過去に得た情報から成果は徐々に見え始めているし、時間を稼いでいる間に効果が見込めればという目算があったのだ。

 だが、そんな瀬戸の思惑は予期せぬ結果を招くこととなった。
 盤上島で開かれたゲームの結果に不服を申し立てた海賊が武力蜂起を起こし、その一部始終がネットワークを通して銀河中に中継されてしまったのだ。
 結果、新国家を隠れ蓑にするつもりが、太老が地球にいることを知らしめる結果へと繋がってしまった。
 このままでは樹雷のように、今度は新国家に移住希望者が殺到する状況になりかねない。

 そこで発想を逆転することにしたのだ。
 バレてしまったものは仕方ない。
 なら、この機会に新国家が抱える問題も解消してしまおうと――

 どちらにせよ新国家は設立したばかりで、居住可能な星の開拓さえ満足に進んではいない。
 元海賊ギルドに所属していた者たちだけでは人数的にも少なく、そこまで手が回っていないのが現状だ。
 ならば、いっそのこと移住希望者を労働力として受け入れてしまえばいい。
 心配なのは太老に悪意を持つ者たちだが、種を撒けば勝手に集まってくるだろうという確証が瀬戸にはあった。
 事実、いまの状況は瀬戸が予想した通りのものになっている。あとは収穫の時を待つだけだ。

「とはいえ、油断は禁物だよ。予想の斜めを上を平然といっちゃうからね。あの子は……」
「うっ……」

 そのことを痛感したばかりなだけに、瀬戸は鷲羽の話に反論することが出来ず言葉を詰まらせる。
 フラグメイカー。その厄介さを誰よりもよく知る二人は、今日も揃って頭を悩ませるのだった。



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