秋の定期ライブから十日ほどが過ぎ、俺はちひろさんに呼び出され、346の事務所を訪れていた。

「……美嘉たちに配ったドリンクを分けて欲しい?」
「はい」

 美嘉たちに配った栄養ドリンクを分けて欲しいと、ちひろさんは頭を下げ、深刻な表情で事情を語り始める。
 正木商会から提供されたARの技術習得に時間を取られ、アイドルだけでなくスタッフも対応に手一杯の状況が、ここ数ヶ月続いているらしい。
 346は芸能関係の会社だ。専門的な知識を持ったスタッフが少ないのは仕方がない。それを一から学んで運用すると言うのだから大変なのは理解できる。
 だからこうして俺が直接教えにきているわけだが、彼等だけで十全に運用できるようになるには、まだ半年から一年の時間が掛かると見ていい。
 だが、合同コンサートまで、もう余り時間は残されていない。準備期間も含めて、あと二ヶ月弱と言ったところだ。

(まあ、普通に考えて無理があるよな……)

 そこに加えて美嘉たちの移籍騒動の対応で追われて、通常業務にまで影響が及んでいるそうだ。
 これに関しては原因の一端を担っているだけに、若干申し訳なく思っていた。
 菜々の件は別として事務所の中核を担うアイドルが何人も抜けることになれば、仕事にも当然影響が出て来る。その影響を最小限に抑えるために合同コンサートまでは猶予を設けることで話がついているが、ドラマやコマーシャルなどの既に契約中の仕事に関しては個別の対応が必要となるため、346を無視して話を進めるわけにはいかない。そのことで大きな負担を強いていることは間違いなかった。
 上の方では既に決着の付いている話だと言っても、実際に対応させられるのは下の人間だしな。
 ちひろさんの表情に少し疲れが見えるのも気の所為ではないだろう。

「特にプロデューサーさんは目に見えて大変な様子で……」

 話を聞いて「ああ……」と思わず納得してしまう。
 武内プロデューサーのことだ。今回の騒動を招いたのは、自分の力不足が原因だと考えていても不思議ではない。
 堅物というか、頭に『超』が付くほど真面目だしな。人一倍責任を感じて、他人の分まで仕事に励んでいる姿が容易に想像できた。
 正直そういう話をされると、どうにかしてやりたいという気持ちはある。とはいえ、

「売り物じゃないんだよな……」
「発売前の試供品だと伺ったんですけど……」
「……それって誰から?」
「周子ちゃんです」

 原因はあいつか、と俺は嘆息する。犯人もわかったところで、どうするかだ。
 例のドリンクを分けるのは別に難しい話じゃない。稀少な材料が使われていると言っても俺からすれば幾らでも手に入るようなものだし、売り物になるほどの数が作れないと言っても、身内や知り合いに配る程度の分は十分に確保してある。実際うちのスタッフやアイドルたちは全員飲んでるしな。
 ただ事情を知る文香や美嘉に配った分には何も言われなかったのだが、奏と周子に渡した分については後から水穂に叱られた。
 疲労を回復し、体調を整える程度の効果しかないはずなんだが、地球人には少し効能が強すぎるらしい。
 それに栄養ドリンクで得られる効果なんて一時凌ぎに過ぎない。根本的な問題を解決しないことには同じことの繰り返しだろう。

「そういうことなら、こっちから提案があるんだけど――」


  ◆


「交流会ですか?」

 場所は合同コンサートの開催が予定されている実験都市。
 そこでARの技術講習を含めた強化合宿を行う予定だと、ちひろは武内プロデューサーに説明する。
 既に参加メンバーの選出を終え、関係各所への根回しも済んでいるとの話だった。
 だが、武内プロデューサーは資料に目を通すと眉をひそめ、難しい表情でおもむろに口を開く。

「ですが、一週間と言うのは……」

 彼が気になったのは、その日程だ。
 一週間と言う期間は短いように思えて、いまの346の現状を顧みれば長すぎるとも言える。
 アイドルだけでなく技術スタッフを含めた総勢百名近い人間が一週間も会社を離れれば、仕事の方にも当然影響を及ぼすだろう。
 しかし、そんな武内プロデューサーの反応は、ちひろも予想していたことだった。

「891から代わりの人材を出向させて頂けるそうです。この機に組織の交流を図っておきたいと」
「なるほど、それで交流会≠ナすか」

 346は短期間で集中的にARの運用技術を学ぶことが出来、891は老舗プロダクションが持つ業界のノウハウに触れるチャンスだ。
 お互いの持つ長所を活かし、それを学ぶことで交流を深めようという狙いがあるのだと、ちひろは説明する。
 勿論、武内プロデューサーが危惧しているように仕事が回らなくなる可能性はある。
 しかし、このままの状態が長く続くようなら、いつかは破綻する可能性が高い。ならば、まだ余裕のあるうちに対策を打っておいた方がいい。
 それに891のスタッフの仕事振りは、秋の定期ライブで確認している。
 彼等が協力してくれるのなら十分に仕事を回すことが出来ると、ちひろは考えていた。

「プロデューサーさんには、346側の責任者として参加して欲しいと打診を受けています」

 だからこそ、武内プロデューサーには安心して交流会に参加して欲しいと、ちひろは話す。
 普通に休むように言ったところで、武内プロデューサーが首を縦に振ることはないだろう。
 なら理由を用意してしまえばいい。仕事なら武内プロデューサーも断るのは難しいと考えてのことだった。
 最初、交流会を開きたいと提案された時には驚かされたが、ちひろは相談してよかったと太老に感謝していた。
 まあ、移籍の件は太老の責任と言えなくはないのだが、そもそもの原因は346にある。
 言ってみれば、見通しの甘さが招いたことだ。
 美城専務もそのことは認めているからこそ、美嘉たちの移籍問題が浮上した時に強くでることが出来なかったのだ。

「いいんじゃないか? どちらにせよ、このままではいけないとキミも考えていたのだろう?」

 話に割って入った今西部長の言葉で、武内プロデューサーは観念した様子で溜め息を漏らす。
 このままではいけないと言うことは、彼自身も自覚はしていたのだ。
 ただ今回の件は美城専務のやり方を否定し、いまの状況を招いた自分にも責任があると彼は考えていた。
 だから周囲に頼ることが出来なかったのだ。だが、それでは昔と同じだ。

「私は……また、間違っていたんでしょうか?」

 どれだけ自分が正しいと思える行動を取ったとしても、相手は人間だ。
 向き合い方を誤れば、それは時に人を傷つけ、息苦しく感じさせることがある。
 そうして自分のもとを去っていったアイドルたちのことが、未だに武内プロデューサーは忘れられずにいた。
 真剣に仕事に取り組んできたつもりだった。でも、それだけではいけないのだと気付かさせてくれたのが彼女たち≠セ。
 シンデレラプロジェクト。そこで関わった少女たち。彼女たちとの出会いがなければ、未だに過去の失敗から立ち直れず、足踏みをしていたかもしれない。
 変われたはずだった。一歩を踏み出せたはずだった。なのに、また同じ失敗を繰り返そうとしていた。
 そのことが武内プロデューサーの表情を曇らせる。

「間違えない人間なんていない。大切なのは過ちを認め、前へ進むことだ。少なくとも今回キミは失敗≠ノ気付くことが出来た。それは成長していると言う証ではないかね?」

 今西部長の言うように、確かに致命的な失敗を犯す前に気付くことは出来た。
 しかしそれは、ちひろが気付かされてくれたからだ。自分一人の力ではないと武内プロデューサーは考える。
 その後ろ向きな考え自体が間違いであることはわかっているが、簡単に割り切れるほど単純な話ではなかった。
 長年染みついた考え方と言うのは、そう簡単に変えられるものではない。美城専務も、その点では彼と似たようなものだ。
 だが、間違っているとわかっていて自分から変わろうとしないのは、失敗から何も学んでいないのと一緒だ。

「千川さん。その話、お受けしたいと思います」

 前へ進む勇気を持てない者が、アイドルを支え、彼女たちの夢を応援できるはずもない。
 ちひろの気遣いに感謝しながら、武内プロデューサーは新たな一歩を踏み出す覚悟を決めるのだった。


   ◆


「交流会!? ケーキは! ケーキはあるんですか!?」
「お、落ち着いて、かな子ちゃん!」
「また、あの時のジュース飲めるの!?」
「当然この前のお酒はでるのよね? 楓ちゃんと二人で飲んだら、早苗ちゃんが拗ねちゃって困ってたのよね……」

 予定が書かれた『旅のしおり』を参加メンバーに配る使命を帯びた周子は質問攻めにあっていた。
 先日、太老が送ったお詫びの品≠ェ余程気に入ったようで、必死に尋ねてくるアイドルたちに周子は顔を引き攣る。
 そして拘束されること数時間。しおりを配り終えた頃には、とっくに日が沈んでいた。
 疲れた表情で部署に顔をだしかと思えばソファーに倒れ込む周子を、奏は紅茶のカップに口を付けながら涼しい顔で流し見る。

「……このメンバーの面倒を見ろって? 無理っしょ」
「でも、会長さんが直々に周子を指名してきたんでしょ?」
「ぐっ……」

 周子が『旅のしおり』を配って回る羽目になったのは、参加メンバーの引率役に指名されたからだ。
 太老と顔馴染みと言う意味では他にも候補はいるが、美嘉たちは891への移籍が決まっている。
 交流会なのだから今後のことを考えれば、346のなかから選ぶべきだという考えには納得できる。
 だが、そんなもっともらしい話は建て前に過ぎないと言うことに、周子と奏は気付いていた。

「悪いことは出来ないわね」
「サラッと関係無いフリをしてるけど、奏も同罪だからね?」

 ちひろさんに毒味――もとい相談しようと持ち掛けたのは自分だが、賛成した以上は奏も同罪だと周子は話す。
 栄養ドリンクと言えば、ちひろさん。ちひろさんと言えば、栄養ドリンク。
 彼女に相談をすれば、危険な物かどうかはっきりすると二人は考えたのだ。
 結果は白。それどころか、ちひろが驚くほどの効果があるとわかって逆に質問攻めにあい、太老のところの試供品だと白状させられたのだ。
 美嘉に内緒だと念を押された手前、その約束を破ってちひろに教えたことは周子も少なからず反省していた。だから素直に仕事を引け受けたのだが――
 まさか交流会の引率役を押しつけられることになるとは思ってもいなかった。
 個性豊かを通り越して、我の強い346のアイドルたちの引率が自分に務まるとは周子には思えない。
 いつになく元気のない様子の周子を見て、「仕方ないわね」と奏は溜め息を漏らすと、

「協力できることは協力するわ。でも……余り期待しないでよ?」

 周子に自信がないように、奏もあのメンバーを抑えきれる自信はなかった。
 プロデューサーの苦労が今になってようやくわかり、少しは気遣ってあげないといけないかしら、と奏は担当プロデューサーのことを考える。
 その後、少しだけ優しくなった周子と奏の様子に、二人のプロデューサーが戸惑いを覚えるのは言うまでもなかった。


  ◆


「……ライブですか?」
「ああ、本番を前にリハーサルをしておきたくてね」

 もっともらしい理由を話しながらも、太老が何かを企んでいることは間違いなかった。
 実験都市の野外ステージを使ったゲリラライブ。
 しかも交流会にあわせ、そんな企画を考えている時点で裏があると言ってるようなものだ。

「楽しんでますよね?」
「まあな。だけどカルティアだって、俺のことを言えないだろ?」

 目立つのが苦手と言っていた割には、カルティアはアイドルの仕事を楽しんでいるように太老には見えていた。
 実際、カルティアは自分の仕事に誇りを持っている。だが以前は、この仕事が好きではなかった。
 ギルドの広報として以前からアイドルの活動をしていたと言っても、それは自ら望んでやっていたわけではなかったからだ。
 いまも太老への恩を返すためにアイドルを続けていることに変わりはないが、人に言われたからではなく自分で選んだことだ。
 選択権はあった。あのままアイドルを辞めていたとしても、太老は何も言わなかっただろう。
 それでもアイドルを続けることにしたのは――

「そうですね。楽しみなんだと思います」

 この仕事が本当は好きで、楽しくて仕方がなかったからだ。
 ギルドで活動をしていた頃は、本当の意味での自由はなかったけど、楽しいと思えること嬉しいことも一杯あった。
 テレビに初めて出演した時の緊張。ファンの前に立ち、ステージから見た光景は、いまでも忘れることがない。
 ファンレターを初めて貰った時は何度も手紙を読み返して、興奮で眠れない夜を過ごしたこともある。
 だからこそ、純粋に夢を追い掛けられる彼女たちが羨ましく思えたのかもしれない。
 恵まれた環境で、多くの声援に支えられ、ステージの上で輝く彼女たちの姿を目にして――

「負けたくないと思ったのは、初めてですから」

 カルティアは生まれて初めて、負けたくないと思った。
 他のどんなことで敵わなくとも、アイドル(これだけ)は誰にも負けたくない。

 ――電子の歌姫、カルティア・ゾケル。

 それは数々の伝説を塗り替えたアイドルの頂点に立つ、孤高の歌姫からの挑戦だった。



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