「いやあ、本当に凄いね。まさか、こんなに豪華なホテルに泊まれるなんて思ってもいなかったよ」
ベッドの上で仰向けになってお腹をさすりながら「アイドルになってよかった」と呑気なことを話す未央を見て、凛は溜め息を漏らす。
充実したサービスに、地元の幸を使った料理の数々。
施設内には大浴場の他、エステやバーと言った各種テナントまで完備されていて、まさに至れり尽くせりだ。
確かに、こんな一流のホテルに宿泊する機会など、そうあるものではない。
しかし――
「やっぱり変じゃない?」
合宿のようなものをイメージしていただけに、凛が腑に落ちないものを感じるのも無理はなかった。
「しぶりんは気にしすぎだって。プロデューサーも、今回のこれは交流会≠セって言ってたじゃん」
未央の言うように合宿≠ニ明言されたわけではない。
明日からスタッフは講習会が、未央たちも合同レッスンが予定されてはいるが、
凛が合宿のようなものと勝手に思っていただけで、親睦が主な目的と言っていい。
しかし――
「でも、幾らなんでも豪華すぎじゃない?」
これだけのホテルに百人を超す人間を宿泊させ、もてなすことを考えると、軽く見積もって数千万――いや、億単位の金が動いていても不思議ではない。
昨年のサマーフェスの合宿の時などは、山奥の民宿に泊まって食事の用意や後片付けなども自分たちでしたものだ。
実験都市での費用は正木商会が全額持つと言う話だが、346が特別金がないという話ではない。
企業である以上、利益を追求するのは当然のことで、準備に予算を掛けすぎて赤字をだすようでは意味がないからだ。
これをイベントの成功のためにやっているのだとすれば、採算度外視で今回の旅行を計画したとしか思えなかった。
「まあ、確かにね。でも、あの正木商会≠セよ?」
そう言われると、凛も反論の言葉がでない。
正木商会はその独自の発想と技術力で、瞬く間に世界有数の企業へと成長した新進気鋭のグローバル企業だ。
国内で正木商会に比肩もしくは上回る規模と言えば、西園寺や水瀬と言った日本を代表する老舗の企業くらいのものだろう。
美城グループも映画やテレビ番組を作っている大きな会社ではあるが、そもそもの土俵が違い過ぎて比較にすらならない。
そんな企業の会長ともなれば、その気になればホテルを貸し切ることくらい造作もないことだ。
それに先を見据えれば、一概に間違いとは言えなかった。
実験都市には様々な思惑と利権が絡んでいる。
いまや実験都市で開催が予定されているコンサートは世界中から注目を集め、政府の思惑もあって失敗が許されない状況だ。
だが891は芸能事務所を立ち上げて、まだ三年しか経っていないこともあって、346ほどの信用と実績がない。
そのため、多少の赤字に目を瞑っても最高の環境を用意し、ステージを成功に導いた方が事務所の利益に繋がると判断しても不思議ではない。
もっとも、そんな大人の思惑や事情を彼女たちが知る由もないので、凛が疑問に思うのも無理はなかった。
「うわあ……」
未央と凛が真剣な話をしていると、卯月の声が部屋に響く。
ホテルに着いた時から、いや実験都市に到着した時から一番浮かれていたのは卯月だった。恐らく今回の旅行を一番楽しみにしていたのも彼女だろう。
最近は別々に仕事をすることが多くなり、未央や凛と一緒に何かをすると言った時間は余り取れないでいた。
仕事が忙しく休みが合わず、一緒に旅行は疎か、買い物へ行くことすら叶わない。
そんななかで浮上した交流会の話。だから卯月は、この旅行をずっと楽しみにしていたのだ。
勿論、これも仕事の一環だと言うことは理解している。
それでもニュージェネレーションズの三人で一緒に何かが出来るというのが、嬉しくて仕方がないのだろう。
「凛ちゃん、未央ちゃんもきてください。凄く夜景が綺麗ですよ!」
未央と凛は顔を見合わせて苦笑すると、そんな卯月の隣に立ち、一緒に窓から夜景へと目を向ける。
ホテルの部屋から眺める実験都市の夜景はどこか幻想的で――
三人の瞳には、初めてステージに立ったあの時みたいに――
「なんかこうしてると、三人で初めてステージに立った時みたいだね」
「うん。オレンジ色の光が凄く綺麗……」
「ですよね! 凄くキラキラしてます」
輝いて見えていた。
◆
「もう一献、如何ですか?」
そう言って、コップにお酒を注いでくれるオッドアイの女性。
左眼の泣きぼくろがチャームポイントの、どこか掴み所のない印象を受ける彼女の名は高垣楓。
業界の先頭に立つトップアイドルの一人にして、346で一番の人気を誇る看板アイドルだ。
「それじゃあ、お返しに」
「あら? ありがとうございます」
ここはホテルのラウンジ内に設けられたバーだ。
母さんを見送った後、明日以降の予定を確認するため、武内プロデューサーの部屋を訪ねたのだが――
そこで同じく武内プロデューサーを飲みに誘いに来た彼女たち≠ノ見つかって、こうしてバーへと連行されたと言う訳だ。
「ほらほら、プロデューサーくんも飲んで飲んで」
「いえ、私はもう……」
「……あたしのお酒が飲めないって言うの?」
「い、頂きます」
酒癖が悪いな、この人……。なんか、うちの姉たちを思い出す。
武内プロデューサーに酒を勧めている女性の名は、片桐早苗。元婦警という肩書きを持つ異色のアイドルだ。
元暴走族とか、元ナースとか、元スチュワーデスとか、346は人材が豊富すぎる気がする。
いや、まあ……うちの商会も他所のことを言えない気はするけど、本職のメイドや人型機動兵器のパイロットなんかもいるしな。
「そうそう、会長さん。この間のお酒って、もうないの?」
「……この間の酒?」
「ほら、前に346の事務所に送ったって、お酒のことよ」
346に送った?
一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかったが、そう言えば――と思い出す。
「ああ、神樹の酒ね。あれ? でも結構な量を送ったような……」
「それよ! 瑞樹ちゃんと楓ちゃんが二人で飲んじゃったのよ! 私が! 仕事で地方へ出張してた間に!」
早苗に睨まれて、そっと視線を逸らす楓と、その向かいに座る瑞樹を見て――
彼女たちが武内プロデューサーを訪ね、偶々居合わせた俺をバーまで連行した理由を察する。
食べ物の恨みは怖いと言うが、この場合は酒の恨みと言ったところか?
でも、結構な量を送ったと思うんだけどな。それを二人で……。
いや、まあ……うちの姉には一人で酒樽を空けるようなウワバミもいるけど。
「じゃあ、用意しときますよ。最終日の前日に宴会を開く予定なので」
「ほんと!?」
子供のように目を輝かせて喜ぶ早苗を見て、元気な人だなと感心する。
前にプロフィールを見せてもらったことがあるが、この三人のなかでは確か最年長のはずだ。
アイドルと呼ぶには、ギリギリの年齢。
その数十倍の歳でアイドルをやってる人もうちにはいるから、否定するつもりはないけど。
「すみません……」
申し訳なさそうに頭を下げる武内プロデューサーを見て、少し同情が芽生える。
こういう人たちの相手は、そういう環境で幼い頃から育ったこともあって俺は慣れているが、武内プロデューサーは慣れてなさそうだしな。
事務所に残って遅くまで一人で仕事をしていると話に聞いているし、同僚と飲みに行ったりとかも余りしてなさそうだ。
だから、ちひろさんが心配していたのだろうけど――
(この三人の相手は、武内プロデューサーには酷だろうな)
遊び慣れていないと言うか、融通がきかない。
そういうところは考え方が対照的に見えて、武内プロデューサーと美城専務はよく似ていると思う。
二人とも仕事一筋というか、ワーカーホリックなところがあるからな。
趣味は? と聞かれたら「アイドルのプロデュースです」と平然とした顔で答えそうだから心配されるのもわかる。
俺? 俺は適当な人間だと思うよ?
仕事は仕事できちんとやるけど、そもそも実験と機械弄りは趣味みたいなもんだしな。仕事人間と呼ぶには程遠い。
どっちかと言うと、趣味の延長で仕事をしているような感じだ。
林檎が一番うちでは武内プロデューサーに近いと思う。真面目だからな。彼女……。
「そう言えば、楓ちゃんと会長さん。随分と親しげだけど、もしかして知り合いだったの?」
武内プロデューサーが俺に頭を下げたことで微妙な空気になりかけていたのを、瑞樹が別の話を振って誤魔化した。
さすがに慣れているというか……鋭いな。
まあ、楓とのことは敢えて話さなかっただけで、別に隠すようなことでもないんだが――
そんなことを考えていると、楓が瑞樹の質問に答える。
「以前、お仕事でちょっと。その節はお世話になりました」
「いや、こちらこそ。お陰で評判も上々だったって聞いてるよ」
「フフッ、ファンデーションのCMだけにファン≠フ皆さんの受けもよかったのかもしれませんね」
会話に自然とダジャレを搦めてくるのは、昔とちっとも変わっていない。
櫻井に共同開発を持ち掛けられて製作した化粧品の宣伝をモデルの会社に依頼したのが、彼女との出会いの切っ掛けだった。
確か、そのタイアップが切っ掛けとなって、モデルからアイドルに転向したと聞いている。
いまでは346を代表するアイドルだ。891を立ち上げる前の話とはいえ、勿体ないことをしたと少し後悔していた。
そう言う意味では、346のプロデューサーって武内プロデューサーを始め、人を見る目は確かなんだよな。
しかも手に職を持った三十路前の女性に、「アイドルに興味ありませんか?」と声を掛けられる度胸は素直に凄いと思う。
普通はからかっていると思われて相手にされないか、警察に通報されてお終いだ。
ああ、武内プロデューサーの場合、冗談になってないんだっけ……この体格と目つきだしな。不審人物に思われても仕方がない。
「会長さん、失礼なこと考えてない?」
訝しげな視線を瑞樹に向けられ、妙齢の女性を前に年齢の話は考えるだけでもタブーだと、再認識するのだった。
◆
翌日――
俺は実験都市の中核を担う企業の代表が集まって、都市の運営と経営方針について話し合う月一の理事会に出席していた。
346のスタッフたちは、正木商会の研究施設でARの技術講習を受けている頃だろう。
アイドルたちの方も今日から三日間、891に所属するアイドルとの合同レッスンを予定していた。
そして、いま会議で話し合われているのは、日本政府から要望のあった件についてだ。
実験都市の開放。とはいえ、これは既定路線なので特に反対の声もない。
そもそもの話、遅かれ早かれ、こうなることは誰もが予想していたことだからだ。
むしろ、今回の件で政府に貸しを作れたことが大きいと、彼等は考えているようだった。
この会議に出席している理事は全員が、盤上島の一件や『正木の村』の秘密について知る者たちだ。
実のところ、こうした国や企業との付き合いは、正木商会が地球で経済活動を始めるよりも前からあって――
戸籍を用意したり、地球の通貨を得るために金塊や宝石と言った類のものを換金する時などにも協力を得ていたそうだ。
特に西園寺、水瀬、櫻井の三つは古くから『正木の村』との付き合いがあるらしく、村の出身者と結ばれて一族として認められた者も過去にはいるとか。
それだけに地球で商会の活動を始める時にも、彼等の力を貸してもらっていた。
謂わば、現地協力者だ。
故に、俺の見た目が若いからと言って見下してくるような人物は、このなかにはいない。
正直、親子ほど歳の離れた相手に恭しくされるのは背中が痒くなるのだが、『正木』の名を背負っている以上、俺も軽く見られるわけにはいかないしな。
ガラではないと思いつつも、理事たちから相談される内容に答えていく。
話し合いとは言っても、主導権を握っているのは『正木』だ。
既に根回しは終えており、基本的には林檎と水穂の考えた内容に沿って話が進んで行く。
そこから、どう利益を享受するかは彼等の問題で、うちも基本的に口をだすことはない。
「少しいいかね?」
一時間余りで会合を終え、会議室に残って次の予定を確認していると、西園寺グループの会長に声を掛けられた。
この実験都市は西園寺グループが古くから土地を所有し、開拓を進めてきた場所に造られた街なので、謂わば彼は街の実権を握る重要人物と言ってもいい。
理事会のメンバーは一応、全員が対等という扱いにはなっているが、この街で彼が一番強い発言力を持っていることは確かだ。
もっとも表立って権力を誇示するような人物ではないため、理事たちの信頼も厚い。
俺も公私共に付き合いがあり、世話になっている人物の一人だった。
「例の物なんだが……」
「勿論、用意してますよ」
そう言って、俺は一枚のデータチップを胸ポケットから取り出し、それを西園寺会長に手渡す。
待ちきれないと言った様子で、早速手持ちの端末にデータチップを挿して中身を確認する西園寺会長。
「こ、これは!?」
「この間、撮影を終えたばかりのミュージックビデオのスナップです」
空間モニターに映し出されたのは891に所属するアイドル、西園寺琴歌の未公開スナップショット――会長の娘の写真だった。
食い入るように娘の写真を確認する姿は、とても日本有数の企業のトップには見えない。
そう、この人……親バカなのだ。
娘を溺愛していて、琴歌がアイドルになりたいと言い始めた時などは説得するのが大変だった。
最終的には、俺が責任を持つと言うことで納得してもらったんだが、未だにこの調子だからな。
「いいのかね? まだ、この曲は発売されていないのだろう?」
「西園寺会長には、お世話になってますから」
実際、交流会のホテルを手配してくれたのも西園寺会長だしな。
娘の写真と引き替えに宿泊場所を無償で提供してくれるのだから、安上がりというかなんというか……。
まあ、それを言ってしまうと、他の理事たちも大差はないのだが――
実験都市で合同コンサートを開くことになったのは、西園寺会長を始めとした理事たちの強い要請があったためだ。
いやまあ、こちらとしても願ったり叶ったりだったのだが……。
(まさか、本当のことは言えないよな……)
西園寺会長も、自分のこんな姿を娘に知られたくはないだろう。
櫻井会長なんかも裏で手を回していることを知られて娘に嫌われたら、メンタル弱いから死ぬかもしれん。
水穂や林檎に知られたら、俺もまずいことになる。
最悪、秘蔵のコレクション≠没収される可能性も……。
「太老くん。このことはくれぐれも……」
「ええ、男同士の秘密です」
西園寺会長と固く握手を結ぶ。
このことは絶対に黙っておこうと、心に固く誓うのだった。
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