「しぶりん……生きてる?」
「どうにか……卯月は?」
「が……がんば……(ガクリッ)」
「「卯月(しまむー)!」」

 卯月の名を叫ぶ未央と凛の悲痛な声を聞き、ありすは「一体なにが……」と驚きを顕にする。
 そして周囲を見渡すと、死屍累累と言った様子で床に横たわり、ピクリとも動かないアイドルたちの姿が目に入った。
 仕事があって遅れて合流したありすは状況が理解できず、

「皆さん、どうされたんですか?」

 と腰に手を当て、太老特製ドリンクを呷っている志希に尋ねた。

「891との合同レッスンをやったんだけど、みんな張り合って頑張り過ぎちゃったみたいでね」
「ああ、なるほど……」

 文香の一件で自分も経験があるだけに、ありすは何があったかを察する。
 体力自慢のアイドルは346にもいるが、891のそれは規格外と言っていい。
 太老特製のドリンクを服用し、屈強な成人男性でも音を上げるようなレッスンを受けているのだ。
 その体力は普通の地球人からすると、まさに底なしと言っていい。
 実際、志希は床に横たわるアイドルたちと違い、多少の汗は掻いているものの表情に疲れの色は見えなかった。
 美嘉たちも元気なようで、汗を流すために大浴場の方に行ったと聞いて、ありすは納得する。

「もしかして、今回の交流会って……」
「うん。ありすちゃんの想像通りだと思うよ」

 元々、余り体力のある方ではなかったありすや文香が夏を境に力を付けたことで、疑惑というか疑問の声が上がっていた。
 どうやって、そんなに体力をつけたのかと追及されて困った時は、

『成長期ですから!』

 と怪しい言い訳で乗り切ってきたが、誤魔化すのにも限界はある。
 ありすや文香以外にも『LiPPS』のメンバーなども急激に力をつけており、そこに太老が関わっていることは察しがよければ気付くことだ。
 その流れから、太老特製のドリンクやジュースの存在に辿り着く可能性は低くない。
 向上心が高いアイドルほど、その秘密を知りたがっている者は多く、ありすも対応に困っていた。
 だとすれば、この合同レッスンの目的も察しが付く。
 ステージに向けての全体の底上げと共に、ありすたちが急に体力をつけた理由付けをしておきたい狙いがあるのだろう。

「それに実験都市(ここ)に決めたのも、テロ対策が理由だろうしね」
「……どういうことですか?」
「秋の定期ライブのこと、ありすちゃんも聞いてるよね?」
「ええ、まあ……」

 詳しく事情を聞いたわけではないが、秋の定期ライブの裏で起きた事件のことは、ありすも聞いていた。
 以前、太老からも注意を受けたばかりだ。志希も正木商会の周りでは、様々な思惑が働いていると言っていた。
 だから驚きはしても、思っていたほどの動揺はなかったのだが、

「ここって外と違って珍しいものがたくさんあるでしょ」

 志希の言葉から、ありすは話の意図を察する。

「木を隠すなら森の中ですか」
「そういうこと。だから、ここなら先生たちも少し≠ヘ本気をだせるってわけ」

 SFのような凄い技術も、実際にSFのような景色に紛れてしまえば、素人目には判断が付かない。
 ARを用いたテレビ電話と、超空間通信の差が見ただけで判別できる地球人は、ほとんどいないと言っていいだろう。
 この街で太老が何をしようと、ある程度のことは誤魔化しがきくと言うことだ。
 それは即ち、襲撃する側にも同じことが言えるのだが、ここは正木商会のテリトリーだ。
 各国の工作員を排除し続けてきた実績からもわかるように、なんの対策も講じていないはずがない。

(会長さんの心配していた通りになってきましたね……)

 怖くないかと言えば、嘘になる。しかし、そのことでありすは太老を責めるつもりはなかった。
 そもそもこんな仕事をしていれば、大なり小なりトラブルに見舞われることがあるのは珍しい話ではない。
 人々に笑顔を届けるのがアイドルの仕事ではあるが、知らず知らずのうちに恨みや嫉妬を買うこともある。
 悪質な記者に狙われたり、歪んだ愛情の末、ストーカー被害に遭ったアイドルの話もあるくらいだ。
 だからと言って、いつ訪れるかもしれない悪意に脅え、人前に立つことを怖がっていては出来ない仕事だ。

「大丈夫。先生ならなんとかしてくれるから」

 なら、どうするかと言えば、信じるしかない。
 応援してくれるファンを、プロデューサーを、スタッフを――
 志希の言葉には、太老に対する確かな信頼があった。


  ◆


「どうだった?」
「何人かは志希ちゃんに迫る身体能力を持っている子がいるわね。レッスンにもしっかりとついてきてたし、本当に地球人?」
「まあ、太老くんが目を掛けている子たちだもの。このくらいは……ね?」

 皇家の実から作られた栄養ドリンクを服用している891のアイドルは、地球人のなかでも特出した体力を持っている。
 例えるならオリンピックに出場するようなプロのスポーツ選手に匹敵、もしくは凌駕する体力と身体能力だ。
 なかでも志希と菜々は戦闘用ではないとはいえ、太老が自ら調整した生体強化を受けている。一般人とでは比較にすらならない。
 しかし346のアイドルのなかには、そんな志希や菜々に迫るスペックを持った人物が混ざっていた。
 水子が驚くのも当然だ。だが、事情を知っている音歌は「当然よね」と納得の表情を見せる。
 太老手製のドリンクを服用している『LiPSS』のメンバーは勿論のこと、そうでないアイドルのなかにも特殊な能力を持っていると思しき人物が複数確認されていたからだ。
 憶測に過ぎないが、原因は『皇家の樹の実』の成分を体内に取り入れたことや、太老との接触が能力を開花させる要因となったのだろうと音歌は考えていた。

(瀬戸様も、この展開は予想外だったでしょうしね)

 幸いなことに元々傑出した才能を持った規格外の個性派アイドルが多かったこともあり、いまは大きな騒ぎにはなっていない。
 まだ、地球人の範疇から大きく逸脱する力と言ったほどではないので、そこも幸いしているのだろう。
 だが、それも時間の問題と言える。美嘉やフレデリカなどは、既に地球人の範疇から外れかけていた。
 恐らく『契約』とは違うが、太老を通して『皇家の樹』の加護を知らず知らずのうちに受けているのだろう。
 太老と親しい人物ほど、その影響が強いように思える。親愛度に応じて影響が違うと言うことは、皇家の樹が太老の身内≠守ろうと自主的に加護を与えていると考えるのが自然だ。
 そこで太老から交流会の話をされた時、音歌は良い機会だと考えたのだ。

 合同レッスンと称してはいるが、実際のところは能力を制御するための特訓と言った方が正しい。
 なかでも地球人の平均から大きく逸脱したスペックを持つ人物は、ある程度の事情を話して協力者に引き入れることも視野に入れていた。
 将来的に本人が望むのであれば、宇宙へ上がることも条件に入れ、商会にスカウトするのもありだろう。
 安全面でも、346の内部に事情を知る現地協力者を作っておくことは悪い話ではない。
 それに初期文明惑星だからとか、銀河法がどうだとか、もうそんな建て前を言っていられる段階は通り過ぎていた。

 初期文明惑星の保護を理由に、地球から完全に手を引くというのは、いまの状況を考えると難しい。
 地球は樹雷第一皇妃の出身地と言う他に、盤上島の一件で『鬼の寵児』との関係を疑われている。
 そんな状況で樹雷が地球から手を引けば、アイライや他の国が地球へと押し寄せてくる恐れがある。
 そのため、樹雷側としては出来るだけ自然なカタチで、少しでも早く地球には連盟の一員となって欲しいという思惑があった。
 正木商会を通じて無理のない範囲で地球の科学力の発展を促しているのは、その辺りにも理由がある。

「そう言えば、風香ちゃんは?」

 きょろきょろと周囲を見渡しながら尋ねてくる水子に対し、音歌は右手の人差し指を立てる。
 そんな音歌を見て「天井がどうかしたの?」と首を傾げる水子。

「宇宙よ! ア・カ・デ・ミー! 報告を兼ねて水穂様を迎えに行くって、一昨日話したでしょう!?」
「ああ、うん……なんか、そんなこと言ってたような?」
「しっかりしてよね。本当なら水穂様の迎えだって、あなたが行くべきなんだから……」

 水子は遥照と始祖・霞の曾孫にあたる。謂わば、柾木家の直系だ。
 本来でれば『正木』ではなく『柾木』を名乗っていても不思議ではない。正真正銘のお姫様だ。
 故に三人のリーダー的存在を務めているのだが、

「いや、水穂様はいいんだけど、アイリ様と顔を合わせるのはちょっと……」

 笑って誤魔化す水子を見て、音歌は何度目かわからない溜め息を漏らす。
 優秀は優秀なのだが、基本的に適当と言うか、バカなのだ。
 三人の中で一番、太老と気が合うのは、そうした性格も相俟ってのことだろう。
 実はそこを瀬戸に見込まれ、正木商会へ出向させられたという経緯がある。

「……また、何かやったの?」
「太老くんのことで、アイリ様と天女ちゃん。妙に張り合ってるじゃない」
「まあ、そうね……あの二人は元々そんな感じだと思うけど……」

 互いに嫌っていると言うわけではないのだが、性格の不一致が原因で喧嘩となることが多い。
 原因の大半はサボリ癖のあるアイリが悪いのだが、天女も太老のこととなると暴走しがちなので、どっちもどっちと言える。
 もっとも一番それで被害を受けているのは、当事者ではなく周りの方なのだが、

「でも、その所為でまた′裁が滞ってるって秘書の人たちに相談されてね」
「ちょっと待って。あなた、まさか……」

 話の雲行きが怪しくなってきたことで、嫌な予感を覚える音歌。

「太老くんのブロマイドを送ったのよ。二人とも単純だから、餌で釣った方が早いと思って」
「なに、火にガソリンを注いでるのよ!?」

 確かにアイリに仕事をさせるなら説得するよりも餌で釣る方が早い。しかし今回はその餌≠ェ問題だ。
 太老のことが原因で仕事が滞っていると言うのに、その原因の生写真なんて送れば騒動が大きくなることは火を見るより明らかだ。
 下手をすれば、アカデミーの秘書軍団を巻き込んだ騒ぎへと発展している恐れがある。
 水穂を迎えに行った風香の無事を心配する音歌を見て、水子はニヤリと笑うと――

「でも、ほら見てよ。この写真」

 プリントアウトして密かに持ち歩いていた写真を机の上に広げた。

「え……うっ、これは……」
「可愛いでしょ。こっちが七五三の時の太老くんで、こっちが小学校に入学したばかりの太老くん」

 そう、太老の幼い頃の写真だ。
 確かに可愛い。写真には天女やアイリが太老に固執するのもわかるくらい、愛らしい表情をした子供が写っていた。
 だが――

「白衣の似合う子供っていうのも不思議よね……」
「まあ、鷲羽様の直弟子だしね」

 白衣を着ているものが多く、子供らしい写真かと言えば首を傾げる。
 だが、白眉鷲羽の弟子。太老だからと考えれば、納得の行く話でもあった。
 実際どこにでも天才はいるものだ。アカデミーに通う生徒のなかにも、子供がいないわけではない。
 哲学科ともなれば珍しくはあるが、それでもゼロではないのだ。
 鬼の寵児だなんだと呼ばれているが、写真のなかで笑顔を浮かべる太老を見て、彼の原点はここにあるのだろうと音歌は思った。

(瀬戸様が水子を見込んでいるのは、こういうところなんでしょうね)

 仕事の都合上、余り地球へ帰省することは叶わなかったが、それでも水子は昔から太老と仲が良かった。
 初めて太老とあったのは、勝仁と玲亜の結婚式の時だ。あの頃から水子は太老の本質を見抜いていた節がある。
 噂に流されることなく誰とでも正面から向き合える性格は、水子の長所とも言えた。
 故に、そんなところを瀬戸に見込まれたのだろうと音歌は考える。

 太老の立場は複雑だ。

 ギャラクシーポリスの英雄『山田西南』によって数を減少させ、水面下に潜っていた海賊の残党にトドメを刺し、Dr.クレーと繋がりのあった軍≠フ高官を失脚に追い込んだ『鬼姫の寵児』の活躍は関係者に知れ渡っている。
 内々の話ではあるが次期樹雷皇の最有力候補とされ、独創的な発想力と類い稀な技術力で数多の発明品を生みだし続けている『哲学士タロ』の名もアカデミーでは有名だ。
 宗教国家アイライでは『神の子』と称され、太老の信奉者は数多い。だが、それだけに噂だけが独り立ちをして、太老の性格や素顔を知る者は少なかった。
 本来であれば遥照の生存発表と共に、太老を樹雷皇族として『柾木家』へ迎えたいという思いはあるが、未だに正式な公表を控えているのはそれが理由だ。
 音歌たちが正木商会に出向しているのは太老の護衛以外にも、監視の役目も負っているからだった。
 太老本人はまったく気にしている様子はないが、自由に見えて不自由な生活を強いられているという点に違いはない。

「ぼーっとして、どうかしたの?」
「その能天気な性格も、少しは人の役に立てることがあるんだなって」
「なにそれ……」

 褒められているのか、貶されているのかわからない例えを聞き、水子は複雑な表情を滲ませる。
 だが、そんな水子の性格が、太老の助けになっていることは確かだった。



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