山が鮮やかな色で染まり、枯れた木の葉が舞い散る季節。
十一月も半ばを過ぎ、紅葉も見頃を迎えた頃、美嘉は会議室でルレッタと机を挟んで向かい合っていた。
「――今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ助かりました。データは一週間ほどであがります。最終調整はその時に……」
891と346の合同ステージは実験都市を丸ごと使ったイベントとあって、連日テレビや雑誌で紹介される中、準備は着々と進められている。
美嘉はユニットの他にソロでの参加も予定していて、今日はその衣装合わせと演出の打ち合わせをするため、891の事務所を訪れていた。
予定していた打ち合わせを終えたところで、美嘉はもう一つ≠フ用事を済ませようとルレッタに声を掛け、
「あの……太老さんに少し用事があって」
太老の予定を尋ねる。
ああ見えて、太老は世界に名を連ねる大企業のトップだ。普通は会おうと思っても簡単に会える人物ではない。
アポイントもなしに会うのは難しいかもしれないと美嘉が考えるのは当然で、駄目元で尋ねて見たのだが、
「構いませんよ? 太老様なら今日は工房の方にいらっしゃると思います。この後、別の予定があって私はご一緒できませんが、案内役を用意しますね」
「え……いいんですか?」
あっさりとルレッタが取り次いでくれたことに、美嘉は呆気に取られた表情を見せる。
実際、太老と直接会える人物は限られていて、一国の代表と言えども約束なしに会うことは難しい。
林檎配下の優秀な部下たちが窓口となり、太老に近づく者の大半はそこで選別され、ふるい落とされているのが現実だった。
そんなことまで知っているわけではないが、普通は簡単に会えないことくらいは美嘉にもわかる。
「美嘉さんは特別です。私たちの秘密を知る……いえ、太老様がお認めになった特別≠ネ方ですから。美嘉様が尋ねていらしたら、最優先で取り次ぐようにと太老様にも言いつかっていますので」
そうした美嘉の疑問に、ルレッタは当然とばかりに答える。
そして『特別』という言葉に過剰に反応する美嘉の初々しい姿を見て、ルレッタは苦笑する。
だが、嘘を言っているわけではなかった。太老が美嘉たちを志希と同様に、特別視しているのは確かだからだ。
(太老様も彼女たちには気を配っているようだし、このくらいはね)
他の者なら、こんな風にあっさりと取り次いだりはしないが美嘉たちは別だ。
これで彼女が太老を利用するために近づいたと言うのなら、ルレッタも黙ってはいなかっただろうがそうではない。
美嘉の太老に向ける感情が純粋な好意から来るものであることは、この分かり易い反応を見れば一目瞭然だ。
むしろ自分たちの不手際に美嘉たちを巻き込んでしまったことに、ルレッタは負い目を感じていた。
収容所から脱走したという海賊たちの話。その件に元夫のアランが関わっていることを、彼女は林檎から聞かされていたからだ。
(あの人の所為で、彼女たちにもしものことがあったら……)
太老に顔向けが出来ない。そんなことは絶対にあってはならないとルレッタは険しい表情を見せる。
本来、カルティアやルレッタが美嘉たちの護衛を態々する必要はない。いまも346のアイドルたちには気付かれないように監視が張り付いていて、いつでも動ける準備が整っていた。
あとは獲物が網に掛かるのを待つだけだ。その気になれば、水子たちだけでも海賊の対処は可能だろう。
それでもプロジェクトの責任者に選ばれたのは、自らの手で決着をつけられるようにアランのことを配慮してくれたからに違いないとルレッタは考えていた。
実際のところ太老がそこまで考えていたかどうかはわからないが、林檎が調査結果をルレッタに話したのはそれが理由と見てよかった。
◆
「城ヶ崎様の生体データは既に登録済みですので、これからは自由に転送ゲートを利用して頂いて構いません」
「は……はい。お手数をお掛けします。でも、これってどうすれば……」
メイド服に身を包んだ案内役の侍従の説明を受け、まだ慣れない様子で転送の光に身を委ねる美嘉。
真っ白な光が視界を覆ったかと思うと、一瞬にして景色が変わる。
薄らと光りを放つ床に、雲一つない空。
両端には見たことのない機械やシリンダーが並ぶ廊下を、美嘉は興味深そうに観察しながら真っ直ぐ進む。
そこは太老の工房。守蛇怪・零式のなかに設けられた一部の者だけが立ち入ることを許可された特別な場所だった。
案内の侍従もここ≠ノは水穂や林檎の許可なく立ち入ることが出来ないため、転送ゲートの使用方法を美嘉に説明した後は外で待機をしていた。
「志希ちゃん!? どうしてここに!?」
「あれ? 美嘉ちゃん?」
少し開けた場所にでると、無数に浮かぶ空間モニターの前で端末を操作している白衣姿の志希を見つけ、美嘉は驚きの余り声を上げる。
まさか、自分より先に志希が来ているとは、美嘉も思ってもいなかったからだ。だが、それは志希も同じだった。
志希は時々こうして太老の助手をすることで、宇宙の技術を学んでいた。
しかし、美嘉が宇宙の技術や工房に興味があるとは思えない。
となると、
「先生に用事?」
太老に用事があるのではないかと志希が思い至るのは必然だった。
「先生、美嘉ちゃんがきてるよー」
太老に声を掛ける志希。
一方で、太老が近くにいると思っていなかった美嘉は驚いた様子で周囲を見渡す。
しかし太老の姿は見当たらない。どういうことかと、訝しげな表情を浮かべる美嘉。その時だった。
「ん? 美嘉がきてるのか?」
足下から声が聞こえて美嘉が下を向くと、そこには太老の顔があった。
床に背をつけ、スカートの中を覗き込むような格好で「ピンク……」と呟く太老。
「――ッ!?」
「いや、待て待て! これは不可抗力というか!?」
そんな二人のやり取りを見て、「あちゃー」と右手で額を押さえる志希。
その直後、鈍い音と悲鳴が工房に響くのだった。
◆
「ごめんなさい! アタシ、驚いちゃって遂……」
「いや、俺も悪かったから気にしないでくれ」
俺の顔には美嘉がつけた靴底の跡がくっきりと残っていた。
とはいえ、あんなところから顔をだした俺にも責任がある。
志希に手伝ってもらってシャトルの整備を行っていたのだが、正直タイミングが悪かった。
機体の下に潜って部品の交換を行っていたところだったからな……。
「あの……それって車≠ナすか?」
整備中のシャトルが気になるのか、美嘉がそんなことを尋ねてきた。
確かに見た目は車輪のないオープンカーのように見えなくもないが――
「ああ、シャトルだよ。実はこの船、本当は宇宙に浮かんでいてね」
そう言って俺が指を鳴らすと、周囲の景色が変わり、青い輝きを放つ地球の姿が視界に飛び込んでくる。
転送ゲートを使えば一瞬で移動することが出来るが、本来であれば船への行き来は小型シャトルを使うことが多い。
俺が志希と共に整備を行っていた四人乗りのシャトルも、宇宙船用のドックが用意されていない星に降りるためのものだ。
美嘉の言うように車の代わりに利用することもあるが、さすがに地球で乗り回すわけにはいかないしな。
俺の説明に納得した様子を見せる美嘉に、
「で? 急にどうしたんだ?」
用件を尋ねる。
すると、何かを思い出した様子で姿勢を正し、チラリと志希を見る美嘉。
「先生、今日はもう上がりでいいよね?」
「ああ、手伝ってくれてありがとうな。助かったよ」
「まあ、あたしも勉強になってるしね。それじゃあ――」
ごゆっくりーと声を掛けると、志希はさっさと転送ゲートを潜って工房を後にした。
恐らくは自分がいると美嘉が話をしにくいと察して、気を利かせたのだろう。
ああ見えて、意外と気の回るところがあるからな。
そして志希が去ったのを確認すると、美嘉はおもむろに口を開き始めた。
「周子のことなんですけど……太老さんの考えを知りたくて」
「周子の? ああ……」
美嘉に周子のことを尋ねられ、俺は察する。
年若い周子よりも、経験豊富な楓や瑞樹を推す声があったことは、ちひろさんから聞いていたからだ。
実際、武内プロデューサーは346側のリーダーとして、高垣楓を指名するつもりでいたらしい。
それでも俺が周子をリーダーに推したのは理由がある。
プロジェクトのリーダーともなれば、必然的に俺との接点≠熨揩ヲると考えたからだ。
「周子には出来るだけ近くで、俺の仕事を見せておきたくてね」
「太老さんの仕事を、ですか? それって……」
暇人疑惑が浮上しているからな。
水穂や林檎ほどじゃないが、俺も頑張って働いていると言うのに、自由人の志希やフレデリカと同類に扱われるのは納得が行かない。
ここらで不当な評価を正しておきたいというのが、俺が周子をリーダーに推薦した理由だった。
(まあ、それに実験都市での働きを見る限りでは、素養はありそうだしな)
本当にダメそうなら無理に推薦したりはしないが、周子の能力が足りていないと俺は思っていなかった。
彼女に足りないのはやる気≠セ。アイドルの仕事は頑張っているみたいだが、与えられた役割以上の仕事はしない。
それが悪いこととは言わないが、なんとなくでアイドルを続けているのが今の周子だ。
彼女らしいと言ってしまえば確かにそうだが、ただ風の向くまま成り行きに任せている今の状態では、これ以上の成長は見込めないだろう。
カルティアが目を掛けるほどの実力を秘めていると言うのに、折角の才能を腐らせるだけだ。正直、勿体ない。
「俺自身、好き勝手生きて周りに迷惑を結構かけてきたからな。周子にはなんていうか、そういうところが足りないんじゃないかと思って」
俺も他に選択肢はなかったとはいえ、流されるまま生きてきた自覚がある。
いまはちゃんとした目的≠ェあって行動しているが、周子を見ていると昔の自分を見ているかのような錯覚に陥る時がある。馬が合うのは、それが理由だろう。
そんな彼女の生き方を否定するつもりはないが、目的もなくダラダラと流されることと自由に生きることは違う。
志希やフレデリカも適当に生きているように見えて、ちゃんとした目標を持っている。でも、周子にはそれがない。
いや、本当はあるのかもしれないが、あやふやな感覚のままアイドルの仕事を続けていることは、彼女を見れば察することが出来た。
アイドルを志す切っ掛けのようなものはあったのかもしれないが、いまの周子からは率先して行動を起こすと言った意欲が見えない。
昨年『プロジェクト・クローネ』のメンバーに選ばれた時も、あっさりと美城専務の提案を承諾したという話だしな。
まあ、ようするに見ていて放って置けないというだけの話……ただのお節介だ。
誤解を解くついでに周子のやる気を少しでも引き出せれば上々と言ったところで、切っ掛けの一つになればと考えていた。
「なんとなく分かる気がします。太老さんのそういうところ……志希ちゃんやフレちゃんに似てると思うし。でも周子はそんな二人と比べてもマイペースというか……そうした他人に迷惑を掛けることも嫌がると思うから」
美嘉の言うように面倒事を嫌うというのは、周子を見ているとわかる。
実験都市での引率の件も、俺は別に他人の力を借りることを禁止したわけではなかったのだが、最後まで周子は誰にも頼ることはなかった。
俺が心配しているのは、そういうところだ。美嘉も気になってはいたのだろう。
とはいえ――
「あの二人と比較されて納得されるのも反応に困るんだけど……」
「あ、すみません」
その誤解を解きたくて周子をリーダーに推薦したというのに、美嘉にまでそんな風に思われていたとは……。
あの二人のフリーダムさに比べれば、俺はまだ可愛い方だと思うのだが、間違っているだろうか?
なんだかんだと結構考えて行動してるしな。周りにぶっ飛んだ人物が多いだけに、常識的な行動を心掛けているつもりだ。
何故か、そのことを理解してもらえないのだが……。特に周子の誤解は酷い。
会う度に「会長さん、暇?」って聞いてくるからな。
息抜きをしている時に、たまたま周子が声を掛けてくるのであって、ずっと暇をしているわけじゃないんだが理解は得られないままだ。
「太老さんの考えはわかりました。ごめんなさい、変なことを聞いて」
「いやまあ、誤解が解けたなら、それでいいんだけど……」
「はい。わかって≠ワすから」
その点、美嘉は理解力のある良い子だ。ちゃんと間違いを認めて訂正してくれる。
いつも志希やフレデリカの相手をしているだけのことはある。
俺の周りは話を聞いてくれない人が多いからな。皆こうなら誤解も解きやすくて楽なのに……。
「美嘉は友達思いの良い子だな」
「え……」
「それに俺のことを、ちゃんと理解してくれるのは美嘉だけだ」
「あ、そ、それって……!?」
「出来れば、これからも俺を支えてくれ。俺も美嘉を支えるから」
「あう……は、はい……」
美嘉が俺と同じような悩みを抱え、苦労していることはわかっている。
志希やフレデリカと言ったフリーダムな人々に振り回される仲間と言う意味では、俺と彼女は似たような境遇にあるからだ。
数少ない理解者の一人として、美嘉との関係は大事にしようと俺は心に固く誓うのだった。
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