「太老くん!?」
決済書類から視線を離し、何事かと思い顔を上げると、血相を変えた様子で執務室に飛び込んできたのは水穂だった。
脱走した海賊の件でアカデミーに行ってもらっていたのだが、今日が帰ってくる日だったか?
確か、来週の予定だったと思うんだが……水子が「どうしよう!?」と叫んでいたからよく覚えている。
水穂から不在中の出来事をまとめたレポートの提出を言われていたそうなのだが、まだ手付かずの状態だったらしい。
例えるなら夏休みの日記帳を付け忘れて、慌てて記憶を呼び起こしながら日記を付けてる状況と言ったら分かり易いだろうか?
とはいえ、子供の絵日記と違い、水穂が求める水準のレポートを用意するとなると大変な作業だ。
今頃、他の二人に泣きついて、レポートの作成に挑んでいる水子の姿が想像できる。
まあ、俺もいろいろと仕事を頼んではいたから、単にさぼっていたわけではないのは理解しているが――
水穂にそんな言い訳が通用するとは思えないしな。
「お帰り。久し振りの親子水入らずなんだし、もう少しゆっくりしてくればよかったのに」
俺がそう尋ねると、心底嫌そうな顔をする水穂。何か嫌なことでもあったのだろうか?
まあ、アイリだしな。親子の仲が悪いと言う訳ではないだろうが、なんとなく気持ちは分からなくもない。
俺も別に育ての親(鷲羽)のことを嫌っているわけではないが苦手だしな……。
水穂の生みの親の柾木アイリは、そんな鷲羽と同じ哲学士だ。基本的に哲学士というのは変わり者が多い。
母親の悪行を聞かされて、よく水穂が眉間にしわを寄せている姿を俺は見ていた。
そのことから恐らく向こうでも何かトラブルがあったのだろうと推測が立つ。
「そんなことよりも!」
そう叫びながらバンと机に手を置き、身を乗り出してくる水穂。余程この話題には触れて欲しくないのだろう。
「クレーのことよ!? 犯行予告がきたって」
ああ、そのことか。水穂が尋ねているのは、先日タコ≠ゥら届いた手紙のことだ。
ちなみに『タコ』っていうのは、クレーの愛称のようなものだ。
髪や髭がうねうねしていて、タコの足みたいに見えることから、そうした渾名が付いたと鷲羽から聞いている。
俺も奴とは因縁があって直接対峙したことがあるが、趣味の悪いジジイである。
「んっと、これかな?」
手元の端末を操作して空間倉庫に仕舞ってあったタコからの手紙を取り出し、水穂に手渡す。
俺から受け取った手紙を険しい表情で流し読む水穂。
だが、段々となんとも言えない複雑な表情に変わっていく。
無駄に用件までが長いからな。俺や鷲羽に対する恨み辛みや、タコの苦労話なんて聞かされても反応に困るだろう。
まあ、手紙の内容を要約すると、実験都市を襲撃するという犯行予告だ。
「……太老くん、随分と冷静ね」
訝しげな表情で、そう尋ねてくる水穂。俺が慌てていないのは、奴の手口は知り尽くしているからだ。
こんな手紙を送りつけてきたのは、俺に対する挑発的な意味もあると考えていい。
ただ復讐するだけでは足りない。味わった屈辱以上の恥を掻かせてやるとでも考えているに違いなかった。
金に汚く、目的のためなら誘拐や人質を取ることさえも躊躇わない性根の曲がったジジイだ。
いざとなったら都市を丸ごと人質として使ってくる可能性は十分に考えられる。水穂もそのことを心配しているのだろう。
だが、そんなことは俺も承知の上だ。
「あのタコがラウラにしたことを俺は忘れてないので」
少し怒気を孕んだ声で俺がそう呟くように言うと、水穂は表情を曇らせる。
ラウラと言うのは、平田家に養子に入ったバルタ直系のお姫様のことだ。
平田というのは『瀬戸の剣』で有名な平田兼光を当主とするあの『平田家』のことで――
バルタは三十年ほど前に樹雷領から独立した海賊を成り立ちとする国家の名だ。
いろいろと複雑な事情があるのだが、ラウラはタコに利用され、誘拐されたことがある。
いや、正確にはタコのマインドコントロールを受けたラウラに、俺が誘拐されたのだが……。
その時の因縁もあって、俺はタコに良い感情を持っていなかった。
あいつが俺のことを恨んでいるように、俺もタコのことを嫌っている。
許す許さないの話じゃない。幼女の敵は、俺の敵だ。
◆
「……どうでしたか?」
「あれは相当に怒ってるわね」
林檎ちゃんの問いに、私は溜め息を交えながら答える。
太老くんとDr.クレーの因縁は、私も当事者なのでよく理解しているつもりだ。
だから林檎ちゃんに相談を受けた私は、鷲羽様に頭を下げて超長距離転送ゲートの使用許可を貰い、予定を繰り上げて帰ってきたのだけど……嫌な予感が的中してしまった。
林檎ちゃんが不安になるのも無理はない。今回の太老くんは本気だ。
「無理もありません。あれは太老様にとって、許しがたい事件でしたから……」
「だからと言って、またあんな騒ぎを起こさせるわけにはいかないわ」
Dr.クレーが関与した『鬼の寵児』の名を銀河に轟かせることになった大事件。
瀬戸様の後継者と目されながら、太老くんの正体が未だ正式に発表されずにいるのも、思えばあの事件が切っ掛けだった。
天樹を介して〈皇家の樹〉の力を束ね、宇宙を覆い尽くしほどの巨大な光鷹翼を発現した太老くんの能力は、天地くんと同様に樹雷の第一級機密に指定されている。
同じことがもう一度あれば、今度こそ隠し通すことが出来ないかもしれない。
すべてが露見すれば、太老くんを地球に押し留めている理由はなくなるが、同時に世界は太老くんを放っては置かないだろう。
最悪それが銀河大戦の切っ掛けにもなりかねない。そうならないように太老くんは隔離され、連盟の監視下に置かれる可能性は高い。
しかし太老くんが素直に従うとは思えないし、瀬戸様はわからないけど鷲羽様は太老くんに味方をするだろう。
下手をすると天地くんたちも……。『正木の村』そのものが敵となる恐れがある。
私たちはその時、どちらに付くのか――
「最悪、連盟の勢力圏に居られなくなる可能性があるわね……。それでもいいの? 林檎ちゃん」
「私は何があろうと、太老様の味方です。それは水穂様も同じなのでは?」
「そうね……例え、瀬戸様と敵対することになっても、考えを変えるつもりはないわ」
答えは考えるまでもなく、はっきりとしていた。とはいえ、それは最悪のシナリオを想定してのことだ。
避けられるのであれば、それにこしたことはない。
太老くんを地球に押し留めているのも、そうした事態を引き起こさせないために時間を稼ぐことが目的だからだ。
西南くんの時にも問題視されたことだが、太老くんの能力が意図したものかそうでないかで警戒すべき危険度は大きく変わってくる。
太老くんが意識的に〈皇家の樹〉の力をコントロールし、因果や事象さえも操つれるとなると放置するのは危険と判断されるだろう。
そうなったら社会から隔離されることは免れない。自然災害とテロでは意味合いが大きく異なるからだ。
しかし、そうでないことが証明されれば、少なくとも太老くんを都合良く封殺しようとする声から守ることが出来る。
その上で、太老くんを正式に瀬戸様の後継者と発表すれば、他国の干渉を最小限に抑えられると私たちは考えていた。
樹雷の鬼姫の後継者という立場は、誰もが尻込みするほどに重いものだからだ。
太老くんが瀬戸様の後を継ぐのは、まだ千年は先の話だろう。
実際に後を継がなくとも、それだけの時間があれば打てる手は他に幾らでもある。
太老くんがその気になれば銀河の外へ飛び出し、連盟の勢力圏外に新たな国を造ることも決して不可能ではないからだ。
この問題が解決しないうちは太老くんの結婚≠熾ロ留のままだ。
まあ、あの子たちは百年でも千年でも待つ覚悟が出来ている様子だけど、出来ることなら早めに障害を取り除いてあげたい。
勿論、私や林檎ちゃんもそのなかに含まれる。そのためにも、いまは出来ることをやるしかない。
「Dr.クレーが態々犯行予告までだして、実験都市を指定してきた狙いはなんだと思う?」
「挑発、脅迫……いろいろと考えられますが、我々の目を実験都市へ向けさせることが狙いだと思います」
林檎ちゃんの推察に、私も同意する。
あちらがこちらの動きを警戒しているように、Dr.クレーも自身の動きが警戒されていることを理解しているはずだ。
私がアカデミーに足を運んだのも海賊の一件の他に、彼等の背後にいる存在を確かめるためでもあったからだ。
この件にDr.クレーが関わっていることは、かなり早い段階から予想はついていた。
そうした予想が早くから出来ていたのは、この一件について美守様から母さんの秘書経由で情報のリークがあったことが理由として大きい。
GPにしても、自分たちが派遣した連絡員が脱走の手引きをしたことに危機感を抱いたのだろう。
ただでさえ、過去に軍の起こした不祥事が原因で、GPは苦しい立場に置かれている。
信用回復に努めている最中に起きた今回の事件。調査協力をあちらから申し出てきたのも、傷口を広げないためだと察しが付いた。
当然そうした動きは、Dr.クレーにも伝わっていると思っていい。だから、このタイミングで動きにでたのだろう。
こちらの目を実験都市に向けさせることで、行動の予測を立てやすくするのが狙いだと推察できる。
そんな敵の意図を理解していても、私たちは実験都市から離れることは出来ない。
相手は鷲羽様と深い因縁のある哲学士だ。裏を読んだと見せかけて、その裏を掻いてくる可能性はゼロではなかった。
しかし行動が制限されているのは相手も同じだ。
敢えて実験都市を指定してきたことから、襲撃の日時についても、ある程度の予想が付く。
「彼等が行動にでるとしたら恐らく……イベントの日と言ったところかしら?」
警備は厳しくなるけど、人が集まれば死角が増え、こちらも動きが取り辛くなる。
何か行動を起こすのであれば、都合が良いのは346と891が合同で行うステージの日だと私は予想した。
「いまからでも中止しますか?」
「難しいわね。今回の件には政府の思惑も絡んでいるし、下手に中止なんてしたら……」
この件に政府が絡んでいなければ、林檎ちゃんの言うようにイベントを中止をすると言った選択肢も考えられる。
しかしDr.クレーや海賊の件は、完全にこちら側≠フ問題だ。
詳しい事情を説明するわけにもいかず、弱味を見せることは商会をよく思っていない者たちに、つけ込む隙を与えかねない。
ましてやそれを理由に、この国の警察に現場を仕切られるのは困る。
地球の科学力で対抗できるような相手ではないし、私たちにとっては邪魔にしかならないからだ。
「それにイベントを中止したところで襲撃がなくなるわけじゃない。むしろ、予測が付かなくなる方が怖いわ」
例えイベントを中止にしたところで、狙われていることに変わりはない。
いまなら予測を立てやすいが、いつ襲撃を受けるかわからない状況の方が危険だ。
こうしたケースの場合、敵の攻撃を意識しすぎて守りに回る方が不利だということを、私は経験則から知っていた。
「瀬戸様に応援を頼む必要があるわね……」
瀬戸様から腕の立つ女官を借りることが出来れば、私の育成した侍従部隊と連携して万全な警備を敷くことは可能だろう。
太老くんが実験都市を開催会場に選んだのは、こうした事態を予測してのことだと推察できる。
となれば、私たちの取るべき行動は一つしかない。
「では、各部署との調整はお任せください」
「お願いね。瀬戸様には、私の方からお願い≠オておくわ」
少なくとも今回の件に限って言えば、瀬戸様も協力を惜しまないはずだ。
いつものように妙な条件を付けるような真似もしないだろう。
最悪の事態が起きて困るのは、瀬戸様も同じなのだから――
(ただ……何か、胸騒ぎがするのよね)
少しでも不安な要素は取り除いておきたい。
何かを見逃していないかと考えを巡らせるが、胸騒ぎが収まることはなかった。
◆
「予想通りの展開になったわね」
水鏡のブリッジで愉しげな笑みを浮かべながら、瀬戸はそう呟くように話す。
水穂からあった応援の要請を受け、瀬戸は地球への盾≠フ派遣を決めた。元より、そのつもりで準備を進めていたからだ。
太老のもとにいる侍従たちも、水穂や林檎が教育しているとあって優秀な人材が揃ってはいるが、瀬戸配下の女官たちと比べると見劣りする。
なかでも〈盾〉と言うのは〈剣〉と対を為す、瀬戸配下の女官のなかでも選りすぐりの精鋭で構成された部隊だ。
剣が攻撃の役目を担っているとすれば、盾は文字通り守りに特化した精鋭。
拠点防衛や護衛任務などに特化しており、水穂の要望を満たす人材は彼女たちを置いて他にいないと言ってもよかった。
「本当によかったのですか?」
そう、瀬戸に尋ねるのは平田夕咲。
子供が生まれたのを理由に現役を退いていたのだが、水穂や林檎の休職に伴い、現場に完全復帰した『武神』の異名を持つ瀬戸の副官だ。
短い黒髪の精悍な顔立ちの女性で、現在は夫の平田兼光と共に聖衛艦隊の指揮を執っていた。
瀬戸の決めたことに口を挟むつもりはないが、夕咲が敢えて確認するように尋ねたのには理由があった。
地球へと派遣した〈盾〉のなかに、瀬戸はお局部隊≠フ女官を忍ばせていたからだ。
お局部隊とは、瀬戸配下の女官のなかでも経験豊富な古参の女官で組織された、諜報工作の実務活動を主に請け負っている部隊だ。
なかでも隊長は、瀬戸の前でさえ滅多に素顔を晒すことがないと言われる謎の多い人物。
当然、水穂には〈お局部隊〉を〈盾〉に忍ばせて派遣したことは報せていない。
このことを知っているのは、瀬戸を除くと副官の夕咲だけだ。
だが――
「いいのよ。これで」
そんな夕咲さえも知らされていない思惑を瀬戸は隠していた。
お局部隊の隊長――クイス・パンタの正体を知る者であれば、瀬戸の思惑に気付くことが出来たかもしれない。
しかし夕咲が、そのことに気付くことはなかった。
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