「久し振り、やよいちゃん。頑張ってるみたいだね」
「はい! こちらこそ、お父さんがお世話になってます!」

 元気に返事をするツインテールの彼女の名は、高槻やよい。765プロに所属するアイドルだ。
 ちょっとした縁があって、彼女の父親にはうちの商会で働いてもらっていた。
 彼女を見ればわかると思うが、高槻家の人たちは頭に『大』の文字が付くほどのお人好しばかりだ。
 その所為か貧乏くじを引くことも多いようで、俺が知り合った頃の彼女は弟の給食費に困るくらい貧しい生活を強いられていた。

 その弟くんのことで初めて家に招待された時、ご馳走してもらったのが『もやし料理』だったからな。
 もやしを使った料理ではなく、もやしがメインの料理だ。具体的には、特製のタレで味付けをしてホットプレートで炒めただけのもの。
 味は悪くなかったが、そういう問題ではない。週に一度の『もやしの特売日』を家族全員が楽しみにしていると言うのだから、なんとも言えない話だった。
 話を聞いてみれば、アイドルになったのも家計を助けるためだとか。中学生の彼女が働ける場所なんて限られている。精々が新聞配達くらいだろう。子供の発想だが、アイドルになって一杯稼げるようになれば、弟や妹たちに美味しいものを一杯食べさせてあげられる。お父さんとお母さんを楽にしてあげられる。そんな風に考えたようだった。
 そのような話を聞かされれば、何もしないという選択肢は俺にはなかった。

 詳しく話を聞いてみると、父親は職を転々としていることから母親が外へ仕事にでて家計を支えているとの話だった。
 そんな忙しい両親に代わって、やよいが掃除に食事の用意と、まだ幼い弟や妹の面倒を見ているとの話を聞き、思わず溜め息が溢れたのを今でも覚えている。
 確かに収入が安定しない状況の中で、六人もの子供たちを育てるのは大変だろう。しかし、やよいの頑張りを否定するつもりはないが、これは親の責任だ。
 アイドル業も母親の代わりをしながら続けていけるほど甘い仕事ではない。最悪、家族のためにと始めたことが、家族が足枷になりかねない。それでは本末転倒だ。

 で、根本的な解決を図るために俺がしたことは、やよいの父親をうちの商会で雇用することだった。
 その結果、一家の大黒柱である父親の収入が安定したことで、母親も家にいることが多くなり、やよいの負担は大きく減った。
 会う度にそのことを感謝してくれるが、これは彼女自身が掴み取ったチャンスだ。
 やよいがアイドルの道を志すことなく、最初の一歩を踏み出さなければ、俺も彼女と知り合うことはなかった。
 それに損をしたとも人助けをしたとも思ってはいない。むしろ、助けてもらっているのは俺の方だ。
 実際、やよいの親父さんはよく働いてくれるし、社内の評判もいい。あの頼まれたら断れない性格をどうにかすれば、もう少しマシな生活を送れていたはずだ。
 それも林檎の教育で少しずつ改善されているという話だし、以前のような生活に戻ることはないだろう。

「それで、今日はどうしたんだ?」
「お土産を持ってきました!」

 そう言って手渡されたのは、京都名物の八つ橋だった。
 なんでも和菓子の特集を組んだ番組の収録で京都に行っていたそうで、そのお土産を態々届けにきてくれたらしい。
 あれ? この包装紙に書かれてる店の名前って確か、周子の実家だったっけ?
 妙な偶然もあるものだ。放送日は来週の木曜日という話なので、あとで周子にも教えてやろう。

「折角だから、親父さんに会っていくか?」
「あっ……いえ、やめておきます。お仕事を頑張ってるところを邪魔はしたくないですから!」
「そうか」

 本当に良い子だ。それだけに放って置けないというか、心配になる。
 まあ、765プロは社長やプロデューサーを始め、所属するアイドルも良い子たちばかりだし大丈夫だとは思うけど。
 ただ、高槻家の人たちのことが言えないくらい、あそこの事務所もお人好しが多いからな……。

「やよいちゃん、この後の予定は?」
「いえ、特には……最近、少し働き過ぎだからって、律子さんから休みを貰いましたから」

 なんとなく彼女の担当プロデューサーの苦労が窺い知れるような話だ。
 ちなみに律子と言うのは『元アイドル』という肩書きを持つ、765プロのプロデューサーの一人だ。
 やよいは家庭環境のこともあって頑張り過ぎるところがあるので、律子もその辺りを心配しているのだろう。
 折角の休みなのに友達と遊びに行くのではなく、こうして俺のところにきているくらいだしな。
 そういうことなら――

「なら、丁度いい。少し、俺に付き合わないか?」
「はい?」

 不思議そうに首を傾げる彼女を、俺はそう言って誘うのだった。


  ◆


「皆、なんだか気合い入ってるね。どうかしたの?」

 トレーニングウェアに着替えた凛はレッスンルームに顔をだすと、部屋の隅で休憩をしていた文香にそう尋ねた。
 随分と熱の入った様子でレッスンに打ち込む、ありすたちの姿を目にしたからだ。

「皆さん、カルティアさんのライブに刺激を受けたみたいで……」

 あの夜のことは凛も鮮明に覚えている。
 星空の下、幻想的な景色に響くカルティアの歌声は、瞬きするのも忘れるほどに魅入ってしまうようなステージだった。
 実力の差を見せつけられると共に、あんなステージに自分も立ちたい。そう思ったのだ。
 そして十二月の三十一日。あと一ヶ月ほど先には、あの夢の舞台に彼女たちも立つことになる。
 触発されるのも無理はないかと、文香の話を聞いて凛は納得する。

「それに噂があって……」
「……噂?」
「居酒屋で関係者の方が話しているのを、丁度その場に居合わせた楓さんたちが聞いていたそうで……」

 水子たちが宴会をしていた店に、楓、早苗、瑞樹の三人は揃って飲みに来ていた。
 早苗が美嘉の姿を見つけ、声を掛けようと近づいたところで、レセプシーの親子の話を耳にしたのだ。

「有名なダンサーの親子がライブの視察にくる?」
「はい。かなり業界に顔の利く方のようで、それに会長さんともその……」

 それが事実なら、トップアイドルを目指す少女たちにとっては大きなチャンスだ。
 それに恋愛感情とまではいかずとも、太老のことが気になっている女性は少なからずいるのだ。
 凛も面識は少ないが、太老に対して悪い印象は抱いていない。どちらかと言うと、好意的に捉えていた。
 事務所の先輩たちがよく太老のことを話すというのも理由にあるが、みりあや莉嘉が太老のことを慕っていると言う点も大きい。
 そんな太老のことを狙っていると思しきダンサーの親子が来日する。強力なライバルの出現で、練習に熱が入るのも頷ける話だった。

「なるほど。それなら気合いも入るか……」

 そういうことなら、この熱の入り方も納得できると凛は頷く。
 頑張り過ぎて空回りしないかが少し心配だが、あれから皆も成長している。
 落ち着いた文香の様子を見て、その心配は要らないだろうと凛は思った。
 それに――

「私も……頑張らないとね」

 たいした目標もなく、何もわからずに足掻いていた去年の自分とは違う。
 考えようによっては、一年の成長を確かめるチャンスだ。

 あの日に三人で見た景色をもう一度。
 もっと高く、遙か高みを目指すために――

 凛も皆に負けじと、気合いを入れ直すのだった。


  ◆


「うわー! おっきなビルです!」
「346は業界でも最大手の芸能プロダクションだしな」

 やよいが驚くのもわかる。見上げんばかりの大きなビルが建ち並ぶ姿は壮観だ。
 うちも都内に大きなビルを構えているが、所属するアイドルの数からして十倍以上の開きがあるからな。
 そんな891と比べても765プロは小さなプロダクションだ。最近、広い事務所へ引っ越しをしたそうだが、少し前まで古い雑居ビルに事務所を構える弱小事務所だった。
 今年、社長の夢でもあった小さな劇場をオープンしたとの話だが、映画を作っているような大企業と比較するのは無理がある。

「いつか、私たちもこんな大きなビルに事務所を持ちたいです!」
「大きな夢だな。なら、もっと上を目指さないとな」
「はい!」

 実際には難しいと思うが、そう思わせるだけの可能性が彼女たちにはあった。
 特に星井美希、如月千早の二人は海外での活動が認められ、段々と知名度を上げてきているからな。
 うちもそうだが、346でも彼女たちと競えるアイドルは、そう多くない。カルティアに続く次世代のアイドルが育っている証拠だ。

「承っております。新館三十階『プロジェクト・ディーバ』のフロアへお越しくださいとのことです」

 受付を済ませると、俺は落ち着かない様子のやよいを連れて、武内プロデューサーの待つフロアへと向かう。
 念のため連絡をして確認を取ったところ見学の許可が下りたので、こうして堂々とやよいを案内できると言う訳だ。
 勝手知ったるなんとやらと言うが、さすがに俺も他所の事務所で勝手な真似は出来ないしな。

「あら、会長さん」
「ちひろさん。武内プロデューサーはいるかな?」
「はい、いらっしゃいますよ。えっと、そちらの方は――」
「高槻やよいです! 今日はお世話になります!」
「ああ、あなたが連絡にあった765プロの……こちらこそ、よろしくお願いしますね」

 目的のフロアに到着したところで、書類の束を両手に抱えたちひろさんが出迎えてくれた。
 連絡はちゃんと行っていたようで、元気に挨拶するやよいを見て、ちひろさんは笑顔で応対する。
 見て見ぬフリも出来ないので書類を運ぶの手伝うと、武内プロデューサーが待つ部屋にまで案内してもらうことになった。
 そして、ちひろさんの案内で武内プロデューサーの待つ部屋に到着すると、

「お待ちしていました。では、そちらの方が……」
「ええ、765プロの高槻やよいちゃんです……って、何してるんだ?」
「ううっ……わ、私もしかして、怖い人たちに売られちゃうんですか?」

 何を誤解したのか、俺の背中に隠れ、やよいはブルブルと子羊のように震えていた。
 困った顔で首に手を当てる武内プロデューサーを見て、「ああ……」と思わず納得する。
 ちひろさんも苦笑していることから、こういうことは前にもあったのだろう。

「大丈夫。この人は346プロのプロデューサーだ。見た目はゴツイけど悪い人じゃないから」
「そ、そうなんですか?」

 恐る恐るといった様子で、やよいは武内プロデューサーを見上げる。
 そんなやよいを見て、武内プロデューサーは頷きながらニコリと笑う。
 だが、その笑顔が余程怖かったのか、またやよいは俺の後ろに隠れてしまった。
 それから十分余り――
 ちひろさんの仲介もあって、どうにか誤解は解けたのだが、

「すみません。私、失礼なことをしちゃって……」
「いえ、よくあることですから、どうかお気になさらないでください」

 俺の前で何度も頭を下げ合う、やよいと武内プロデューサーの姿があった。


  ◆


「それで、今回は何を企んでいるんですか?」

 酷い誤解だ。
 訝しげな表情でそう尋ねてくるちひろさんに、俺は「何も」と答える。
 ただ、やよいを346へ連れてきたのには理由があった。

「ここなら歳の近い子もたくさんいるだろ?」
「……そういう趣味が?」
「いや、誤解だから。そういうことじゃなくて、なんていうか……」

 やよいは家庭のこともあって、休日に一緒に遊ぶと言った友達が少ない。
 勿論まったくいないと言う訳ではないが、どうしたらいいか本人もよく分かっていないようで、休日も家の手伝いばかりをしているそうだ。
 そのことで彼女の両親にも、以前から相談されていたのだ。
 特に父親の方は自分が原因だと思っているようで、相当に気に病んでいる様子だった。
 とはいえ、折角の休みに765プロの事務所へ行ったのでは、普段と変わりがない。

「ちょっと家庭事情が複雑な子でね。765プロの仲間以外とは、ほとんど交流のない子だから」
「……そういうことですか」

 俺の考えを察してくれたようで、ちひろさんは納得した様子で頷いて見せる。
 誤解が解けたようで何よりだ。俺は特殊な趣味はないからな。子供はあくまで愛でるものだ。
 あのタコ≠ニ一緒にされては困る。

「高槻やよいちゃん! 本物!? なんでなんで!」
「えっと、城ヶ崎莉嘉ちゃんだよね?」
「アタシのこと知ってるの?」
「うん。前にお姉さんと一緒にファッション雑誌にでてたでしょ? あれいいなーって思ってたから」
「でしょ! アタシもあの写真気に入ってるんだ。あ、じゃあじゃあ――」

 すっかりと打ち解けたようで、丁度プロジェクトルームにいた莉嘉と交流を深めるやよいの姿があった。
 莉嘉とは仲良くなれるんじゃないかと思っていたんだが、目論見は上手く当たったみたいだ。

「何を騒いでるんですか?」

 そうこうして見守っていると、ありすがひょっこりと顔を見せた。
 先程までレッスンを受けていたのだろう。肩にスポーツタオルを掛け、トレーニングウェアに身を包んでいる。
 あ、目があった。

「会長さん! 来てたんですか!?」
「ああ、うん」

 まるで俺がここにいると困ると言った大袈裟な反応だ。
 前から思っていたんだが、俺……ありすに嫌われてないよな?
 嫌われるようなことをした自覚はないんだが、どうも警戒されているというか、他人行儀というか……。
 俺自身は仲良くしたいと思っているのだが、なかなか心を許してはくれないんだよな。

「はっ!」
「なんだ? どうかし――」
「近づかないでください! それ以上、近づいたら悲鳴を上げます!」

 自分の姿を確認するように視線を落とすと、ありすは顔を真っ赤にして拒絶の意思を示す。
 え? なんで? まさか、そこまで嫌われてるのか!?
 ちょっと冗談抜きでショックなんだけど……。

「シャワーを浴びてきます」
「あ、うん。じゃあ、俺は――」
「ここで待っていてください。会長さんにはいろいろ≠ニ聞きたいことがありますから」

 そう言うと、ありすはシャワーを浴びに行ってしまう。
 気を利かせて俺は席を外そうと思っただけなんだが、一体どういうことなんだ?

「はあ……ちゃんと、ありすちゃんに謝っておいてくださいね」
「え? でも、なにがなんだか……」
「彼女も女の子≠ネんですから、いい加減な態度はいけませんよ」

 そう言って俺に注意をすると、ちひろさんも何処かへ行ってしまった。
 やよいと莉嘉の和気藹々とした声が響く中――

「……さっぱりわからん」

 取り残された俺は、ただ首を傾げるのだった。



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