どうして、こんなことになったのか?
俺は今、美嘉と舞九。それに楓の三人と一緒にカラオケボックスへきていた。
「止めるなら、最後までちゃんと止めてくれよ」
「喧嘩なら止めますけど、勝負がしたいというのなら止める理由はありませんから」
楓の言うように勝負で決着を付けたいと言われれば止める理由はない。
しかし一方的に舞九が喧嘩を売って、美嘉が押し切られたようなものだ。
美嘉が本気で嫌なら止めるべきかとも思ったのだが、
(こうして見ると、年相応の女の子なんだよな)
困ってはいるが、嫌がっている様子ではなかった。
それに、ここ最近の美嘉は傍から見ても少し頑張り過ぎと言うか、気負っている様子が見て取れた。
そこで良い息抜きになるかもしれないと考え、様子を見ることにしたのだ。
楓も口振りからして、最初からそのつもりで二人をカラオケに誘ったのかもしれない。
実際、第三者ということで勝負の内容を提案したのは楓だった。
「若いっていいですね」
「……その台詞、ちょっと年寄り臭いぞ。まだ、そんな年齢じゃないだろ」
「フフッ、これは一本℃謔轤黷ワしたね。では、生一本いただきまーす」
さりげなくダジャレを会話に挟みながら、お猪口に注がれた日本酒を一気に呷る楓。
ちなみに『生一本』と言うのは、単一の酒造で作られた純米酒を意味する言葉だ。
お酒の好きな人なら日本酒のラベルに書かれているのを一度は目にしたことがあると思う。
このカラオケボックス。楓が瑞樹たちとよく利用する店らしいのだが、酒とつまみのメニューが豊富なんだよな。
「……なかなか、やりますね」
そう口にしながらも悔しげな表情を浮かべる舞九。
それもそのはず。モニターには『七十八点』の文字が浮かんでいた。一方で先に歌った美嘉の点数は『九十二点』だ。
これは別に舞九の方が歌が下手と言う訳ではない。傍から聞いている分には、二人とも凄く上手かった。ただ、カラオケの採点機能は如何に上手く感情を込めて歌うかよりも、楽譜通りに歌えているかを競うものだ。その点で言えば美嘉も条件は同じはずだが、恐らく以前からカラオケで歌うのに慣れているのだろう。敢えて持ち歌で勝負をしなかったのも、舞九を甘く見てと言うよりは自分の癖≠ェ出にくい曲を選んだのだと思われる。
本来はその癖が歌手の持ち味≠ニなるのだが、カラオケの採点機能の前では邪魔になる。
案外、プロの歌手より素人の方が良い点数をだしたりするのは、それが主な理由だ。
「で、でも、舞九ちゃんも上手かったよ! カルティアさん本人が歌ってるみたいで!」
そう、美嘉の言うように舞九の歌は上手かった。しかし逆に言えば、上手すぎたのだ。
彼女は歌でも踊りでも、一度見たり聞いたりしたものは、相手の癖≠ワでも正確に再現することが出来る。
さすがは舞貴妃の娘、レセプシーの舞姫だと思わせる凄い才能だ。
だが、カラオケの採点機能の前では、その才能はあだとなる。
実際、少しの狂いもなく正確にカルティアの歌を再現した結果がモニターの点数に表れていた。
「……勝者の余裕ですか?」
しかし、美嘉の言葉を敗者への同情と受け取ったみたいで、舞九は小さな肩を震わせる。
その時――
「次は負けません……」
「えっと、まだやるの?」
「当然です。勝ち逃げなんて許しませんから」
あ、これ勝つまでやるパターンだと、俺と美嘉の心が一つになるのだった。
◆
結局あれから舞九と美嘉のカラオケ対決の決着が付いたのは朝だった。
「先生、香りに拘った志希ちゃん特製のブレンドティーが入ったよ」
「ああ……悪いな。おっ、本当に良い香りだな」
「でしょ。良い茶葉が手に入ったから試行錯誤してみたんだー」
鼻からスーッと身体に染み渡る甘い香り。これは果物の香りか?
どこかで嗅いだことのあるような香りだが、まあ……美味いなら、なんだっていいか。
正直、あれこれと考える気力がないくらい、いまの俺は精神的に疲れきっていた。
仕事がなければ、このままベッドにダイブしたいくらいだ。
「そんな疲れきった顔で帰ってきて、一体どこ行ってたの?」
「美嘉たちとカラオケにな……」
「ええー! 美嘉ちゃんだけずるい! なんで誘ってくれなかったの?」
志希に声を掛ければ、当然フレデリカも付いてくるだろう。
いや、それだけじゃない。そのまま二次会と称して、場所を移して宴会が再開されるだけだ。
ただでさえカオスな状況なのに、それは勘弁して欲しい。
一応、結果がどうなったかを説明しておくと、舞九と美嘉の対決は引き分けに終わった。
途中から美嘉を真似れば良いことに気付いた舞九だったが、美嘉の真似である以上、本人を超える点数がだせるはずもなかったからだ。
それでも敢えて勝者をあげるとすれば楓だろうか?
二人の対決が終わり、最後の最後にマイクを取ったかと思えば、あっさり最高点を叩き出して二人を驚かせていた。
考えてみれば、あの店を選んだのは楓だ。行きつけの店だという話だし、機械の癖を一番熟知しているのは彼女だろう。
本当に虚しい戦いだった。しかし仲良くなったとは言わないまでも打ち解けたようで、再戦の約束をしていたようだ。
もう俺は絶対にカラオケ対決には参加しないと、心に決めたのだが……。
瑞樹たちの宴会に巻き込まれるのが嫌でパーティー会場を抜け出したら、まさかこんな目に遭うとは思ってもいなかったからな。
「あれ……でも、たちって? 他にも誰か一緒だったの?」
「舞九だよ。あと楓が一緒だった。ちょっと、いろいろとあってな……」
「舞九ちゃんがきてるの? あ、そう言えば、そんなことを水子が言ってたようなー」
なんとなく馬が合うみたいで、水子と志希は仲が良い。
しかし、舞九がこっちへ来ることを知っていたなら教えて欲しかった。
そう言えば、美嘉も舞九のことを知っていたみたいだったしな。
一応、俺が商会の代表のはずなんだけど……まさか、除け者にされてないよな?
「先生、急に真面目な顔して、どうしちゃったの?」
「これから決済書類に目を通さないといけないんだ。邪魔するなら自分の研究室にでも行ってろ」
なんとなく不安に駆られながら、俺は目の前の仕事に意識を集中するのだった。
◆
「……賞品を貰いにきた?」
「はい」
翌日、楓が俺のもとを訪ねてきた。
なんでもカラオケ勝負の優勝賞品を貰いにきたと言うのだが、まったく身に覚えがない。
そもそも、あの勝負に楓は参加していたのか? 舞九と美嘉の対決だったんじゃ……。
「宇宙、秘密」
楓が何気なく口にした言葉に、俺はピクリと眉を動かす。
声を上げて驚かなかった自分を褒めてやりたい。
楓には、あっちのことは教えてなかったはずだが、どうして?
「興味深い話をされていたみたいなので、少し気になってしまいました」
頬に手を当てながら、そう話す楓。
まさか、脅す気か? 最初からそれが狙いで、俺たちに近づいてきた?
いや、ないな……。
「はあ……何が狙いだ?」
「もう少し驚いてくれるかと思いましたが……『脅迫する気か!?』とか言わないんですか?」
「信じてるからな。お前は、そういうことをする奴じゃないだろ?」
楓とはそれなりに長い付き合いだが、そういうことをするような性格でないことはよく知っているつもりだ。
違ったなら、俺の見る目がなかったと言うだけの話。少なくとも、俺は楓を信じている。
そんな俺の言葉が余程意外だったのか、一瞬きょとんとした表情で呆けると、楓はクスクスと笑い出した。
「はい、冗談です。実は最初から知っていましたから」
「は? ちょっと待て、いつから……」
「今度は驚いてくれましたね」
そりゃ、驚くだろう。そんな素振りは一度も……。
「つい最近のことです」
一ヶ月ほど前、居酒屋で水子がレセプシーのことを話しているのを耳にしたのだそうだ。
美嘉が知っていたのは、それでか。情報漏洩の原因が水子と知って、思わず納得してしまう。
鬼姫の下で働く優秀な女官のはずなのだが、こうした大ポカをやらかすことがあるんだよな。
ただ、そのミスを補って余りあるほどの能力の持ち主で、実は三人のなかで一番総合能力は高く、その実力は水穂に迫るほどだという話だ。
その上、柾木家の皇眷属筆頭。遥照が地球で作った現地妻の曾孫という、限りなく直系に近い血筋の持ち主でもある。
血統は折紙付き。能力も優秀だが、目の届くところに置いておかないと不安な逸材。それが正木水子だった。
「もっとも確信を得たのが先日と言うだけで、最初から不思議には思っていました」
「疑惑は持たれていたってことか……。まさか、他の二人も……」
「安心してください。ちゃんと誤魔化しておきましたから」
瑞樹と早苗の二人にもバレてるんじゃと思ったが、そこは楓が否定する。
誤魔化すために別の意味で誤解を招いた、と気になる話を付け加えるが、そこは深く追求するのが躊躇われた。
聞かない方が身のためと言った感じで、楓が笑みを向けてきたからだ。
「まあ、大丈夫だとは思うけど、このことは……」
「はい。誰にも言うつもりはありません。恩を仇で返すような真似は出来ませんから」
「……恩?」
俺は首を傾げる。楓に感謝されるようなことをした覚えはなかったからだ。
しかし、そんな俺の反応を見て、楓は「わかりませんよね」と小さく笑う。
「教えてくれる気は……なさそうだな」
「秘密です。どうしてもと言うのなら、ご自分で思い出してみてください」
気にはなるが、そう言われると無理に聞き出すような真似も出来ない。
女の秘密をあれこれと詮索するものじゃないと、村の人たちにも言われてるしな。
特に柾木(正木)の男子は、女性関係で悩みやトラブルを抱えてる者が多い。
前例に倣い、敢えて藪をつつくつもりはなかった。
「で? そのことを伝えるために態々?」
「いえ、先程も言ったようにカラオケ対決の優勝賞品を貰いにきました」
「それ、口止め料って言うんじゃ……」
物は言いようだ。
追い返したところで楓は誰にも話さないだろうが、ここは素直に従って置くべきか。
俺の勘が、そう告げていた。
「で? 何が欲しいんだ? ……酒か?」
「それも魅力的な提案ですけど……」
神樹の酒の一本でも渡せば、食いついてくるかと思ったのだが、予想外の反応を見せる。
そして、俺の予想に反して楓が望んだものは――
◆
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
俺は今、守蛇怪・零式の船内で舞貴妃と舞九の二人と会っていた。
舞九だけでなく舞貴妃も一緒に地球へ来ているとの話だったので、水穂に連絡して船に寄越してもらったのだ。
「それで、私たちに話があるとのことでしたが……」
「ああ、年越しライブに舞九ちゃんも出て欲しいんだ。891の新人アイドルとして」
俺の提案に少し驚いた様子を見せる二人。
何故、俺がこんな提案をしたかと言うと、それが楓がだしてきた条件だったからだ。
なんで、そんな条件をだしてきたのかはわからない。しかし舞九に対して、何やら感じるところがあったようだ。
「年明けには移籍を公表することになるんだ。早いか遅いかの違いでしかない。それに、どうせなら大きな舞台に立ちたいだろう?」
新人アイドルのステージと言えば、ショッピングモールやデパートの屋上と言った場所を確保してのミニライブが基本だ。
下積みもなしに最初から大きなイベントを企画したところで、顔や名前も知られていないアイドルにそこまでの集客率は期待できないからだ。
それに経験のないアイドルを無理に大きな舞台に立たせても失敗に終わる確率が高い。その失敗が糧となればいいが、心の傷となるケースも十分に考えられる。
アイドルと言えば年若く多感な年頃の少女が多いだけに、そのあたりの配慮が事務所やプロデューサーには求められると言うことだ。
しかし地球では知られてないとは言っても、レセプシーで舞姫を務める舞九の実力は本物だ。
彼女なら大きな舞台でも臆することなく、与えられた仕事をやりきるだろうという実績と信頼がある。
楓に頼まれたからと言うだけじゃない。俺自身、舞九なら大丈夫だと思ったからこその提案だった。
「……どうしたいですか?」
「やります」
舞貴妃の問いに、一切の躊躇なく答える舞九。
断られたら諦めるつもりだったが、負けん気の強い彼女の性格なら断れることはないだろうとも思っていた。
となると、346にも頭を下げに行かないとダメだな。
もう既にライブの準備が始まっているところに、急な予定変更だ。
ねじ込むことが不可能ではないとはいえ、小言の二、三は覚悟しないといけないだろう。
「一つ、お聞きしてもいいですか?」
「ああ、無理を言ってるのは、こっちだしな。なんでも聞いてくれ」
「では……彼女は何者ですか?」
そう舞九は、俺に尋ねてくる。
誰のこと言っているのか、わからないわけじゃない。楓のことだ。
美嘉に対抗心を燃やしているように、舞九は楓に対して強い戸惑いと驚きを覚えている様子だった。
お遊びの勝負とはいえ、あっさりと楓に負けたことが余程ショックだったようだ。
「高垣楓。日本を代表するアイドルの一人だ。カルティアに負けず劣らずな」
「カルティア姉様に……」
ちょっと言い過ぎかもしれないが、俺は楓がカルティアに劣っているとは思っていない。
実際、346に所属するアイドルのなかでは、断トツの人気を誇るのが彼女だ。
日本を代表するアイドルと言えば? と聞かれると、必ず名前が挙がるアイドルでもある。
舞九はカルティアを慕っているというか、尊敬している節があるだけに驚きを隠せない様子が見て取れる。
だから、だろうか?
「……負けません。次は絶対に負けませんから! そう、あの人にも伝えてください!」
瞳に闘志を漲らせ、そう舞九は宣言するのだった。
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