昨晩、月の周辺にエネルギーポケットの発生を感知した。
 所謂、亜空間へと通じる次元の穴だ。
 最初はタコが仕掛けてきたのかと思い、船に連絡を取ったのだが――

「船体に異常はなしか」

 水穂の話によると、一時的に亜空間に呑まれはしたものの現在は通常空間に復帰。
 引き続き調査をしているが、現在のところは特に異常は見られないとのことだった。
 エネルギーポケットが自然に発生する可能性はゼロとは言えない。
 特にある事情≠ゥら地球周辺の空間は乱れていて、次元ホールが発生しやすい環境にある。
 そのため、ただの事故とも考えられなくはないのだが――

「零式の様子がおかしい、か」

 アイツがおかしいのは今に始まったことではないが、水穂の話は気になる。
 なんでもエネルギーポケットが発生した際、苦しげな顔で妙なことを口走っていたらしい。
 だが、零式はそのことを覚えていないのだとか。
 気になって俺の方からも零式に通信で尋ねてみたが、特に変わった様子は見受けられなかった。
 しかし、それだけに――

「怪しいんだよな」

 疑わしいところがない。逆にそれが怪しいと言うのが、俺が零式に覚えた感想だった。
 どういうことかと言えば、受け答えに淀みがない。素直すぎるのだ。
 はっきり言って、製作者の性格が悪い影響を与えたのじゃないかと思うくらい零式の性格は歪んでいる。
 それだけにいつもの零式なら、これが何者かの策謀であれ事故であれ、原因を突き止めようと騒ぎを起こすことは目に見えていた。
 なのに、それをしようとしない。これには違和感を覚える。

「一回、オーバーホールした方がいいかもな」

 マッドに頭を下げるのは嫌だが、零式におかしなところがあるのなら早めになんとかしておきたい。
 俺の方でも船のメンテナンスは可能だが、マッドのところの方が技術的・設備的な面で最適な環境が整っている。
 こちらの調査で何も出て来ない以上、一度はオーバーホールを兼ねて精密検査を受けさせておくべきだろう。
 船が病気になると言うことはないだろうが、なんにでも興味を持つような奴だし、妙なバグが発生している可能性がある。

「出来るだけ早い方がいいけど、まずはこっちが先か」

 執務机の上に置かれた決裁書類の山に目をやり、俺は仕事の続きに取り掛かる。
 年越しライブの開催まで、残り二日を切っていた。


  ◆


「はい。では、そのように各所へ連絡を」

 一仕事を終え、今日はリハーサルがやっていることを思い出し、皆の様子でも見ようとメイン会場へ足を運ぶと、スタッフと打ち合わせをする林檎の姿を見つけた。
 ここは実験都市のなかでも最大の規模を誇るドーム型のイベント会場だ。
 他にも大小様々な会場が街には設けられており、それぞれのステージでテーマに応じた催しが開かれる予定となっている。主役はあくまでステージに立つアイドルたちだが、なかには都市の開発に参加している企業の出店やミニイベントも多数企画されているため、街全体がお祭りムード一色と言った様相を醸し出していた。
 しばらく様子を見守っていると、こちらに気付いたようでスタッフに別れを告げて林檎がこちらへ近付いてきた。

「悪い。邪魔をするつもりはなかったんだけど」
「いえ、ちょうど確認作業を終えたところですから、お気になさらないでください」
「進捗状況は?」
「概ね、予定通りに進んでいます。それで、船の方は……」

 林檎も船のことが気になっていたのだろう。
 そう尋ねてくる林檎に、俺は首を横に振って答える。

「まだ次元ホールの影響が残っているみたいで、通信はともかく転送装置は使えそうにない」
「そうですか……」

 林檎は肩を落として溜め息を吐く。
 昨夜発生したエネルギーポケットが原因と思われるが、地球周辺の空間に揺らぎが発生していて転送装置の類が使用できない状態にあった。
 零式の様子がおかしいことも気に掛かるが、目下一番の問題は転送装置が使えないことだろう。
 とはいえ、

「転送装置が使えないのは不便だけど、必要なものは大方運び終えてるんだろ?」
「はい。幸いなことに必要な物資の運び込みと人員の配備は済んでいたので大きな影響はありません。ですが、水穂様がまだ……」
「ああ……」

 移動にシャトルを使うにしても、この状況では安全が確認できるまでは、水穂も船から動くことは出来ないだろうしな。
 それに地上だけでなく空にも警戒をする必要があるため、零式には宇宙で待機してもらう必要がある。
 まだタコの仕業でないと決まったわけではないので、ここで警戒を緩めるわけにはいかなかった。
 しかし、そうなると問題なのが明後日予定されている実験都市でのイベントだ。
 本来、現場の指揮は水穂が執る予定となっていたそうで、いまは林檎がそれを代行しているわけだ。

「イベントの運営だけなら問題はありません。ですが瀬戸様からお借りした女官の指揮もあります。やはり私には荷が重いかと……」

 俺はそうは思わないんだけどなあ……。
 林檎だって、あの鬼姫の下で経理部のトップとして長年大役を任されてきた人物だ。
 専門の違いはあるかもしれないが、水穂に大きく劣っているとは思えない。

「困ったことがあったら、俺もフォローする。だから頑張ってみてくれないか?」
「太老様……」
「不安なのはわかる。でも、きっと林檎さんなら大丈夫。だから、もっと自信を持ってくれ」

 本当に無理だと判断したのなら、多少の危険を冒してでも水穂はこっちへきたはずだ。
 それをしないと言うことは、林檎を信頼しているからに他ならないと俺は思う。
 少なくとも素人の俺が指揮を執って現場を混乱させるよりかは、林檎に任せた方が安心できる。

「……わかりました。太老様がそこまで仰ってくださるのなら、その信頼に応えてみせます!」

 そう言って気合いを入れる林檎を見て、出来る限りのフォローはしてやろうと俺も心に誓うのだった。


  ◆


「やっと、終わった……」

 端末に最後のデータを打ち終えると、バタンと机に突っ伏す水子。
 レセプシーにチケットを横流しした罰として仕事を言い付けられて一ヶ月。ほとんど寝ずにノルマをこなした甲斐があって、どうにかイベントまでに間に合わせることが出来た水子は死屍累々と言った様相を見せていた。それもそのはず、これで与えられた仕事を期間内に終わらせることが出来なければ、もっと過酷なノルマを課される恐れがあったため、死ぬ気で頑張ったのだ。

「で、でも……これで一日はぐっすり休めるはず」

 まだイベント当日の仕事が残っているが、準備は粗方終えた。
 これで一日はゆっくりと休むことが出来ると、おぼつかない足取りで部屋に戻ろうとした、その時だった。
 バン! と大きな音を立て、執務室に入ってくる人影。

「林檎ちゃん?」

 それは立木林檎だった。
 また何かやらかしたっけ、と我が身を振り返る水子だが心当たりがない。
 しかし、それにしては林檎の様子がどこかおかしい。
 そのことから恐る恐ると言った様子で、水子は林檎に声を掛ける。

「あの……どうかした……したんですか?」
「船の件は聞いていますか?」
「ああ、なんか転送装置が使えなくなったって……」

 水子が知らないはずもない。
 その件で余計な仕事が増え、本当なら昨夜には終わっていたはずの仕事が今日の夕方まで掛かったのだ。
 何があったのかはしらないが、これが事故ではなく故意であるなら、原因を作った人物には憎しみすら抱いているほどだった。

「水穂様が当日の指揮を執ることが出来なくなりました」
「それは大変ですね」
「そこで代役として、私が指揮を執ることになりました」
「はあ……」
「これから事情を説明するため、346プロの方々を交えて対策会議を開きます。あなたは私の補佐役として一緒についてきてください」
「え……はい!?」

 仕事を終え、ようやく休めると思ったところに落とされた爆弾に、水子は顔を真っ青にして声を上げる。
 さすがに冗談ではないと反論しようとする水子だったが、

「太老様にお願いされました」

 あ……これはダメだと悟りを開く。
 林檎のスイッチが完全に入ってしまっていると理解したからだ。
 こうなったら彼女の上司――神木瀬戸樹雷でも止めることは難しい。
 そして本来なら、ストッパー役を務める水穂もここにはいない。

「では、行きましょうか」
「ちょっ! 林檎ちゃん!? 私、いま仕事を終えたばっかりで――」

 それでも水子は必死に抵抗を試みる。
 ここで林檎の暴走を許せば、待っているのは地獄への片道切符だ。
 だが、そんな水子の必死の抵抗は聞き入れられるはずもなく――

「死ぬ! これ以上は過労死しちゃうから! 音歌、風香、たすけてええええッ!」

 水子は涙を流しながら助けを呼ぶのだった。


  ◆


 自分の番のリハーサルを終え、ありすが休憩を取っていた時のことだ。

「……何かあったんでしょうか?」

 ありすはタオルで汗を拭いながら、独り言を呟く。
 昨日まではそんなことはなかったのだが、いまは携帯電話で確認のやり取りをしているスタッフが多く見られる。
 そして、よく周囲を観察してみると、現場で指揮を執っていた上の人間が軒並みいなくなっていた。
 何か、緊急の会議でも入ったのだろうか?
 と訝しみながら、太老特製ジュースの入ったドリンクのストローに口を付けた、その時だった。

「気になる?」
「きゃっ!」

 可愛らしい声を上げるありすを見て、志希は悪戯が成功したとばかりに笑みを浮かべる。
 そんな志希に、ありすは「驚かせないでください」と不満げな顔で答える。
 そして、

「何か知ってるんですか?」

 訝しげな表情で、ありすは尋ね返した。
 気になる? という聞き方をしてくるからには、何か事情を知っていると察したからだ。
 志希も特に隠すつもりはないのか、そんなありすの問いにあっさりと答える。

「まだ、あたしも詳しいことは聞いてないんだけど、船でトラブルがあったらしいよ」
「船? 会長さんのですか?」

 船と言われて、真っ先にありすの頭を過ぎったのは守蛇怪・零式だった。
 以前、文香と共に迷い込んだ太老の所有する宇宙船だ。
 あの時のことは一生忘れられないだろうと、ありすは思う。

「それで水穂さんが来られないらしくてね。急遽、現場の指揮を執る人が交代になっちゃったから」
「なるほど、それでですか」

 それなら、この混乱も納得がいくと、ありすは頷く。
 とはいえ、346もそうだが、891には優秀なスタッフが多い。
 少し気になっただけで、そこまで深く心配しているわけではなかった。
 それに――

「会長さんは、こちらへいらしてるんですよね?」
「うん? 先生なら昨日から、こっちにきてるけど?」

 なら大丈夫だ。
 少なくとも太老がここにいるなら、すぐにこの混乱も収まるだろうと、ありすは考える。

「もしかして、先生がいるって聞いて安心した?」
「そ、そんなんじゃありません! ですが、あれでも会長さんですし、仕事は出来る人と信頼はしていますから……」

 志希の勘違いを察して、ありすは顔を真っ赤にして否定する。
 そんなありすの反応を見て、ニヤニヤと志希は微笑みながら、

「だって、先生」

 ありすの後ろに立つ、背広姿の男に声を掛ける。
 慌てて後ろを振り返るありす。
 すると、ポリポリと困った顔で頬を掻く太老の姿があった。

「い、いつからそこに?」
「『船でトラブルがあったらしいよ』ってあたりから?」
「最初からじゃないですか!? いるなら一声かけてください! 乙女の話を盗み聞きするなんて最低です!」

 ありすの剣幕に気圧され、悪かったと頭を下げる太老。
 声を掛けるタイミングを逸しだけで悪気はなかったのだが、それでも盗み聞きをしたことは確かだ。
 相手が子供であろうと、こういう時の女性には逆らわない方がいいと太老は経験で悟っていた。
 その証拠に――

「いま、私のことを子供っぽいと考えませんでしたか?」

 そう言ってジト目で睨んでくるありすを見て、鋭い――と太老は冷や汗を掻く。
 小さくとも相手はレディ≠セ。迂闊な発言は身を滅ぼす。
 黙ったまま何も答えない太老を見て、ありすは溜め息を一つ吐く。
 そして、

「もう、いいです。私だって、少しは成長してるんですから……って、どこ見てるんですか!? 身長の話ですよ!」

 これには、さすがに「濡れ衣だ!」と叫ぶ太老。
 そんな兄妹のようにじゃれ合う二人の様子を観察しながら、志希はスマホを手に持ち――

「うん、良い感じに撮れてる。美嘉ちゃんに送ってあげよっと」
「――ッ! 何、勝手に撮ってるんですか!?」

 火に油を注ぐのだった。



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