「なるほどー。ふむふむ、そんなことがー」

 皇家の樹の生体端末もとい『マシュマロちゃん』略して『マロちゃん』と、楽屋裏で世間話をする少女の姿があった。
 彼女の名は依田芳乃。同じ事務所に所属する鷹富士茄子や、891プロの白菊ほたると共に――
 コラボ企画で誕生した『確率☆ラヴァーズ』というユニットを組んでいる346プロのアイドルだ。

「芳乃ちゃん。マロちゃんの言ってることわかるの?」

 出番を終えて楽屋に戻ると、そんな彼女の姿を見つけ、小日向美穂は気になって声を掛ける。
 すると芳乃は首を縦に振り、

「『みんな守る』と、マロ様は仰っていましてー」
「そ、そうなんだ……」

 自分で聞いておいてなんだが、突然『守る』と言われてもどう反応していいかわからず、美穂は困り顔で言葉を返す。
 芳乃の腕に抱えられたマロをじっと見詰めるが、その表情からは何も読み取ることは出来なかった。
 しかし、芳乃が適当なことを言っているとは思えない。
 不思議な子ではあるが、人を騙したりするような子ではないと、美穂は芳乃のことを信じていた。
 それに、

(芳乃ちゃんが嘘を吐くはずもないし、この子も少し変わってるけど……)

 マロのつぶらな瞳を見ていると、自然と顔がほころんでいく。
 何から守ってくれるのかとか、この子に何が出来るのかとかはわからない。
 それでもマロが自分たちに好意を寄せてくれていることだけは、美穂にも感じ取ることが出来た。

「えへへ……」

 そんな応援してくれる小さなファンを嫌いになれるはずもない。
 すっかり魅了された様子で、とろけた顔でマロを撫でる美穂。
 その触り心地に癒されていると、

「きゃっ!」

 ふと何かに反応した様子でマロが飛び跳ねた。
 器用に床に着地すると、ぴょんぴょんと跳ねて出入り口の方へと向かうマロ。
 すると、

「わっ! マシュマロちゃん?」

 扉を開けて楽屋へと入ってきたフレデリカの頭に跳び乗った。
 そんなマロの喜ぶ姿を見て、「やっぱりフレちゃんには敵わないか」と残念そうに美穂は苦笑する。

「もう、よろしいのでしてー?」
「うん。マシュマロちゃんの相手してくれてありがとねー」
「むしろ御礼を言うのは、こちらの方でしてー」
「ん? どういうこと?」

 マロを預かってくれた御礼を口にすると、逆に御礼を言われてフレデリカは首を傾げる。
 実のところ、フレデリカの次にマロが良く懐いているのが芳乃だった。
 それで度々、芳乃にマロの相手をお願いしていて、今回もリハの間あずかってもらっていたのだ。

「マロ様のお世話をするのは、とても名誉なことでしてー」

 芳乃だけは、何故かマロのことを『マロちゃん』ではなく『マロ様』と呼ぶ。
 そのことを不思議に思いながらも、「ま、いっか」と軽く受け流すフレデリカ。
 聞いてもわからないことは気にしない。その大雑把なところが彼女の持ち味でもあった。
 だからこそ、マロとも仲良くやれているのだろう。
 そして、「どんな話してたの? そっか、遊んでもらってたんだ。よかったね」と――
 マロと極自然にコミュニケーションを取るフレデリカに、美穂は芳乃にしたように尋ねる。

「フレちゃんもマロちゃんと話が出来るの?」
「んー、なんとなくだけどねー」
「そ、そうなんだ……」

 芳乃だけでなくフレデリカもマロが何を言っているのかわかると知って、美穂は「もしかして、わからないのは私だけ?」と真剣に思い悩む。
 まあ、実際にマロの言っていることがわかるのは346ではこの二人くらいなのだが、そのことを美穂が知る由もなかった。
 そんな美穂の隣で、フレデリカはマロを頭に乗せたまま「あっ」と何かを思い出したかのように声を上げる。

「シキちゃん見なかった?」
「ううん、見てませんけど……どうかしたんですか?」
「姿が見えなくて、ミカちゃんがカンカンなんだよねー」

 この後、リハーサルで気付いたことをミーティングで話し合う予定になっていたのだが、志希の姿が見当たらなく美嘉が捜しているとフレデリカから話を聞いた美穂は「ああ……」と納得した様子を見せる。猫のように飽きっぽい性格をしているため、興味の薄いことには集中力が持続せず、ふらふら〜っと姿を消す志希の放浪癖は事務所でも有名な話だったからだ。
 その度に美嘉があちこちと志希を捜し回っている姿を目にしているので、346にいれば馴染んだ光景だ。

「あ、でもそういうことなら……」

 期待の籠もった眼差しを、美穂は芳乃に向けるのだった。


  ◆


「おっぱい小さいこと気にしてたんだー。大丈夫、菜々ちゃんと違って、ありすちゃんには未来があるから!」
「き、気にしてません! というか、全然慰めになってませんし、余計なお世話です!」

 本気で慰めているのかわからない志希の言葉に、ありすは余計なお世話だと反論する。
 しかし、明らかに動揺している様子だった。まあ、多感なお年頃という奴だろう。
 とはいえ、志希の言うように彼女には未来がある。
 菜々のように年齢を偽っているわけではなく、成長期の真っ只中だ。そう焦らずとも数年先には――

「じー」

 心の声を察したようで、訝しげな目でありすに睨まれた。

「はあ……もういいです。そんなことより、こんなところでサボってていいんですか?」

 ありすがなんのことを言っているのかを察する。
 水穂のことを志希から聞いていたみたいだしな。不安に思うのも無理はないか。
 とはいえ、

「うちには優秀なスタッフが大勢いるしな。俺がいなくても大丈夫、大丈夫」
「少しでも会長さんに期待した私がバカでした。私の信頼を返してください」

 林檎がいるので、俺はそれほど心配をしていなかった。
 下手にでしゃばるより、林檎に任せておいた方が上手く行くと俺は確信を持っている。
 出来ることは出来る人間に任せ、余計なことはしない方がいい。
 無責任と言われるかもしれないが、それが俺のやり方だ。

「それを言われると辛いんだが、俺も皆のことを信頼してるからな」
「……その言い方は狡いです」
「ダメだった時は、俺が責任を取れば済む話さ」

 それでもダメな時は、俺が責任を取る。
 例え、お飾りであろうと組織の代表をやっている以上は、その程度の矜持や覚悟は俺にもある。
 だから心配する必要はないと伝えようとしたのだが、

「ダメです」

 ありすの一言に遮られた。

「会長さんが責任を取るようなことにはなりません。このライブは絶対に成功させてみせますから」

 有無を言わせない表情で真っ直ぐに俺を見据え、ありすははっきりとそう断言する。
 失敗することなど微塵も考えていないと言った顔だ。
 ライブを絶対に成功させる。そんな強い意気込みが感じ取れた。

(そっか。そうだよな)

 そんなつもりはなかったのだが、デリカシーのない一言だったと反省する。
 失敗した時のことなんて考えるだけ無駄。俺一人が責任を取ったところで、埋め合わせの出来るような話じゃないからだ。
 ライブを成功させるため、必死に頑張っている彼女たちからすれば、例えもしも≠フ話だとしても、俺の口からそんな弱音を聞きたくはなかったのだろう。
 彼女たちは遊びでステージに立っているわけではない。それぞれに目標があり、夢がある。
 怒るのは当然。真剣であれば、尚更だ。となれば、俺に言えることは一つしかない。

「約束する。必ず、ライブを成功させよう。皆の力で――」

 勿論、最初から失敗するつもりなどなかったが、これで万が一つにも失敗は許されなくなった。
 俺の答えに満足したのか、ありすは「当然です」と胸を張る。
 そんな彼女を見て、小さくともプロなんだなと感心させられる。その時だった。

「ん?」

 何かの気配を感じて顔を上げると、空から丸い物体が降ってきた。
 咄嗟に手でキャッチすると、その物体は俺の腕のなかでプルプルと震え出す。
 それは――

「お前、一体どこから……」

 そう、フレデリカに預けている〈皇家の樹〉の生体端末だ。
 久し振りに俺と会えて嬉しいのか?
 身体を擦りつけて甘えてくる〈皇家の樹〉を優しく撫でててやる。
 しかし、こいつがここにいると言うことは、フレデリカも近くに――

「でしてー」

 でして?
 声のした方を振り返ると、俺の服の裾を掴む一人の少女がいた。
 見覚えがある。確か、ほたるとユニットを組んでいる――

「依田芳乃ちゃん?」
「芳乃で構いませぬー。神気を纏いし、尊き御方なればー」
「はあ……で、芳乃ちゃんは、どうしてここに? フレデリカは一緒じゃないのか?」

 変わった子だなと思いつつ尋ねてみると、空いている方の手で芳乃は指さす。
 その指先を確認しようとした、その時だった。

「あ」

 と、声を上げて席を立つ志希の腕を、俺は咄嗟に掴む。

「何処へ行く気だ?」
「これからリハがあって……」
「もう練習は終わったって言ってたよな?」

 怪しい。少なくとも俺の勘が何かあると囁いていた。
 そして、そんな俺の勘を裏付けるように、

「みーつけた」

 志希の背後より忍び寄る影。
 ガシリと志希の肩を掴み、姿を見せたのは――

「もう、逃がさないわよ」

 鬼を背に、強張った笑みを浮かべる美嘉だった。


  ◆


「いい!? 本番は明後日なんだから、もう絶対にさぼったらダメだからね! 明日は全体リハだってあるんだから!」

 助けてとばかりに視線を向けてくる志希に、俺は諦めろと首を横に振る。
 あれから楽屋に戻った志希は美嘉に正座をさせられ、リハの後のミーティングをサボった件の説教を受けていた。
 こればかりは擁護できない。ありすも駄目な大人を見るような冷ややかな目で、志希を見ている。

「それにあんな写真まで送りつけてきて、奏と周子に変な目で見られて、誤解を解くのが大変だったんだから!」

 だが、志希が叱られて、そこで終わりとは行かなかった。
 我を忘れ、思わず口にしてしまった言葉に気付き、「あっ」と声を上げる美嘉。

「……あんな写真?」
「……まさか」

 俺とありすの声が重なる。志希が撮った写真の存在を思い出したからだ。
 てっきり阻止したかと思っていたが、美嘉の様子を見る限りでは既に送信された後だったのだろう。
 ありすが小さく肩を震わせているのを見て、必死に誤魔化そうとする美嘉だったが――

「でも、美嘉ちゃん。小さい子が好きでしょ? みりあちゃんと撮った写真を、ニヤニヤ眺めてるところを前に見たことあるし」
「ちょっ、なに言って!?」

 何気なく口にした志希の言葉を耳にしたありすは、そっと美嘉から距離を取る。
 恐らくは身の危険を感じての行動だと察することが出来た。
 美嘉もそのことに気付いたようで、慌てて誤解を解こうと動く。
 だが志希は、

「別に恥ずかしがるようなことでもないと思うけど? 先生も子供好きだしね」
「そこで、なんで俺に話を振る!?」

 このタイミングで、俺に話を振る。そして、

「やっぱり……」

 と、ありすは胸を両手で庇いながら後ずさる。
 子供好きという点は否定しないが、こればかりは俺も黙っているわけにはいかなかった。
 美嘉とアイコンタクトを交わし、協力して誤解を解こうと行動に移すが、

「なになに、なんの騒ぎ? あ、お兄ちゃんだ!」
「美嘉ちゃんもいる! なんの遊び? みりあもまぜてー!」

 間の悪いことは続く。
 騒ぎを聞きつけてやってくる莉嘉とみりあ。
 二人に迫られ、ありすの誤解を解こうとしていた俺たちは出端を挫かれる。

「なんの騒ぎですの?」
「あ、会長さんだ!」

 そして出入り口の方から聞こえてくる桃華と薫の声。
 自分たちの出番を終え、次々に楽屋へと集まってくる子供たち。
 なんでこんな時に――と、タイミングの悪さを呪う。

「……よかったですね。モテモテで」

 そう言って楽屋を立ち去るありすを、俺と美嘉は何も出来ずに見送るのだった。



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