景色に溶け込むように姿を隠し、宇宙から地上の様子を窺う一隻の船があった。
三十年ほど前に試作艦が建造され、現在GPの主力戦艦として配備されている戦闘艦『春牙』だ。
もっとも、悪趣味な改造が全体に施されていることもあってか、一目ではGPの船とわからない姿になっていた。
「フンッ!」
その艦橋で、無数のデータが並ぶモニターを睨み付けながら、不快げな表情で鼻を鳴らす老人。
彼こそ、太老に手紙を送りつけた張本人、Dr.クレーその人だった。
何かと鷲羽と比較されがちな彼だが、科学者としての自身の腕と頭脳には絶対の自信を持っていた。
根拠のない自信ではない。クレーの保有するパテントの数は、アカデミー出身の哲学士のなかでもトップクラスだ。
少なくとも彼自身は鷲羽のことをライバルだと思っているし、鷲羽に劣っているとは露程も思っていない。
鷲羽が表舞台から姿を消した数千年の間にも、それだけの実績を打ち立ててきた自信が彼にはあった。
だからこそ、不快でならない。
「まさか、ここのシステムで解析しきれないものがあるとは……さすがは鷲羽の弟子と言ったところか」
己に分からないもの。解析しきれないものがあるということが、彼には信じられなかった。
しかも、それが鷲羽の弟子――あの正木太老の持ち物となれば、尚更だ。
侮っていい相手でないことは理解している。それでも鷲羽の弟子に自身が劣っているなどと認めたくはない。
「くッ! 忌々しい!」
過去の出来事を思い出し、端末に拳を叩きつけるクレー。
鬼の寵児の名を世に知らしめることになった事件。クレーと協力関係にあった軍≠フ幹部も、その事件で大勢逮捕された。
だが、そんなことはクレーにとってどうでもいいことだ。GPだろうと海賊だろうと、彼にとってはビジネスの相手に過ぎない。
金蔓を何人か失ったくらいで、良心の呵責に悩まされることもない。
許せないのは、あろうことか鷲羽の弟子に虚仮にされ、『変態』や『ロリコン』と言ったレッテルを貼られたことだ。
――あ、テレビにでてたおじちゃんだ!
――しっ! 目を合わせちゃいけません!
街を歩けば、子供に後ろ指をさされ――
取り引きの相手からは接待≠ニ称して、ドレスで着飾った幼子の歓待を受ける始末。
誤解だと喚いたところで、「わかっているから」と言った生温かい目を向けられたことは一度や二度ではない。
あの忌まわしい事件から十数年。いまやクレーの名は『ロリコン』の代名詞と呼ばれるほどになっていた。
それもすべて正木太老の所為だ。
「だが、まあいい。ここまでお膳立てしてやれば、あんな連中でも少しは役に立つだろう」
ここで冷静さを失えば、あの時の二の舞だと考え、クレーは必死に怒りを抑える。
あんな連中と言うのは、クレーと同じく太老やその関係者に煮え湯を飲まされたことがある者たちのことだ。
だが、クレーはそんな彼等のことを一度として仲間≠セと思ったことはなかった。
哲学士とは、時代の変化と共にある。常に新しいものを求め、自身の研究に生涯を捧げた者たち。それが哲学士だ。
一方で彼等は時代の変化についていけない愚かな人間たちだと、クレーは考えていた。
「滑稽な話だ。変化を求められているのは、海賊だけではないと言うのに――」
既にGPは九羅密美守の下で再編が進められ、ここ十数年でガラリと様相が変わっている。
変革についていけず、古い体制にしがみつこうとする者に居場所などあるはずもない。
そして、その怒りを地球に――原因の一端を作った太老と西南に向けようというのだから救いようがない。
だが、クレーからすれば都合がよかった。
そんな彼等の復讐心を利用するのは容易いことだったからだ。
「奴の力は敵意≠ノ反応することがわかっている。ならば、逆にそれを利用してやればいい」
あれから十数年。クレーは無為に時を過ごしていたわけではない。
太老に復讐をするため、彼の持つ力を探り、ずっと研究を重ねてきたのだ。
樹雷でもトップシークレットとされているが、太老が九羅密美星や山田西南のように確率に偏り≠持つ人間であることをクレーは知っていた。
そして、その能力が自身に向けられた敵意≠ノ反応して、因果を逆転させるものであることまで掴んでいたのだ。
仕組みさえわかれば、対策を取るのは難しいことではない。そのための海賊たちだ。そして――
「お前にも役立ってもらうぞ」
『はい。博士』
そう話すクレーの視線の先には、青い髪の少女――零式の姿が映っていた。
◆
MEMOLとは、実験都市の中枢機能を司るメインコンピューターのことだ。
ARにせよ、タチコマにせよ、正木商会が公表している技術の大半は、地球でも再現可能なものを厳選している。
しかし秘匿されている情報の中には、現在の地球の科学力では再現の出来ないものがある。
その一つが、異世界と宇宙のテクノロジーによって生み出された複合型演算装置――〈MEMOL〉だ。
その〈MEMOL〉が何者かに乗っ取られた。いや、正確に言えば、機能の一部を制限された。
現在、都市のセキュリティを担う機能が麻痺し、監視カメラやセンサーの類が使用できない状態になっている。
超空間通信についてもそうだ。船との連絡を取ることが出来ないため、あちらの様子を知ることが出来ない。
「管理者権限を使ったアクセス? 間違いないのか?」
『はい』
ただのハッキングではないと、電話越しに林檎の話を聞き、俺は眉をひそめる。
MEMOLの管理者権限は、俺以外では零式にしか与えられていない。
となると、船が何者かに乗っ取られと考えるのが一番自然なのだが、
(零式がなんかやらかしたと考える方が、可能性が高いよな……)
船には水穂もいる。
こちらに一切の連絡をする余裕がないまま、船を乗っ取られるような事態に陥るとは思えない。
だとするなら、零式が元凶と考える方がまだ自然だ。問題は、どうして零式がそのような真似をしたかだが、
(そう言えば、様子がおかしかったな……)
誰に似たのか? 零式はやることなすこと大雑把で、話に無駄が多い。
興味のあることには首を突っ込みたがるが、どうでもいいことには五分と集中力が続かない。
そんな零式が俺の疑問に淀みなく答え、あまつさえ完璧なレポートを提示してきたことに違和感を覚えたのが数日前のことだ。
思えば、あの時からどこか様子がおかしかった。
しかし原因はどうあれ、いまはそれよりも気に掛かることがあった。
「ステージへの影響は?」
『現在、設備の一部を〈MEMOL〉から切り離し、スタンドアローンで再起動しています』
林檎の話によると、三十分ほどの遅れが生じているらしい。ギリギリ許容範囲と言ったところだ。
これだけのトラブルに見舞われて、その程度の遅れで済んでいるのは、スタッフの対応が早かったからだろう。
会場の警備についても警戒レベルを引き上げ、対応に当たっているとの話だった。
監視カメラやセンサーが役に立たない以上、目視による確認が必要となるが――
「アオイさんが? そうか、亜法を使えば……」
『はい。侍従部隊にも使い手≠ヘ大勢いますから』
アオイが協力をしてくれていると聞いて、その手があったかと俺は林檎の考えを察する。
アオイ・シジョウ。こことは異なる世界、ジェミナーの出身者で――
トリブル王宮機師団に所属する女性聖機師にして、貴音の叔母にあたる人物だ。
そして彼女は、亜法に長けた『聖衛士』でもあった。
亜法とは、異世界の技術。地球で言うところの『魔法』のようなものだ。
亜法には体力や傷を回復させるものの他にも、結界を張ったり、探知に長けた術もある。
この力は『エナ』という特殊なエネルギーを必要とするのだが、まったく地球で使えないというわけではない。
異世界〈ジェミナー〉ほどではないが、嘗て地球にもエナが地上に溢れていた時代があったからだ。
科学の発達と共に衰退してしまったが、僅かながらエナ――魔素を用いた術の使い手が、地球にも残っている。
そして、うちの侍従部隊には、この不思議な術の扱いに長けた異世界人が数多く所属していた。
「じゃあ、そっちは任せる。〈MEMOL〉の方は俺に任せてくれ」
『よろしくお願いします』
林檎に会場のことを任せ、俺は電話を切る。
MEMOLは実験都市の中心にそびえ立つ、通称『窓のないビル』と呼ばれる建物のなかにある。
管理者権限を持つのは、俺だけだ。システムを復旧させるには、まずそのビルへ向かう必要があった。
早速、ビルへ向かおうと会議室の扉を開き、廊下にでたところで携帯電話を手にした伊織と目が合う。
「もう、いいの?」
「ああ、春香ちゃんは?」
「響から連絡があって、少し席を外してるわ」
部外者に聞かせられない話もあるため、二人には席を外してもらっていたのだが、その間に仲間と連絡を取っていたのだろう。
ちなみに響というのは、伊織や春香と同じ765プロに所属するアイドルの一人だ。
動物と言葉を交わせるという特異な力を持っていて、伊織の説明によると響のペットがあずさの行方を掴んだらしい。
「ペットって……よく連れて来られたな」
どうも伊織の話を聞いていると、いつも一緒にいるハムスターだけでなく他のペットも一緒のようだ。
ここにくるまでの交通手段もそうだが、よく動物たちを連れて実験都市に入れたなという驚きの方が大きかった。
普通は入り口のゲートで止められる。いやまあ、『水瀬』の名をだせば無理でもないか?
「仕方ないじゃない。社長からは全員休みを貰ってるのに『皆と一緒じゃないと自分は行かない!』って言うんだから……」
溜め息交じりに話す伊織を見て、その時の状況が手に取るように分かる。
響は動物たちのことをペットと言うよりは、人間の家族――姉妹のように想っている。
だから仕事ならまだしも動物たちを家に置いて、自分だけが伊織たちと遊びに行くことに抵抗を覚えたのだろう。
普通なら置いていけばいいと思うところだが、なんだかんだとこのお嬢様は面倒見が良い。
恐らくは水瀬の名と力を使い、仲間のために一肌脱いだことは容易に想像が出来た。
「そんなことより、大丈夫そうなの?」
頬を紅く染め、この話はもう終わりとばかりに尋ねてくる伊織。
予定通りに開演することが出来るのかといった意図の質問だと察して、俺は彼女の問いに答える。
「三十分ほどの遅れが生じてるそうだ」
そんな俺の答えを予想していたのか、特に驚いた様子もなく「そう」と伊織は呟く。
水瀬の人間だけあって、この街のことに詳しいというのもあるが、彼女もプロのアイドルだ。準備に遅れが生じていることは察していたのだろう。
入念に準備を進めていたとしても、予定通りにいかないことは多々ある。特にこれほど大きなイベントになると、些細なことでもステージに及ぼす影響は少なくない。本来であれば、もう少し時間が欲しいところだ。現在スタンドアローンで機材を立ち上げ直しているという話だが、テストを行っているような時間はないだろうしな。
だからと言って余りに時間をかけ過ぎれば、観客の間に疲れや動揺が広がる。そのギリギリの時間が、三十分という時間だ。
そんな俺の悩みを察してか? 伊織は「仕方がないわね」と背を向けると、
「助けてあげてもいいわよ」
そう、こちらへ提案してくるのだった。
◆
「なかなか立派な劇場じゃないか」
「だろう?」
完成したばかりの劇場を正面から見上げる、背広姿の二人の男性の姿があった。
一人は、この劇場のオーナーでもある高木社長。
もう一人は美城会長だ。
「美城会長、ご無沙汰しています。その節は、大変お世話になりました」
正面玄関を潜ると、高木社長と美城会長の二人をどこか頼りなさげな眼鏡の男性が出迎える。
彼こそ、765プロのプロデューサー。春香たちをトップアイドルへ導いたと噂の赤羽根プロデューサーだった。
いまや業界でそれなりに名の売れたプロデューサーなのだが、見た目からはやり手のプロデューサーと言ったイメージは受けない。
どこにでもいる若者と言った感じだ。しかし、美城会長の彼に対する評価は違っていた。
「いや、礼を言いたいのはこちらの方だ。むしろ、あのままうちで働いて欲しかったくらいだよ」
「おいおい、私の前で彼を引き抜かないでくれよ」
昨年、765プロの総決算として開かれたアリーナでのライブ。
その後、赤羽根プロデューサーは研修のためハリウッドへ出向していたのだが、そこで彼が世話になったのが美城グループ傘下の映画製作会社だったと言う訳だ。
その縁から美城会長と知り合い、会長も彼のことを高く買っていた。
経験が足りず若干頼りないところはあるが、仕事に向ける情熱は本物で、向上心もある。
若さ故の思いっきりの良さや常識に囚われない柔軟な思考は、現在の美城に欠けているものだとさえ感じていたからだ。
勿論、美城会長も何もせずにいたわけではない。
日本にアイドル部門を新設したのは、古い考えに縛られた美城の体質に新たな風を呼び起こす一助になればと考えたからこそだ。
しかし昨年、自分の娘が引き起こした騒動の顛末は、美城会長も耳にしていた。それだけに感じるところがあったのだ。
経営者としての視点だけで物事を捉え、仕事に関わる一人一人の気持ちを蔑ろにしていては、一時は上手く行ったとしても長続きはしないだろう。
物を扱っているのではなく、人を育てる仕事に就いていると言うこと。
それを軽んじた結果が、プロジェクト・クローネが皆に受け入れられ無かった理由だと美城会長は考えていた。
だからこそ、彼からは――765プロには学ぶべきものがある。
多くのトップアイドルを輩出し、いまもファンから愛されているのは、少女たちの頑張りと彼の直向きな情熱があってこそだ。
正直なところ、美城に残って働いて欲しいと美城会長が口にしたのは、本心から漏れた言葉だった。
故に――
(彼が肩入れするのも当然か)
太老と765プロの関係を知っている美城会長は、それも当然かと苦笑する。
秋の定期ライブを成功させたことで、891を除けばARのステージを唯一単独で成功させた事務所として、現在346プロの名前は通っている。
しかし実際には、太老の協力なくしてライブの成功はなかった。
まだまだ単独での公演には不安が残ると言うのが、秋の定期ライブの報告書を読んだ美城会長の感想だ。
一方で、この劇場にもARの最新機材は導入されており、設計の段階から太老が深く関わっている。
規模としてはそれほど大きくはないが、恐らくはここほどしっかりとした設備が整った劇場は都内に二つとないだろう。
そして、それらの設備を彼等が十全に使いこなしているとの情報もある。
だからこそ、美城としても学ぶべきもの、得るべきものは大きいと考えていた。
「それはそうと、今日は例のライブの日だろ? 顔をださなくてよかったのか?」
「そちらは娘に任せてある。そういう、お前こそ」
「ハハッ」
笑って誤魔化してはいるが、高木社長の考えがわからない美城会長ではなかった。
(人から人へと意志は受け継がれ、時代は移り変わっていく。頃合い……なのかもしれないな)
すぐにと言う話ではないが会長を辞し、次の世代へ会社を明け渡す時がやってくる。
そして、それは遠くない未来だと美城会長は感じていた。
だからこそ891との合同プロジェクトという大仕事で自分は前へでることなく娘に委ね、一歩退くことを決めたのだ。
ここ最近、高木社長もまた事務所の皆に経験を積ませようと、いろいろと手を回し、関係各所を奔走していた。
今日のことも、そしてこのタイミングで劇場を開くことも――すべては先を見据えてのことなのだろう。
「これから忙しくなるな」
「ああ、だが大丈夫だろう。うちには腕の立つプロデューサーがいるからね」
「社長……余りハードルを上げないでくれますか?」
そんな期待を一身に浴び、赤羽根プロデューサーは自信なさげに肩を落とす。
それでも彼は、観客席から無人のステージを眺め――
(ここから、また始まるんだな)
新たな出会い。新たな始まりに、胸が高鳴るのを感じていた。
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