実験都市。ここは元々、西園寺グループが経営する小中高一貫の学園があるだけの辺鄙な田舎町だった。
上流階級をターゲットとした名門の進学校として知られた時期もあったのだが、少子高齢化の波は都会から遠く離れた田舎町も例外ではなく、昨今の不景気も相俟って生徒数の減少に悩まされ、学園の経営は余り良くない状態にあった。
その流れが大きく変わったのは、いまから十年前のことだ。
日本で新たな事業を起こすのに協力が欲しいと、正木太老が西園寺に交渉を持ち掛けてきたのは――
実のところ、西園寺は以前から太老のことを知っていた。
西園寺グループの創業一族が『正木の村』の秘密を知る数少ない現地協力者の一つと言うことも理由にあるが、太老が幼少期より為してきた研究成果――もとい地球で起こした問題の数々を解決に当たっていたのが彼等でもあったからだ。
国の研究機関ですら実用化に成功していなかった二足型歩行ロボットを、太老は小学校の自由研究で提出したことがある。
同じようなことを幼少期からやらかしており、古くからの『正木の村』との約定で問題のもみ消しに一役買っていたのが西園寺だった。
勿論、なんの見返りもなく協力していたわけではない。例え、太老がお遊び≠ナ作ったものだとしても地球人からすれば宝の山だ。世に出てまずいものの多くは鷲羽が密かに回収をしていたが、それ以外のもの――地球の技術でも再現可能なものについては西園寺グループが回収し、解析することで役立てていた。
だが、彼等にも誤算があった。
太老の発明≠ェもたらす技術が、世界に与える影響を軽く見ていたのだ。
幾ら、正木の村縁のものとは言っても子供の作ったものと、心の何処かで高を括っていたのだろう。だが蓋を開けてみれば、それは西園寺の想像を遥かに超えるものだった。
レイ・カーツワイルが提唱した収穫加速の法則。コンピューター技術の発達、AIの完成によって2045年を境に技術的特異点を向かえ、科学の発達は人類の手を離れて飛躍的に高まると予想されたものだが、二十世紀末に西園寺が世界にもたらした技術革新こそがすべての始まりだったとするのが、科学の発展に携わる現在の識者たちの考えだ。
その言葉どおり西園寺は莫大な利益を得ると共に、数多の企業や組織から注目を浴び、狙われることになる。
甘い話には罠がある。世間から太老の存在を隠すための盾にされたのだと気付いた時には、すべてが遅かったのだ。
それから十数年の時を経て、今度は騒動を引き起こした当人から協力を持ち掛けられた西園寺は頭を抱えた。
太老に協力をすれば、莫大な利益を得られることはわかっている。一方で、過去の経験から自分たちの手に余ることは目に見えていた。
あの時でさえ、ギリギリだったのだ。太老が直接表舞台に関わるようなことになれば、西園寺だけで対処できるとは思えない。
そう考えた西園寺のだした答えは、利益を独占するのではなく分け合い、問題を共有することだった。
そうして当時、学園の経営に関わっていた理事たちを集め、協力を呼び掛けたのが実験都市の始まりだ。
故に、最初から世間の注目を浴びること、狙われることを想定して造られた街なので、この街では外の世界の常識が通用しない。
「盛況のようだね」
「当然です。346と891が総力を挙げて、企画したイベントですから」
朗らかな表情でそう話す今西部長に、美城専務は一切表情を変えることなく当然とばかりに答える。
彼女は自信家ではあるが、根拠のないことを口にはしない。それだけ今回のイベントに絶対の自信を持っているのだろう。
美城の会長とは古くからの友人で、幼い頃から彼女のことを見てきた今西部長には、そのことがよくわかっていた。
それだけに――
「少し緊張しているみたいだね。キミはここへ来るのは初めてだったか」
平静を装ってはいても、彼女が僅かに緊張していることを今西部長は察していた。
だが、それも無理はないと彼は考える。この街は何もかもが異質だ。常識外れと言っていい。
美城会長の付き添いで何度かこの街を訪れたことがある彼だが、何度訪れても驚かされることの多い街だと実感する。
その最たる例が、街のシンボルともなっているこのビル≠セろう。
このビルには窓が一つもない。外から見れば、巨大なオベリスクがそびえ立っているようにも見える。
核攻撃にも耐える構造をしていて、街の機能を司ると同時にシェルターの役割も果たしているとの噂だが、実験都市の開発に携わった企業や政府ですら全容を把握しているとは言えなかった。
街の中で唯一、地球人の手が一切加わっていない巨大建造物。それが、このビルだからだ。
他にも数多の重要施設がこの街にはあるが、このビルに立ち入ることが許された者は数少ない。
ライブのことがなければ、自分たちがここにいることもなかっただろうと今西部長は考える。
「……ここへは以前?」
「会長の付き添いでね。そろそろ目的の場所へ着くみたいだ」
先程まで自動で動いていた床が止まり、何もなかったはずの壁に一枚の扉が現れる。
どういう仕掛けなのか、科学者でもない二人には構造を理解することは出来ない。
いや、恐らく地球の科学者では、ここのシステムを理解することは一部であろうと難しいだろう。
宇宙の技術。未知のテクノロジーが、このビルにはふんだんに使われていた。
太老が設計から手掛けたビルだ。普通であるはずもない。
「これは……」
部屋に入ると、美城専務は思わず驚きの声を漏らす。
最初に目に入ってきたのは、部屋のなかに無数に浮かぶ空間モニターだ。
そこにはライブの舞台となる各会場の様子が映し出されていた。
何より、ここが建物のなかだとは、とても想像が出来ない。
どこまでも続く白い地平線。空を見上げると目に飛び込んでくる一面の星空は、宇宙へ飛び出したかのような錯覚を覚えさせる。
「驚いたかね?」
声を掛けて近付いてきたのは、高級ブランドのスーツに身を包んだ四十後半の男性だった。
その人物に見覚えのあった美城専務は一瞬目を瞠るも、動揺を隠すように挨拶を返す。
「ご無沙汰しております。西園寺♂長もいらしていたのですね」
「はは、今日のステージには娘も出演するからね。他の皆も、もう集まっているよ」
そう言って西園寺会長が視線を向ける先には、都市の中核を担う企業の代表たちが集まっていた。
そんななか美城専務の姿に気付き、西園寺の会長よりも年配の顎髭を生やした水瀬財閥の会長が声を上げる。
「おお、美城のところのお嬢さんか。今日は楽しませてもらってるよ」
「……恐縮です」
「おや? 美城の奴はきてないのか?」
水瀬会長から美城の会長――父親のことを尋ねられ、どう答えたものか一瞬言葉に詰まる美城専務。
西園寺の他、水瀬や櫻井と言った名だたる企業のトップが一堂に会する光景には、さすがの彼女も緊張を隠せないでいた。
しかし尋ねられたからには答えないわけにはいかない。そんな彼女に代わって、水瀬会長の質問に答えたのは今西部長だった。
「会長はどうしても外せない仕事がありまして」
「……落ち込んでいただろ?」
「悔しがっておりました」
それはそうだ、と笑う水瀬会長。
美城会長が来なかった事情はわからない。今西部長の言うように外せない仕事があったのかもしれない。
しかし、そのことを水瀬会長はこの場で深く追及する気はなかった。
娘の――美城専務の反応を見れば、大凡は察することが出来たからだ。
「まあ、積もる話もあるだろう。こっちに座って、いろいろと話を聞かせて欲しい」
「は、はい」
ここに集まっている人物の多くは美城会長と付き合いがあり、今西部長も古くから面識のある人物ばかりだ。
それは美城専務も同じだが、幼い頃から面識があり、よく見知っている人物というのは共通の話題に困らないというメリットがある反面やり難くもある。
場に漂う緊張感も相俟って、妙な居心地の悪さを彼女が感じるのも無理のないことだった。
緊張した面持ちで彼女が席につくと、今度は先程まで会場を映しだしたモニターを注視し、沈黙を守っていた櫻井会長が真剣な表情で尋ねてきた。
「桃華の所属するグループ……なんと言ったか?」
「ファイブ・スター・ギフトでしょうか?」
「そう、それだ。出番はいつ頃になるのかな?」
何より、その血縁者が346と891にアイドルとして所属している。
当然、今回のライブにも出演を予定していて、そんな話を聞けば娘を溺愛する彼等が大人しくしているはずもない。
(……そういうことか)
ここに招かれた理由を察して心の中で嘆息しつつ、美城専務は親バカたちの質問に答えるのだった。
◆
「弁明があるなら聞くわよ?」
以前、合同合宿にも使われた西園寺グループのホテル。
その最上階にあるVIP用の会議室で、腕にウサギのぬいぐるみを抱いた少女に睨まれ、俺は正座をさせらていた。
「いや、年末年始は忙しいだろうと思って……」
「だからって、普通は一声くらいかけるでしょ?」
彼女の名は、水瀬伊織。
水瀬という名前から察せられるとは思うが、あの水瀬財閥のお嬢様だ。
そして四条貴音と同じ765プロ所属のアイドルでもある。
「貴音にはチケットを渡したって言うじゃない」
そう、どうして俺がこんな目に遭っているかと言えば、貴音に頼まれて渡したチケットに原因がある。
この時期、アイドルというのは忙しい。トップアイドルともなれば尚更だ。
765プロは事務所としては小規模ながら、所属するアイドルのほとんどが業界トップクラスの人気を誇る。
その上、年明けからは765プロの高井社長の夢でもあった劇場≠ェオープンする予定となっている。
設備のことで相談を受け、うちも協力をしていることから準備に奔走しているとの話を聞いていたので、気を遣って声を掛けなかったのだが――
「こういう時は気を利かせて、全員分のチケットを用意すべきじゃない? そうでしょ?」
それが彼女は気に入らなかったらしい。
貴音にだけライブのチケットを渡したのがいけなかったようだ。
で、チケットを送った覚えのない彼女が、どうしてここにいるのかと聞けば――
「チケット? そんなのパパに頼んだら一発で用意してくれたわよ」
とのことだった。なんで、こうも親バカが多いのか……。
「もう、そのくらいで。私たちは全然きにしてないから」
「でも!」
「折角のライブなんだから楽しも? ね?」
渋々と言った様子ではあるが、矛を収める伊織。
助けに入ってくれた少女の名は、天海春香。彼女も765プロに所属するアイドルの一人だ。
「助かったよ」
「いえ、会長さんが私たちのことを気に掛けてくれていることは、わかっていますから」
……本当に良い子だ。
765プロは346プロに負けず劣らず個性的なアイドルが多い。
そんな一癖も二癖もあるアイドルたちのなかで、良心とも言うべきアイドルが彼女だった。
昨年、開かれたアリーナのライブではリーダーを務めたという話だしな。彼女が選ばれた理由も今ならよくわかる。
どこかのツンデレお嬢様とは、えらい違いだ。
「アンタ、なんか失礼なこと考えてない?」
訝しげな表情で睨んでくる伊織からそっと視線を逸らし、俺は春香に話を振る。
「ってことは、他の子たちもきてるのか」
「はい。社長さんが皆で行ってきなさいって、年末年始のスケジュールを調整してくれて……」
なるほど、と春香の話を聞いて納得する。あの人なら確かにそんなことを言いそうだ。
その高木社長だが、外せない仕事があって今日はきてないとの話だった。
彼女たちの担当、赤羽根プロデューサーも高木社長に付き添って仕事にでているそうだ。
秋月律子と言って、もう一人765プロには女性のプロデューサーがいるのだが、今日は彼女が引率役を務めているとの話だった。
「律子さんがきてるのか。あれ? そう言えば、他の皆は?」
突然、訪ねてきたことには驚いたが、ここにいるのは春香と伊織の二人だけだ。
他のメンバーはどうしたのかと気になって尋ねてみると、
「はぐれた?」
「……はい。あずささんが、いつの間にかいなくなっていて……」
いまも皆で捜しているらしい。
あずさと言うのは、三浦あずさと言って765プロに所属するアイドルのなかで最年長の女性だ。
落ち着いた大人の女性で、普段は同じ事務所のアイドルたちからも頼りにされているのだが、彼女には重大な欠点があった。
それが迷子だ。極度の方向音痴≠ナ、目を放すとフラフラ〜っと何処かへ消えてしまう癖がある。
ある意味、失踪癖のある志希とよく似ていると言えるが、違うのは故意ではなく天然と言う点だろう。
「携帯は持ってないのか?」
「それが、携帯を入れたバッグを車に置き忘れたみたいで……」
「ああ……」
実に彼女らしいと春香の話を聞いて、納得する。
現在この都市には十万を超えるファンが押し寄せ、まだライブの開演まで時間があるというのに凄い賑わいを見せている。
普通のやり方では、そのなかからはぐれた知り合いを捜し出すというのは難しいだろう。ああ、それでか。
「アンタなら、あずさを見つけることくらい簡単でしょ?」
「それならそうと、最初から素直に頼めばいいものを……」
「フンッ! 春香の顔を立てて引いてあげたけど、まだ納得したわけじゃないんだからね!」
素直じゃないと思いつつも、そういうことならと二人に協力する。
まあ、確かに普通のやり方では困難だが、実験都市のシステムを使えば人捜しくらい造作もない。
早速、上着のポケットからタブレット端末を取りだし、実験都市のメインコンピューターにアクセスする。
765プロのメンバーのパーソナルデータは登録済みだ。
あとは条件に合う人物を検索するだけなのだが……そこで俺は操作の手を止めた。
「何やってるのよ? あずさは見つかったの?」
「いや……」
どう答えたものかと逡巡するが、伊織は水瀬の人間だ。
俺たちのことや、この都市の秘密についても、ある程度は事情を知っている。
誤魔化すことは出来ないと考え、
「〈MEMOL〉にアクセスできない」
「え?」
俺が正直に打ち明けると、伊織は驚きの声を漏らすのだった。
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