「あれって、765プロの?」
「この会場だけじゃないみたい。ほら、あっちのモニターにも……」

 未央と凛が見上げる視線の先には、各会場の様子を映しだした空間モニターが並んでいた。
 そこに映し出された人物たち。765プロのアイドルたちを見て、二人は呆気に取られた様子を見せる。
 機材のトラブルでステージの開演が遅れていることは、スタッフから二人も聞かされていた。
 結構、深刻な状況だと言うことは、忙しく会場のなかを走り回っているスタッフやプロデューサーの姿を見て察していたのだ。
 しかしまさか、その時間稼ぎに765プロのアイドルをゲストに招くとは思ってもいなかった。それだけに驚きを隠せない。
 ちょっとしたニュース……どころの騒ぎではない。今頃、テレビやネットでは、このサプライズで上を下への大騒ぎになっているはずだ。

「……とはいえ、この状況なら仕方ないか」

 ARを用いたステージは業界に革新をもたらしたが、欠点がないわけではない。
 何か役に立てないか? 何かやれることはないかと気持ちばかりが焦っても、衣装や演出のほとんどを機械に頼り切っているため、今回のように突発的なトラブルに見舞われた場合、出演者に出来ることは待つ≠アとしかない。そのため、未央たちもヤキモキした気持ちでステージの開演を大人しく待っていたのだ。

「凛ちゃん、未央ちゃん! 天海春香さんですよ! あ、あとでサインもらえないでしょうか!?」
「卯月、ちょっと落ち着いて……」
「しまむーは大物だね……というか、あたしたちも一応アイドル≠ネんだけど」

 自分もアイドルであることを忘れ、一人のファンとして765プロの登場に興奮する卯月の姿に、凛と未央は若干呆れた様子を見せる。
 しかし、わからないでもない。それほどに、ステージの上に立つ彼女たち≠ヘ輝いていた。
 卯月を見ればわかるように僅かな時間で会場を興奮と驚きで包み込み、観客が抱えていた不安や不満を拭い去ってしまった。
 シンデレラプロジェクトでデビューをして一年以上。デビューしたての頃と比べれば、この仕事にも随分と慣れ、成長した自覚は未央たちにもあった。
 それでもトップアイドルの壁は厚く、その道程は遠いことを目の前のステージを見ると実感させられる。

「凄いね」
「うん」

 でも、だからと言って負けてなんかいられない。そんな闘志を瞳に燃やす未央と凛。
 気付くはずもない。偶然だと言うこともわかっている。
 それでも、モニターに映る伊織と目があった瞬間。

 ――次はアンタたちの番よ!

 と、そんな風に激励されているような錯覚を彼女たちは覚えるのだった。


  ◆


「この調子なら時間稼げそうだね」
「ええ。だけど、その分ハードルは上がったわ。確実に……」

 溜め息を交えながら答える奏に対し、周子は察した様子で複雑な感情を隠しきれないまま頷く。
 765プロと言えば多くのトップアイドルを輩出してきた業界をリードする事務所の一つだ。会社としての規模は346の方が遥かに巨大だが、アイドルという一つの業界に限って見た場合、765プロほどの成功を収めている事務所は少ない。ある意味、891プロのように少数精鋭を地で行く事務所だ。いや、大きな後ろ盾もなく小さな事務所から、ここまでの躍進を遂げたことを考えれば、それ以上の成功を収めていると言っていいだろう。
 そんな765プロの成功を支えているのが、天海春香や水瀬伊織を始めとした765プロのアイドルたちだ。
 間違いなく、日本を代表するアイドルの一角と言っても過言ではない。そんなトップアイドルを時間稼ぎの前座に使ったのだ。
 否が応でも彼女たちの後にステージへ立つアイドルは比べられる。ファンから求められる要求のレベルが、数段上がることを意味していた。
 この後、自分たちがあのステージに立つのだと、真剣な表情でモニターを見上げる少女たちも理解しているのだろう。
 楽屋裏の張り詰めた空気が、それを物語っていた。

(何人かは、それでも大丈夫そうだけど……)

 それでも不安を隠し切れていない。緊張でガチガチに表情を強張らせている少女たちがなかにはいる。
 その大半が〈プロジェクト・ディーバ〉で選出されたアイドルたちだ。
 レッスンは十分に積んでいるが、大きなステージに立った経験がほとんどないことが、ここにきて大きく響いていた。
 会長さんも酷なことをする、と周子は溜め息を漏らす。

(……もしかして、最初からそのつもりで?)

 太老が態とトラブルを装って、ステージの時間を遅らせたとまでは思っていない。しかし、この状況を利用した可能性は十分にあると周子は考える。
 人畜無害そうに見えて、太老は容赦のないところがある。合同合宿の件もそうだ。いま思うとアイドルに受けさせるレッスン量では、とてもなかった。その分、体力は付き、合宿前と後では全員見違えるように成長してはいたが、一部からはやり過ぎの声も上がっていたのだ。だが結果として、あの特訓は無駄ではなかったように今なら思える。
 身体に覚え込ませたことは簡単には忘れないものだ。
 どれだけ緊張していようと、頭が空っぽになったとしても――音楽を耳にすると自然と身体が動くくらい歌やダンスを身体に覚え込ませてきた。
 そのことはステージに立てば、自ずと気付くはずだ。

「ああ、これ……もしかして試されてる≠フは、あたしも同じってことかな?」

 リーダーを任された時から、何かあるとは思っていた。
 それでも、こんな大舞台で試練を課してくるとは、本当に容赦がないと周子は思う。

「なら、期待には応えないとね」
「……期待?」
「成長を期待してないのに、試したりはしないでしょ?」

 奏に言われて、目を丸くする周子。その発想はなかったためだ。

「そっか」

 でも、そう考えると不思議と面倒に思えることでも、やる気が溢れてくる。
 期待されてるのか、それなら仕方ないかなとニヤける周子を見て、奏は――

「周子。あなた、やっぱり……」
「ん?」
「……いいわ。まだ自覚はなさそうだし」

 友人の変化に戸惑いながらも、やる気をだしているのだから水を差すことないと考え、見守ることにするのだった。


  ◆


「すっごく盛り上がってるの」

 車内から広場に設けられた大型スクリーンを眺め、キラキラとした瞳で話す金髪の美少女。
 彼女の名前は、星井美希。天海春香と同じく765プロに所属するアイドルの一人だ。
 映画の撮影のために一年ほどアメリカにいたのだが、先月日本へ帰国して今はアイドル活動再開のための準備に励んでいる真っ最中だった。
 そんななかで息抜きにどうかと伊織からライブのチケットを貰い、事務所の皆と一緒に実験都市へときたのだが――

「到着しました! どうぞ、こちらへ!」

 車を降りるとスタッフに案内され、美希は裏口から都市の東に位置する第三会場へと入場する。
 その後を無言で追い掛ける黒髪の女性。彼女は『蒼の歌姫』の名で知られる765プロ所属のアイドル、如月千早だ。
 スタッフの案内で舞台の袖へ到着した二人は変装用の帽子と眼鏡を取り、慣れた様子で手早く準備を始める。
 太老――いや、正確には太老から仕事を頼まれた伊織から相談を受け、二人はこの会場へとやってきていた。

「春香とでこちゃんも頑張ってるみたいだし、ミキたちもいっぱいいーっぱい盛り上げないとね」

 その言葉どおり、美希はいつになくやる気を見せていた。
 突然の仕事ではあるが、ずっと映画の撮影でハリウッドにいたこともあり、日本では実に一年振りのステージだ。
 それに太老から依頼された仕事というのも、美希の気合いが入っている理由として大きかった。
 そのことを知る千早は、美希のテンションについていけず小さな溜め息を漏らす。

「千早は気乗りがしないって顔をしてるね?」

 そんな千早の様子に気付き、「どうしたの?」と言った様子で首を傾げながら尋ねる美希。
 やる気がないわけではない。プロとして依頼された仕事は、千早もちゃんとこなすつもりでいた。
 しかし、

「目立ち過ぎるのは、どうかと思っただけよ。私たちの目的は時間を稼ぐことでしょ? 前座が派手なことすると、後に続く子たちが大変じゃないかって……」

 少なくとも、昔の自分たちと比べて現在の自分たちが、どれほどの影響力を持っているのかわからない千早ではない。
 だからこそ、ここで前座の自分たちが目立ってしまえば、この後のプログラムにどのような影響を及ぼすかは容易に想像が付く。
 この舞台の主役は自分たちではない。だから美希の考えと違い、必要以上に目立つべきではないのでは? と千早は考えていた。

「ふーん」
「……何?」
「千早、変わったよね。空気が読めるようになった? ちょっと違う?」

 ある意味で、765プロで一番フリーダムな美希に指摘されて、千早は複雑な表情を浮かべる。
 しかし強く反論できないのは、自分でも過去にはそういうところがあったと自覚していたからだった。
 周りを寄せ付けず、誰も心から信用せず、プロデューサーにも噛みついたことがあった。
 自分には歌≠オかない。そう考えていた時期が、千早にはあったからだ。

「でも、ミキは大丈夫だと思うな。だって、この状況あの時を思い出さない?」
「あの時? ……あ」

 思い出されるのは二年前のこと。
 ずっと楽しみにしていた憧れのアイドルとの共演。でも、その舞台でそれは起きた。
 いまのように機材のトラブルで用意してあった楽曲データが使えなくなり、窮地に立たされた千早の前にステージへ立った人物。
 それが――カルティア・ゾケルだった。

 凄かった。
 ライブの前に流れた些細なゴシップ記事。
 ARがなければ891のステージなんて二流も良いところだと世間で騒がれるなかで――
 カルティアはそんな批評を、すべて吹き飛ばすかのような熱唱を披露した。
 すべての音響や機材が使えないなかで、自身の歌声だけで観客の心を鷲掴みにしたのだ。
 その時、問われた気がしたのだ。

 ――あなたは、どうなのか?

 と。
 このままで終われない。終わりたくない。もっと歌いたい。皆と一緒に――
 それが千早のだした答え。

 あの日、憧れの存在は目標へと変わった。
 千早がカルティアをライバルとして明確に意識し始めたのは、その時だ。
 そして彼女は昨年の暮れにニューヨークでのレコーディングを成功させ、着実に一歩ずつカルティアに迫る歌姫へと成長を続けている。

会長(ハニー)が認めた子たちだもん。このくらいの逆境でダメになるような子はいないとミキは思うな」

 だけど、それは千早だけが特別なわけじゃない。
 彼女たちが嘗てそうだったように、誰もが夢を持ち、上を目指して挑戦を続けている。
 ここで諦めてしまうようなら、それまでのことだ。どちらにせよ、夢を叶えることなど出来るはずもない。
 でも、そうはならないと美希は言う。

「……そうね。そういう考え方は、彼女たちに失礼よね」

 わかっていた。知っていたはずだった。
 でも思い描いていた理想へと近付くに連れ、いつの間にかあの時の気持ちを忘れ掛けていたと、千早は自分を戒める。

「行きましょう。いま出来ることをするために――」
「うん! いっぱい盛り上げて、ハニーからご褒美≠烽轤、のなの!」

 二人は考える。
 手を抜いたりなんかしない。いま出来ることを全力で――
 それが765プロ(わたしたち)≠ノ出来る精一杯の応援(エール)なのだから、と――


  ◆


「うわ……煽った私が言うのもなんだけど、あの子たち全力だし過ぎでしょ……」

 ライブ中継を眺めながら、顔を強張らせるスーツ姿の眼鏡の女性。
 彼女の名は、秋月律子。765プロの二人いるプロデューサーの一人だ。
 高木社長のOKが後押しとなったこともあり、劇場の宣伝になればと目立つように皆に指示をだしたのは確かだが――
 まさか、ここまで遠慮も容赦もなく全員が全員、全力でステージを盛り上げようとは律子も思ってはいなかった。

「しまったわ。前座なんだから、控え目にするように釘を刺しておくべきだった……」

 悪気がないのはわかっているが、加減を知らない自分のところのアイドルたちに律子は溜め息と共に目眩を覚える。
 まだ卵からかえったばかりの雛に過ぎなかったデビュー当時と比べれば、遥かに彼女たちが成長していることを知っているのは他ならぬ律子だ。
 本人たちがどれほど自覚しているかは知らないが、並のアイドルでは太刀打ち出来ないほどの高みに現在の彼女たちはいる。
 勿論、891や346にも彼女たちに引けを取らないアイドルはいるが、全員が全員そうと言う訳ではない。
 そもそも今回のライブの趣旨は〈プロジェクト・ディーバ〉で選ばれた次世代のアイドルたちに経験を積ませることが目的だったはずだ。
 なのに羽ばたく前に自信を喪失させてしまっては意味がない。むしろ、後々に問題となりかねないと律子は頭を抱える。
 というのも――

「ああ、もう! 美城会長と正木会長は、劇場の最大出資者なのに……」

 会社としてではなく、あくまで一ファンとして個人的≠ネ応援ではあるが、劇場の建設に太老と美城会長が一枚噛んでいた。
 勿論こんなことで、とやかく文句を言ってくるような人たちでないことはわかっている。それでもだ。

「社長はあんなだし、ただでさえ事務所の財布はギリギリで大変な時だって言うのに!」

 劇場の建設も、時期尚早だと律子は進言したのだ。しかし話はトントン拍子で進み、気付いた時にはすべてが遅かった。
 お陰でようやく余裕が出て来たと思っていた事務所の金庫はすっからかんだ。
 それどころか、劇場の建設に掛かった費用は金庫の資金だけでは足りず――現在の765プロは多額の借金を抱えている状態にあった。
 律子が頭を抱えるのも無理はない。

「はあ……空から、お金とか降ってこないかしら……」

 そう言って空を見上げる律子。その時だった。

「……流れ星?」

 日が沈み、すっかり暗くなった空に一筋の光が曲線を描きながら西の空へと消えていく。
 それを目にすると、願掛けとばかりに流れ星に願いを託す律子。
 まさかその流れ星が、ステージの裏側で繰り広げられている戦いの第二幕≠告げる合図だとは知る由もなかった。



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