「助けて頂いて、ありがとうございました。でも、このことを文香さんには……」
話さないで欲しいと懇願するありすに、ルレッタは苦笑する。
「ちょっと難しいかもね」
「え? それって、どういう――」
「ありすちゃん!」
突然、声を掛けられたかと思うと、ありすは背中から誰かに抱きつかれ身動きが取れなくなる。
背中越しに伝わる柔らかな温もり。微かに香る本の匂い――
一年前のあの日から、ずっと一緒に頑張ってきた彼女が気付かないはずもない。
「ふ、文香さん!?」
ありすは驚きの声を上げる。
そして「どうして、ここに文香さんが」――と言った顔でルレッタを見る。
そんな少女の視線に気付き、少し困った顔を浮かべながらルレッタは疑問に答える。
「ありすちゃんを捜して欲しいって、最初に頼んできたのは彼女なのよ」
林檎から連絡を受け、会場の見回りを行っていたのは確かだが、ルレッタはアランの動きに気付いていたわけではなかった。
様子を見に行ったありすが戻ってこないと、心配した文香がルレッタに連絡を取ってきたのだ。
そこで復旧したばかりの〈MEMOL〉のシステムを使い、ありすの捜索を行ったところ――
アランに捕まっている彼女を見つけたと言う訳だった。
「それじゃあ、志希さんも……?」
「んー? 最初はフレちゃんを捜してたんだけどね。一番近くにいたのが、あたしだったから」
ルレッタから連絡を貰い、ありすの救出に協力したと話す志希。
そしてフレデリカはと言うと、マロを追っていたら偶然この場に居合わせたという話だった。
しかし恐らく偶然≠ナはないだろうということは、ありすにも察することが出来た。
マロが不思議な力を使って、自分たちを守ってくれたことに気付いていたからだ。
「志希さん、フレデリカさん――それに『マシュマロさん』もありがとうございました」
改めて、ありすは感謝の言葉を口にして頭を下げる。
一歩間違えれば危ないところだったということは、ありすも自覚はあったからだ。
しかし――
「文香さん……ちょっと苦しいです」
先程よりも強く文香に抱きしめられ、ありすは苦しげな声を漏らす。
「……ごめんなさい。ありすちゃん」
「え、あの……別に文香さんが悪い訳じゃ……」
「ありすちゃんが、私のために――私のことを気遣ってくれていたことはわかっていたから……」
ありすが危険な目に遭った責任は自分にもあると、文香は後悔の言葉を口にする。
その原因を作ったのは自分だ。そして、そんなありすの優しさに甘えていた自分が嫌になる。
しかし、文香がそう感じているように――
「お互い様です。私も、たくさん助けて貰いましたから……」
ありすも文香に感謝していた。
ありすが大人びて見えるのは、仕事で忙しい両親に心配を掛けまいと努力をしてきた結果だ。
しかし大人から見て『大人びた子供』というのは、よく言えば早熟。悪く言えば、子供の中で浮いた存在と言うことだ。
ありすが通っていた学校は都内でも有名な私立校で、幸いなことに悪質なイジメへと発展することはなかったが、自然と一人でいることが多くなっていた。
ありす自身も悪いところはあったのだろう。
強がって、意地を張って、クラスに馴染めなかったのは心の何処かで壁を作り、距離を置いていたからだ。
でも、そうとわかっていても簡単に自分を変えることは出来ない。変われるほど、ありすは器用ではなかった。
そんな時だ。「アイドルをやってみないか?」と346プロから誘いを受けたのは――
最初はアイドルに、それほど興味があるわけではなかった。
でも歌や踊りには関心があったし、新しい世界に飛び込めば、何かが変わるのではないか?
そんな期待があった。
そうして飛び込んだアイドルの世界。
でも、そんな期待とは裏腹に、ありすを待っていたのは厳しい現実だった。
学校では浮いた存在でも、多少大人びていても、社会に出れば彼女はアイドルを目指す候補生の一人でしかない。
アイドルになるべく集められた候補生は一人一人が個性的で、ありすにはない魅力を持つ少女ばかりだった。
才能の一言で片付けたくはない。人一倍、努力はしてきたつもりだ。
それでも、レッスンばかりの毎日。どれだけ待っても声が掛からず、回ってこないアイドルの仕事。
本当に自分はデビューが出来るのか?
テレビに映る彼女たちのように、ステージに立つことが出来るのか?
不安な毎日を過す中、当時常務だった美城専務から声が掛かったのが一年ほど前のことだ。
文香と言葉を交わしたのは、その時が初めてだったが、ありすは一方的にではあるが文香のことを知っていた。
一人でベンチに座り、いつも本を読んでいる文香を、ありすは遠巻きに何度も目にしていたからだ。
最初は綺麗な人だな、と目を奪われたのが切っ掛けだった。
でも、いつも一人でいる文香を見て、どこか自分に似ていると思うようになっていたのだ。
「ありすと名前で呼ばれるのが嫌でした。皆は可愛いって褒めてくれるけど、ありすって名前、子供っぽいじゃないですか」
ありすは自分の手を文香の手に重ね、そう話す。
最初は自分と似ていると思っていた。でも、違った。確かに文香は内気な性格をしてはいるが、社交性がないわけではない。クラスに馴染もうとしなかったありすと違い、文香は積極的とは言わないまでも他人と距離を置いたり、心に壁を作るような真似はしなかった。それは彼女が誰よりも真剣に、アイドルの自分と向き合っていたからだ。
スカウトされるまでは、ありすのようにアイドルに興味があるわけではなかった。まだ、歌や踊りの仕事に関心があったありすの方がそう言う意味で、アイドルに向いていたとも言えるだろう。でも、文香にはそうした情熱を傾けるものがなかった。彼女の興味はすべて本≠フなかにあったからだ。
自分がその本の登場人物のように、脚光を浴びる日が来るなんて想像もしていなかっただろう。
でも知ってしまった。
出会ってしまった。
本の外に広がる世界。それは文香にとって未知の体験であり――
自分一人では気付くことも決して辿り着くことも出来なかった、もう一つの可能性だった。
だから彼女は魅了されたのだ。
アイドルの世界に、テレビの向こう側で輝くもう一人≠フ自分に――
そんな文香の姿をありすはこの一年、ずっと傍で見続けてきた。
いや、文香だけじゃない。
346プロには、ありすがどれだけ壁を作ろうとしても放って置いてくれないお節介≠ネ人たちがたくさんいる。
だからこそ、気付かされたこともあった。
「子供扱いされるのが嫌でした。頑張っているところを見て欲しくて、努力を認めて欲しくて。でも本当は――褒めて欲しかったんだって。『頑張ったね』って両親に言ってもらいたかったんだと、私は思います」
どれだけ大人びて見えても、ありすは子供だ。寂しく無いと言えば、嘘になる。
将来、歌や踊りの仕事がしたいと考えていたことは確かだが、心の何処かで両親の気を引きたいという想いもあったのだろう。
テレビに映って有名になれば、仕事で忙しい両親の目にも留まるかもしれない。昔のように『頑張ったね』と褒めて貰えるかもしれない。
「だから、勇気をだして両親を誘ったんですよ。チケットを入れた手紙を渡して……。どうしても見て欲しかったから」
しかしその一方で、両親の負担になりたくないと、ありすは考えていた。
だからこれまで一度も我儘を口にすることなく、両親をライブに誘うこともしなかったのだ。
でも、このままではいけないと――変わる切っ掛けをくれたのが、
「そんな風に変われたのは、勇気が持てたのは文香さんが――皆さんがチカラをくれたからです」
文香であり、共にステージに立つアイドルの仲間たちだった。
ほんの少しではあるが、太老にも感謝していなくもないと、ありすは考える。
切っ掛けをくれたのは確かだからだ。
だから――
「自分の所為だなんて言わないでください。文香さんは大切な仲間で、私の憧れなんですから」
◆
(クソッ! クソッ! クソッ!)
床にうつ伏せに倒れた状態で、アランは心の中で怨嗟の言葉を繰り返す。
(いつか、俺をバカにしたことを後悔させてやる)
小判鮫のように他人に寄生して甘い汁を吸って生きてきただけだが、それでも数々の修羅場を潜り抜けてきたことは事実だ。
アランに特筆した点があるとすれば、GPの追跡や拘束から何度も逃れた悪運の強さとしぶとさにあった。
(いまならルレッタも油断しているはずだ)
気絶した振りをして様子を窺っていたアランは、ルレッタの注意がありすに向いた瞬間を見計らって胸のポケットに手を伸ばす。
普通に逃げたところでルレッタに追いつかれるのは確実だ。協力者の少女たちも侮れない。
まともにやったところで逃げ果せる確率はゼロに近いだろう。しかし足手纏い≠ェいるなら話は別だ。
(こんなところで捕まってたまるか!)
迷いなく上着のポケットに忍ばせた端末のスイッチを押すアラン。
勝ち誇った様子で、薄らと笑みを浮かべる。
しかし――
「はあ!?」
なんの反応もないことに動揺するアラン。何度もカチカチとスイッチを押し返すが、何かが起きる様子はない。
それは会場に仕掛けた爆弾を起爆するためのスイッチだった。
騒ぎを起こすのがアランの目的で、犠牲者の一人でもでれば346プロだけでなく891プロや、その背後にいる正木商会は責任を追及されることになる。
それを足掛かりに他国と繋がりのある企業や政治家が実験都市の実権を握り、アランも見返りを貰うという算段になっていたのだ。
太老に一泡吹かせることが出来るばかりか、大金も手に入る。
クレーや他の協力者には話していないが、アランにとっては一世一代の大勝負だったのだ。
「なんで何も起きないんだよ!?」
ありすは偶々居合わせただけに過ぎず、いざとなれば人質として使い潰すつもりだった。
ここにあるコンテナにも爆弾は仕掛けられている。
ルレッタを殺せるほどの爆発力はないが、生体強化を受けていない普通の地球人は別だ。
爆発の余波を食らえば、無事では済まない。そしてルレッタは目の前の少女たちを見捨てることなど出来ないだろう。
だからその隙を突いて、この場を切り抜けるつもりでいたのだが――
『空間を切り離してあるからね。そんなことしたって無駄だよ』
誰かの声が響いたかと思えば、フッと周囲の景色が消え、アランは何もない黒い空間に一人佇んでいた。
そしてアランの前に立体映像が現れる。
白衣を纏った半透明の少女。それは――
「な、なんなんだよ! 俺の邪魔ばっかりしやがって、お前には関係ないだろ!?」
一ノ瀬志希だった。
得体の知れないものを目の前の少女から感じ、恐怖を押し殺すように叫ぶアラン。
だが――
『確かに関係ないね。特に正義感とあるわけじゃないし、正直なところ海賊にもたいした興味はないし』
「へへ……だろ? なら、ここで俺を逃がしたっていいとは思わないか?」
志希の反応に手応えを感じたアランは、これなら上手くすれば逃げられると考える。
『でも、折角捕まえたのに逃がす理由もないよね?』
「俺を逃がしてくれたら……そうだ。金をやる!」
『お金は興味ないかな。特に困ってないし』
「なら、宇宙船はどうだ!? 俺は顔が利くからな。それか、クレーと交渉して天騎を一つ譲ってやってもいい!」
そんな金やコネなどあるはずもないのだが、アランは自信満々に交渉を持ち掛ける。
腕が立つからと言っても、所詮は成人もしていない小娘だ。
自分なら上手く騙せると考え、アランは志希の興味を惹く話を探る。
『天騎か。それはちょっと興味を惹かれるかな? でも――』
うーんと悩む素振りを見せるも『やっぱりダメ』と返す志希に、アランは「何故?」と尋ねる。
しかし、そんなアランの疑問に答えない志希。
その後も反応を確かめながらアランは食い下がるも、志希の反応は芳しくなかった。
「くそッ! じゃあ、どうしたらここから解放してくれるっていうんだ!」
『ここから、出して欲しいの?』
「当たり前だろ!?」
その言葉を待っていたとばかりに、ニヤリと笑う志希。
そして――
『いいよ。だしてあげても――あたしの実験≠ノ付き合ってくれたらね』
◆
「……何をしたの?」
アランが突然姿を消したことで、この場で一番怪しい人物に尋ねるルレッタ。
何も証拠がなくて犯人を断定しているわけではない。
志希が手に持っているリモコンのようなスイッチを目にしてのことだった。
「まだ諦めてないみたいだったから、志希ちゃん特製の結界≠ノ入ってもらったんだけど?」
「それって、まさか……あの『冥土の試練』を改良して作った……加速空間の?」
「そそ。誰も参加してくれなくて、実験できなくて困ってたからデータを取るのにも丁度いいかなって」
冥土の試練とは、もとは『虎の穴』と呼ばれる設置型シミュレーション装置を太老配下のメイドの訓練用に改良したものなのだが――
志希は同装置の更なる改良と、その実験レポートの提出を太老から宿題としてだされていた。
本来は実戦に必要な技術や勘を養うためのものだが、志希が改良のコンセプトとしたのは精神≠ノ対する作用だ。
実験都市や正木商会にちょっかいを掛けてくる工作員への対策。肉体ではなく精神に負荷を掛け、考え方や性格を矯正する拷問装置。
謂わば『お仕置き部屋』だ。そんな説明を受ければ、勧んで実験へ参加したいと言う者が現れるはずもない。
そのため、いままで使われることなく日の目を見ることはなかったのだが――
「……もしかして怒ってる?」
普段、余りそういった感情を表にだすことのない志希だが、今回だけは違うとルレッタは感じ取っていた。
「まあ、GPに引き渡すまでの間、体感時間で千年ほど閉じ込めておけば、ちょっとは反省するでしょ?」
サラリと恐ろしいことを話す志希に、ルレッタは引き攣った笑みを浮かべる。
敵と認定した相手に一切の容赦がないあたりは、鷲羽に見初められ、太老の教育を受けているだけのことはある。
恐らくは、ありすにした件が原因だろうが、アランは志希の怒りをそれほどに買ってしまったと言うことだ。
それでも――
(あの人≠ェ反省して心を入れ替える未来が見えないのよね……)
アランの性格を矯正するのは難しいだろうと、ルレッタは溜め息を漏らすのだった。
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