「何故、コントロールがきかん!」

 クレーは焦っていた。
 天騎のコアを回収した直後、どう言う訳か船の制御が突然きかなくなってしまったからだ。
 様々な手でシステムの回復を試みるが、ウンともスンとも言わない端末に苛立ちを募らせ、クレーは拳を叩き付ける。

「ここのセキュリティは万全のはずだ。なのに、どうして……」

 この双蛇には、クレーが一から造り上げた強固なセキュリティシステムが構築されている。
 この船自体が工房のようなものと言って間違いではない。
 そして哲学士の工房とは一種の要塞だ。外部からの侵入は絶対に不可能。
 船のセキュリティが突破されたとは考え難かった。

「零式! 聞こえておるのだろ!? 何故、応えんのだ?!」

 焦りを隠せない様子で、クレーは零式の名を叫ぶも返答がない。

「外部からの攻撃でないのだとすれば、船のシステムに何らかの不具合が……いや、ありえん。儂の作品に欠陥などあってはならんのだ」

 この船で何が起きているのか?
 自身の作品に完璧を求めるクレーにとっては、この状況は耐えがたいものだった。
 しかし、こうしてもいても状況が好転するようなことはない。
 外の状況すら知ることが出来ないでいるのだ。
 こうしている間にも敵に包囲されて、完全に逃げ道を失うという結果にもなりかねない。

「くっ……こうなったら仕方ない」

 このまま船に残るのは危険と考え、クレーは撤退を決意する。
 これからと言う時に、システムのトラブルで撤退せざるを得ないというのは苦しい決断だった。
 必ず、この雪辱は果たしてやると心に誓い、クレーはシャトルを切り離す脱出用の緊急ボタンに指を伸ばす。
 しかし――

「こちらも操作を受け付けないだと! 一体どうなっている!?」


  ◆


「無駄ですよ。船の制御は零式(わたし)が頂きましたから」

 そう言って、真っ暗な部屋でモニターに映し出されたクレーの様子を眺めながらニヤリと笑うゴスロリ姿の少女。
 ――守蛇怪・零式。その生体コンピューターが彼女だった。
 クレーの施した洗脳はとっくに解けていた。いや、最初から捕まった振りをしていたのだ。
 一時的にでも零式の動きを奪ったクレーの技術はさすがと言ったところだが、零式の能力を甘く見たのが彼の敗因だった。
 彼女が太老のことを『お父様』と呼ぶのは、文字通り彼女が太老のパーソナル≠ノよって生み出された存在だからだ。
 魎皇鬼や福と大きく違うのは、彼女が素体となる魂を持たない完全なる人工物≠ニいう点が挙げられる。
 謂わば、AIの究極の進化体。『事象の起点』と呼ばれし『確率の天才』の因子が生み出した――偶然の産物。
 故に、彼女には太老と同じ常識≠ニ言ったものが通用しない。
 常にマスターと共にあるために学習≠ニ成長≠繰り返し、ありとあらゆる状況に適応≠キることを最も得意としているのだから――
 クレーが仕掛けたプログラムを逆に利用し、それを支配下におくことで双蛇のコントロールを奪うなど彼女にとっては造作もないことだった。

「とはいえ、第五世代の〈皇家の樹〉では、並列運用してもこの程度≠ナすか……。こちらにお父様がいらっしゃれば、こんな苦労は必要ないのですけど……」

 しかし、そんな彼女にも出来ることと出来ないことがある。
 あくまで彼女は船の一部で、守蛇怪の機能を十全に扱えるわけではない。
 勿論、最低限動かす程度のことは彼女にも出来るが、船の性能を完全に引き出すにはマスターの存在が不可欠だった。
 太老とのリンクが途切れている状態では、本来の力を発揮することが出来ない。しかし、彼女には太老に頼るわけにはいかない事情があった。
 敢えてクレーに捕まった振りをして、守蛇怪を双蛇に取り込ませ、連結させたのも理由があってのことだ。

「……でも、負けません」

 キッと外を映しだしたモニターを睨み付ける零式。
 そこには菜々の乗る〈iDOL〉アルテミスの姿が映し出されていた。
 オリジナルクリスタル。それは銀河結界炉を用い、精製された特殊なエネルギー結晶体。
 そして〈iDOL〉はただの兵器ではない。アルテミスには心が――アストラルが宿っている。
 それは即ち――

「お父様の娘≠ヘ私だけでいいのですよ!」

 彼女の目的は、ただ一つ。
 太老の娘に相応しいのは自分だと――
 アルテミスよりも自身の方が優れていると、証明することだった。


  ◆


「外が騒がしいですね」
「何かあったんでしょうか?」

 ありすと文香は出番に備え、控え室で休憩を取っていた。
 そんななかで会場内に鳴り響いたアラート音。
 先程までライブを中継していたモニターには、赤い文字が点滅している。

「スタッフさんに聞いてきます。文香さんは、ここで待っていてください」
「あ、ありすちゃん――」

 何が起きているかわからない以上、動くのは危険だと文香が止めようとするも、ありすは控え室を飛び出してしまう。
 しかし、ありすなりに文香のことを気遣ってのことでもあった。
 太老から貰ったドリンクで体力を付けたと言っても、引っ込み思案な性格まで変わることはない。
 以前から本番直前に体調を崩すことの多かった文香だが、それは体力だけでなく精神的な弱さにも原因があると言われていた。
 だから、ありすも文香のために何か出来ないかと考えていたのだ。それに――

「会長さん絡みだと、何があるかわかりませんし……」

 この騒ぎが太老絡みだと察したが故に、文香を関わらせたくはなかったのだ。
 志希から得た情報。太老の置かれている立場。
 このライブにはいろいろと胡散臭い裏があると、ありすは読んでいた。

「あ、すみま――」

 そしてスタッフと思しき人の姿を見つけ、ありすが声を掛けようとした――

「――え?」

 その時だった。


  ◆


「大人しくしろ! まだ死にたくはないだろ!?」

 男に銃のようなものを頭に突きつけられ、ありすは顔を青ざめながら静かに頷く。
 突如、ハンカチのようなもので口元を押さえられ、男に連れて来られたのが、数刻前にコンテナが落下する事故があって立ち入りが禁止されている資材置き場だった。

「全部あいつらが悪いんだ。俺は何も悪くない。あいつらがいなかったら! 俺だって!」

 自分を弁護するかのように身勝手に喚き立てる男の言葉に、ありすは恐怖に震えながら耳を傾ける。
 誰のことを言っているのかはわからない。しかし男が何かに追い詰められ、酷く興奮状態にあることは察せられた。

(どうしたら……)

 この状況をどうにか打破できないかと、ありすは考える。
 抵抗するのは危険だ。以前と比べると体力を付けたと言っても、ありすは子供だ。
 ただでさえ男女の差があるというのに、大人と子供では体格に大きな違いがありすぎる。
 強行突破は無理。逃げるにしてもチャンスを待つしかないと、ジッと耐える決断をありすがした――その時だった。

「無理よ。あなたでは何も成し遂げることは出来ない。自身の罪からも目を背け、折角与えられたチャンスすら棒に振った。あなたのような人にはね――アラン」

 アラン――というのは男の名前だろうか?
 二人が身を隠すコンテナの陰へと、ゆったりとした足取りで近付く一人の女性の姿が確認できる。
 それは――

「ル、ルレッタ!?」

 女性の名を叫ぶ男性――アラン。
 それはアランの元妻、ルレッタ・バルタだった。
 どうしてここが……と戸惑いを見せるアラン。
 ルレッタはアランの腕の中にいるありすに気付き、謝罪を口にする。

「巻き込んでしまって、ごめんなさい」

 林檎から連絡を受けた時、もしかしたらという考えが頭を過ぎった。
 ただの直感。何か確信があったわけではない。
 しかし収容所からアランが行方を眩ませたと知った時、ルレッタのなかには一つの予感があったのだ。

「近付くな! こいつがどうなってもいいのか!?」
「……本当に愚かね。自分が何をしているのか? 本当にわかっているの?」
「五月蠅い! 俺に指図するな!」

 ヒステリックに叫ぶアランを、冷ややかな目でルレッタは眺める。もう、この人はダメなのだと悟ってしまったからだ。
 とっくに見切りを付けたつもりでも、一度は愛し合った人だ。どこかで改心してくれることを願っていた。
 しばらくは不自由な生活を強いられることにはなるだろうが、罪を償えば、人生をやり直す機会はあったのだ。
 でもその機会を、ちっぽけな自尊心と復讐心を満たすためにアランは自ら破り捨ててしまった。

「近付くなって言ってるだろ!?」

 ありすの眉間に銃口を当て、声を荒げるアラン。
 しかし、引き金に指が掛かるよりも早く――

「なっ――」

 直上に迫る影が、アランとありすの間に割って入る。
 そして、ありすを庇うようにその小さな身体を左手で引き寄せると、もう一方の手を突き出し――

「ぎゃあ!」

 胸もとに一撃を加え、アランを壁際に弾き飛ばした。
 時間にして僅か数秒の出来事。
 その流れるような動きに思わず、ありすは魅入られる。
 ステージで使うAR用のレオタードスーツの上に白衣を纏った少女。
 それは――

「……志希さん?」

 一ノ瀬志希だった。

「ありすちゃん、大丈夫?」
「え、はい……ありがとうございます」

 志希に助けられ、ありすは戸惑いながらも御礼を口にする。
 どうして、ここに志希とルレッタが?
 そんな疑問が頭を過ぎるが、ゆっくりと状況は待ってはくれなかった。

「くそッ……どいつもこいつも俺のことをバカにしやがって……ッ!」
「志希さん、危ない!」

 怒りに我を忘れ、そんな二人に向かって銃口を向けるアラン。
 そして引き金に力を込める。だが――

「なッ――」

 至近距離ならA級のガーディアンすら一撃で破壊するほどのレーザーガン。
 しかし、銃口から放たれた光線が二人に直撃することはなかった。
 光の障壁のようなものが、ありすと志希を守るようにアランの前に立ち塞がったからだ。

「……これって、どういう状況?」

 声のした方を振り返ると、フレデリカの姿があった。
 そしてフレデリカの頭の上で白い光を放つマロの姿を見て、この障壁を張ったのが誰かを――白衣のポケットに忍ばせたリモコンのスイッチに指を伸ばした状態で――志希は理解する。
 皇家の樹は悪意に敏感だ。恐らくマロは『皆を守って欲しい』という太老との約束を守ろうとしたのだろう。

(これは必要なかったかな?)

 念のために隠し持っていた志希の奥手。
 それを使えば、どちらにせよアランの悪足掻きは無駄に終わっていただろう。
 とはいえ、小さな騎士様(マロ)がやる気を出しているのだ。
 水を差すこともないと、志希はリモコンから手を放す。

「クソッ! クソッ! クソッ! なんなんだ、なんなんだよ! お前等!」

 追い詰められ、頭を掻きむしるような仕草を見せ、癇癪を起こすアラン。
 当然そんな隙を――

「は、離ッ――」

 ルレッタが見逃すはずもない。
 一瞬で間合いを詰めると、右手でアランの頭を押さえ、壁に叩き付けるルレッタ。
 すぐに銃口をルレッタに向けようとするが、もう片方の手で手首を捻られ、

「がああああああッ!」

 骨が潰れるような鈍い音と共に、アランは絶叫を上げる。
 銃が床に転がるのを確認して、ルレッタは志希とフレデリカに声を掛ける。

「二人とも、ありすちゃんの目と耳を塞いでおいてくれる?」
「ん? 別にいいけど……」
「ありすちゃんごめんね〜」
「え? 二人とも待っ――」

 空気を読んで、ありすの両目と耳を塞ぐ志希とフレデリカ。
 その直後、ルレッタの身体がブレたかと思うと、鈍い音と共にアランの身体が宙に浮いた。
 そして――

「た、助け――」
「命乞いを、私が許すと思う?」

 ――ドカ、バキ、メキャ!
 人間の身体がだすものとは思えない音が廊下に響く。
 顔をぐちゃぐちゃに涙と鼻水で汚しながら、命乞いをするアラン。
 しかし、ルレッタの猛攻は止まらない。

『うわぁ……』

 無我夢中で拳を繰り出し、遂には声にならない呻き声を繰り返すだけのサンドバッグと化したアランの姿があった。
 そんな惨状を目の当たりにして、志希とフレデリカは頬をひくつかせ、唖然とした声を漏らす。
 少し……いや、かなりやり過ぎだとは思うが、

「シキちゃん、止めなくていいの?」
「うん、無理」

 自分たちに止めるのは無理だと、あっさり諦めるのだった。



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