「……マリア皇女を見失った?」

 侍従長の報告を聞き、ラシャラ女皇は眉間にしわを寄せると、深い溜め息を吐く。
 実のところマリアがこうして護衛の目を盗んでいなくなるのは、初めてのことではなかった。
 太老に助けられた時も本来であれば、女皇と共に貴賓席で試合を眺めているはずだったのだ。
 ところが少し目を放した隙に姿を消し、一般席に紛れて試合を観戦していたところを事件に巻き込まれ、太老に助けられたというのが先日のあらましだった。
 そんなお転婆姫だけに、またかと女皇が溜め息を漏らすのも無理のないことだ。とはいえ、一国の皇女だ。見失いました、はいそうですかと言う訳にもいかない。
 マリアが例え、あのパパチャの血を引く娘だとしてもだ。

「……捜索は?」
「既に近衛を総動員して行っております。ですが一つ問題が……」

 真剣味を帯びた侍従長の言葉に、女皇は怪訝な表情を見せる。
 どうにもよくない予感を覚えたからだ。
 そして、その予感は当たっていた。

「貴族たちが? それは確かなのですか?」
「はい。決闘の代役にパパチャ皇帝を立てたとの話なので、保険として手元に置いておきたいのではないかと」
「マリア皇女を人質に取って……ですか?」

 宰相派に付く貴族たちがよからぬ動きを見せていると聞き、女皇は目尻を押さえる。
 恐らくはパパチャを決闘の代役に立てたはいいが、彼等もパパチャを制御しきれるとは考えていないのだろう。
 そのため、人質を取って従わせるつもりでいるのだと察することが出来る。しかし、それは大きな間違いだと女皇は知っていた。

「なんて愚かなことを……」

 パパチャという男は、欲望に素直な男だ。自分以外の人間は、目的を叶えるための駒程度にしか考えていない人間のクズだ。
 女王自身、若かりし頃はそんなパパチャの思惑に都合良く利用された苦々しい記憶を持つだけに、彼に対する不信感は人一倍強かった。
 いまも毎年のように『あの頃のことを謝りたい。誤解を解きたい』と言って熱烈なアプローチをしてきてはいるが、それも別の目的があってのことだと女皇は気付いていた。
 だからこそ、あの男なら娘を人質に取ったところで、素直に従うことはないと断言できる。むしろ状況を悪化させるだけだ。

「そんな真似をしたところで、あの国に口実を与えるだけです。彼等は戦争がしたいのですか?」
「自尊心の高い方々ですから……恐らくは帝国を下に見ているのでしょう」

 侍従長のいうように、この国の貴族たちは他国を下に見ている者が多い。
 自分たちは世界の大半を支配する統一国家の貴族だという自尊心が彼等にはあるからだ。
 言い掛かりをつけられたところで、強く脅せば力に屈するしかないとでも考えているのだろうが、それは大きな間違いだと女皇は考えていた。

(追い詰めれば、鼠だって猫を噛むというのに……)

 パパチャは人格的に問題はあっても、銀河帝国の貴族だった男だ。それだけで警戒するには十分な理由がある。
 そして彼が築き上げた帝国も、現在は大きく国力を落としているとはいえ、嘗ては統一国家と勢力を二分した大国だ。決して油断の出来る相手ではない。それに戦争ともなれば、パパチャに味方する国も出て来るだろう。もしかすると、統一国家のなかにも裏切る者が現れる可能性がゼロとは言えない。それほどに、この国は大きくなりすぎた。現体制に不満を抱えている者、脅威に感じている者も少なくはないと言うことだ。
 パパチャを嫌ってはいても、女皇が国としての付き合いを疎かにしないのは、そうした最悪の未来を起こさせないためだ。
 事実、いまもこうして貴族たちを御し切れていない。そのことが尚更、女皇の不安を掻き立てるのだった。





異世界の伝道師 第287話『心の変化』
作者 193






「皇女殿下、捜しましたよ。女皇陛下も心配しておいでです。どうぞ、こちらへ」

 コロシアムへ向かう途中、マリアを連れたドールとメザイアは兵士の格好をした複数の男に道を阻まれていた。

「皇女殿下を悪漢から救ってくれたことには感謝するが、これも職務だ。ここからは我等が陛下のもとへ皇女殿下をお連れする」

 対応は丁寧で、見た感じはこの国の兵士のようだが、ドールはどうにも胡散臭さを感じる。
 事実、マリアも嫌な気配を感じ取っているようで、ドールが「どうする?」と尋ねると首を横に振って答える。
 となれば、ドールの答えは決まっていた。

「姫様は嫌だって言ってるわよ?」
「だが……」
「心配しなくても、ちゃんと私たちが女皇陛下のもとへ連れて行ってあげるわよ。元から、そのつもりだったしね」

 最初からマリアを女皇のもとへ連れていくつもりだったのだ。
 女皇の命を受けた兵士だというのなら、当然自分たちのことも聞いているはずだとドールは考え、そう兵士たちに話す。
 だが、兵士たちは一切引く様子を見せず、

「我等は勅命で動いている」
「だから?」
「職務を妨げると言うのであれば――」

 腰の剣に手を当てる。
 脅せば屈するとでも思ったのだろうが、ドールの反応はそんな彼等の予想と違っていた。

「じゃあ一つ聞きたいんだけど、なんで私たちが姫様を助けた≠ネんて知ってたの?」
「何を言って……」
「一部始終を見ていたなら、アンタたちが助けたはずよね? でも実際には誰も助けに現れなかった」
「も、目撃者から話を聞いただけだ! それで我々は――」
「ふーん、そうなんだ。私はてっきり、最初から姫様が襲われることを知ってたんじゃないかと思ったんだけど」
「我等を愚弄する気か!?」

 激昂して腰の剣を抜く兵士。そんな兵士の反応を見て、ドールは「やっぱりね」と嘲笑する。
 どうにも最初から胡散臭いと思っていたのだ。そもそも彼等が現れたタイミングからして都合が良すぎた。
 まるで待ち伏せをしていたかのように姿を見せたこともそうだが、聞き込みをしてから追い掛けてきたにしてには対応が早すぎる。
 むしろ悪漢にマリアを浚わせることが目的で、それが上手く行かなかったから慌てて出て来たと言った方が説得力があった。

「はあ……もう少し穏便に済ませることは出来ないの?」
「どっちにせよ、こいつら私たちを逃がす気なんてないわよ」
「だからって、煽ることないでしょ? ……と言っても、この場合は仕方がないわね」
「メザイア?」

 溜め息を交えながらも自分たちの前へでるメザイアを見て、ドールは眉をひそめる。

「こいつらの相手は私に任せて、先に行きなさい」
「この程度の連中、別にアンタの力を借りなくたって――」
「その子に怪我をさせるわけにはいかないでしょ?」

 チラリとマリアを見て、そう話すメザイアにドールは何も言えなくなる。
 兵士たちを叩きのめすくらいメザイアの力を借りずとも、ドール一人で問題はない。
 しかし万が一を考えると、幼いマリアを戦闘に巻き込むことは出来る限り避けたい。
 特にドールは守りながら戦うと言ったことに慣れていない。その自覚はドールにもあった。

「あなたに懐いているみたいだしね。しっかりと守ってあげなさい」
「別に借りだなんて思わないから……」
「貸したとも思ってないわよ」

 メザイアの言葉に一理あると認め、渋々といった様子で納得するドール。
 そんなドールの言葉に、メザイアは苦笑を交えながら言葉を返す。
 そして、

「しっかりと捕まってなさい」

 と言ってマリアを抱き上げると、ドールは人間離れした跳躍力で建物の屋根へと飛び移った。
 そして屋根伝いに走り去るドールを見て、兵士たちは慌てて追い掛けようとするが――

「はいはい。邪魔はしないであげてね」
「なッ――」

 進行方向に立ち塞がったメザイアが、先程までドールと言い争っていた兵士を投げ飛ばし、地面へと叩き付けた。
 自分たちの隊長が倒されたことで、兵士たちは動揺を見せる。
 いつの間にメザイアが反対側に移動したのか? 隊長がどうやって投げ飛ばされたのか?
 何一つ、わからなかったからだ。

「さてと、少しお仕置きが必要かしらね」

 全身から獣のような殺気を放ちながら、メザイアは目の前の兵士たちにそう告げるのだった。





【Side:太老】

「いよいよか……」

 聖機神の操縦席で俺は息を大きく吸い込み、深呼吸する。
 準備は万端。やれるだけのことはやった。あとは試合に全力を尽くすだけだ。
 操縦桿を握る手に力を込めた、その時。目の前のモニターに、ネイザイの顔が映し出された。

「どうかしたのか?」
『試合の前に、どうしても言っておきたいことがあってね』

 そう言うと、ネイザイは深く頭を下げてきた。

『……ごめんなさい』
「なんのことだ?」
『誤魔化さなくていいわ。気付いていたのでしょ? 私があなたを避けていたことに……』

 え? やっぱり、そうだったのか?
 なんとなく察していたとはいえ、本人から避けていたなんて言われると、微妙にショックなんだけど。
 でも、まあ……避けていたと言うのなら、仕方のないことなんじゃないかなとも思う。
 いろんなことがあったしな。すぐにネイザイも心の整理が付かなかったのだろう。何よりユライトの件だ。

「俺の方こそ、悪かった。力になってやれなくて……」

 任せろと偉そうなことを言った割に、あの結果だしな。
 厳密にはユライトが赤ん坊に退行したのは俺の所為ではないとはいえ、力不足は痛感していた。
 俺には無理でも鷲羽(マッド)なら、もっと上手くやれていたかもしれないと考えたからだ。
 何より、ネイザイがそんなにも思い詰めていると気付かなかったことを情けなく思う。
 考えてみれば、ずっとユライトと共に生きてきたのだ。謂わば、自身の半身のような存在だ。
 だからこそ、あんな姿のユライトを見れば、ネイザイがショックを受けるのも無理のないことだった。

『そうよね。あなたは、そう言う人だって最初からわかっていたことなのに……』

 うっ……自覚はあるとはいえ、そんな風に言われると、やはりショックだ。
 しかし研究に没頭すると、他のことが見えなくなるのは俺の悪い癖だ。
 実際ネイザイに謝られるまで、すっかりそのことを忘れていたので反論も出来なかった。

『すべて片付いたら、地球へ帰るつもり?』

 いまの話の流れから、どうしてその質問に結び付くのかわからなかったが、俺は素直に答える。

「ああ、そりゃ勿論」
『なら、その時は私も一緒に連れて行ってもらえないかしら?』

 地球に行きたいってことか?
 実際のところ零式と再会したことで、地球への帰還の目処は見えてきたと言っていい。
 どちらにせよ、互いの世界を行き来する方法については、以前から検討していたことだ。

「わかった。約束するよ」

 こんなことが罪滅ぼしになるとは思わない。
 しかし少しでもネイザイが元気を取り戻してくれるなら――

『ありがとう』

 そのくらい構わないか、と。
 そう言って笑うネイザイを見て、俺は思うのだった。

【Side out】





【Side:ネイザイ】

 決闘の舞台へ赴く彼の聖機神を見送りながら、私は自分の愚かさを恥じる。

「あの子の言っていた通りになったわね……」

 ドールの言っていたように、彼はまったく気にしてなどいなかった。
 それどころか、逆に『力になってやれなくて悪かった』と謝ってくるなんて……。

「もっと早くに気付いていたら、違った未来もあったのかもしれないわね」

 それは自分自身とユライトに向けた言葉でもあった。
 彼は自分の力を理解している。恐れられることにも慣れている。それでも他人を思い遣る心を決して忘れたりはしない。
 だからこそ彼のことを慕う人々が、あんなにも大勢いるのだろう。
 そのなかに私も入ろうとしている。いや、とっくに彼に心奪われてしまっていた。
 レイアのことを許したわけではないけど、いまではあの子があちらの世界へ行ったことは間違いではなかったように思える。

「私にその資格はないのかもしれない。でも……」

 彼から受けた恩を返しきれるとは、とても思えない。それでも報いたい。
 それを彼が望まないとわかっていても――

「こんな生き方しか、私には出来ないから」

 彼に救われたこの命を、彼のために使いたい。
 それが人造人間(わたし)に出来る唯一の恩返しだった。

【Side out】





 ……TO BE CONTINUED



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