山の中腹にある神社の社務所に、二つの人影があった。
一人は袴に身を包んだ長い髪の老人。この神社の宮司を務める柾木勝仁という人物だ。
太老を拾った清音の父親でもある。そして――
「お義父さん。それで、お話というのは?」
もう一人。眼鏡を掛けたサラリー風の中年の男性。彼は柾木信幸。
旧姓を『正木信幸』と言い、柾木家に婿養子で入った清音の夫だ。
とはいえ『正木家』とは、勝仁(遥照)と霞の間に生まれた子孫たちが築いた分家だ。
信幸から見れば、勝仁は何代も前のご先祖様と言うことになる。
「清音が拾ってきた坊主のことじゃ」
「ああ、確か名前は――」
山田太老。
さすがに『柾木』の姓を名乗るのはまずいと考え、そう太老は名乗っていた。
何故『山田』かと言うと、咄嗟に思いついた名字がそれしかなかったためだ。
しかし――
「明らかな偽名……ですよね?」
「お前さんも、そう思うか」
バレていた。ある意味、当然と言えば当然だ。
太老からすれば、西南の名字を咄嗟に拝借しただけなのだが、『ヤマダ』の後に続くのが『タロウ』では些か安直すぎる。
「でも悪人ではないと思います。よく働いてくれますし」
「うむ……まあ、清音は少々性格に難はあるが、人を見る眼は確かだからの」
とはいえ、清音は直感で人の本性を見抜く力がある。
清音が警戒していない以上、悪人ではないという見方で二人の見解は一致していた。
それに本気で騙すつもりなら、ヤマダタロウという安直な名前を名乗らないだろうとも考えていたからだ。
ただ一つ、勝仁には気に掛かることがあった。
「狩りを手伝ってもらった時に気付いたが、剣術の心得があるようじゃ」
「剣術……ですか?」
「うむ。それに、あの動き。恐らくは樹雷皇家の……」
勝仁の話に目を瞠る信幸。
無理もない。勝仁――遥照の生存は伏せられている。当然この村のことも秘匿されていた。
このことを知るのは、樹雷でも限られた一部の者だけだ。
そのため――
「では、彼は樹雷から? まさか、ここのことが――」
この村のことが知られたのでは? と信幸は訝しむ。
調査のため、極秘裏に樹雷より派遣されたと考えることも出来るからだ。
しかし勝仁はそんな信幸の問いに、首を横に振って答える。
この村の情報を握っているのは、あの神木瀬戸樹雷だ。情報の漏洩は考え難い。
だとするなら意図して仕組まれたとも考えられるが、いまになってどうして? という考えが頭を過ぎる。
「その可能性は低いと思うが……」
覚悟を決めておく必要はあるかと、勝仁は話を締める。
もし、この件に瀬戸が関わっているのだとすれば、警戒するだけ無駄。どちらにせよ、成り行きに任せるしかない。
しかし、ただの勘ではあるが、その可能性は低いと勝仁は考えていた。
(霞……)
太老から感じた懐かしい空気。
それは地球で出会い、恋した一人の少女を思い出させるものだったのだから――
異世界の伝道師 第296話『紳士会』
作者 193
【Side:太老】
始祖母・霞。
それは遥照こと勝仁が地球で作った現地妻≠ノして、『正木家』の始まりとも言うべき遠いご先祖様の名前だ。
実は彼女は遥照の母、船穂の妹の娘で、面影が船穂によく似た女性だったという話を俺は聞いている。
皇家の樹に母親の名前を付けるくらいだし、勝仁のマザコン振りは本当に徹底していると、この話を聞いた時には思ったものだ。
ちなみに俺の母親の『かすみ』という名前は、その始祖母から頂いたという話だ。
ふっくらとした顔立ちの和装美人と言った感じの母だが、そう言われてみると確かに船穂と顔立ちが似ている。
俺の『太老』という名前も、実は船穂の父。霞の祖父の名前が元になっているそうだしな。
まあ、何が言いたいかと言うと俺が生まれ育った『正木の村』というところは、先祖を同じくする親類親戚ばかりと言うことだ。
この時代はまだ『山田家』の人々は移住してきていないし、外から村に引っ越してきた人はほとんどいないと言っていい。
純粋な地球人がいないわけではないが、結婚などで村の人と結ばれてというケースが大半だしな。
俺の父親も、実はその一人だったりする。
ようは閉塞的な村社会だ。その分、村の中に限って言えば、噂が広まるのも早い。
「アンタかい。清音ちゃんが拾ったって子は」
犬や猫じゃないんだから、そういう例えは止めて欲しいのだが、村の人の話に黙って頷いておく。
そもそも、それで受け入れられている現状に驚くのだが、清音のすることだからで説明の付くあたりが哀愁を感じる。
さすがはアイリの娘と言ったところだろうか?
清音の家で世話になり始めて一週間。畑仕事や狩りを手伝いながら、俺は日々を過ごしていた。
いまや、俺のことを知らない村人はいないと言っていい。
警戒はされていないようだが、清音の所為で妙な覚えられ方をしているのが気になる。
「じゃあ、これ持っていきな。清音ちゃんや信幸さんに、よろしく伝えておくれ」
そう言って、村の人に渡された野菜を籠に入れ、背中に担ぐ。
まったく貨幣が浸透していないわけではないのだが、この村では物々交換が日々の生活を支えている。
外との交流なんて、ほとんどないしな。この時代なら尚更だろう。
村の人に御礼を言い、山道を歩いていると、ふと懐かしい景色が目に入った。
「この辺りは余り変わっていないみたいだな」
まだ天地は生まれていないようだから、少なくとも三十年以上は過去の世界にきたはずだ。
しかし、現代と余り変わらない。俺のよく知る景色が目の前には広がっていた。
勝仁が魎呼を追って地球へやってきて七百年。
地球人と結ばれ、この星に定住する覚悟を決めて、安住の地に選んだのがこの場所≠セ。
少なくとも、この土地に定住して数百年は経過しているはずで、数十年程度では余り変化がないのも当然と言えば当然だった。
樹雷の民の血を引き、生まれながらにして〈皇家の樹〉の庇護を受ける勝仁の子孫は、地球人と比べて頑丈で寿命が長い。
その所為で『長寿の村』として知られ、過去には不老長寿の秘密を探るために時の権力者に狙われたこともあると言う話だ。
故に、外の世界とは無縁の生活を送っている。数十年経っても、余り村の景色に変化がないのは、そのためだ。
現代では、それなりに外との交流も進んではいたが――
インターネットの普及などで情報伝達速度が飛躍的に向上し、村の存在を隠しきることが難しくなったことも理由にあるだろう。
俺が子供の頃、番組の撮影でテレビが村にやってきたことがあり、ちょっとした騒動になりかけたこともあるしな。
「まあ、上の方はなんだかんだと繋がっているみたいだけど」
政府や財閥の関係者なんかには、この村のことを知っている外部の協力者もいるみたいだ。
地球の科学技術が発達していけば、そのうち村の秘密に辿り着く者も出て来るだろう。
完全に外部との交流を絶つのではなく、権力者との繋がりを確保しているのも、そのための備えと考えれば合点が行く。
話が少し脱線したが、この村はそうした理由で外との交流が少ない。その分、刺激に飢えていると言うことでもあった。
そのため、大半は成人の儀を終えると宇宙へ飛び出して行くようだが、なかには一旦は宇宙へ上がるものの地球に帰ってきて定住する者も少なからずいる。
そうした者は年齢や姿を偽り、ひっそりと隠れ住むのが普通なのだが、清音は少し変わっていた。
あの行動力だ。そもそも地球に定住したからと言って、大人しくしていられるはずもない。
「おや、太老くん。清音を見なかったかい?」
「今朝、突然『見晴らしの良いところで太陽が昇るのをみたい』と言って、山登りに行きましたけど……」
「……またかい? この間は確か『ペンギンを見たい』とか言って、南極へ行ったと聞いたけど……」
家に着くと、玄関先にいた信幸に清音のことを尋ねられ、俺は素直に今朝あったことを答える。
恐らく今頃は地球で最も高い山≠フ頂上を目指して、登山の真っ只中だと思う。
朝日が昇るのを見に行ったのであれば、帰りは明日になると思っていいだろう。
しかし南極にも行ってたんだな……。
「昔から清音は思い立ったら即行動というか、非常に行動力のある女性でね……」
子供の頃からよく連れ回されたものだよ、と笑う信幸を見て、なんとも言えない同情が湧く。
しかし考えてみると、その清音との結婚を決意したのだから、ある意味で尊敬に値する人物だと俺は思う。
例えるなら、アイリや鬼姫をそういう対象に見ることが出来るかといったくらいに決断のいることだ。
普通なら頭がおかしくなったんじゃないかと周囲が止める。そう言う意味で、鬼姫の旦那の内海も俺は尊敬していた。
俺なら絶対に無理だ。そうした前例を目にしていると、結婚に対する願望など微塵も湧いてこない。
(取って食われる未来しか想像できないしな……)
まさに捕食する側とされる側だ。
恋愛と言うよりは、弱肉強食の未来しか想像できなかった。
「そうか、清音は出掛けているのか。だったら丁度いい。今晩、ちょっと付き合ってくれるかな?」
「はい?」
◆
ちょっと付き合って欲しいと言われて連れて来られたのは、村の集会場だった。
今日、男衆の寄り合いがあるそうで、俺のことを皆に紹介したいそうだ。
集まっていたのは、既に成人を迎えた村の男たち。この村の秘密を知る『正木』の関係者ばかりだ。
何人か、見覚えのある人もいる。しかし、なんというか――
「お前のところもか」
「ああ、正木の一族は基本的に女性上位だからな……。立場が弱いのは、どこも同じだ」
愚痴というか、相談というか、どうすれば男性の地位を向上させられるかの対策会議みたいになっていた。
真剣に話し合う紳士会のメンバーを見て、さすがに『いや、無理じゃね?』とは言い難い空気だ。
しかし俺は知っている。これが無駄な話し合いに過ぎないと言うことを――
そもそも、こんな集まりでどうにか出来るのであれば、『クソババア被害者の会』なんてものが設立されるはずもない。
樹雷皇ですら、どうにもならないことだ。運命と思って受け入れるしかないのだろう。
「そう言う意味では、信幸くんはよくやってるよ」
「だなあ。あの清音ちゃんが相手だしな……」
うんうん、と一斉に頷く男たち。気持ちはわからなくもない。
俺が信幸や内海に感じているのと同じような感想を、彼等も抱いているのだろう。
信幸も自覚はあるのか? 困った顔で頬を掻きながら苦笑を漏らしていた。
「山田くんと言ったか? 哲学士を目指してるんだって?」
「え、まあ……はい」
そう言えば、そんなことを清音に話したっけ?
「俺も昔はアカデミーに通っていたことがあるんだが才能がなくてね」
才能……才能ねえ。俺にそんなものがあるのだろうか? と、時々疑問に思うことがある。
幼い頃から学んできたとあって、それなりに知識と技術は身についたが、マッドには遠く及ばないのが現状だ。
俺が哲学士の真似事を続けているのは、趣味の延長のようなものだしな。
アカデミーを卒業したわけでもなく、本職に敵わないのは当然と言えば当然なのだけど――
(将来のことか……。言われてみると、真剣に考えたことはなかったな)
中学を卒業すると同時に宇宙に連れ出され、その後は異世界に飛ばされたからな。
ゆっくりと将来について考える余裕はなかったというのが本音だ。
状況に流されるばかりの人生を送っていたしな。目まぐるしく変わる環境に適応するので精一杯だったとも言える。
このまま哲学士を目指すかどうかはわからないが、将来はここにいる人たちのように俺も結婚して子供を作ったりするのだろうか?
(……想像できないな)
ありえないとは言わないが、そうした自分を想像できない。
一応、婚約者はいるけど、マリアとラシャラはまだ子供だしな。
水穂は……そこまで考えて、頭を振る。
「どうかしたのかい?」
「いえ、なんでも……」
首を傾げる信幸。
水穂は勝仁とアイリの娘。清音の姉になるんだよな。
そう考えると、信幸に奇妙な親近感を覚えるのだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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