天を突くかのような大岩。その『天地』を囲うように張り巡らされた結界は、直径十キロにも及ぶ。
 その結界は始祖母アウンと同じ能力を持つ巫女か、女神の加護を持つ者にしか通り抜けることが出来ない。
 そんな結界に阻まれて天地岩に近付けないでいるメザイアとネイザイの姿があった。

「かなり強固な結界が張られていることは確かだけど……ネイザイ、そっちはどう?」
「ダメね。解除は当然のこと、解析すら出来そうにないわ」

 手も足もでないことに、徒労感を滲ませるメザイアとネイザイ。
 せめて村人の協力を得られればよかったが、残念ながら色よい返事は得られなかった。
 むしろ、ラシャラ女皇の口添えがなければ、天地岩に近付くことすら拒まれていた可能性が高い。
 事実、村長などは村の掟を理由に、最後まで難色を示していた。
 何より誤算だったのが――

「女神と交信できる巫女が不在だなんてね……」

 そう言って、溜め息を漏らすメザイア。
 名も無き女神から神託を授かることが出来る巫女。
 それは始祖母アウンと同じ力を持ち、結界を無効化できる能力者のことを指す。
 しかし残念ながら、この村には現在、巫女の資格を持つ女性は一人もいないという。
 巫女の家系に生まれたからと言って、確実に始祖母アウンの能力を受け継ぐと言う訳ではない。
 現在、この村に巫女の血統の女性は三人いるが、何れも結界を越えられるほどの能力は受け継いでいないという話だった。

「ほれ、見たことか。理解したなら、さっさと諦めて村を去ることじゃ」

 そんな二人の悪戦苦闘する姿を見て、したり顔を浮かべる村長。
 結界のことを教えても、実際に自分の目で見なければ信じないものは多い。
 その時はこうして結界の力を見せることで、天地岩の伝承が嘘でないことを示してきたのだろう。
 女皇に頼まれた手前、結界に近付くことは許可したが、村長からは余所者に協力する気はないという意思が垣間見える。
 しかし、

「零式ならいけるんじゃない?」

 ふと頭に過ぎったアイデアを口にするドール。
 その手があったかと、ポンと手を打つメザイアとネイザイ。

「なんじゃ? レーシキというのは?」

 そんななか一人、話についていけない村長は首を傾げる。
 その様子に苦笑しつつ、ラシャラ女皇は村長に尋ねる。

「村長。この結界を通れるのは、神託の巫女と女神の加護を持つ者だけ。そのことに間違いはありませんか?」
「ラシャラ様……何度も言うように、いまは神託を授かれる巫女がおらんのです。こればかりは、どうしようも……」

 始祖母アウンの親友として伝え聞くラシャラ女皇には、さすがに強くはでられない様子で答える村長。
 村長もただ余所者を聖域に招き入れるのが嫌で、こんなことを言っているわけではない。
 実際に女神と交信をしようにも巫女がいないのだ。それでは、どうすることも出来ない。
 だが、

「巫女はともかく、女神の加護を持つ人物になら心当たりがあります」
「……なんですと?」

 女神の加護を持つ人物と言われて、真っ先にラシャラ女皇たちの頭に浮かぶのは太老だった。
 しかし残念ながら太老はこの場にいない。パパチャの罠に嵌まって次元の狭間に飛ばされたからだ。
 だが、

「零式、見てるんでしょ? 聞こえてるなら出て来て」

 ドールは零式に呼び掛ける。
 守蛇怪・零式は太老の船だ。零式から太老とはアストラルリンクで繋がっているとの話も聞いている。
 それなら、もしかして――
 そんな皆の期待に応えるように、どこからともなく姿を見せる零式。

「この結界、どうにか出来るんじゃない? アンタなら」
「正直、面倒臭いですけど……お父様のためなら仕方ありませんね」

 はあ、と溜め息を溢すと、結界を調べるために天地岩に近付き――
 メザイアとネイザイの間を通り抜け、あっさりと結界を越えてしまう。

「……あっさりと結界を越えたわね」
「……なんとなく予想はしてたけど」

 わかってはいたけど、理不尽なものを感じずにはいられないメザイア。
 もう諦めた様子で、深い溜め息を漏らすネイザイ。
 ドールは「やっぱりね」と、納得した様子を見せる。
 女皇もなんとなく予想はしていたのか、特に驚いた様子はない。
 一方で、村長は目を丸くすると、

「ぬあああああ!?」

 張り裂けんばかりの声を上げるのだった。





異世界の伝道師 第306話『アウン』
作者 193






 平伏する村長に気をよくしたのか、胸を張ってフフンと鼻を鳴らす零式。

「それで、どうなの?」
「結界ですか? 消そうと思えば、消せますよ。ただ――」

 そんな優越感に浸る零式に、結果はどうだったのかと尋ねるドール。
 すると零式は、結界を消すことは可能だと答える。
 しかし零式に出来るのは結界を壊すことだけ――
 一度消した結界は元には戻らないとの話を聞き、慌てたのは村長だった。

「お待ちくだされ! それは困ります!」

 結界は〈天地岩〉を守護するためのものであると同時に、女神と交信する資格を持つ者を選別するためのものだ。
 結界が失われてしまえば、最悪――女神との交信にも影響がでるかもしれない。
 本来の機能と役割を天地岩が失うかもしれないと村長から聞かされ、ドールは考える。

「なら、正直に話しなさい。女神と交信をするには、どうすればいいの?」
「うっ……」

 どう答えるか一瞬迷った様子を見せるも、結界を壊されては堪らないと、村長は観念した様子でおもむろに口を開き始めた。
 女神と交信する方法は一つ。資格を持つ者が祭壇に向かって祈ればいい。
 一見すると、簡単なことのように思える。
 しかし、

「女神を敬い、祈りを捧げる? ……零式、できる?」
「私が心から崇拝し、祈りを捧げるのはお父様だけです!」

 そんな気はしたとばかりに、ドールは肩を落とす。
 そもそも太老がいない状況で、零式がドールたちの話を聞き、行動を共にしているだけで奇跡なのだ。

「どうする?」
「どうするも何も……」

 ドールに話を振られ、困った顔を浮かべるメザイア。
 同じような質問をされても、ネイザイやラシャラ女皇も困るだろう。
 零式の説得は不可能。カタチだけでも女神に祈りを捧げるような真似を、零式がするとは思えない。
 いや、絶対にしないだろうと言うことは、まだそれほど零式との付き合いが長くない彼女たちでも察することが出来た。
 ああでもない、こうでもないと、村長を放置して相談する四人。そうしていると、

「お困りのようね」

 声のした方を振り返り、ドールとネイザイは目を瞠った。
 そこにいたのは忘れもしない。
 以前、太老と共に泊まった温泉旅館の女将だったからだ。


  ◆


 アウン・フレイヤ。
 嘗て、英雄の妻となった女性と同じ名を持つ、温泉旅館の女将。
 まさか、こんな場所で再会すると思っていなかったドールとネイザイは、心の底から驚いた様子を見せる。
 そんな二人の様子が気になって、メザイアはドールに尋ねる。

「知り合いなの?」
「前に街の調査に出掛けたことがあったでしょ?」

 ドールに言われ、赤ん坊の面倒を見るために、船で留守番をしていた時のことをメザイアは思い出す。

「その時に泊まった温泉旅館の女将よ」

 なるほど、と二人が顔見知りの理由に納得するメザイアだったが、すべての疑問が晴れたわけではなかった。
 その温泉旅館の女将が、どうしてこの村にいるのか?
 温泉旅館のある遺跡都市からこの村までは、直線距離にして三千キロ以上離れている。
 守蛇怪なら一瞬の距離でも、この世界の乗り物では飛空船を使っても丸一日はかかる距離だ。気軽に行き来できる距離ではない。
 そんなメザイアの疑問を察して、女将は答える。

「簡単な話です。村と〈鬼の汲み湯〉を結ぶ転送装置がありますから」

 転送装置があると聞いて、メザイア、ネイザイ、ドールの三人は目を瞠る。
 鬼の汲み湯とは、以前話に聞いた『神の眠る洞窟』と呼ばれている遺跡のことだ。
 崩落の危険があるから、国の許可がなければ入れないとの話だったが――

「……事実です。崩落は人を寄せ付けない建て前、遺跡の悪用を防ぐためですから……」

 ラシャラ女皇の話に、そういうことかと納得する三人。
 それなら確かに、ここに女将がいることの説明が付く。
 でもそのことを、どうして温泉旅館の女将が知っているのかという疑問が湧く。

「私たちの一族には、始祖母様と同じ力を受け継ぐ巫女が生まれることがあります。例えば――」

 その疑問に答えるように女将は空へ手をかざすと、エナを指先に集め、白い光のようなものを放つ。
 すると、空中で制止した鳥の姿を見て、目を瞠るドール、メザイア、ネイザイ。
 落ちてこないところを見るに、ただ動きを止めたと言う訳ではなさそうだ。
 そこから察せられるのは、

「まさか、時間を止めた?」

 空を飛ぶ鳥の周囲の空間ごと、時間を凍結したのだという答えにメザイアは達する。
 その答えに満足した様子で、頷く女将。

「そして巫女の力を持つ者は、アウンの名を継承します」

 その話を聞き、どうしてこの場に女将がいるのか気になっていた三人も、ようやく納得が行く。
 村長は、いまは村に神託を授かれる巫女がいないと言っていた。
 それは巫女が存在しないということではなく、村にいないと言う意味だったのだと気付かされたからだ。

「巫女の責務を放棄したお前が今頃村へと帰ってきて、どういうつもりじゃ」
「その責務を果たすために戻ったのよ。ご先祖様の想いを無駄にしないためにね」
「フンッ……」

 不機嫌そうに鼻を鳴らすと、村長は「勝手にせい!」と怒鳴り声を上げ、女将に背を向けて立ち去る。
 そんな村長の後ろ姿を見て、苦笑を漏らす女将。
 巫女の力を受け継ぎながら旅館で働くことを優先し、村を離れたのは事実だ。
 村の掟を第一とする村長が頑なな態度を取るのも理解できる。ただ、それは巫女の役目を軽んじたからではなかった。

「ご無沙汰しております。女皇陛下……」

 膝をつき、深々と頭を下げる女将。
 相手は一国の女皇だ。その反応は間違いではない。
 しかし、ラシャラ女皇は首を横に振ると、女将に向かって言う。

「畏まる必要はありません。そのように他人行儀な呼び方ではなく、昔のように『ラシャラ』と呼んでください。――アウンさん」

 巫女の資格を持つ、アウンの名を継いだとは言っても始祖母とは違う。
 目の前の女性は、ラシャラが知るアウンとは別人のはずだ。
 しかし一目見た時から、ラシャラにはわかっていた。
 いや、気付かされたと言っていい。

「やっぱり、あなたは騙せないか」

 女将の身体を光が包み込んだかと思うと、見た目ドールとそう年端の変わらない女の子が姿を見せる。
 彼女こそ、英雄フォトンと共に歴史の表舞台から姿を消した巫女姫。

「元気にしてた? ラシャラ」

 始祖母アウン・フレイヤ――その人だった。





 ……TO BE CONTINUED



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