「……結界?」
「へい。侵入者を防ぐ女神の結界が張ってあって、ダンジョンの内部には誰も入れないそうです、はい」
媚びるような仕草で手もみをしながらクリフの質問に答える男。薄汚れた麻の服にボロイ外套を纏い、見るからに見窄らしい格好をしている。荒れた生活を送っていたクリフに近付き、山賊ギルドを脱退した連中を金で雇い、手下に加えることでババルン軍への合流を促したのは、この男だった。
それからというものクリフは、この薄汚い男――『ネズミ』の通り名を持つ情報屋≠重用していた。
「なら、どうやって連中はブレインクリスタルを手に入れてるんだ?」
「なんでも柾木剣士って小僧だけが、その結界を通り抜けられるそうで」
「……柾木剣士」
ネズミの口から剣士の名を聞き、クリフは渋い顔を見せる。
白い聖機人のパイロット『柾木剣士』の名は今や知らない者はいないくらいに有名だ。
だが、クリフにとって剣士の名は噂で聞く以上に忘れられない名前となっていた。
スワンの襲撃を邪魔し、クリフの計画を狂わせた原因とも言える相手だったからだ。
復讐を誓った相手の一人だ。だが、いまはまだ駄目だとクリフは自制する。
正面から戦って、あの白い聖機人に勝てると考えるほどクリフは蛮勇ではなかった。
「なら、やはり運び出された荷を奪い取る以外に手はなさそうだな」
「へへ……そういうだろうと思って、そっちについても調べてありやす」
「随分と手際が良いな」
「前金で報酬をたんまり貰ってますから。それに働きによっては貴族に取り立ててもらえるって話ですしね」
そう言って笑うネズミを見て、クリフは現金な奴だと苦笑する。
だが、それだけに綺麗事を口にする連中よりは信用できると彼は考えていた。
こういった連中は雲行きが怪しくなると裏切る可能性が高いが、それは何も犯罪者に限った話ではない。
理想に共感を覚えるなどと媚びへつらっておきながら、あっさりと手の平を返した男子生徒たちの顔をクリフは忘れていなかった。
人間なんてものは所詮そんなものだ。なら聖機師や貴族だって、なんら本質は変わりがない。
(俺はこんなところで終わる男じゃない。利用できるものはなんだって利用してやる。こいつらだけじゃない。ダグマイアだって……)
この世には、二つの人種がいる。利用する人間と、利用される人間。勝者と敗者の二つだ。
クリフは自分が利用する側の人間となり、勝者となることを疑っていなかった。
そうして、いつか自分をバカにした連中を見返し、正木太老に復讐を果たすことが彼の願いだった。
だが、
(ほんと扱いやすい坊ちゃん≠セ)
そんな思惑すらも第三者に利用され、誘導された結果に過ぎないということをクリフは想像もしていない。
彼に付き従っている山賊たちも同じだ。それが滑稽でならないと、ネズミは本心を隠しながら道化を演じる。
(まあ、そういうあっしも利用される側の人間なんだが……)
長いものには巻かれろ、という異世界の言葉がある。
弱者には、賢く生きるための弱者の知恵がある。ネズミは己が領分を弁えていた。
異世界の伝道師 第317話『立木林檎』
作者 193
ダ・ルマーギルド。それは太老たちの世界で、嘗て最大の勢力を誇っていた海賊ギルドの名だ。
そんな組織を一代で築き上げたダ・ルマーギルドの総帥ダ・ルマーは、現在ここ異世界で『ダ・ルマー商会』の会長をしていた。
表向きは極普通の商会を装ってはいるが、そこで働くのは元山賊ギルドの山賊たちだ。
こんな風に商人の真似事を山賊たちが始めたのには、ある転機があった。その転機というのが――
「お疲れさまです! 姐さん!」
『お疲れさまです!』
一斉に頭を下げる黒服の男たち。
その一糸乱れぬ動きを見れば、彼等が元山賊などと誰も想像できないだろう。
そんな彼等が頭を下げる先には、落ち着いた色合いの着物に身を包んだ一人の女性がいた。
立木林檎。ダ・ルマー商会を裏から操っていると噂される相談役の女性だ。
実際、表向きは会長を務めるダ・ルマーですら、頭の上がらない人物だった。
「その姐さん≠ニ言うのは、やめてくださいってお願いしましたよね?」
「いや、でも……姐さんは姐さんですし……」
何度注意しても『姐さん』呼びが抜けない商会の男たちに呆れ、林檎は困った顔で溜め息を吐く。
組織を掌握するため、最初に少しばかり教育を施したのだが、その教育が効き過ぎたらしかった。
加減は心得ていたつもりだが、いつの間にやら林檎は男たちに心酔される状況に陥っていたのだ。
いや、林檎に心酔しているのは男だけではない。山賊のなかには当然、女性もいる。
そうした女性のなかには『浪人』と呼ばれる聖機師もいて、なかには聖地学院に通っていたことのある者も少なくない。
他の山賊たちと比べてもそうした者は教養が高く、林檎の力に魅せられて『お姉様』と呼んで慕っている者も多かった。
「お姉様に汚い顔を近付けないでくれる? どうせ、アンタたちになんて店番くらいしか出来ないんだから、カウンターの奥に引き籠もってなさいよ」
「あ? てめえ等こそ、姐さんの後をこそこそとついて回ってるだけじゃねーか。姐さんから留守を任されている俺たちと違って、弾よけくらいにしか使えない能なしが偉そうなこと言ってんじゃねーよ」
いがみ合う男女を見て、林檎は再び大きな溜め息を漏らす。
男性聖機師が優遇されているとは言っても、実際に戦場で活躍しているのは女性聖機師が大半だ。男性聖機師が戦場にでるようなことは、ほとんどない。それだけに、この世界の女性は自身の才覚や実力に自信を持っている者が多かった。そんな女性に扱き使われることをよしとせず、社会に反発して山賊となる男たちも少なくないのだ。
更に言えば、度を過ぎた林檎に対する忠誠心の高さが、彼等が目を合わせれば口論をする原因ともなっていた。
男と女。どちらの方が林檎の役に立てるかといった言い争いだ。
当然そのことは林檎も理解している。だからこそ、溜め息が溢れるのだ。しかし、このまま放置も出来ない。
「静かになさい。ここでの喧嘩はやめるようにと、以前にも言いましたよね?」
林檎は身に秘めた闘気を解放し、その場にいる男女を威圧する。
いま客は一人もいないが、ここは商会の玄関とも呼べる場所だ。
店員がいがみ合っている姿を、客に見せるわけにはいかない。
まだ教育が足りなかったかと双眸を細める林檎を見て、全員の顔から血の気が引く。
「すみません! お姉様!」
「とんだ失礼を! どうか、この通りです! 怒りを収めてくだせえ!」
床に額を擦りつけて土下座をする皆を見て、林檎は三度目の溜め息を漏らす。
溜め息を吐くほどに幸せが逃げるというが、そうでもしなければやってられないというのが正直なところだ。
しかし、これも太老様のためだと思えばまだ頑張れる、と懸命に自分を鼓舞する林檎。
正木商会に問題があるとすれば、それは目立ち過ぎることだ。
何をするにしても世間の注目を集めてしまい、水穂がハヴォニワを離れるだけでも教会や各国の警戒を促してしまう。
そんな正木商会の影となって動くこと――
それが、この〈ダ・ルマー商会〉を林檎が作った最大の理由だった。だから、ここで投げ出すわけにはいかない。
「姐さん、ネズミから定時報告がきてます」
先程、女の従者と言い争っていた男から一冊のファイルを受け取り、目を通す林檎。
そこにはババルン軍に潜伏させている草≠ゥらの詳細な報告が記されていた。
主にクリフ・クリーズと、その手下たちの動向についてだ。
「想定よりも少し動きが早いですが、やはりブレインクリスタルを狙ってきましたか」
教会本部の地下に眠る〈星の船〉の奪取が目的だったと聞いた時から、林檎はその可能性を憂慮していた。
星の船はその名前からも察せられるように星の海を旅する宇宙船だ。
しかし亜法結界炉はエナの海のなかでしか動かない。それは亜法の発動にはエナの力が必要不可欠だからだ。
先史文明の遺産と言えど、亜法を用いている限り例外はない。だが、宇宙にはエナが存在しない。
なら、喫水外で亜法を発動するには何かにエナを蓄えておく必要がある。
だが、圧縮弾では聖機人はともかく船を動かすほどのエネルギーを確保することは難しい。
ならば先史文明の人々はどうやって〈星の船〉を動かしていたのか?
その答えがブレインクリスタルにあった。
遺跡から発掘されたアーティファクトのなかには、ブレインクリスタルを必要とするものが確認されていた。
そのことからも先史文明の人々は、ブレインクリスタルを活用していたことが窺い知れる。だが現代に置いてブレインクリスタルは稀少性の高い代物で、教会と言えど僅かな量しか保管していない。そうしたことから〈星の船〉を動かすのに十分な量のブレインクリスタルを確保できてはいないだろうと、林檎はババルン軍の動きを予想していたのだ。
とすれば、次の標的になるのは〈剣のダンジョン〉で採取されたブレインクリスタルである可能性が高い。
その読みは見事に的中した。
「どう致しますか? ご指示を頂けるのであれば、林檎様に逆らった連中の始末は私たちが――」
クリフに従っているのは、山賊ギルドを脱退した山賊たちが主だ。
当然ギルドに残った者たちからすれば、裏切り者に他ならない。
ましてやギルドのやり方について行けず脱退するということは、林檎の考えに逆らうも同然だ。
林檎に心酔する彼・彼女たちにとって、到底許せる話ではなかった。
「いえ、彼等にはまだ利用価値がある。もう少し泳がせてみましょう」
「では……」
「ええ。正木商会との連絡は密に。荷物より自分たちの安全を優先するように、輸送部隊には徹底させてください」
クリフとその手下を捕らえるのは簡単だ。
しかしそれではババルン軍に彼等を合流させた意味がない。
せめてババルン軍の本拠地に招かれるくらい彼等には活躍してもらわなければ、と林檎は考える。
そのためにも――
(ここで彼等を捕まえてしまえば、折角用意したお土産≠ェ無駄になりますしね)
クリフには誰の目にも分かり易い手柄を立てて貰う必要があった。
そのための舞台は整っている。あとは役者が揃うのを待つだけだ。
鬼姫の金庫番の異名を持つ、林檎の取り立てから逃げ果せたものはいない。
知らず知らずのうちに絶対に貸しを作ってはならない相手に大きな貸しを作っていることに、クリフはまだ気付いていなかった。
◆
「林檎ちゃんのことが知りたい?」
任務を終えて帰ってきたランに林檎のことを聞かれ、水穂はどう説明したものかと困り顔を見せる。
しかしランの商会での立場を考えれば、今後も林檎と接する機会は多くなるだろう。
ランが林檎のことを聞いておきたいというのも理解できなくはない話だった。
実際、水穂がランに林檎のことを報せていれば、行き違いが起きることもなかった。
とはいえ、林檎のことを一言で説明するのは難しいと水穂は考える。
敢えて分かり易く例えるなら――
「男性が理想とする女性像≠体現したかのような女性と言ったところかしら?」
竜木家と言えば、銀河連盟が主催する『お嫁さんにしたい人ランキング』の女性部門で毎回上位に名前を連ねる一族だ。
林檎の生家である『立木』はその分家とはいえ、彼女たちの人気のほどは本家と変わりがない。
大和撫子を体現したかのような温厚で堅実な性格をしていて、竜木の縁者を嫁に貰うことが一種のステータスと化しているほどだ。
そんな一族のなかでも、林檎は選りすぐりの女性といっても過言ではなかった。
容姿は勿論のこと性格においても特に欠点と言えるものはない。
更に瀬戸の下で経理部の長を任されていることからも、能力は疑いようがないほどだ。
「まあ、確かに美人だったのは認めるけど、普通の男なら惚れる以前に畏縮するだろ? アタシでさえ、死ぬかと思ったんだぞ……」
しかし、それはあくまで表の顔に過ぎない。
林檎に縁談話がないのはよく瀬戸の所為だと言われるが、実際には林檎にも問題がないとは言えない。
ランが感じたように林檎はただのお嬢様ではない。敵と見なした相手に対する非情さでは、水穂でさえ寒気を覚えるほど冷酷な一面を持っていた。
対照的な性格をしているように見えて、本質的な部分で瀬戸に一番近いのは林檎だと水穂は感じているほどだ。
だからこそ、その徹底した容赦のなさを買われて、ハイエナ部隊と称される神木家・経理部の長を任されているとも言える。
「その点は大丈夫よ。林檎ちゃん、太老くんにぞっこんだもの。他の男にどう見られているかなんて、気にも留めないでしょうね」
「ああ……」
水穂の話を聞き、納得と言った顔を見せるラン。
確かに林檎を御せる男がいるとすれば、太老くらいしか思い浮かばなかったからだ。
しかし太老に心酔しているのであれば、余計な心配は必要なさそうだとランは安堵する。
林檎のことを聞いておきたいと思ったのは、彼女を敵に回すことは絶対に避けたいと考えたからだった。
少なくとも太老に好意を寄せる女性の一人であるならば、その対応は簡単だ。
太老を敵に回さなければいい。逆に言えば、太老の仲間には心強い味方となる。
(とはいえ、怒らせないように気を付けよう……)
水穂が言葉を選び、気を遣うような相手だ。
絶対に怒らせては駄目な相手だと、ランは『立木林檎』の名前を心に深く刻み込むのだった。
……TO BE CONTINUED
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