「……誤解とは、どう言う意味でしょうか?」

 強い口調で、零式に言葉の意味を尋ねるベアトリス。
 零式が太老を最優先に考えているように、ベアトリスにとって桜花≠ヘ何人にも代え難い存在だった。
 だからこそ、桜花がどのような苦悩をして、太老の記憶を封じたのかまで彼女は理解している。
 それが、勝手に誤解をした結果だと聞かされれば、ベアトリスが強く反応するのも当然だった。

「そのままの意味ですけど?」

 しかし、そんなベアトリスの心情など知ったことかと言った様子で、零式は小首を傾げながら答える。
 静かな怒りを滾らせながら、冷たい視線を零式に向けるベアトリス。
 場にピリピリとした空気が漂う中、ドールは二人の間に割って入った。

「零式、そろそろ知っていることを教えてくれない?」

 ベアトリスの味方をする訳では無いが、ドール自身も零式が何を知っているのか、詳しく話を聞いておきたかったからだ。
 ベアトリスもそうだが、零式も尋ねていないことは敢えて教えてくれないところがある。
 なら、こちらから踏み込むしかない。二人のように、ドールにも引けない理由があった。

「お父様と私の秘密≠教えて欲しいと言うのなら、一つ条件があります」

 そんなドールの覚悟を感じ取ったのか?
 ベアトリスの時と違い、若干柔らかい態度で譲歩を見せる零式。
 条件付きなら教えても良いと答える零式を訝しみながらも、ドールは尋ねる。

「……何?」

 嫌な予感を覚えたのだろう。
 警戒を表情に滲ませるドールに零式は――

「ここで、お父様の奴隷≠ノなると誓約してください」

 とんでもない条件を突きつけるのだった。





異世界の伝道師 第339話『誓約』
作者 193






「ど、奴隷って!?」
「ああ、奴隷が嫌なら下僕でも構いませんよ?」
「言い方の問題じゃないでしょ!? どういうことか、ちゃんと説明して!」

 予想の斜め上を行く条件をだされて、ドールは顔を真っ赤にして零式に説明を求める。
 しかし、ドールに詰め寄られながらも、零式は淡々と理由を説明する。

「ここは精神世界。いまのドールさんはアストラルだけの存在ですから、ここで誓約したことは魂≠ノ刻まれます。ようするに、ここで誓ったことは現実世界に戻っても、絶対に破ることが出来ないということです」

 零式の説明で、どうしてそんな条件を突きつけたのか、ドールは理解の色を示す。
 ここで見たこと、聞いたことを漏らすことが出来ないように、口を封じるつもりなのだと悟ったからだ。
 とはいえ、

「……なんで、奴隷なのよ」

 そこだけは納得が行かない、とドールは愚痴を溢す。
 秘密を守るだけなら、別に奴隷になる必要はない。
 それこそ、ここで見聞きしたことを他人に話すことが出来ないように誓約すれば良いだけの話だ。
 ドールが不満を口にするのも無理はなかった。しかし、

「私はお父様の下僕ですよ?」

 何故、ドールが拒むのかわからないと言った様子で首を傾げる零式。
 秘密を共有すると言うことは、文字通り仲間≠ノなると言うことだ。
 仲間となる以上、太老の下僕になるのは当前というのが零式の考えだった。

「ほら、もう少しどうにかならない? 例えば……」

 何を言おうとしたのか?
 自分で言いだしておきながら、頬を赤くして固まるドール。
 そんな初々しい反応を見せるドールに、零式は察した様子でポンと手を叩く。

「愛の奴隷ですか?」
「ちが、違わなくもない気がするけど、そこから離れなさいよ!?」

 自分でも何を言っているのかわからない様子で、先程よりも顔を赤く染めて反論するドール。
 何がなんでもドールを太老の下僕にしたい零式と、それだけは回避したいドールで話は平行線を辿っていた。
 そうした二人のやり取りを、じっと見守っていたベアトリスは零式に尋ねる。

「……太老様の下僕になれば、先程の質問に答えて頂けるのですか?」
「え、ちょっ!?」

 まさか、ここでベアトリスが割って入ってくると思っていなかったドールは焦る。
 そして――

「うーん。ドールさんにだした条件のつもりでしたけど、誓約してくれるなら構いませんよ」

 あっさりと零式が承諾したことで、目を瞠るドール。
 ベアトリスは太老の記憶に宿った残留思念のような存在だ。恐らくは彼女のオリジナルが太老に自力で封印を破らせるため、桜花の行動を予測して仕込んだトラップのようなものだと、零式は見抜いていた。だからこそ、太老が記憶を取り戻せば、彼女は役目を終えて消えてしまう。それは勿体ないと零式は考えたのだろう。
 ドールには話していないことだが、ここで誓約をすれば太老との間に霊的なパスが出来る。
 パスが繋がれば太老を経由することになるが、太老と同じように船からのサポートも受けられると言うことだ。
 そうすれば、ベアトリスが消える心配はなくなる。太老のためにも、使える手駒は多ければ多い方が良い。
 太老の邪魔になるようなら力の供給を断ち、消してしまえば良いだけだと、零式は冷酷なことを考えていた。

「太老様に忠誠を誓い、従属することを誓約します」

 しかし、ベアトリスは一切の躊躇なく、太老の下僕になることを誓約する。
 これには零式も微かに驚きを見せる。少しは躊躇するものと思っていたからだ。

「ぐっ、なるわよ! 私も太老の下僕になる!」

 対抗心を煽られたからか?
 ベアトリスに続き、勢いに任せて誓約を口にするドール。
 その直後、二人の身体を黄金の光が包み込むのだった。


  ◆


「勢いに任せて、とんでもないことをしちゃったんじゃ……」

 今更ながら自分のやったことを振り返り、頭を抱えるドールの姿があった。
 しかし、今更なかったことに出来るほど魂の誓約≠ヘ軽くない。
 その証拠に、ドールは口付けを交わした時よりも強く、太老との結び付きを感じていた。

「……ここまでさせたんだから、洗いざらい話してもらうわよ」

 キッと零式を睨み付けながら、説明を要求するドール。
 もう、やってしまったことは仕方がない。それに本心では、そこまで嫌な訳では無かった。
 むしろ、太老の存在を前よりも身近に感じられて、安心する自分がいることにドールは気付いていた。
 どれだけ人に似てはいても、人造人間とは造られた存在だ。
 人間のために造られた彼女たちは、潜在的に誰かの役に立つ喜びを刷り込まれている。
 零式が太老に依存しているように、ドールもまた太老の近くに居場所を求めていた。
 だから、どういうカタチであれ、太老との間に繋がりが出来たことをドールは嬉しく感じていたのだ。

「まあ、約束ですしね。それに今のお二人なら、これから私が話すことも少しは理解できると思うので」
「……どういうこと?」

 いまなら理解できるはずだと言われて、ドールは首を傾げながら理由を尋ねる。
 まさか、誓約に口封じ以上の意味があるとは思ってもいなかったからだ。

「まず、私がお父様のことに詳しいのは当然です。桜花さんによって封印された力が具現化した存在。それが私、守蛇怪・零式なのですから」


  ◆


「何故、私が『お父様』のことを『お父様』と呼ぶのか。それは文字通り、私がお父様から産まれた存在だからです」

 自分は桜花によって封印された太老の力そのもの。
 太老から切り離されることで、自我を持った存在だと零式は告白する。

「もっとも、私もそれを完全に認識したのは、お父様の前に『皇歌』と名乗るもう一人の桜花≠ウんが現れた時です」

 続けて「私を造ったマイスターでさえも、そのことには気付いていないでしょうね」と零式は語る。
 自分が太老の娘だという認識は以前から持っていたが、零式自身の記憶も封印の影響で曖昧なままだった。
 しかし、皇歌が太老と接触したことや銀河結界炉の力を取り込んだことが、封印に綻びを生じさせたのだろう。
 封印から解き放たれることで、曖昧だった記憶を零式は完全に取り戻したのだ。

「太老様の力とは……いえ、あなたは一体何者なのですか?」

 話を聞いている内に、ふと頭に過ぎった疑問を零式にぶつけるベアトリス。
 零式の話が確かなら、桜花が力に目覚める前から太老の中には何か強大な力が眠っていたと言うことになる。
 そこに零式が口にした誤解≠フ意味が隠されているとベアトリスは感じたのだ。

「良い質問です。とはいえ、その質問に対する明確な答えは、私も持ち合わせていないんですけどね。ですが、敢えて言うのなら――」

 この宇宙よりも更に高位の宇宙から、世界を観測していた存在。
 その観測者こそが、太老の正体。桜花が封印した太老の力にして、自分が生まれる切っ掛けとなった力だと零式は話す。

「……頭がこんがらがってきたんだけど、ようするにどういうこと?」
「この世界――ベアトリスさんがお父様の前世≠セと思っている世界から、お父様の中には別のお父様≠ェいたと言うことです」

 謂わば、この世界の太老はゲームで言うところの登場人物。プレイヤーの代わりとなって動くアバターのような存在と言うことだ。
 ドールがこの世界の太老を普通の子供≠ノしか見えないと感じたのは、それが理由だ。
 この世界の太老は、太老であって太老ではない。
 アバターを通じて世界に干渉していた存在。世界を外側から観測する超越者(プレイヤー)=B
 それが、太老の正体なのだと零式は説明する。

「それじゃあ、太老って……」
「分かり易く言うと、神――この世界を造った創造主のお一人です。正確には、いまのお父様はアバターの経験と超越者の記憶と知識を合わせ持った存在。頂神なんて紛い物の神ではなく、この世界を造った観測世界の住人と言う訳です」

 想像を遥かに超えたスケールの話に、困惑を隠せないドール。
 その一方で、零式が何を言いたのか?
 ベアトリスはすべてを察した様子で険しい表情を見せる。

「だから誤解≠していると言ったのですよ。お父様が死ぬはずもないのですから」

 アバターが死亡したところで、中の人間が死ぬ訳では無い。
 どこまでが予定調和だったのかはわからないが、桜花が力に目覚めるところまではシナリオ通りだった可能性が高いと言うことだ。
 問題は、その後だった。

「下位次元からの干渉――桜花さんの行動は観測世界の住人にとっても想定外のものだった。だから桜花さんに記憶と力を封じられ、観測世界から切り離されたお父様は、こちらの世界で転生することになったんです」
「お嬢様の行動はすべて無駄だった……いえ、むしろ状況を悪化させたと言いたいのですか?」
「そう取れなくもないですけど、桜花さんが行動を起こさなければ、お父様が転生することはなかった。私がお父様の娘として生まれてくることはなかったのですから、そこは感謝していますよ」

 桜花の行動によって分岐した世界。太老が転生することで再構成されたパラレルワールド。
 太老は『天地無用』の世界に転生したと思っているようだが、無数の観測情報が混ざり合った世界。それが、この世界の真実だった。
 原作には登場しない人物。グレースやシンシアのように何処か見覚えがある人々が存在するのも、そのためだ。
 様々な偶然と奇跡がなければ、誕生しなかった世界。零式はそんな世界を造った太老を心の底から崇拝していた。

「まだ、よくわかってないんだけど……ようするに太老は名も無き女神≠謔閧熕ヲい神様の生まれ変わりってこと?」

 ドールのある意味で的を射た質問に、零式は気をよくした様子で「その通りです!」と目を輝かせながら答える。

「どこかの全知全能を謳う紛い物の神などではなく、真なる創造主。その転生した姿が、お父様なのですよ!」

 だからこそ、この世界のありとあらゆるものは太老のものでなければならない。
 すべての存在は太老に感謝し、敬わなければならないのだと、零式は熱く語る。
 そうした零式の見解は別として、ドールにも共感できる部分はあった。

「そうよね。それだけの権利が太老にはあるわ」

 零式がどれだけ太老の凄さを力説しようと、ドールは昔の太老を知らない。
 しかし、すべてではないにせよ転生した太老がしてきたこと、してくれたことは理解しているつもりだ。
 太老のお陰で人生が変わった者、救われた者は数知れない。ドールもその一人だ。
 大なり小なり皆、太老に感謝しているはずだ。受けた恩を返したいと思っている者も少なくないだろう。
 そうした人たちからの想いを受け取る権利と義務が太老にはあると、ドールは考えていた。

「ドールさんなら分かって頂けると思ってました」

 説得の甲斐があったとばかりに感動を噛み締める零式。
 微妙な認識のズレはあるものの、人々に太老が感謝されるのは当然だという考えは一致していた。

「それで、真実を知ってアンタはどうするの?」

 ベアトリスにそう尋ねるドール。
 桜花のために、ベアトリスは太老をこの世界に呼び寄せたのだ。
 しかし、誤解によって生じた桜花の行動で、太老は元いた世界から切り離されたのだと零式から聞かされた。
 それは、このまま太老が記憶を取り戻せば、その誤解にも気付く可能性があると言うことだ。
 桜花のためにとしたことが太老に真実を気付かせ、下手をすれば二人の関係に亀裂を走らせるかもしれない。

「私は……」

 桜花の幸せを願い、オリジナルが託した願い。それをベアトリスは叶えようとしただけだ。
 しかし、それが桜花のためにならないのであれば意味がない。
 なら、このまま太老を解放すれば――
 しかし、解放したところで記憶が戻らない保証は無い。
 問題を先延ばしするだけではないか?
 そうベアトリスが迷っていた、その時だった。

 ――心配は要らないよ。

 頭の中に直接響くかのような声。
 どこか懐かしい声に驚き、ドールたちは一斉に空を見上げる。
 すると、

「……え?」

 ポツリと、誰かの口から困惑の声が漏れる。
 彼女たちが見上げた視線の先には、薄らと光を纏った白い人影≠ェ佇んでいた。





 ……TO BE CONTINUED



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