丁度、通学・通勤の時間帯なのか?
アスファルトで舗装された道を行き交う学生やサラリーマンの姿が確認できる。
その周囲には見上げんばかりの巨大なビルが建ち並び、公園から見える道路には信号待ちの車が列をなしていた。
そんななか、公園の砂場に一人立ち尽くすドールの姿があった。
「え?」
ドールの口から困惑の声が漏れる。
どうして、こんなところに自分は立っているのか?
まったく状況を理解できなかったからだ。
「上手くいったみたいですね」
ドールが声のした方を振り返ると、そこにはメイド服を着た小さな女の子の姿があった。
小さいと言っても人間的なサイズの小ささではない。文字通り、妖精のように小さな少女だ。
ふわふわと宙に浮かび、周囲を観察するかのようにキョロキョロと辺りを見渡す少女に、ドールは訝しげな視線を向けながら尋ねる。
「零式……なんでアンタがここにいるのよ? というか、さっきのどういうこと?」
少女もとい零式に鋭い双眸を向け、詰問するかのように尋ねるドール。
このよく分からない状況に零式が一枚噛んでいるのは間違いないと判断してのことだった。
そんなドールの反応は予想したものだったのか?
零式はフフンと鼻で笑いながら答える。
「サポート役です。お一人では道案内なしでお父様の元へ辿り着けないでしょうから」
それとも案内は要りません?
と聞かれれば、ドールは何も言うことが出来なかった。
強がったところで、ここが何処かも分からないのだ。
そもそも零式の助けがなければ、自力で帰ることすら出来ない。
仕方がないと溜め息を吐きながら、ドールは確認を取るように尋ねる。
「そう言うってことは、ここに太老がいるのね?」
「はい。だって、ここは――」
そんなドールの質問に「お父様の世界ですから」と零式は答えるのだった。
異世界の伝道師 第338話『ベアトリス』
作者 193
「ここが太老の世界? それって異世界ってこと?」
確かに見たことのない景色が広がっている。
少なくとも、ここがハヴォニワやシトレイユでないことは確実だ。
「厳密には少し違いますけどね。ここは並行世界の地球ですから」
「それって、どういう――」
意味かと尋ねようとした直後、ドールは目を瞠ったまま固まる。
ランドセルを背負った小学生くらいの男の子の姿を視界に捉えたからだ。
「え? あれって? 他人の空似? でも――」
似ている、とドールは思う。
太老を幼くした感じの男の子が、ドールの視線の先にいた。
何も知らずに紹介されたら、太老の弟か子供と勘違いするくらいに顔立ちや雰囲気がよく似ている。
他人の空似と言うには、余りにタイミングの良すぎる偶然だ。
「お父様ですね。こんなにも早く見つかるなんて、ドールさん運が良いですね」
一目見て、もしかしたらという予感はあったが、零式の口から目の前の男の子が太老だと聞かされ、ドールは困惑する。
出来ることなら他人の空似であって欲しいという願いの方が強かったからだ。
「あ、このままだと、お父様を見失ってしまいます。ドールさん、追ってください」
ドールの肩にちょこんと腰掛け、男の子もとい太老を追い掛けるように指示をだす零式。
そして、
「何がどうなってるのよ……」
他に手掛かりもないことから、ドールは零式に言われるがまま太老の後を追い掛けるのだった。
◆
チャイムの音が校舎に鳴り響く。
教科書やノートを広げ、机に向かう子供たち。
ここは先程の小学生――太老と思しき少年の通う小学校だった。
「ここって、学校?」
「はい。お父様の通っていた学び舎ですね」
校庭にそびえ立つ大きな木の上から、教室の中の様子を覗くドールと零式の姿があった。
太老にもこんな頃があったんだと、興味深そうに授業の様子を観察するドール。
普段の太老を知っていれば、何事もなく平凡に授業を受けている姿など、とても想像が付かないからだ。
実際、聖地学院でも太老は問題ばかりを引き起こしていた。
零式の言葉がなかったら、よく似てはいるが別人だと判断していたかもしれない。
それほどに、ドールの目から見た今の太老は普通の子供≠セった。
「取り敢えず、あの男の子が太老だっていうのは理解したわ。でも、何がどうなってるのよ……」
そして、当然の疑問を口にする。
もう、あの男の子が太老だというのを疑ってはいないが、どうしてこんなことになっているのか?
事情がまったく見えて来ない。むしろ、謎は深まっていくばかりだ。
「私がキ……キスをすれば太老は目覚めるって、アンタ言ったわよね?」
「え? そんなこと言ってませんよ?」
零式を睨み付けながら「どういうことよ!?」とドールは詰問する。
勇気をだして乙女の唇を捧げと言うのに、それをあっさりと否定されれば怒るのも当然だった。
「粘液接触で精神的な繋がりを強化して、お父様の精神を引き戻すと言ったんです。キスをしたくらいで戻る訳がないじゃないですか」
そう言われてみると、確かにそんなことを言っていた気がすると思い出し、ドールは「ぐぬぬ」と唸る。
しかし、そこでドールはふとしたことに気付く。
「……ってことは、ここは現実世界じゃない?」
零式の話が確かなら、ここは現実ではなく精神の世界と言うことになる。
「……太老の夢の中ってこと?」
そう予測を立て、ドールは零式に確認を取る。
ここが太老の夢の中だと仮定すれば、さっき零式が言っていた『お父様の世界』という言葉の意味も納得できるからだ。
「お父様の記憶によって再構成された世界――夢や幻に近いというのは当たっています。ですが、この世界は厳密にはお父様の夢≠ナはありません」
この世界が太老の記憶で構成されているのなら、太老の夢だと考えるのが自然だ。
しかし、それを零式は否定する。
「どういうこと?」
と、訝しげな表情でドールが零式に尋ねた、その時だった。
零式の口からではなく、別の場所から質問の答えが返ってきたのだ。
「私が太老様をこの世界へお招きしたのです」
ハッと声のした方をドールが振り返ると、零式と同じメイド服を身に纏った女性が優雅な佇まいで宙に浮かんでいた。
いや、正確には浮いていると言うよりは、空中に立っていると言った感じだ。
誰にも見えていないのか? 教室の方へ目を向けるも、誰一人として彼女に気付いている様子はない。
そして、
「私は平田家≠フメイドで、ベアトリスと申します」
メイドは優雅にスカートの裾を持ち上げながら小さく頭を下げ、そう名乗るのだった。
◆
「もっとも、ここにいる私はベアトリス本人ではなく、太老様の記憶に植え付けられた残留思念。いつ消えるとも知れぬ存在です」
校舎の屋上に場所を移し、ドールは零式と共に『ベアトリス』と名乗ったメイドと対峙していた。
そんな彼女の自己紹介に理解がついていかないと言った様子で、ドールは説明を求める。
「ごめん……言っている意味が、さっぱり理解できないんだけど……」
「……? そちらのお嬢様は私のことをご存じだったようですが?」
「私とお父様は心が通じ合っていますから!」
太老との繋がりの深さを、ここぞとばかりに胸を張って自慢する零式。
時々忘れそうになるが、こんな見た目でも零式は〈皇家の船〉に匹敵する力を持った宇宙船の生体端末だ。
皇家の樹と契約者の関係のように、太老と精神的な繋がりがあるというのは嘘ではない。
それに太老のパーソナルデータを元に生み出された零式は、ある意味でもう一人の太老≠ニ言ってもいい存在だ。
太老のことで知らないことはない、とまでは言わなくとも、零式以上に太老のことをよく知る者はいなかった。
恐らくは白眉鷲羽よりも――現段階で一番太老のことを深く理解≠オているのは彼女、零式だ。
「この子と一緒にされても困るんだけど……」
「そうなのですか? では、どこから説明すれば……」
「一からと言いたいところだけど」
聞きたいことは山ほどある。
しかし、真っ先に確認しておかなくてはならないことが一つあった。
「……太老をどうするつもりなの?」
返答によってはただじゃ済まないと、ベアトリスを睨み付けながら尋ねるドール。
太老を目覚めさせるために、ドールは零式の力を借りてこの世界へとやってきたのだ。
その邪魔をベアトリスがすると言うのなら、戦いを辞さない覚悟も出来ていた。
しかし、
「何も――私がお嬢様≠フご友人≠害することはありません」
何もするつもりはない。
自分が太老を害することだけはありえない、とベアトリスは答える。
「……じゃあ、なんで太老をこの世界へ呼び寄せたのよ」
ベアトリスにその気はなくとも、実際に現実世界では太老は今も眠り続けているのだ。
彼女の言葉を鵜呑みには出来ない。ドールがベアトリスを警戒するのは当然と言えた。
そのことを理解しているのか?
特に弁明をすることもなく、ベアトリスはドールの質問に淡々と答える。
「お嬢様のためです」
「……お嬢様? それって、あなたが仕えている家の?」
「はい」
質問したことには答えてくれるが、ベアトリスの説明は今一つ要領を得ない。
答える気がないのではなく、聞かれていないことを教えるつもりがないのだとドールは判断する。
それが彼女の性格によるものなのか、なんらかの制約を受けているのかはわからない。
しかし、このままでは埒が明かないと判断したドールは優先順位を考え、質問を変える。
「質問を変えるわ。太老に何をさせるつもりなの?」
この世界に太老を呼び寄せたということは、太老に何かさせたいことがあると言うことだ。
仮にベアトリスの言葉を信じるにしても、結果的に太老に害が及ぶのでは意味が無い。
彼女の目的だけでも知っておく必要があると、ドールは考えた。
「思い出して頂きたいのです」
「思い出す?」
「はい。お嬢様との記憶を――そのために太老様には封じられた記憶を追体験してもらっています」
と、ベアトリスはドールの疑問に答える。
そんなベアトリスの話を聞いて、深刻な表情で物思いに耽るドール。
太老の力になりたいとは、いまでも思っている。それだけの恩が太老にはある。
しかし、ベアトリスの話が本当なら、ここで迂闊な行動は取れない。
太老が封印された記憶について、どう思っているのかわからないからだ。
自分の勝手な判断で、記憶を取り戻す機会を奪っていいものかとドールは迷っていた。
それに、ドールには気になることが、もう一つあった。
「一体、誰が太老の記憶を?」
ベアトリスの話が確かなら、何者かが太老の記憶を封じたと言うことだ。
一体誰が、どうやって太老の記憶を封じたのかと、ドールは疑問に思う。
仮に太老を出し抜いた人物がいるのだとすれば、ババルンやガイアどころの話ではない。嘗てないほどの脅威だと感じたからだ。
それに太老が記憶を取り戻したことを知れば、その犯人はきっと黙ってはいないはずだ。
また太老の記憶を封印しようと、襲ってくるかもしれない。
対策を練るためにも、そんな相手がいるのなら詳しい情報を得ておきたいとドールは考えていた。
「それは……」
そんなドールの疑問に、先程まで淡々と答えていたベアトリスが始めて、戸惑うような反応を見せる。
様子から察するに太老の記憶を封じた人物を彼女は知っているのだろう。
しかし答えられないと言うことは、その誰かを彼女は庇っていると言うことだ。
「答えて。アンタの話を信用するかどうかは、それから決めさせてもらうわ」
強い口調で、ベアトリスに回答を迫るドール。
もし、このままベアトリスが何も答えないなら、どんな手を使っても太老を現実世界に連れて帰ることをドールは決意する。
他力本願になるが、恐らく零式ならそれが可能だという確信めいたものがドールの中にはあった。
零式は太老に関することだけは絶対に嘘や冗談を口にしない。
そんな彼女が、太老の意識を戻す方法があると断言したのだ。
なら、この世界から太老を連れて脱出する方法が必ずあるはずだとドールは確信していた。
「……お嬢様です」
そんなドールの覚悟を察したのか?
観念した様子でベアトリスは――
「太老様の記憶を封じたのは……平田桜子様の娘、桜花様です」
まさかの名を口にするのだった。
◆
「どういうつもり?」
ベアトリスを睨み付けながら、剣呑な声を放つドール。
お嬢様のために太老には封じられた記憶を取り戻して欲しいとベアトリスは言ったのだ。
なのに、そのお嬢様が太老の記憶を封じた張本人だと聞かされ、ドールの内心は穏やかではなかった。
「言っておくけど、返答によっては……」
無理矢理にでも太老を連れて帰る、とドールはベアトリスに返答を迫る。
だが、答えは意外なところから返ってきた。
「贖罪ですか? 人間って面倒な生き物ですよね」
そう言って首を横に振りながら、やれやれと肩をすくめる零式。
「何か知ってるの?」
「知ってるも何も、ご本人ではありませんが桜花≠ウんには会ったことがあるので」
「……ごめん。アンタが何を言っているのか、さっぱりわからないんだけど……」
桜花に会ったことがあると言いつつ本人とは会ったことがないでは、まったく意味が通じない。
まるで、桜花という人物が二人いるかのような説明だ。
ドールが意味がわからないと、疑問を口にするのも無理はなかった。
「分かり易く説明すると、桜花さんというのはお父様の妹です。血は繋がってませんし、自称ですけど」
「……太老の妹が、どうして太老の記憶を封印したりするのよ」
「お父様が転生≠キることになった切っ掛けを作ったからだと思いますよ」
「転生?」
次々に出て来る情報に頭の整理が追いつかず、ドールは混乱する。
太老に前世の記憶があることを知っているのは、鷲羽や鬼姫と言った極一部の限られたものだけだ。
そのことを知らないドールが、零式の話を聞いて混乱するのは当然だった。
しかし、そんなことはお構いなしと言った様子で、零式は話を続ける。
「お父様のお陰≠ナ高次元へ至れたと言うのに勝手に誤解≠オて、お父様の力に封印≠施したのですから恩知らずも良いところです」
「……え?」
何か事情を知っている様子で、桜花の所業に憤慨する零式。
そんな零式の一言にドールだけでなく、何故かベアトリスの口からも驚きの声が漏れるのだった。
……TO BE CONTINUED
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