「……黒い太陽?」

 呆然とした表情で空を見上げるキャイアの口からは、力の無い声が漏れる。
 日食とも違う。突然、空の上に顕れたもう一つ≠フ太陽に、時が停止したかのように人々の目は奪われていた。
 敵味方を問わず聖機人を捕食していたガイアも動きを止め、黒い太陽を見上げる。

「遂に、この時がきたか」

 ダグマイアの身体を乗っ取り、再びこの世界に生を受けたガルシア・メストは、ガイアのコクーンで愉悦に満ちた笑みを漏らす。
 復讐など生温い。数千年の時をこの日のために費やし、待ち続けてきたのだ。
 黄金の聖機神にすべてを奪われた男、ガルシア・メスト。
 しかし、彼は誰よりも〈黄金の聖機神〉に魅入られ、その強さに憧れた人物でもあった。
 自身の才が、人間の叡智が、どこまで神≠ノ通用するのかを試したい。そうして生み出されたのがガイア≠セ。

「時は来た! ガイアよ。いまこそ、真の姿を見せる時だ!」

 ガルシアの声に応えるように、雄叫びを上げるガイア。
 熱を帯びた紅い光を全身から放ち、周囲のエナを取り込みながら風船のように身体が大きく膨れ上がっていく。

「全部隊にこの空域から離脱命令を!」

 よくない何かが起きようとしている。危険を察知したフローラは全部隊に撤退の指示をだす。
 もはや、ババルン軍も戦いを継続できるような状況になかった。
 いや、文明が滅びた数千年前と同じだ。ガイアを放置すれば、再びこの世界は暗黒に呑まれる。
 今度こそ、人類は滅亡するかもしれない。それほどの事態だと感じ取ったが故の撤退命令だった。
 しかし、

『撤退だと!? だが、このままガイアを放置すれば――』
「大丈夫よ」

 撤退の指示を聞き、すぐにシュリフォン王が通信に割って入るが、フローラはそんな反応を予想してたかのように答える。
 確かにガイアをこのまま放置するのは危険だ。無事に逃げ切れる保証もない。
 どれだけの犠牲を払おうとも、ここで倒すべき相手なのは理解している。
 それでも、フローラが撤退を決意したのは――

「太老殿がいるわ」

 あの太陽は不吉をもたらすものではない。
 ハヴォニワの英雄が、人類の希望が――正木太老が遂に帰ってくるのだと、フローラの勘が囁いていた。
 むしろ、ここに残っていては太老の邪魔をすることになる。
 いま自分たちに出来ることを為すべく、フローラは行動を開始するのだった。





異世界の伝道師 第351話『暴走再び』
作者 193






 ガラガラと瓦礫を崩しながら、土埃に塗れた桜花が姿を見せる。

「酷い目に遭ったわ。一体なにが……」

 何者かに結界内に閉じ込められたことに気付き、龍皇と船穂の力を借りて結界を破壊したことまでは覚えている。
 しかし、龍皇と船穂が力を解き放ったかと思った直後、白い光に包まれて吹き飛ばされていたのだ。
 力の制御を誤ったとも考えられるが、そういうレベルの話ではなかった。
 精神リンクを通じて、龍皇と船穂から感じ取った感情は歓喜。いや、龍皇と船穂だけではない。
 ここにいないすべて≠フ〈皇家の樹〉が、太老の帰還を祝福しているかのような声≠ェ、桜花の耳に届いていた。

「……嫌な予感がするわ」

 同じようなことが前にもあった。その影響で天樹が暴走して、樹雷の都市機能が一時麻痺状態に陥ったのだ。
 後に銀河連盟の経済にも影響を与える大事件へと発展したのだが、あれと同じことが樹雷で起きている可能性が高い。
 実際、桜花の予想通り、いま樹雷では大変なことが起きていた。

「もしかして、林檎お姉ちゃん。このことを予想して……」

 一緒に太老を捜しに行こうとけしかけたのは桜花だが、随分とあっさり林檎が話に乗ってきたことに少し違和感を抱いていたのだ。
 天樹が暴走して樹雷の都市機能が麻痺すれば、女官達はその対応に追われることになる。その時、誰が一番困るかと言うと瀬戸≠セ。
 林檎や水穂を欠いていることを考えると、前回と比べても遥かに拙い状況と言って良い。
 しかし、騙し討ちのような真似をして異世界に送ったことを考えると、水穂に助けを求めたところで簡単に帰ってはくれないだろう。
 林檎にしてもそうだ。太老を一人残して樹雷に帰ることを了承するとは思えない。
 仮に瀬戸が頭を下げて頼んだとしても、ちょっとやそっとの条件では二人の協力を得ることは難しいと考えられる。

「……もしかして、私の動きも利用された?」

 可能性としては高いと桜花は考える。
 鬼姫の金庫番。ハイエナ部隊の長とは、子供の浅知恵が通用するほど甘い人物ではない。
 そして林檎にとって、何よりも優先されるのが太老だ。
 常に自分のことよりも太老の利益を最優先に考えて行動する林檎であれば、こうした事態を予測して準備を進めていても不思議な話ではなかった。

『否定はしません。桜花ちゃんなら一人でも、太老様の元に辿り着くと信じて≠「ましたから』
「林檎お姉ちゃん!?」

 空間に投影されたモニターを見上げる桜花。そこには立木林檎の姿が映っていた。
 そして――

『これもお兄ちゃん≠フためだしね』
「え、誰?」
『マリーよ。太老お兄ちゃんの妹≠フ』
「な――」

 自称『太老の妹』の自分を差し置いて、妹を名乗る少女の出現に驚く桜花。
 まさか、マリアたち以外にもそんな相手がいるとは思ってもいなかったからだ。
 しかも林檎と一緒にいるところを見るからに、林檎の協力者と考えて間違いない。
 ふと、桜花の頭に結界≠フことが過ぎる。

「まさか、結界に干渉したのは……」
『うん。加速空間の技術はこっちの世界にもあるからね。林檎お姉ちゃんから預かったツールを使って、ちょちょいっと設定を弄らせてもらったの』

 ガイアを封印していた空間凍結の亜法も、時間の流れをコントロールすると言う意味では同様の技術と言っていい。
 結界工房もこの技術を用いることで、工房の外と内の時間の流れを制御していた。
 ワウアンリーが見た目十五歳ほどの少女なのに、実年齢は百歳近くに達しているのもそれが理由だ。
 林檎もこの数ヶ月何もせずに遊んでいた訳では無い。山賊ギルドの協力を得て情報を集める傍ら、ゴールド商会や結界工房の協力を得て、亜法技術の解析を進めていたのだ。
 マリーが手にしているキューブ≠焉Aその成果の一つだった。

「ぬぐぐぐ……!」

 出し抜いたつもりで完全に泳がされていたと知って、桜花は悔しげな表情を見せる。
 しかし林檎の太老への想いに最初につけ込み、利用しようとしたのは自分だと理解しているだけに強くは反論できなかった。
 恋愛とは戦いだ。騙されたからと言って抗議しても、それは負け犬の遠吠えにしかならない。
 だが――

『お兄ちゃんの妹%ッ士。ここからは協力しない?』

 思いもしなかった相手から手を差し伸べられ、桜花は目を丸くする。

「……どういうつもり? 同情や施しなら」

 受け取るつもりはない、と答える桜花にマリーは首を横に振る。
 余計な介入をさせないため、太老の帰還までの時間を稼ぎたかったのは事実だ。
 しかしマリーには、最初から桜花と事を構えるつもりなどなかった。
 というのも、

『お兄ちゃんを独り占めしたいって気持ちは私も理解できるよ。でもね、マリエルが言うの』

 そんなことを太老様は望んでいない。
 皆が仲良く、笑顔でいることを望まれるような御方だ。
 むしろ、自分の所為で皆が争っていると知れば、太老様はどう思われるだろうか?

『きっと、お兄ちゃんはとても悲しむ。自分を責めるかもしれない』

 だから、皆が太老のために争うのを止めたかったのだとマリーは話す。
 そんな姿を太老に見せたくはなかったから――

「それは……」

 マリーの話に桜花は何も言えなくなる。確かにその通りだと思ったからだ。
 自分のことばかりで、本当に太老の気持ちを考えたことはなかった。
 ずっと太老と会えなくて、寂しかったのは確かだ。
 だからと言って、太老を悲しませてしまっては意味がない。

「マリーの言うとおりですわね」
「うむ。我等が間違っておったようじゃ……」

 桜花が後ろを振り返ると、そこにはマリアとラシャラ。それにミツキやユキネ、ヴァネッサ。
 失格になったはずのアンジェラや、グレースとシンシアの姿もあった。
 話を聞いていたのだろう。表情を曇らせるマリアやラシャラを見て、桜花は毒気を抜かれたように溜め息を漏らす。

「確かに、こんなことをしてもお兄ちゃんは喜ばないわね」

 マリーの言うように悲しませるだけだろう。そんなことは、桜花も望んでいなかった。
 正直に言えば、まだ思うところはある。
 異世界に飛ばされたと聞いて心配していれば、また花嫁候補や妹を作っていたと言うのだから――
 誰にでも優しいのが太老の良いところであり、困ったところでもあると桜花は考えていた。
 それでも――

(そんなお兄ちゃんだから……)

 きっと好きになったのだろうと桜花は思う。
 言葉だけではない。常に行動で示してきたから、みんな太老に惹かれるのだと。
 ここにいる皆もそうだ。太老のことを好きで追い掛けてきたのは間違いない。
 でも、それ以上に――太老の力になりたい。そう思っている人たちが、ここには集まっていた。





 ……TO BE CONTINUED



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