皇歌の開いた転送ゲートを潜ると、そこは純白の世界だった。
「ここは一体……」
景色を眺めながら困惑の声を漏らすキャイア。
一緒にゲートを潜ったはずのマリアと桜花の姿が見当たらず、更に表情を険しくしていく。
そんななか、
「落ち着け。マリアなら、きっと大丈夫じゃ」
伯母上の娘じゃしな、とマリアが聞けば口論になりそうなことを口にするラシャラ。
状況が分からないのはラシャラも同じだが、少し気負いすぎているキャイアを落ち着かせようと考えてのことだった。
それに――
「我等が一緒と言うことは、恐らくあちらも二人。あの娘――桜花も一緒の可能性が高いと言うことじゃろう?」
桜花に対しては思うところがない訳ではないが、太老への想いの強さと実力だけはラシャラも認めていた。
恐らく太老や水穂と同格の異世界人が一緒なのだ。マリアの心配は必要ないだろうと考える。
むしろ、
「自分たちの心配をした方が良さそうじゃ」
そう言ってラシャラが視線を向けた先には、青い髪の少女が立っていた。
どうしてメイド服≠着ているのかは分からないが、こんな場所にいる以上は見た目通りの存在でないことは察せられる。
キャイアも目の前の少女に何かを感じ取った様子で、ラシャラを庇うように前へでる。
「あの三人∴ネ外にも部外者が入って来るなんて驚きましたが、なるほど……面白い物≠持っているみたいですね」
「……え?」
いつの間に距離を詰められたのか?
キャイアの横を素通りして、まじまじとラシャラの指輪を観察する青い髪の少女。
すぐにラシャラを助けに入ろうとするが、まるで金縛りに掛かったかのように身体が動かないことにキャイアは気付く。
指先一つ動かすことが出来ず、その場に硬直するキャイアを見て、驚きに目を瞠るラシャラ。
そして、
「御主……何者じゃ?」
睨み付けるような目で、ラシャラは少女に名を尋ねる。
桜花以上の得体の知れなさと、人間離れした何かを目の前の少女から感じ取ってのことだった。
そんな恐怖を噛み殺しながら気丈に振る舞うラシャラを見て、少女はニヤリと笑うと――
「私は守蛇怪・零式。あなたたちが正木太老≠ニ呼ぶ異世界人――お父様≠フ娘です」
太老の娘だと名乗るのだった。
異世界の伝道師 第367話『零の管理者』
作者 193
「……太老の娘じゃと?」
そう言えば、と桜花から聞いた話がラシャラの頭に過ぎる。
太老には育ての親の他に娘がいると、桜花が言っていたことを――
「余り驚いてないみたいですけど、お父様から私のことを聞いてます?」
この空間に来ることが出来たということは、ラシャラたちが太老の関係者だということは容易に察せられる。
それに太老のお手製と思しき指輪を所持しているのだから尚更だ。
ただの侵入者であれば問答無用で排除していたところだが、零式が丁寧な対応を取っているのはそのためであった。
「いや、それは太老ではなく桜花から聞いたのじゃが……」
「ああ、なるほど。そういうことですか」
ラシャラの説明に納得した様子を見せる零式。
桜花から話を聞いていたのなら、自分のことを知っているのも頷けると考えたからだ。
「こちらからも質問してもよいか?」
「……まあ、いいですよ。何が聞きたいのですか?」
面倒臭いと言った感情を少しも隠そうとせず、ラシャラに質問を許す零式。
一応、太老の関係者と言うことで対応はしているが、太老以外の人間に余計な手間と時間を割きたくないというのが本音なのだろう。
そんな零式の考えを察して、微妙に頬を引き攣るラシャラ。
桜花の時にも感じたが、零式の太老への拘りはそれ以上だと察してのことだった。
いま、こうして自分たちが無事なのは太老の関係者と見なされているからだろうと考えた上で、ラシャラは尋ねる。
「ここは、どういう場所なのじゃ?」
「零の領域≠ナすけど?」
「……零の領域?」
「ようするに銀河結界炉のコントロールルームです。あなたたちにも分かり易く説明すると、亜法の原理を司る場所ですね」
零式の説明に驚き、目を瞠るラシャラ。それは動きを止められているキャイアも同じだった。
その話が確かなら、ここは亜法の恩恵を受ける人々にとって聖域≠ニも呼べる場所と言うことになる。
というのも、教会では亜法の力を〈名も無き女神〉が人間にもたらした奇跡≠ニ称しているからだ。
理由はどうあれ、銀河結界炉を人間に与えたと言う意味では間違っていないのだが、真相を知らないラシャラとキャイアが驚くのも無理はなかった。
「まさか、御主がここの管理≠しておるのか?」
「はい」
しかも、零式がこの領域の管理をしていると聞かされ、心の底から驚きと困惑を見せるラシャラ。
教会の伝承を信じるのであれば、亜法の原理を司る領域を管理する存在と言うことは〈名も無き女神〉と同格の存在と言うことになるからだ。
いや、もしかしたら目の前の少女こそが、教会の伝承にある名も無き女神*{人なのかもしれないとラシャラは考える。
「御主は女神≠ネのか?」
「お父様に迷惑ばかりかけてる駄女神と一緒にするとか……怒りますよ?」
怒気の籠もった声で否定され、ラシャラは「うっ……」と思わず後退る。
同じく零式の身体から漏れ出た濃密な殺気にあてられ、顔を青くするキャイア。
そんな二人を一瞥すると、今度は自分の質問の番だとばかりに零式は目的を尋ねる。
「それで? ここへは何をしに?」
「太老と連絡を取りたい。御主なら出来るのではないか?」
「出来ますけど、お父様にどのような用が?」
太老の手を煩わせたくないという考えと、ラシャラの頼みを聞くのが面倒臭いと言った思いを前面に押し出しながら理由を尋ねる零式。
ちゃんと対応してくれてはいるが明らかに乗り気では様子の零式を見て、どう説明したものかとラシャラは考えさせられる。
余程、納得の行く理由でなければ、零式が協力してくれることはないと察したからだ。
しかし、誤魔化しや嘘の通用する相手とも思えなかった。だから――
「いま我等の世界で起きていることは、御主も把握しておるはずじゃ。エナが方舟に吸い上げられ、世界から亜法の力が消えようとしておる」
「それが、どうかしましたか?」
一か八か、地上がどれだけ深刻な状況に陥っているかを説明するラシャラ。
太老の娘であれば、こう言えば少しくらいは同情を誘えるかもしれないと考えたからだ。
しかし、心の底からよく分かっていないと言った顔で、ラシャラの話に零式は首を傾げる。
その予想と大きく違った反応に、慌てるラシャラ。
「世界からエナが失われると言うことは、亜法が使えなくなると言うことじゃ。そうなったら一つの文明が滅びるかもしれぬのじゃぞ?」
「放って置いてもガイアに滅ぼされるのなら、それも運命なのでは?」
まるで他人事のように、運命を受け入れろと言葉を返す零式。
どうせ何もしなければ、世界はガイアに滅ぼされるのだ。
エナが枯渇すれば確かに文明は大きく後退するかもしれないが、それでも世界が滅びるよりはマシだろう。
それが零式の考えだった。しかし、
「それは……」
ラシャラは何も言い返せなかった。
自分たちの世界のことなのに、自分たちの力だけで問題を解決することが出来ない。
それどころか太老一人に重荷を背負わせているという自覚は、彼女にもあるからだ。
「そもそも、お父様のものをお父様がどうしようとお父様の自由です」
「……太老のものじゃと?」
「ええ、この銀河結界炉も、私も、すべてお父様のものです」
なら世界をどうしようと太老の自由だと、零式は暴論を振りかざす。
亜法の原理を司る銀河結界炉を管理しているのは零式だが、その零式は太老の船≠セ。
仮にエナを吸い尽くすことになって世界から亜法が失われることになったとしても、それはマスターの自由だというのが零式の主張だった。
そもそもの話――
「そのことをお父様に伝えて、どうするつもりなのですか?」
ガイアと互角に戦えているのは、銀河結界炉の力があってこそだ。
銀河結界炉が〈黄金の聖機神〉への力の供給を止めれば、ガイアを倒すことは出来なくなる。
それどころか、太老の身も危険に晒されることになるだろう。
故に、零式は――
「お父様の邪魔をしないでください」
考慮に値しないと、ばっさりとラシャラの願いを切り捨てる。
主従揃って何も言い返せずに膝から崩れる様を眺め、勝ち誇った笑みを浮かべる零式。
元より、まともにラシャラたちの話を取り合うつもりはなかったのだろう。
太老と世界。そのどちらを優先するかなど、零式にとって迷うような答えではなかったからだ。
しかし、
「それは違いますわ!」
そこに少女の声が割って入る。
聞き覚えのある声に驚き、顔を上げるラシャラとキャイア。
二人の視線の先にいたのは――
「マリア!?」
「マリア様!?」
◆
顔を上げた二人の視線の先にいたのは、マリアだった。よく見れば、隣には桜花の姿も確認できる。
しかし、なんの前触れもなく現れたマリアと桜花に驚いているのは、ラシャラとキャイアだけではなかった。
「どうして……接近に気付かないなんて、そんなこと……」
太老の許可なくその力を振うことは出来ないとはいえ、銀河結界炉は零式の管理下にある。
謂わば、この『零の領域』と名付けられた場所は、彼女のテリトリーも同然なのだ。
なのに、マリアたちの接近に気付かなかったことに零式は驚かされる。
どんな裏技を使ったのかと睨み付けてくる零式を、涼しい顔でいなす桜花。
「より住みよい世界に――そんなことを仰るお兄様が、ガイアを倒すために世界を犠牲にするなんて方法を選ぶはずがありませんもの」
そんな零式の驚きを無視して、マリアは淡々と自分の考えを口にする。
明らかに亜法の恩恵を受ける人々にとって都合の良い話。
しかしそれは太老の性格を知る者であれば、確かに納得の行く話ではあった。
「あとでこのことをお兄様が知れば、きっと後悔されることになる。だから、私はここに来ました」
零式の言っていることは、確かに正しいのかもしれない。
太老に頼らなければ、ガイアを倒すことが出来ないのも、また事実だ。
だが一番大切なのは周りがどう思うかではなく、太老自身の気持ちだとマリアは考える。
英雄になりたいとか、世界のために犠牲になるとか、きっと太老はそんなことを考えていない。
いつものように、周囲の心配を余所になんでもないかのように、当たり前に――
ただ、自分に出来ることをやっただけだ。
太老なら、そう言うだろうとマリアは確信していた。
「あなたもお兄様の娘だと言うのなら、お兄様の気持ちを第一に考えるべきなのではありませんか?」
ガイアを倒せたとしても、その結果に満足できなければ太老は自分を責めるだろう。
いまでも頼り過ぎていると言うのに、更に多くの責任を太老に背負わせることになってしまう。
それだけは絶対に避けなくてはならないと、マリアは考えていた。だから、ここへ来たのだ。
太老に地上の状況を報せ、共に考え、最善でも最良でもない。最高にハッピーな未来を迎えるために――
太老となら、それが出来る。奇跡を起こせるとマリアは信じていた。
「アンタの負けよ。前からおかしな船だと思ってたけど、どうせ今回のこともお兄ちゃんに内緒≠ナやってるんでしょ?」
何も答えない零式を見て、図星だと悟る桜花。
キーネが方舟を起動したのは、ただの切っ掛けに過ぎない。
ババルンの動きまで予測していたかは分からないが、零式が一連の流れを利用したことに桜花は気付いていた。
恐らくは、二年前の再現。〈皇家の樹〉の力を束ね、十枚の光鷹翼を発現させたあの時≠フ続きをするつもりなのだと――
「言っておくけど、口封じをしようとしても無駄よ? どうして、ここに皇歌≠ェいないと思う?」
「ま、まさか!?」
「そのまさかよ」
ラシャラとキャイア。それにマリアや桜花さえも――
自分の注意を引き付けるための囮だったのだと気付かされる零式。
その瞬間を待っていたかのように、純白の世界が青い光≠ノ染められていくのであった。
……TO BE CONTINUED
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