【Side:太老】
絶無をオメガに突き刺したところまでは覚えている。
オメガに力を集約させるため、そうすることで零式とのリンクの強化を図ろうとしたのだが――
「……何がどうなってるんだ?」
気付いたら真っ白な空間に俺は一人で佇んでいた。
見渡す限り真っ白で、本当に何もない。なんか、こういうのを見たことあるな。
作品が違うけど、そうアレだ。
「精神と時の部屋みたいだな」
天地無用に負けず劣らずインフレの激しい少年漫画。
あの有名作品に登場した一日で一年を過ごせるという修行部屋によく似ている。
まあ、この世界にも似たようなものは普通にあるのだが、摩訶不思議パワーとかではなく科学の産物だけどな。
加速空間と言って、外の何倍、何十倍もの速さで時間の流れる空間を作ることが出来る技術だ。
実は逆に時間を遅くしたり凍結する技術もあって、むしろこちらの方が便利に利用されていたりする。
食料品などを腐らせずに保管することが出来るから便利なんだよな。うちの商会の倉庫にも使われている技術だ。
「精神と時の部屋……さすがお兄ちゃんね。この空間の正体をあっさりと看破するなんて」
そんな風に後ろから声を掛けられ振り返ると、そこには桜花――いや、皇歌の姿があった。
何やら感心した様子を見せているが、え? ここってマジで精神と時の部屋なの?
作品を間違えてないか? 適当に言っただけなのに、自分でもビックリなんだけど。
「そう、ここは零式が作りだした精神世界――零の領域。外界とは時間の概念も異なる世界よ」
零式が作りだした?
ああ、そういう……あいつ、またネタに走ったな。
しかし皇歌の話が正しいとするなら、ここは零式の中ってことか。
なら――
「零式――」
「無駄よ。いまの彼女には声なんて届かないし、この空間にアクセスすることは出来ないわ」
「……は?」
「絶無を起動したことで、この空間の管理者権限はお兄ちゃんに移ってるからね」
なんとなく話が見えてきた気がする。
マスターキーとは、謂わば船の力を制御するための管理者ツールのようなものだ。
その〈絶無〉を起動したから、零式と入れ替わるカタチで俺がこの空間へ飛ばされたと言う訳か。
あれ?
「それじゃあ、どうやって皇歌ちゃんはここに?」
「……忘れたの? お兄ちゃんが桜花に管理者権限を預けたんじゃない」
ああ……そう言えば、そんなことがあったな。
樹雷を去る前に、桜花に天樹の世話と工房の管理をお願いしたんだった。
その時に不便のないように管理者権限を預けたんだったか。
まさか、それが零式にも適用されるとは思ってもいなかったけど――
「いま、私の持っている権限はお兄ちゃんに次ぐレベルで設定されているわ。返した方がいい?」
「いや、そのままでいいよ」
俺がそう答えると、何やら少し驚いた様子を見せる皇歌。
とはいえ、俺に何かあった時のことを考えると、管理者権限は他の人にも持ってもらっておいた方がいい。
零式にすべて任せるのも不安だしな。あいつを止められる人間は必要だろう。
その点で言うと、二人(桜花と皇歌)は信用できる。
「お兄ちゃんは、私を信じてくれるんだね。酷いことを一杯したのに……」
「前に言ってた前世のことか? そう言われても、よく覚えてないしな。それに自分のことだから言えるんだけど、何があったとしても俺は皇歌ちゃんを恨んでいなければ、後悔もしていなかったと思う」
何があったのかはよく覚えていない。でも、一つだけ言えることがある。
俺が死んだ原因の一端が仮に彼女にあるのだとしても、泣いている女の子を守るために取った行動なら、きっと後悔などしていなかったと言うことだ。
こうして生まれ変われた訳だし、むしろ皇歌にはずっと辛い思いをさせてきたかと思うと、そちらの方が心残りなくらいだった。
「ごめんな。駄目なお兄ちゃんで……」
「ううん」
前世の自分がしたこととはいえ、不甲斐なさを謝罪すると皇歌は俯きながら首を横に振るのだった。
【Side out】
異世界の伝道師 第383話『絶無の力』
作者 193
「ガッデム!」
突然、船のブリッジに戻ってきたかと思うと、頭を抱える零式に訝しげな視線を向けるドールたち。
似合わないスラングを口にしているあたり、相当に慌てていることが見て取れる。
こんな零式を見るのは、彼女たちも初めてのことだった。
「これからって時に、まさか管理者権限を奪われるなんて! いえ、この場合はお父様にお返ししたというのが正しいのですけど……」
これからの予定が、壮大な計画が……と、ぶつぶつ呟きながら零式は再び頭を抱え始める。
まさか、あのマスターキーにそのような力があるとは、彼女にも予想外であったのだろう。
そもそも本来マスターキーとは、第一世代の〈皇家の樹〉だけが持つ特殊なキーのことだ。それ以外のものは〈契約の証〉と言って、指輪などに加工して身に付けるのが一般的だ。能力もあくまで樹とパートナーのリンクを補佐する程度のもので、特別大きな力が備わっていると言う訳ではない。敢えて利点を挙げるのであれば、契約者以外の者でもキーを用いれば、ある程度は〈皇家の樹〉の力を借りることが出来ると言った程度の代物でしかなかったのだ。
それも結局のところは〈皇家の樹〉の気分次第。樹が力を貸したいと思う相手でなければ、キーは使えない。
選択権はあくまで〈皇家の樹〉の方にある。そういうもののはずなのだが――
「銀河結界炉へのアクセスも不能。お父様から直接許可を頂かないことには、最低限の機能しか使えない……」
零式のマスターキーは少々……いや、かなり特殊な能力を持っていた。
謂わば、零式を縛るための首輪。それが、絶無の持つ能力の一端なのだろう。
これが〈皇家の樹〉であれば、樹とパートナーである契約者は対等な関係となるが、太老と零式の場合は違う。
普段から零式は自分のことを『太老の娘であり下僕である』と言っているように、彼女は太老に従属している。
心酔を通り越して崇拝していると言ってもいい。そんな彼女と太老の絆のカタチが具現化したものが〈絶無〉なのだ。
となれば――
「でも、お父様に縛られるっていうのも、これはこれで……」
こうなるのも自明の理であった。
【Side:太老】
「ねえ、お兄ちゃん。私が前に言ったことを覚えてる?」
「前に……ああ、もしかして鍵≠フことか?」
去り際に最後の鍵がどうとか言っていたのを思い出す。
俺は零式のマスターキーのことだと思っていたのだが――
「それって絶無≠フことだよな?」
「やっぱり、そういう勘違いしてたんだ……」
違ったらしい。
いや、鍵と言ったら普通はマスターキーのことが思い浮かぶだろ?
まあ、零式は〈皇家の船〉ではないので、これを正式にマスターキーと呼んでいいのか分からないのだけど。
とはいえ、船の管理者権限も兼ねているのであれば、便宜上『マスターキー』と呼んでも間違いではないだろう。
しかし〈絶無〉のことでないとすると、皇歌の言っていた最後の鍵≠ニは一体?
「答えは教えてくれないんだよな?」
「お兄ちゃんが自分で気付かないと意味のないことだからね。ただ一つだけ、もうお兄ちゃんは鍵を手に入れているよ」
まったく心当たりがないのだが、俺は既に最後の鍵なるものを手に入れていたらしい。
いや、本当に何のことだ? 零式のマスターキーのことでないとすると、まったく心当たりがないのだが……。
「やっぱり、そこまでは無理か。うん、お兄ちゃんだもんね。お兄ちゃんだから気付かないと言うべきか」
ひとり納得した様子で頷く皇歌。
微妙にバカにされているというか、呆れられている感じがするのは気の所為ではないのだろう。
とはいえ、さすがに難易度が高すぎる気がする。ヒントが鍵だけじゃ、俺でなくても分からないと思うぞ?
「分からなくて当然だって顔してるけど、お兄ちゃん以外の人は分かってると思うよ。ううん、自然と答えに辿り着いていると言うべきかな?」
な……なんだと?
それってマリアやラシャラだけでなく、シンシアやグレースにも分かるようなことってことか?
そこまで言われると気になるんだが、皇歌の態度から察するに絶対に答えを教えてはくれないだろう。
俺自身が気付かないといけないことか。
気になる。気になるけど、俺は果たして答えに辿り着くことが出来るのだろうか?
「もう、そのことはいいよ。まだ少し心配だけど、彼女たちが一緒なら大丈夫だと思うから」
彼女たち……というのは、マリアたちのことだろうか?
なんだかよく分からないが、まだ色々と皇歌には心配をかけていたみたいだ。
しかし皇歌と桜花は元々一つの存在だって話だけど、俺には同一人物には見えない。
これは砂沙美と津名魅に関しても言えることだが――
「俺からも一ついいか?」
「何かな?」
「前から気になってたんだけど、皇歌ちゃん。もしかして桜花ちゃんと同化して、自分は消えるつもりでいるんじゃ……」
同じようなことを皇歌も考えているのではないかと、俺は感じていた。
同化と言うのは、一つになることだ。そう言う意味では、消える訳ではない。
ノイケも女性体の神我人と同化する道を選んだが、俺は他に方法があったのではないかと考えていた。
本人たちが望んだこと。納得しているのなら、それでいいと言う考え方も確かにあるだろう。
しかし、ただの我が儘だと言うことは分かっていても、俺にはどうしても納得できなかったのだ。
「お兄ちゃん、普段は凄く鈍いのに時々鋭く核心を突いてくることがあるよね」
「やっぱりか……」
出来ればハズレていて欲しかった予想が当たっていたことに、俺の口からは溜め息が溢れる。
「別に無理に同化する必要なんてないだろ? 姉妹みたいに一緒に暮らせば……」
兼光なら娘が増えたと喜びそうだし、夕咲だって笑って皇歌のことを受け入れてくれそうな気がする。
いや、恐らくそうなるだろうと確信していた。
まあ、何かしらの問題があったところで、地球にくれば良いだけの話だ。
うちの家族なら笑顔で迎え入れてくれるだろう。既に神様が三柱も居候しているくらいだしな。
「無理だよ。前にも言ったでしょ? 条件が揃わなければ、私は下位次元に干渉できない。お兄ちゃんの前にだって姿を見せることは出来ないの」
「そこは俺がなんとかしてやる」
「なんとかって……」
いろいろと難しいことは理解している。
だが、訪希深だって仮初めの身体を作って遊びにきているんだ。きっと何かしらの抜け道があるはずだ。
皇歌のためだったら、鷲羽や訪希深に頭を下げてもいい。
まあ、本当にそれは最後の手段としたいところだが、そのくらいの覚悟は出来ていた。
「昔から、そうだったね。お兄ちゃんは私が何者≠ナあっても、いつも笑顔で受け入れてくれた」
前世のことを思い出しているのだろうか?
悲しげな笑みを浮かべながら、皇歌は俯きがちにそう話す。
「でも、もう私はお兄ちゃんに……」
――後悔。
そんな言葉が聞こえてくる弱々しい声で、皇歌が答えを口にしようとした、その時だった。
「はい、そこまで。大事な話があるって言うから譲ってあげたけど、もう時間≠セよ」
聞き覚えのある声が割って入ってきたのは――
声のした方角に、一斉に振り返る俺と皇歌。
すると、そこには予想通りの人物が立っていた。
「……桜花ちゃん?」
兼光と夕咲の娘で、俺にとっても妹のような存在。
そして皇歌にとって、もう一人の自分と言える少女。
「うん。おかえり、お兄ちゃん」
――平田桜花はそう言って、俺を笑顔で迎えてくれるのだった。
【Side out】
……TO BE CONTINUED
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