ガイアとの戦いより一年が過ぎようとしていた。
大陸に平和が戻り、少しずつではあるが世界は復興の兆しを見せつつある。
ハヴォニワ、シュリフォン、シトレイユの三大国が主導となって結ばれた大陸連合。
そして、いまや大陸経済の三分の一を牛耳るほどまで成長した正木商会の力が、復興を後押しする原動力となったことは間違いない。
「マリア様、そろそろ式典のお時間です」
「あら……もう、そんな時間? 急いで支度をするわね」
「あ、お手伝いします」
「助かるわ。ハヅキ」
そんな商会のトップが決裁などの仕事をこなす会長専用の執務室に、二人の少女の姿があった。
正木商会の会長を代行をしているマリア・ナナダンと、その秘書のハヅキだ。
正確には、会長付の秘書というのが現在のハヅキの肩書きであった。
急いで予め用意してあったドレスに着替え、支度を調えると、マリアはハヅキと共に屋敷の中にある転送ゲートへと向かう。
「やっぱり便利ですね。まだ少し慣れませんけど……」
「すぐに慣れるわ。これからは王都と学院を行き来することが増えるでしょうしね」
王族としての政務もあるマリアが多忙極まる商会の長を代行できているのは、このゲートのお陰でもあった。
一瞬にしてハヴォニワの王都と、各国の主要都市を行き来することが出来るのだ。慣れれば、これほど便利なものはない。
勿論、勝手にそのような装置を設置している訳ではなく、各国の政府の許可も取り付けている。
実際、各国に配給される物資の輸送など、このゲートが復興の大きな役割を果たしたことは間違いない。
誰でも利用できると言う訳ではないが、いまでは政府や教会関係者。主立った商会を中心に利用者が増え、飛行船に代わる移動手段として普及しつつある。
この一年で、世界は大きく変わった。
転送ゲートの利用にしてもそうだが、一年前と比較にならないほど技術は進歩を遂げ、復興前と比べても人々の生活は大きく向上した。これまで教会が秘匿してきた技術の多くが公開され、その技術を用いた製品が各国で競うように開発されたことで、徐々にではあるが人々の生活に浸透しつつあるのが理由として大きいだろう。正木商会が、そうした発展の流れを作る先駆けとなったことは言うまでもない。
そして今日ここ――聖地の跡地に再建された学院の開校記念式典が開かれる予定となっていた。
と言っても、以前とは少し違う。聖機師の卵たちが通う学院と言う意味では以前と変わりがないが、今年から学院に通うことになる新入生の中には、貴族ではない平民の子供たちも大勢まざっていた。と言っても、新たに設けられた厳しい試験を潜り抜け、学院への入学を認められた子供たちでもある。新たに開発されたハイブリッド型亜法結界炉〈フェンリルU〉の普及によって聖機人の性能が大きく向上し、聖機師となる条件が大きく緩和されたことが理由の背景にあるだろう。
以前ほど高い亜法耐性を持っていなくとも聖機人を操縦することが可能となり、これまで教会から供与されていた聖機人の開発が、幾つかの制限の下に各国で独自に行なわれるようになったのだ。
その結果、聖機師は以前ほど特別≠ネ存在ではなくなった。
亜法耐性の低さから聖機師になることを諦めていた者たちが、聖機師となる道を志すようになったのだ。
それに新たな学院では、聖機師だけでなくメカニック――聖機工などの技師を志す者たちのクラスも新設される。
特別講師として、正木商会からワウアンリーが顔をだすことが決まっていた。これらも、太老の影響が大きい。
平民でありながら爵位を授かり、一代で商会を興し、更には世界をガイアから救った英雄。
そんな英雄に憧れる気持ちは、貴族も平民の子供も関係がないと言うことだ。
そして、今年の春から復学するマリアと共に、ハヅキも学院へと通うことが決まっていた。
「随分と遅い到着じゃな」
式典が開かれる聖地の闘技場へと向かう途中、懐かしい声に足を止めるマリアとハヅキ。
声のした方を振り返ると、そこには腰に手を当て得意げな表情を浮かべるラシャラと、護衛機師のキャイアの姿があった。
この一年、お互いに忙しくて余り顔を合わせる機会がなかったので、久し振りの再会なのだが――
「また御主との腐れ縁が始まるかと思うと、いまから少し憂鬱じゃな……」
「その言葉、そのまま返させて頂きますわ」
相変わらず仲が良いのか、悪いのか?
いつもの調子で喧嘩を始める二人を見て、ハヅキとキャイアは揃って苦笑を漏らすのであった。
異世界の伝道師 第389話『変わりゆく世界』
作者 193
「マリアちゃんとラシャラちゃん、上手くやっているかしら?」
また喧嘩をしてなければいいのだけど、と見てきたかのように話すフローラ。
とはいえ、見るまでもなくあの二人のことを知る人間であれば、同じ心配をするところだろう。
それぞれの立場や環境はこの一年でガラリと変わったが、それで本人たちの性格や関係にまで変化が起きる訳ではない。
ハヴォニワの王女にして会長代行なんて肩書きを持っていても、マリアはまだ十四にも満たない少女だ。
それはラシャラも同じ。フローラから見れば、どちらもまだまだ子供であることに違いはなかった。
「そうして子を気に掛ける姿だけを見れば、普通の親のようだな」
「……それは、どう言う意味かしら?」
何やら含みのある物言いをするシュリフォン王を、ジロリと睨み付けるフローラ。
共に大陸連合を率いる王と言っても、いまやハヴォニワの国力はシトレイユやシュリフォンを大きく凌駕している。
実質的に連合のトップは、ハヴォニワと言っても間違いではないのだ。
そんな国の女王に睨まれながらも飄々と受け流せる男は、各国の王のなかでもシュリフォン王くらいのものだろう。
逆に言えば、だからこそ大きな不満もでずに大陸連合は機能しているとも言えた。
ハヴォニワが力で周囲を抑えつければ、それこそ教会が各国に対して行なってきた管理と言う名の支配と何も変わりが無い。
だからこそ、少なくとも三大国の王は立場的に同等≠ナなければならない。
フローラもそのことが分かっているからこそ、心の奥底ではシュリフォン王に感謝していた。
とはいえ――
「あなただって、人のことは言えないでしょ? アウラちゃんのこと」
「む……」
なんのことを言われているのか察して、難しい顔で唸るシュリフォン王。
復学することになったマリアたちとは違い、既に聖機師の資格を得ていたアウラは他の上級生たちと共に学院を卒業した。
そのなかにはキャイアたちも含まれているのだが、アウラには他の卒業生たちと違いシュリフォンの王女という立場がある。
本来であれば国へと帰り、王族としての義務と責任を果たすべく政務に励むところなのだが、彼女が進路に選んだのは――
「商会で働かせて欲しいって言ってきた時には驚いたわ。よく許可したわね?」
「頑固なところは母親譲りだからな。それに、これも花嫁修業だと思えば、シュリフォンにとっても悪い話でないからな」
そう言ってカカッと大口を開けて笑うシュリフォン王を見て、相変わらず食えない男だとフローラは評価する。
娘に甘いのかと思いきや、王として国の行く末についてもしっかりと考えているのだろう。
太老は今や、ガイアから世界を救った英雄。大陸連合にとっても象徴≠ニ呼べる存在だ。
実務的なことは三大国の王が取り仕切っているとはいえ、形式上は太老が連合の盟主と言うことになっている。
となれば、三国の関係をより強固なものとするために、マリアやラシャラのようにアウラを太老と婚約させるつもりでシュリフォン王はいるのだろう。
もっとも、あれから一年――
「それで? 婿殿とは、まだ連絡が付かないのか?」
「残念ながら。生きていることだけは、間違いなさそうなのだけどね」
太老はまだ、この世界に帰還していなかった。
ガイアと相打ちとなったという見方も当初はあったのだが、それを水穂と林檎がはっきりと否定したのだ。
二人が否定したのは、不完全ながらも太老とのリンクが未だに生きていること。
そして、祭と龍皇が――皇家の樹が、太老の生存を保証したことが理由として大きかった。
だからこそ、恐らくは過去の世界へと跳ばされた時と同様、何かしらのトラブルで帰れなくなっているのだろうと推察したのだ。
「まあ、領地の運営はメイドたちが上手く回しているみたいだから問題はないのだけど……」
「婿殿の不在が長引けば、よからぬことを考える輩もでてくるか」
誰もが大陸連合を歓迎している訳ではなく、太老に恨みを抱いている者たちもいるのだ。
教会はリチアを指導者として新たな道を歩み始めているが、彼女のやり方についていけず離反した者も少なからずいる。
そうした者たちが徒党を組み、不穏な動きを見せつつあった。
そんな彼等を纏めているのが――
「で、連中を率いているのが、この男と言う訳か。一体、何者なのだ?」
テーブルの上に置かれた一枚の写真を手に取り、訝しげな表情でフローラにそう尋ねるシュリフォン王。
その写真には額に丸い紋章を描き、口元に髭を生やした貴族らしき男が写っていた。
見慣れない人物ではあるが、この写真の男が敵対勢力を率いている首謀者であることは間違いない。
シュリフォン王の質問にフローラはどこか答えにくそうに、疲れた表情で溜め息を一つ溢す。
そして――
「キーネやマリーちゃんにも確認を取ったわ。この男こそ、ガルシア・メストと同じ時代を生き、統一国家と覇権を競った帝国の皇帝」
――パパチャアリーノ・ナナダンであると、答えるのだった。
◆
「これで、いつでもあっちの世界へ帰れるわね」
そう話すのは、水穂だった。
ここは結界工房にあるナウアが管理する工房区画。
水穂は今、彼の協力を得て、とある装置の開発を行なっていた。
それは過去に玲亜が使ったものと同じ、地球への転送ゲートであった。
「とはいえ、この装置では一度に転送できるのは一人が限界。それも、エネルギーをチャージするのに半年もの時間が掛かる」
装置は完成したと言っても、これでは地球とこの世界を自由に行き来するには程遠いとナウアは話す。
理想を言えば、この世界と地球を自由に行き来できる装置を開発したかったのだ。
しかし、それは先史文明の技術でも不可能に近いことだった。
実際、玲亜が使った装置も片道切符で、帰りまでは想定されてない代物であった。
「まあ、あっちの世界に帰還できさえすれば、その点はどうにかなると思うわ」
「ふむ……そう言えば、あちらの世界には正木太老の師匠がいるという話だったが……」
「協力を得られるという確証はないけど、太老くんのこともあるしね」
取り引きには応じて貰えるはずだと水穂は答える。
仕方のない事情があるとはいえ、太老をこの世界へと送り込んだのは鷲羽だ。となれば、責任の一端は鷲羽にもある。
最低でも、太老を捜索するための協力くらいは得られるはずだと水穂は考えていた。
欲を言えば、転送ゲートの改良もお願いしたいところだが、そこは交渉次第と言ったところだろう。
「では、水穂殿が装置を使って、あちらの世界へ?」
「いえ、剣士くんにお願いしようと思うわ。あれから、ずっと太老くんのことを気にかけているみたいだし……」
「なるほど……」
ここ最近の剣士の様子については、ナウアもワウアンリーを通して話に聞いていた。
ババルン軍との戦いで結成された独立部隊は解散となったが、いま剣士はカレンと共に正木商会の実働部隊に所属している。
戦後に剣士の所属を巡って各国の激しい争奪戦が起きることが予想されたので、水穂が先手を打って正木商会の所属としたのだ。
勿論そのことに不満の声が上がらなかった訳ではないが、太老の弟であることを理由に押し切ることは難しくなかった。
他の誰かに取られるよりは、中立的な立場を表明している商会に所属する方がマシと言った打算も働いたのだろう。
ちなみにカレンについては、元々ゴールドの従者ということもあって彼女に手をだそうとする者はいなかった。
それだけゴールドの悪名を恐れている者が多いと言うことだろう。
「里帰りをすれば、少しは悩みも晴れるか」
「ええ、あっちには剣士くんの家族≠烽「るから」
子を持つ親として思うところがあるのか、ナウアも水穂の考えに頷く。
太老の弟と言うことで、剣士に期待を寄せる声も大きかったのだ。
しかし、ガイアから世界を救った英雄の一人とは言っても、まだ十六歳の少年だ。
どれだけ高い能力を有しても、彼が子供であることに変わりはない。周囲の期待を押しつけ、祭り上げられるには早い。
なのに剣士は周囲の期待に応えようと、最近は無理をすることが多くなっていた。
恐らくは、あるはずもない責任を感じて、太老の代わりを自分なりに精一杯こなそうとしているのだろう。
(いや、不甲斐ないのは私たちの方か……)
剣士がそんな風に考えるのは、大人が頼り無いからだとナウアは恥じる。
少しずつ世界は良い方向に進んでいる実感はあるが、それでも人間同士の争いが絶えることはないのが実情だ。
剣士に限らず子供たちが不安を覚え、必要以上に頑張ろうとするのも無理はないのだろう。
とはいえ、それに甘えていては駄目だとナウアは感じていた。
「より住みよい世界に、か」
太老の残した正木商会のスローガン。
子供たちが未来に希望を持てる――そんな世界を作っていくのは、大人の責任だ。
子供たちに、そして異世界人に頼っているようではダメだと、ナウアは決意を新たにするのだった。
……TO BE CONTINUED
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