「剣士くん、忘れ物はない? お土産と鷲羽様宛の手紙も持ったわよね?」
子供を心配する母親のように、あれこれと確認を取ってくる水穂に苦笑する剣士。
悪い気はしないが、剣士はもう十六歳だ。
そして水穂は遥照こと柾木勝仁の娘。剣士から見れば、伯母となる。
幼い頃から何度か親戚の集まりで顔を合わせていたこともあり、照れ臭さもあるのだろう。
「お姉様、もうそのくらいに。剣士さんが困っていますわ」
そんな剣士を見かねて、マリアは助け船を出す。
ここは結界工房内にあるナウアの工房。広間の中央には、完成したばかりの転送装置が鎮座していた。
その周りには、マリアだけでなくラシャラとゴールドの他、フローラとシュリフォン王。
更にはキャイアとユキネ。リチアとラピスに、セレスとハヅキの姿も確認できる。
彼等は今日、地球へと帰郷する剣士の見送りに集まっていた。
正木商会の会長代行に、教会のトップ。更には三大国の首脳と、いまからでも世界会議が開けそうな錚々たる顔ぶれだ。
だが、それも当然と言えば当然。剣士の地球への送還は、ただの里帰りではない。
これを切っ掛けに、これまで一方通行だった地球との交流が始まるかもしれないのだ。
剣士との個人的な繋がりを置いても、やはり為政者として気になるのだろう。
それに――
「剣士ちゃん。私からの〝お土産〟と〝手紙〟も、ちゃんと〝ご家族〟に渡して頂戴ね」
「えっと、はい……」
こんなチャンスを、ゴールドが見逃すはずもない。
ゴールドの目的は分かりきっている。
地球との交易で少しでも優位に立ちたいと考えているのだろう。
太老に近付いたのも、そもそもはそれが目的なのだ。
そんな欲望に忠実な母親の姿を見て、ラシャラは呆れた様子で肩をすくめる。
しかし、
「他人事みたいな顔をしてるけど、これは〝シトレイユのため〟でもあるのよ」
「……それは、どう言う意味じゃ?」
「分からない? これは〝商機〟よ」
現在のシトレイユは三大国のなかで最も立場が弱く、経済的にも苦しい立場に置かれている。ガイアのことを隠していた教会にも責任はあることから、国が連合の管理下に置かれることは避けられたが自国の宰相が勝手に軍を動かし、世界を危険に晒した事実は消えない。そのため、ガイアの被害を受けた地域の復興に掛かる予算の大半を、教会とシトレイユが折半することとなったのだ。
三大国の一つに数えられてはいるが、いまのシトレイユの国力はハヴォニワどころかシュリフォンにも大きく劣る。
皇に即位したラシャラもまだ幼く、実質的に連合を切り盛りしているのはフローラとシュリフォン王の二人と言えた。
いまシトレイユがどうにか大国としての体裁を保てているのは、とある事件で猫のぬいぐるみに憑依し、国の守り神として祭り上げられている先皇の手腕と言ってもいいだろう。
だからこそ、ゴールドの言いたいことはラシャラにも理解できた。
異世界――地球の珍しい品物が手に入るとなれば、当然それを欲する貴族や商人が現れる。
しかも、地球は太老と剣士が生まれ育った星だ。英雄に憧れるのは、貴族の子供だけではない。
太老は平民からの人気も高いことから、これは大きな商売になるとゴールドは読んだのであろう。
となれば――
(母上の案に乗るのは癪じゃが、これはマリアを見返すチャンスか?)
落ち込んだシトレイユの経済を回復させ、ハヴォニワと並び立つチャンスかもしれない。
そうなったらマリアに大きな顔をされることもないだろうと、ラシャラは考える。
幼い頃の思い出や苦手意識もあるため、出来ることならゴールドと手を組みたくはない。
だが、得られる利益の大きさは見過ごせるものではないと瞬時に判断する。
「そこまで言うのなら仕方がないの。我も〝国〟を憂う気持ちは、母上と同じじゃ」
「ラシャラちゃんなら、そう言ってくれると思っていたわ」
ガッチリと固い握手を交わすラシャラとゴールド。
一見すると長く離れて暮らしていた親子が和解をした感動のシーンと捉えることも出来るが――
「……やっぱり、親子ですわね」
二人の思惑を察して、マリアは深い溜め息を漏らすのだった。
異世界の伝道師 第390話『帰郷/前編』
作者 193
「行ってしまいましたね」
そう言って、どこか寂しげな表情を浮かべるラピスの手を、リチアはそっと取る。
ラピスが何を心配しているのかを察したのだろう。
「リチア様?」
このまま剣士が帰って来ないのではないか?
恐らくラピスは、そんな風に考えたに違いない。
本人の意志と関係無くこちらの世界に送られたことを考えれば、ラピスが心配するのも無理はない。
しかし剣士の性格から言って、それはないだろうとリチアは考えていた。
「大丈夫よ。剣士さんなら帰ってくるわ。お兄さんを連れて、きっとね」
剣士がガイアと戦ったのは、世界を救うとか崇高な使命に目覚めたからではない。
仲間を、大切な人たちを守りたい。そのために命懸けでガイアとの戦いに挑んだのだろう。
そんな彼が故郷に帰れたからと言って、こちらの世界との繋がりを断つとは思えない。
既に剣士にとってこの世界は、もう一つの故郷と言える場所になっているはずだとリチアは信じていた。
これは〝そうであって欲しい〟という希望的観測も含まれているのだが、剣士の性格から言って心配は要らないだろう。
そんなことよりも――
「それよりもラピス。あなた、やっぱり剣士さんのこと……」
「リチア様!?」
大きく取り乱し、慌ててリチアの口を塞ごうとするラピス。
その反応だけで、ラピスが剣士のことを異性として見ていることは容易に察せられる。
従者と言っても、リチアはラピスのことを実の妹のように可愛がっていた。
相手が碌でなしならともかく、剣士は稀に見る優良物件だ。反対する理由もない。
しかし、それだけに――
(ライバルも多いのよね……)
下手をしたら数だけなら太老よりも剣士の方が結婚を望む声は多いとさえ、リチアは感じていた。
それも当然と言えば、当然の流れだった。
太老は大陸最大の商会のトップにしてハヴォニワの大貴族。いや、ハヴォニワから領地の割譲を受け、一国の王として独立することが既に決まっている連合の盟主だ。さすがに高嶺の花すぎて、太老との結婚に憧れる女性は多いが、それが叶わない恋だと諦めている女性は多い。その一方で、剣士なら自分にもチャンスがあるのではないか、と現実的な考えを抱く女性も少なくなかった。
水穂が一早く剣士を商会の所属として保護したのは、そうしたことも理由の一つにある。
この先、剣士が適齢期を迎えれば、特権階級の女性を中心に剣士との結婚権を巡って激しい争奪戦が繰り広げられることは、目に見えていたからだ。
しかし仮にラピスが剣士と結ばれれば、それは教会の利益にも繋がるとリチアは考える。
シトレイユと折半した復興予算はどうにか捻出することが出来たが、いまの教会に以前のような権威はないからだ。
何より――
(これは計画を練り直す必要があるわね)
妹のように大切に想っている少女の初恋を応援したいと言う気持ちは本物だ。
そのためにも既成事実の構築と邪魔者の排除を含め、リチアは密かに策略を巡らせるのだった。
◆
「剣士くんの見送り。本当に行かなくても、よかったのですか?」
淹れたての紅茶をカップに注ぐ一人のメイドに、そう声を掛ける林檎。
林檎が自分のことを気に掛けてくれていることは、彼女も理解していた。
それでも――
「はい。私はこの屋敷で、メイドたちと共に太老様の帰りを待ちたいと考えています」
屋敷を離れるつもりはないことを、はっきりと告げる。
彼女の名は、マリエル。太老の屋敷で働く侍従たちを統括するメイド長だ。
「〝もう一人の私〟も、ここで太老様の帰りを待ちたいと願っているはずですから」
もう一人の私――と言うのが、マリエルのなかで眠るマリーのことだと林檎は察する。
マリーと名乗る少女。その正体は、過去の世界で太老が知り合ったマリアの祖先だ。
亜空間に呑まれることで時間を跳躍し、赤ん坊まで退行して記憶を失った結果、生まれたのがマリエルの人格だった。
言ってみればマリーとマリエルの関係は、ドールとメザイアに近い。
だからマリーとマリエルは、二人で一つの肉体を共有していた。
そして、いまマリーは身体の主導権をマリエルに譲り、長い眠りへと再びついていた。
元よりガイアとの戦いの行く末を見届けたら、マリエルに身体を譲るつもりでいたのだろう。
「ごめんなさい。力になれればよかったのだけど……」
「いえ、お気になさらないでください。これは〝私たち〟の問題ですから」
頭を下げて謝罪する林檎に対して、どうか気にしないで欲しいと首を横に振るマリエル。
幾ら林檎や水穂が異世界の人間で、この世界にはない知識を有していると言っても出来ることには限りがある。
教会が秘匿していた技術とキーネやルナの知識を借りれば、器となる肉体を用意することは出来る。
しかし身体に埋め込まれたコアクリスタルを取り出せば、マリエルにもどのような影響を及ぼすか分からない。
だからと言ってアストラルだけを肉体から切り離し、新たに用意した肉体へ憑依されるようなことは残念ながら先史文明の技術でも不可能なことだった。
そんな真似が可能なのは、林檎たちの世界でも極一部。トップクラスの哲学士だけだ。
シトレイユの先皇は、偶然に偶然が重なった結果と言って良いだろう。
結界炉を暴走させるなど、リスクが高すぎて試せるような方法ではない。
しかし、
「大丈夫です。太老様なら、マリーちゃんのこともきっと……」
マリエルは心配などしていなかった。
自分を救ってくれたように、太老ならマリーのことも救ってくれる。そう信じているからだ。
確かに太老なら放って置かないだろうし可能だろうと、そのことは林檎も認める。
問題はその太老が何処にいるのか、分からないことにあるのだが……。
このまま帰って来ないと言うことはないだろう。しかし、それが何年先のことかは林檎にも分からない。
ひょっとしたら一年や二年では済まず、十年、百年と待ち続けることになるかもしれない。
自分や水穂はいい。太老の体組織を移植されたミツキも問題はないだろうと林檎は考える。
だが、普通の人間はそれだけの歳月を生きることは出来ない。
マリエルは少し特殊だが、それでも今の身体がどの程度保つかは未知数だった。
「なら、太老様のためにも今日の診察を始めましょうか。もう、あなた一人の身体ではないのだから」
「……はい。よろしくお願いします」
そう言って林檎はマリエルの肩に手を当てると、上着を脱がせる。
こうして林檎が太老の屋敷を頻繁に訪れているのは、マリエルの身体を診察するためだった。
マリエルに何かあれば、きっと太老は哀しみ、自分を責めると分かっているからだ。
だが、現在のマリエルの身体は非常に不安定な状態にある。
マリーが眠りにつくことを決めたのも、マリエルの負担を減らすためというのが一番の理由だろう。
もしかしたら、このままマリエルに身体を譲り、自身は消えてしまうつもりなのかもしれない。
(なんとしても治療法を見つけないと)
マリーを助けたいという想いは、林檎も同じだった。
短い時間ではあるが共に行動をして、マリーがどんな少女かは理解しているつもりだ。
父親に道具のように利用された悲しい過去を持ちながらも、腐ることなく他人を思いやれる心を持った優しい少女。
恩を返したい。太老の役に立ちたいという彼女の想いは本物だった。
だからこそ、助けたいと思ったのだろう。
(剣士くんが上手く、あちらとの橋渡しをしてくれるといいのだけど……)
人造人間については結界工房にも協力を求め、現在も研究が進められている。
それに地球との交流が始まれば、鷲羽に助けを求めることも出来るだろう。
どのような対価を求められるかは分からないが、それでも二人を救って見せると林檎は決意を滲ませるのだった。
◆
「剣士くん、ちゃんと帰れたかしら?」
草の上に仰向けに寝転がりながら空を眺め、剣士のことを考えるカレン。
残念ながら見送りには行けなかったが、彼女なりに剣士のことを気に掛けているのだろう。
実際、カレンは剣士のことを仲間であると同時に、弟のように思っていた。
「こんなところでサボってたのね。一応、ここが〝最前線〟だってこと忘れてない?」
そう言って、カレンに声を掛けたのはイザベルだった。
ボディラインが強調された女性聖機師特有のパイロットスーツに身を包み、いつでも出撃可能と言った様子が窺える。
「常に警戒して気を張っていても、無駄に消耗するだけでしょ。このくらいが丁度いいのよ」
「まあ、一理あるわね。とはいえ、さすがに二週間も動きがないと、気が緩んできている兵士も少なくないわ」
「そっちは問題ね」
多少は緩んでいても、ちゃんと切り替えられるならいい。
しかし、ここが戦場であることも忘れて警戒を緩めてしまうようでは問題だ。
とはいえ、それも仕方がないかとカレンは考える。
剣士がいないとは言っても、三大国を主軸とした連合軍の戦力は圧倒的だ。
一方で海を挟んだ先の小島に籠城する敵は、太老への恨みと己が権益を守るためだけに結束した烏合の衆に過ぎない。
数の上でも三倍近い差がある。その上、カレンとイザベルの他、モルガたちの隊も控えているのだ。
自分たちが負けるはずがないと考え、既に戦勝ムードで兵士たちの気が緩むのも無理はない。
「油断はしない方がいいわ。これだけの戦力の派遣を決めたのは、あのフローラ様なのよ?」
「確かに、意味もないことはしないか」
これだけの戦力を整えた背景には、それなりの理由があるはずだと話すイザベルにカレンも同意する。
フローラが決めたと言うことは、これだけの戦力が必要と判断した何かがあると言うことだ。
しかし、そう考えると――
「剣士くんが抜けた穴は痛いわね」
「恐らく〝異世界人〟に頼るのではなく、自分たちの力で解決できるってところを証明したいのでしょう」
ガイアとの戦いは仕方がないにしても、普段から剣士の力に頼ってしまうことは危険だとフローラは考えているのだろう。
そこに関してはイザベル同様、カレンも同意見だった。
正直、剣士の力は強すぎる。彼一人に頼り切ってしまえば、軍は意味をなさない。
何かあっても英雄が助けてくれるという先入観を与えてしまえば、聖機師の存在意義も問われることになるだろう。
だが――
「私も〝異世界人〟なのだけど?」
「そもそも、あなたの場合はゴールド様が手放してくれないでしょ?」
自分も剣士と同じ世界の出身だと主張するも、イザベルの答えに否定できないとカレンは溜め息を吐く。
一時的な帰郷は認められる可能性は高い。しかし、ゴールドからカレンとの関係を切ることはないだろう。
そしてカレンも、自分に居場所をくれたゴールドには感謝しているのだ。
それは恐らくセバスチャン――桜花の祖父、平田兼秋も同じだろうと思う。
「まあ、それを言ったらイザベルも同じよね?」
「否定は出来ないわね。まあ、これからも同じ悩みを持つ〝被害者〟と言うことで、仲良くやりましょう」
共に同じ人物を雇い主に持つ身。何の被害者かを察するのは難しくない。
カレンは苦笑しながらも「ええ、これからもよろしく」と、イザベルの手を取るのだった。
……TO BE CONTINUED
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